百六十一幕 KIF⑨
小春と一緒に居る少女が望月野乃だと分かった途端、ルーチェの目に敵意が宿った気がした。
何か行動に移すのはではないかと不安に思いながらルーチェを監視していると意外にも大人しかった。
ついこの間、望月野乃が小春に対して行ったことを知った際……『次に会ったら私がそいつをぶん殴ってやるわ』と本人の顔を見たらすぐさま殴りにかかる勢いの殺意を剝き出しにして語っていた。
もしもルーチェが望月野乃を見つけたら確実に喧嘩に発展する……そう予想していたのもあってか、こうして静観しているのはまだ落ち着いている証拠だと言える。
「ねぇ、ちょっと通行人が来ないように時間稼いでくれない?その間に私が殴ってくるから」
訂正。
全然、冷静ではなかった。
通行人や周囲に人がいなくなった途端に行動に移すだろう。
その機を入念に伺いながら待っている。
「暴力沙汰は勘弁だからな……あと、問題を起こすなよ」
冗談半分で言っている。
実際に暴力沙汰には発展しない程度の何かをしようと企んでいるのもその目で分かる。
目を離した途端、飛び出していないか心配になるが……ルーチェはゆっくりと立ち上がって身体を小春達とは別の方に向ける。
「……ちょっと水を買ってくる」
「う、うん……?」
それは頭を冷やしにいく……という意味なのだろうか。
一先ず、その場から離れたルーチェは自販機を探しにどこかへ向かった。
そして、空いた席の隣に唯菜が並んで座ると手に持っていたコーヒーを手渡してくる。
「はい、これ」
「ありがと」
苦味と酸味の利いたコーヒーを口にして俺も少し落ち着く。
「ノーちゃんは春ちゃんの友達なのかな?」
二人の関係や過去を全く知らない唯菜にとって普通に話している二人が友達であると見えるのだろう。だが、俺からすればこの光景はあまりにも異様だ。
かつてあれだけ小春の事を毛嫌いして貶していた張本人がどの面下げて再び小春と話しているのが不思議で仕方がない。その上、どういう心境の変化で過去にイジメた相手と縒りを戻そうとしているのか不可解でならない。
見た感じ……望月野乃が小春に対して過去のことは水に流してもう一度仲が良かった時に戻ろうと再接近を図っている。小春自身も尖っていた望月が丸くなって昔の面影を見せているから満更でもなく付き合っているのだろう。
だからこそ、俺はこう思えた。
望月野乃は小春の優しさに漬け込んで何かしようと企んでいる。
出来ればもう少し近付いて会話の内容を聞きながらその辺りを探りたい所ではあるが……不用意には近づけないため、ここで見守る他ない。
「そう言えば、ヒカリちゃんって友達いたりする?地元のとか……」
突然、そんなことを聞いてくる唯菜に小春達から一時的に意識を逸らす。
「いや、いないけど」
「え、いないの!?絶対に友達多いって思ってた」
勿論、ヒカリに地元の友達なんている訳がないのだが……ここは下手に『いる』と誤魔化すよりも『いない』と明言する方が無駄な詮索をされなくて済むと判断した。
どの道、陽一であってもそれは同じなので決して噓は吐いていない。
「ヒカリちゃん優しいし、可愛いし、人当たり良いから逆にいない方がおかしいよ」
「唯菜の前ではそう振る舞っているだけかもよ」
「そうだとしても、私はヒカリちゃんが本当に優しい人だっていうのは知っているから疑ったりはしない。信じてこれからも仲良くし続けるから!」
唐突に恥ずかしい気もなく自信満々にそう伝えてくる。
冗談で言ったつもりが唯菜は真に受けて嬉しいことを平然と言ってくる。
勿論、その言葉には素直に嬉しくなり、熱くなった顔を横に向けて新たな質問をする。
「そ、そういう唯菜はどうなの?小・中で仲良かった人とかいないの?」
高校はよく知っている。
だが、その以前で関わりのある人物を俺は知らない。
ヒカリの姿であってもそれは聞かされたことがまだなかった筈。
「一人だけいるよ。私にとっては幼馴染の女の子で凄く音楽が好きな子。香織ちゃんと出会えたのもその子があの音楽イベントに誘ってくれたからなんだよ」
「へー、今も会ったりしてるの?」
「高校生になってからは一度もないかな。今は県外にある有名な音楽学校に通っていて、かなり忙しいから中々会えてないんだよね。お互いに休みとかが被る機会も今は極端に少ないし」
土日は定期公演が毎週行われる。
アイドルとしての休みは主に平日のレッスンがない日。
特に決まった曜日は設定されておらず、週に二回は完全なオフ日がバラバラに定められている。
だから、唯菜とその友達の予定の都合が合わないのも仕方がないと言える。
むしろ、会えるとしたら……
「その子、ライブに誘ったりはしないの?」
「うーん、実を言うとまだ私がアイドルしてるなんて明かしてないんだよね」
唯菜は基本的に自分がアイドルをしていると他人には明かしていない。
つい最近までクラスで仲の良い日岡夏美や小白名雪にも伝えていなかった。
本人曰く、自分がアイドルをしている光景を見せることに躊躇いを覚えているらしく、もっと自信が付いて恥じないパフォーマンスを見せれるようになったら声を掛ける、とのこと。
実際、クラスではアイドルという身分を隠しておらず、二人の親友にも積極的に定期公演の勧誘もしている。だから、その友達にも公表している情報かと思いきや、まだ一部の人間のみにしか明かしていないようだった。
「ちなみになんで言ってないの?」
「……なんか笑われそうでやだ」
意外にも幼稚であっさりとした理由に俺は微笑する。
「そんな理由で?」
「だって、私がアイドルしてるなんて知ったらあの子は絶対に笑うだろうし……ちゃんとレスを返せるの?とか言ってさ……定期公演で絶対におちょくりに来ると思う」
是非ともその子を定期ライブに招待して握手会やチェキ撮影時に唯菜を困らせる所を見たい。
もっとも、それが嫌だから唯菜は明かしていない。
いずれその子が自ずと知ってやってくることに期待を馳せよう。
「それより、ルーチェちゃん遅いね。どこまで買いに行ったのかな?」
そう言えば、全然戻ってこない。
自販機まではそう遠くない。俺達が座っているベンチから視認出来る範囲に自販機は一つある。
しかし、その前にルーチェはいない。
どこに行ったのか首を振って周囲を見渡していると……小春達が座るベンチの背後の芝生の上、そこに黒い影がもぞもぞとゆっくり動いているのが分かる。
黒いパーカーを羽織っているせいか、暗がりに紛れていると中々視認し辛い……があれは間違いなくルーチェ本人である。
「あそこにいたよ……」
パーカーのフードを頭に覆い被せゲームに出てくる狙撃手のアサシンが静かに匍匐前進で敵の背後に忍び寄る動作で徐々に小春達と距離を詰めていた。
幸いその辺りに人はいない。
おまけに小春達も話に夢中になって気付いていない。
「え、何をする気なのかな?」
唯菜の目にはあからさまにおかしく映った奇怪な行動に疑問を擁する。
「多分、近付いて会話を盗み聞きしようとしているだけ……だと思いたい」
後ろから望月を羽交い絞めにして倒す……なんて暴力的行為には出ないだろう。
そもそも、ルーチェの腕力じゃ羽交い絞めなんて出来っこない。
せいぜいしがみつく程度が積の山で単純な暴力では決して敵わない。
そんな無謀な戦いをルーチェは自らけしかけたりはしないだろう。
やるとすれば暴力ではない別の手段を取るに違いない……が、今も伏せたまま盗み聞きに徹して様子を伺っているだけでその気を起こそうといった雰囲気はない。
「一応だけど、ルーチェが何かアクションを起こそうとしたら……」
「止めに入ろう」
今、止めに行けば小春達を尾行していたのがバレてしまう。
何も手を出さずに盗み聞きしている分には大した問題ない。
それにどんな話をしているかこちらとしても聞きたかった。
一先ず、監視対象をルーチェへと変更し、不審な行動に移さないか心配になって見守る。
望月もこれといって何か小春に対して言っている訳ではない。
ただ、普通に話しているだけの様に見える。
だから、何も起きやしないだろうと緩く構えていると……その直後に事件は起きた。