百三十九幕 修学旅行⑧
修学旅行二日目。
本島から少し離れた離島を繋ぐ大橋を渡った先で今日、課外実習という名目で学校が借りた海水浴場へと遊びに来ていた。
澄んだ海を前に、水着を纏った生徒達は興奮を抑えきれぬまま我先へと海に繰り出す者もいれば、水着姿で友人達と海を背景に写真撮影を始める者、その彼女達の視界外でひっそりと水着姿になった同級生達をいかがわしい目線で伺う者……等々、様々な形で彼らは海水浴場で有意義な一時を迎える。
その中でも一際目立っていた少女達がいた。
前とは違った胸にフリルの付いたビキニを纏い、リボンで髪を後ろで括ったポニーテールをした美少女が友人とお互いに水を掛けあっている。
飛び散る水飛沫に「つめたーい」と少しビックリするも、無邪気に笑いながら水を掛け返す。
そんな彼女達が太股辺りまで浸かっている海面がキラキラと反射して見えるせいか、その場面だけ異様なくらい絵になって、さながら映画のワンシーンを観ているようだった。
そう思ったのは俺だけではない。
周囲で足を止めて目を奪われている者はちらほらいる。
「はぁーすげぇ眼福な光景じゃん」
横に立った健が端的に感想を述べる。
「やっぱり白里さんってアイドルやってんだなー」
「何を根拠に言っているんだよ」
「いやーなんつーか、観ていると凄く楽しいっていうのが一目で分かるわ」
それに関しては不本意ながらも健の意見に同意する。
唯菜自身、周囲に自分が楽しんで遊んでいると意識しながら笑顔で振る舞っている訳じゃない。
ただ純粋に海ではしゃいでいる女の子としてありのままに振る舞っているだけ。
それに海で真っ先にああもはしゃいでいるのは女子の中だと唯菜とそれに付き合っている日岡さんと小白さん達くらいだ。他の女子達はまだ海には浸からず、浜辺で写真撮影を続けている生徒の方が多い。だから余計に、三人へと男子の目が往きやすいのかもしれない。
まぁ、注目される最もな理由を言えば……あの三人が揃って美人であり、それぞれ魅力的な可愛い水着を纏っているからに他ならないだろう。鼻の下を伸ばして眺めている男子は俺だけじゃない。
「陽一」
「ん?」
「夏美の水着、どう?」
「どうって……可愛いんじゃないか」
健の前では言えないが日岡さんはかなり小柄でちんまりとした体型。
彼女が着ている水色のワンピースの水着が体型相応の水着で似合っている……とは内心で思いもしたが、彼氏の前でそう素直に感想を言い出す気にはなれなかった。
一方で小白さんは意外にもグラマラスで出る所は出てるハッキリとした体型。
三人の中だと一番お洒落なビキニでとても大人の女性感がある。
「やっぱり、夏美はワンピースが似合う!」
他の二人を差し置いて、自身の彼女にしか目がいっていない様子。
遠くからマジマジと彼女を見詰める健に「交ざってくれば?」と提案するも「行くなら二人でだ」と半ばマジで行きたそうな顔で返される。
流石に交ざる勇気を出せなかった俺は話題を変えようとあることを尋ねる。
「つか、健。六組の赤羽詩音って子、知ってるか?」
昨日、売店で会った赤髪の少女。
二年六組ということは別棟のクラス。
五組以降のクラスは一から四組とは別棟に分けられているため、基本的に廊下とかで顔を合わせることがない。体育の授業も頭から数えた三クラス毎に別れて行っていることもあり、棟が違うだけで学年が同じであっても全く知らない生徒が多々いたりする。
赤羽詩音のその中の一人だ。
しかし、それは必要最低限以外に動かない俺だから知らないだけで他の人は知っているかもしれない。特に学年の可愛い女子に関して知識が豊富な奴とかは。
「あぁ知ってる知ってる」
そう言って「ほら、あそこにいるのが赤羽さんだろ」と指し示す。
複数人が並んで写真撮影を行っている他クラスの女子グループの一団。
その一番端の方で爽やかな印象を受けた笑みを浮かべて混ざる様子にどこか違和感を覚えた。
昨日も感じたのだが、彼女の笑顔は何だか笑っているように思えない。
作り笑い。と言えば、それまでなのだろうが、彼女の笑顔は他人にそう思わせない巧妙な演技でそう振る舞っている気がした。
「しかし……よく見ると意外にも可愛いな。陽一、もしかして赤羽さんに興味があるのか?」
「そういうのじゃない。昨日、ちょっと話しかけられて気になっただけだ」
健の言う通り、赤羽詩音は可愛い。
並んでいる女子達の中では抜きん出た美しい顔の造形。
身長も150㎝後半くらいで身体のラインは細くしなやか。
パレオの下から伸びる細く長い素足は絹の様に白く美しく、胸も見栄えする程度にはある。
彼女を一言で表現するなら『バランスの取れた美人』とでも言うべきか。
「赤羽さんに話しかけられた?教室から殆ど移動しない陽一にあんな子と接点があるのは意外だわ」
「向こうが知ってたんだ。俺は彼女を一切知らなかったし」
「いやいや、赤羽詩音くらいはしっておけよ。白里さんに並ぶ二学年美女で結構有名な人だぞ」
一体唯菜に並ぶ美少女が何人いるのかやら。
健の言う二学年美女は最低でも三人いることがたった今、判明した。
一人は言わずと知れた唯菜に、もう一人が赤羽詩音。そして、三人目は去年俺達と同じクラスだったある女子生徒……名前、何だっけ?
「それで、何を話したんだ?」
「特になにも。ヒカリ……従姉妹について話して欲しいって言われただけ」
「従姉妹って白里さんがよく言ってる子か」
あぁ、俺だ。とは言えず、微妙に濁した形で肯定する。
「あれ、そう言えば白里さんと陽一の従姉妹って同じグループなんだよな?」
「そうだな」
「じゃあ、白里さんに聞いた方が早いんじゃね」
「……確かに」
健の言う通りだ。
わざわざ俺に聞かずとも、一番ヒカリの身近にいる唯菜に聞いた方が情報を得られるだろう。
ヒカリを知っている時点で同じグループのメンバーである唯菜も知っていておかしくはないのだが……
「それは盲点でしたー」
俺達の背後の間にいつの間にか立っていた彼女がポンと手を叩いて見落としていた事実に気が付く。
「こんにちは、三津谷陽一君」
「ど、ども。赤羽詩音さん」
「詩音で結構ですよ。私も陽一君とお呼びしますので。それでそちらの方は……」
「あぁ、悪い陽一。邪魔するとあれみたいだから夏美のとこに行ってくる」
逃げるように離れていく健に「おい……」と叫びたくなるも、仕方なく行かせてやるとする。
「悪い。あいつ、彼女出来たばかりで変に気を遣わせたくないから……」
「なるほど。紳士的な方なのですね」
俺の適当なフォローに納得した赤羽詩音の中で健の好感度が少し上がった。
「で、赤羽さんは何しにここへ?」
「詩音です。し・お・ん!」
「……詩音さん」
「詩音です」
「詩音……」
「はい」
なんだこの漫画の中で見るラブコメ的なやり取りは……悪くねぇじゃねーか。
「先程、お二人が私の方をチラチラと伺っているのが見えまして、何か話したいことがあるのかと気になって声を掛けただけです」
「話したいこというよりも、話して欲しいって顔をしてるけど」
「バレちゃいましたか。じゃあ、改めて聞かせて頂けませんか、三ツ谷ヒカリのこと」
「どうして、聞きたいんだ?」
動機が何か気になる。
そこまで三ツ谷ヒカリのことを知りたがる理由が。
「昨日もお伝えしましたが興味があるのです。ポーチカの三ツ谷ヒカリさんというアイドルが」
「それなら同じグループのメンバーがそこにもいるけど」
「白里唯菜さん……ですよね。彼女が三ツ谷ヒカリさんと同じグループのメンバーなのはお二人の話を聞いて初めて知りました」
「へぇ~そうなのか……って、今知ったのか?ヒカリがポーチカなのは知っているのに」
「はい。正直に言いますと私は三ツ谷ヒカリさん以外を知りませんでした。そもそも、彼女はソロアイドルなのだとばかり」
どういう誤解をしてたんだこの人は。
ヒカリがソロアイドルをしているなんて情報はどこの出だよ。
本人ですら聞いたことないわ。
「でしたら、陽一君がおしゃった通り、彼女に聞くのが一番早いかもしれませんね」
「それはそうだけど、何を根拠にソロアイドルだと思ってたんだ?」
その勘違いだけ少しはっきりさせておきたい。
「最近、SCARLETのライブ動画を拝見したんです。先月末に行われた有明でのアーカイブ配信。私はそこで彼女を知りました」
ヒカリが急遽、ゲストとして出演したあのライブ。
後日、会場に来れなかった人用に向けてアーカイブ配信を期間限定で行っている。
お金を払えば期間中は何回も観れるらしく、唯菜は既に十数回も視聴したと言っていたか。
それはともかく、詩音の言葉には些か疑問が残る。
「そこでヒカリを知ったにしろ、そこまで気になるならプロフィールが書かれている事務所のウェブサイトで調べたりはしなかったのか?」
「勿論調べました。三ツ谷ヒカリ ポーチカで検索を掛けた所、宣材写真とプロフィールが書かれたページに飛んだのでグループの方は見ていないです」
「いや、そこはもうちょっと幅広く情報収集しなよ。そこで完結したからグループだって気付かなかったのか?」
「いえ、それは違います」
「……」
「私が彼女をソロアイドルだと思ったのは歌を聞いた時、彼女が孤高だからだと思ったからです」
孤高?
そんな風な表現をする詩音にこちらとしても興味が湧く。
「これはあくまでも私個人の感想です。決して協調性がなさそうだとか、一人でいるのが好きそうだとか、マイペースな方なのかとは思ったりもしましたが……単純に良い意味で彼女は集団の中で浮き立つ存在だと感じました」
悪い意味での言葉が心にグサグサと刺さって良い意味が全然心に響かなかった。
「正直に言って、グループの影に隠れるような存在ではない。彼女はもっと誰の目にも留まる輝かしい場でこそ真価を発揮するタイプ……だと考えていたのでソロアイドルなのだと思っていましたが……どうやら勘違いでしたね。教えて下さり、ありがとうございます。陽一君」
「別に俺は何も。それとヒカリを知りたいなら俺じゃなくて白里に……」
「いえ、その必要はもうありません。他人に聞くよりも本人に会ってみようと思いましたので」
考えを改めたことを伝えた詩音は「それではまた」と昨日同様にコバルトの瞳で薄く笑みを浮かべて挨拶を交わしては背を向けて、クラスの女子達が居る方へと戻っていく。
赤羽詩音。掴み所がない独特な雰囲気を纏う不思議な少女。
ヒカリを孤高と表現したように彼女もまた孤高の影を薄っすらと思わせた。
それがはっきりと分かるのはもっと後の話だったりする……予感がした。