百四十八幕 親子
都会の喧騒が鳴り響く大通りを背にソファーに座りながらパソコンで仕事を行う客人。
その人物の定期的な注文に応え、カフェテリアの店員如くコーヒーやお茶、ご飯を用意し続けているせいでジルは自分の仕事があまり手に付かなかった。
それもこの客人が現れて今日で三日も経つ。
そろそろ自身の仕事場をリモートワーク用のカフェと勘違いして長時間に渡って居座り続ける客人にジルは我慢の限界を迎える。
「あの……麗華さん?いつまでここにいらっしゃるおつもりで?」
機嫌を損ねぬ様に丁寧口調で伺う。
「あらごめんなさい。ジル、コーヒーのおかわりをもらえるかしら?」
「ここはカフェじゃありません。僕のオフィスです」
「そうなの?中々に居心地の良い場所だし、美味しいコーヒーを提供してくれるからてっきり……」
珍しくボケとジョークをかましながら自慢のコーヒーを褒められたことに応え、もう一杯コーヒーを注ぎ机の上に差し出す。
「意外にもすんなりと出してくれるのね」
「交換条件です。どうして、僕のオフィスで仕事しているのですか?」
「さっきも言ったでしょ。ここは居心地がいい上に仕事が捗るのよ」
苦味の利いたジルお手製のブレンドコーヒーをすすりながら正直に答える。
だが、その返答はジルの聞きたい理由ではないため、仕方なくここに居座る理由を自分から当てにかかる。
「差し詰め、SCARLETの三人が居ない上に松前代表と顔を合わせたくないから本社じゃなくて僕の所に転がり込んで仕事をしている……って感じですか?」
三人が修学旅行でこちらに不在の現在、麗華のマネージャー業務は殆ど仕事がないに等しい。
無論、マネージャーのみに限らず三人をプロデュースする立場であるためマネージャー業務以外の仕事は沢山ある。しかし、本社に顔を出す必要は一切なく、全てリモートワークで行える範囲内。
だから、麗華は気兼ねなく仕事が出来るこの場に半ば遊びに来る形で仕事をしに来ていた……のだが、思いのほかジルのおもてなしが手厚く、仕事環境としても都会の騒がしさが良いBGMとなって集中力と効率が上がった。そして、かれこれ三日ジルの事務所を訪れては昼、夜ご飯をご馳走になって過ごし続けている。
ちなみに、それはここに居座る理由の五割。残りの五割は本社で会社の代表取締役社長を務める松前健勇と顔を合わせたくないからが大きく絡んでいた。
自身の親友の息子であるジルにそれを良い当てられたことに生意気だと思いつつも、彼の母親と似た性格に内心でクスリと笑んで認める。
「そうよ。あなたもあの人が嫌いなら気持ち分かるでしょ」
「勿論、分かりますけど……ならどうして、あの人の会社で働いているんですか?」
「生活の為、仕方なくよ」
「じゃあ、僕の所で働きませんか?麗華さんなら是非とも我が社に歓迎致します」
「嫌よ。親友の息子の下で働くなんて。てか、あなたの狙いは私諸々SCARLETの三人を引き抜くことでしょ。やり口があの達磨親父と同じよ」
一言、二言多い指摘にジルは若干怒りを滲ませるも、大恩人である麗華に頭が上がらないことからそれは内心だけに留める。
「それで、松前代表とまだあの件で喧嘩しているんですか?」
先月末に行われたSCARLETライブにて、春乃が負傷したことで【ハルノカオリ】のデビューライブを中止することを提案した麗華と香織一人で歌わせることで無理矢理決行させようとした松前健勇との間で二人に確執が生じた。
普段はSCARLETのライブなぞに興味を持たず、アイドル事業を否定する見方を捉える松前氏がその日は珍しく現場に足を運びにきたかと思いきや、中止のアナウンスを聞きつけて決行させることを文句諸々含めて言い放ったことに麗華は頭にきていた。
現場の裁量は八割方、自身に委ねられている。例え、それが代表取締役社長である松前健勇の言葉でも自身の判断を最優先すると兼ねてから約束を交わしていた。しかし、松前健勇はその約束を違えた上に、ステージに立つ香織達の気持ちを考慮しないまま強く決行を主張し、最終的に麗華は条件付きで決行を認めた。
結果として、香織による【ハルノカオリ】は三ツ谷ヒカリという外部の力を借りることで何とかその場を盛り上げたまま成功で終えれた。麗華としてもデビューライブの中止を宣言して終わるよりも良い結果であったことに安心した。
その反面、最終的には自分の判断で決行したとしても無理強いを敷いたことに対する不満や代表取締役という肩書に屈して認めてしまったことへの情けなさが麗華の中で残った。しまいには、アンコールを行っている裏で松前健勇は新たな有望株との接触を図り、知り合いの手掛けるタレントを勝手なまでに引き抜こうとしたことで色々と松前に怒りが膨らんだのがきっかけであった。
「子供染みた喧嘩でしょ。お互いにいい歳になってもこういう喧嘩は起きるものなのね」
「麗華さんは自分の正義を大事にしている所、僕は尊敬しています」
「なによ。一丁前に大人ぶって」
「僕はもう大人です」
「そうね。あなたのおしめを替える時からずっと見続けているから子供の様にも思えるけど……あなたは自分の会社を設立している立派な大人なのよね」
時の流れとはあっという間だと。
感慨深く回送する麗華にジルは一つ指摘する。
「麗華さんにもお子さんいるでしょう。詩音ちゃんが」
「……」
「最近は会ってないんですか?」
「時折、会ってはいるわ。あの子とうちの子達が現場で会った時とか」
後ろめたい事実を隠す時、麗華は右横に視線を流す。
麗華の親友であった亡き母から教わった彼女の癖を思い出し、ジルは更に問い詰めた。
「プライベートでは?」
「……会っていないわ。旦那と離婚して、あの子があっちに付いて行って以来……」
だとすると三年。
ジルは麗華が前に連れ添っていた旦那と離婚したことを知っている。
それが詩音とプライベートの場で会っていない年月と同じ数字を示す。
「ですが、現場では会っているんですよね?」
「あくまでも親子としてではなく関係者としてね。社交辞令を述べる程度で……深く話したりはしないわ」
いつの間にか、麗華の指は止まっていた。キーボードに手が付かず、コーヒーの入ったカップを持ったまま暗い表情で虚を見つめていた。
その麗華とは反対側にジルはコーヒーの入ったカップを片手に座る。
「少し息抜きばかりにお悩み相談でもしましょうか?」
「じゃあ、聞かせてもらえる?自分の元から離れた子供になんて言葉を掛けたらいいか」
そうジルに相談している時点で麗華は自分が情けなく思えた。
親友の子供……ましてや、自分の息子の様に慕ってきたジルに親として失格だと思われても仕方がないことを聞いている。
恥ずかし気もなく、みっともない顔を浮かべたまま。
「麗華さんは難しく考え過ぎなんですよ。元気?だとか、ご飯ちゃんと食べてる?って感じで徐々に話しかけるだけでも僕はいいと思います」
「確かにそうかもしれないわね」
ジルに言われるまでもなく、麗華は同じことを考えて実践に移そうとした。
離婚してから半年後……自身の娘である詩音と再会した時に何でもいいから話しかけようと試みた。戸籍上の縁が切れ、家族としての関係が薄れつつも自身の娘である変わらない事実を拠り所に今更ながら触れ合おうとした……しかし、久し振りの娘から返ってきた冷めた反応を受け、口に出来なくなってしまった。
母親なんて存在しない。
目の前にいるのは仕事での関係者。
家族でも何でもない……赤の他人。
そんな風に麗華は受け止めてしまい、娘にかける言葉を失ってしまった。
そうして度々、現場で会う時は他人行儀な会話が続き、親子の関係は無いものだと自分でも思うようになってしまった。むしろ、亡き親友の息子・娘であるジルやルーチェの方がプライベートでも関わりが深く、自分の家族であるかのように慕っていた。
それこそ、自身が手掛けるSCARLETの三人へ注ぐ愛は娘よりも多い。
「だからこそ、詩音は私を許さないのでしょうね。あの子が女優ではなくアイドルを始めたのも私への当てつけだと少なからず思っているわ」
「確か、詩音ちゃんはアイドルとして最近ではかなり有名になっていますよね」
ソロアイドルの赤羽詩音という名はアイドル界隈でSCARLETに次ぐ注目の的。
たった一人でも五人分の存在感を発揮し、ステージ中とそうでない時のギャップが凄いことからアイドル好きなファンからはかなりの高評価を受け、愛らしく主張のハッキリとしたルックスからファッション誌でのグラビア活動も香織よりは目立っている。
アイドル業だけではなく多方面でも顔を出すことで多くのファンを獲得する赤羽詩音という存在は界隈外もでその名を轟かせている。
「娘の活躍を素直に喜びたい所ではあるのだけど……その分、香織が受けていた仕事が詩音に取られたりしているからマネージャーとしては喜び難い面もあるの。まぁ、それが一回だけならまだしも、最近は数回くらいそれがあって……」
「なるほど。劇団時代から知り合いである二人にとってはお互いに複雑な心境かもしれませんね」
「えぇ、私に対する当てつけが香織にも影響をしているのは事実。恐らくだけど、私よりも香織に対しての方がそれは強いかもしれない。特に劇団の頃から私は詩音よりも香織を気にかけていたから……余計にね」
全ては自分の振る舞いが生じた始末。
娘の八つ当たりとも言える行いをただ見ているだけしか出来ない自分にプロデューサーとしても失格だと麗華は受け止めた。
そして、それがここ暫く続いているもう一つ悩み事でもあった。
「まぁ、いずれしっかりゆっくりとお互いに話すことをオススメします。あと期間をあまり伸ばさないことも。何なら僕が用意致しますけど?」
「そこまで世話になるつもりはないわよ。そうまでお願いしたら母親どころか人として失格」
「なら、僕のお節介はここくらいにしておきます」
「ありがとう。マスター」
「あの……ここバーでも喫茶店でもないので、三人が戻ったら本社に戻って下さいよ」
『自分の仕事が進まない』と切実なジルのお願いに麗華は「えぇ、そうするわよ」と一つ返事で了承した。