百六十二幕 KIF/ルーチェの怒り⑩
野乃と再会して三日目。
小春は連日のように野乃の誘いに応じ続けていた。
小春の家は埼玉。
野乃の家は神奈川。
普通の女子高校生がわざわざ東京の原宿までやってきて連日のようにして会うことは滅多にない。
だが、彼女達の身分はアイドル。
放課後はお互いに原宿近郊にあるレッスンスタジオに通うため東京へと出て来る機会がある。その上、二人は会える距離でレッスンをしている。
本来ならば会う機会がない二人ではあるがレッスン後の空いた時間を使えば少しでも会って話す時間が作れる。そんな風なことを野乃からメールで伝えられ、再びリアルで会って話すことに若干の躊躇いを覚えるも……小春は何となく了承してしまった。
別に自ら会いたい訳ではない。
むしろ、会いたくない気持ちの方が強い。
久し振りに会って自分の事をもう嫌ってはいないと口で直接言われても、小春にとってそれは信じ難い言葉でしかない。
そもそも、小春は野乃に対して何か特定の嫌がらせを働いた訳ではない。
ただ小学生と同様に中学校でも一緒に居ようと接しただけ。
なのに、小春は嫌われ、身に覚えのないイジメまで受けた。
そして、本人の希望通り消えた。
父親の転勤を利用して野乃の前から、隣からお望み通り消えた……にもかかわらず、今度は自ら小春の前に現れ『やり直そう』とまで言ってきた。
過去のことは水に流して、今をもってやり直す。
身勝手なまでに嫌って、遠ざけて、傷つけておいて……謝罪の言葉、一つなしに平気な顔でやり直そうと伝える彼女を今更信じられる筈がない。
気を許せば彼女は再び同じことをしてくる。
だから、あまり会いたくない……でも、会わないといけない。
会わないと何かされるかもしれない。
自分がポーチカというアイドルであるとバレた以上、今までのように決して顔を会わせない日がこないことはない。何か気に障るようなことをすれば再び……何かしてくるに違いない。
過去の記憶から引き摺られた恐怖が会わないという選択肢の不安を駆り立てる。
むしろ、会って穏便に事を済ませる方がまだマシだと妥協策を探った。
昔と違ってよそよそしく他人行儀であまり話さなくなった自分を見せれば野乃も飽きて近づいてこなくなる。あるいは彼女を幻滅させればいい……野乃との関わりの断ち方を模索することを重視して小春は会うことを決めた。
しかし、そう上手くはいかなかった。
野乃は何故か飽きもせずに毎日の様に会おうと声を掛けてくる。
その度に小春はただ話しを聞くだけや軽い微笑などを入れてそばに居るだけに徹して、積極的に会話を盛り上げようとはしなかった。
どうでもいいことや小春の知らない中学校の思い出話、自分がアイドルになった経緯……小春にとっては聞いていても面白くもなければ、嬉しくもない話を野乃は楽しそうに話し続ける。
何がそんなにも楽しいのかと……問いてみたくなるが小春は下手に口を挟めないでいた。
聞いてしまうと野乃の持つ裏の貌が再び剥がれ落ちそうな気がしてならないから……
「ねぇ、いつまでそうやってビクビクしてるの?」
「……!」
「大丈夫だって。今更、中学校みたいなことはしないから」
野乃に対する警戒心がバレていた指摘を受け、小春はゆっくりと視線をあげる。
覗き込む野乃の表情を伺うように見ると彼女は笑っていた。
楽しそうに愉快な笑みを浮かべて……あの時みたいに……
「あはっ、おもしろ」
「……え?」
「やっぱ、小春ってば面白いね。怖いんでしょ、私のこと」
心の内を見透かされた小春は言葉に詰まる。
後になって「……違う」と否定するも遅し、野乃の目にはそれが嘘だと見抜かれていた。
「ま、再会した時からずっと気付いてたしね。アンタが私に怯えているって」
聞き覚えのある口調や態度。
ガラリと変わった雰囲気に小春は記憶の中の彼女と思いきり重なる。
今でも大の苦手な中学校の望月野乃がそこに……
「うわぁ、露骨にそんな顔されたら傷つくなー」
苦手意識が無意識にも表情に出てしまった……そこを指摘され、小春は慌てて「ごめん」と謝ろうとするも……
「うっそ~。なんてね」
「……え?」
「冗談だよ。少しからかってみただけ」
冗談?
からかってみた?
その直後、小春は完全に野乃のペースに乗せられていると気付いた。
心の余裕の無さが心理状態を不安定にさせる。
それが顕著なまで野乃の目に表れているかと思いきや、完全に彼女の罠に引っかかって自らボロを出していた。そのことに小春は悔しさを覚える。
「ごめんごめんって、もうしないから許して。私達はもう喧嘩なんかしてないし、やり直そうって決めたんだもん。おふざけはここまでにするから、ね?」
謝っているのだろうか。
小春の目にはちっともそれが謝罪の様には聞こえない。
むしろ『許せ』と横暴なまでに言っているようにも捉えられた。
「私達は友達なんだしさ。小春ももう少し昔みたく心を開いて欲しいな~」
次はそう懇願する。
今のやり取りをさも以前まで普通にしていたと主張する。
だが、それは野乃の出まかせに過ぎない。
まだ仲が良かった頃の野乃はこんな風に他人を巧みな話術で貶めようとする子ではなかった。
純粋で優しい女の子。いつも一人で居た小春を気遣って常に一緒に居ようと明るく触れ続けてくれた小春にとっての唯一無二の親友……だった。
しかし、そんな彼女はもういない。
(野乃はもう私の前で昔の自分を出してはくれない。本気で友達だなんて……微塵も思っちゃいない)
精々自分を揶揄いやすい旧友程度にしか思っていない。
そんな野乃に小春は文句の一つも言えないまま徐々に顔を下げる。
抗いたくても抗えない恐怖……それが野乃から小春の身体中に巻き付く。
容易には振り解けない複雑な見えない鎖が心を強く締め付ける。
そして、気付けば心の奥底で悲鳴をあげていた。
『助けて』と……誰にも聞こえないくらい小さく苦しんでいる声で訴えていた。
決して伝わる筈のないこの声に……かつて一人だけ応えてくれた人がいた。
しかし、その彼は今ここには居ない。
近くにだっていない。
僅かな微々たる小さな声を聞き、自分を闇から救ってくれる人なんてここには決して……
「ねぇ、あんたの言う友達にその子を入れないでくれる?」
その声を聞いて、顔を挙げると水を頭から被った野乃の姿があった。
ポタポタと髪から雫を垂らし、びしょ濡れになった彼女に水を掛けた張本人……空のペットボトルを握った小さな手を伸ばす人物の方へと視線をなぞる。
するとそこには小春もよく知る人物がいつの間にか芝生内に立ち入ってベンチの裏から話を聞いていた。
「……ルーちゃん?」
名前を呼ばれたルーチェはチラッと視線を向けるも直ぐに野乃へと戻す。
小春の目にも明らかなくらい静かな怒りを纏ったルーチェはペットボトルを下ろす。
濡れた野乃は水をかけられたことに激昂した顔を挙げ、鋭く睨む。
「誰、アンタ……いきなり水を掛けるとか頭おかしいんじゃないの?」
「初めは殴るつもりだったけど、水で我慢したんだから許してよ」
野乃の怒りを更に煽る言葉を投げ、鼻で笑って見せる。
小馬鹿にされ「このクソガキ!」と激昂した野乃は下から素早く手を伸ばしても掴もうとするも、動きを読んでいたルーチェは一歩下がって回避する。
「避けるな!」
「いいの?アイドルなんでしょ。そんな怖い顔して怒鳴ってたら回りの注目の的よ?」
これでもかと更に怒りを煽る言葉に野乃も一周回って冷静に返る。
幸いにして近くに人はいない。
怒号に満ちた声を聞かれ騒ぎにしたくない気持ちから一旦は自分の荒ぶった感情を抑制する。
「……で、アンタ誰なの?」
「偶然にも通りすがった小春の友達」
パーカーのポケットがある腹部やズボンの辺りに芝のくずがかなりくっついている。
明らかに寝そべって会話を盗み聞きしていた姿に野乃は「馬鹿にしてるの?」と冷たい視線を送る。
「馬鹿にしてるのはどっち?あんたが小春にしてることの方が馬鹿にしてるとしか思えないけど」
「なんで、アンタが切れてるのよ。意味わかんない」
「意味ならある。小春は優しいからあんたの嫌がらせも我慢して決して怒らない。だから、私が代わりに怒ってるの。友達とか称してイジメを続けようとするクズ女に対してね」
自分の過去をルーチェは知らない筈。
だが、ルーチェは全て知っているといった顔でそこに立っていた。
自分には決して関係のないことなのに……自分事の様に感じて代わりに怒ってくれる。
優しい小さな少女が今は大きくも見え、逞しくも思えた。
あんな小さな身体のどこにそんな勇ましさを秘めているのだろうか。
ルーチェも小春同様にかなり人見知りするタイプである。
初対面で尚且つ気が強そうな相手に対していきなり水を掛けるような度胸が備わっているとは決して思えない。
事実、ルーチェの手は少しばかり震えていた。
それに加え、顔がいつもより強張っているのは自分の心を強く保ち続けようと必死に装っているからである。
それでもルーチェが一歩も退かずにいれるのはそれほどまでに野乃が許せなかったからである。
自分の大切な友人を……再び傷つけようとする相手を前にただ静観しているだけじゃ気が収まらない。
「イジメ?アンタが何を知っているっていうの?」
「惚けても無駄。私はアイツから全部聞いてる。中学校時代にあんたが私の親友に対して行ったことを忘れたとは言わせない」
「……ふん、じゃあなに?アンタは小春の代わって私に謝れと要求でもしてるの?」
「別に『謝れ』なんて言わない。もう二度と、私の親友に近付くなって言ってんの」
「それアンタに決める権利あんの?つか、アンタ達どういう関係……って、あ~そう言えばアンタみたいな銀髪のチビ、ポーチカにいたわ。名前は確か……ルーチェだっけ?」
「違う。ルーニャ」
明らかに野乃の発音が正しいと小春は思いつつも口には出さなかった。
「あっそ。でも、アンタは覚えたからルーニャ」
野乃の勘違いにルーチェは頬を緩ませまいと必死に堪える。
屋上を吹き抜ける風が濡れた野乃の身体を冷やす。
鞄からスポーツタオルを取り出して頭を拭いた野乃は最後に一睨みだけ利かせる。
「あーもうアンタの所為で寒いっつーの!……そろそろ私は帰る。けど、その前に一ついい?」
「なに?」
「今度のKIFでさ。私達も勝負しない?」
その提案に小春は駄目だと主張するも、先にルーチェが答える。
「いいわ。乗ってあげる」
「ちょ、ルーちゃん」
「まぁ、あくまでも私とアンタ個人の対決ってことにしといてあげる。勝った方が負けた方に一つ何でも命令出来る。それでどう?」
「私が勝ったら小春に謝罪して金輪際関わるな。以上」
一つではなく二つの要求にも聞こえかねないが野乃はそれで了承した。
野乃側からの要求は当時に明かすとしてそこで私的な対決を約束する。
「じゃあ、次は本番当日に会いましょ。小春……クソチビルーニャ」
そう吐き捨てると野乃は駅に直結する方の階段を降りて行った。
「誰がルーニャよ。私はルーチェだから」
「ルーちゃんが自分で言ったんでしょ。それより、どうしてここに?」
「あの二人と一緒に尾行してたの」
指し示す方を見るとハラハラとした顔で小春達を眺めているヒカリと唯菜の姿があった。
目が合うと隠れて伺う必要もなくなったのか、ゆっくりと歩み寄る。
「あははーごめんね。ちょっと最近の春ちゃんが悩んでいたみたいだから気になって……」
「ううん。私の方こそ隠してごめんなさい。昔の友人と少し会ってて」
「小春はあんな奴のことまだ友達だなんて思っているの?」
ルーチェの問いに小春は少し迷いつつもクスリと笑む。
「今はルーちゃんの方が友達だと思えるかな。助けてくれてありがとう」
「礼はいいわよ。私も見るに堪えなくてやっただけだし」
「んにしても水を掛けた時はビビった。大事にならないかハラハラドキドキしてたから」
「はん。あんた達みたいに陰に潜んで見てるだけだった奴にとやかく言われたくないですぅー」
あまりにもド正論な言葉にヒカリは返す言葉もなく口を塞ぐ。
「ま、何はともあれ色々とスカッとしたし……お腹も空いたら四人でご飯でもいかない?」
「そうだね。お腹空いたし行こうか」
「賛成」
宮下公園の下にある商業施設内のフードコートがある。
そこでご飯を食べようと場所を知っている唯菜を先頭にヒカリもその後に続く。
「……」
「ほら、春も行くわよ」
ニィと笑みを浮かべて手を引っ張るルーチェに連れられて小春もまた……今の親友達と共に楽しい時間を過ごしに行くのだった。
「そう言えば、ルーちゃん」
「何?」
「私の中学校時代の話、誰から聞いたの?」
「……ごめん。それは言えない」