百三十幕 エピローグ⑥
腕輪は装着者の深層心理を読み取る。
あの時、俺が明里に変身出来たのも単にジル社長に言われた通り香織を思い浮かべたからではなく……腕輪が俺の香織に対する羨ましいといった裏の気持ち……表には決して出さない心の奥深く底に隠してあった気持ちを読み取ったから彼女に成れたのかもしれない。
もしも、自分が香織みたいな容姿を持って生まれて、女の子として生きていたら。
そのフレーズを現実に実現させたのが三津谷明里。
【IF】を現実に置き換えた存在がまさに俺の理想そのものに等しく、内心でかなり気に入ってしまっていた。加えて、明里の姿を借りてヒカリとして過ごす日々が楽しくて仕方がない。
陽一の姿では体感出来ない青春を送れる。
唯菜達と何かをする日々や目標を持って突き進むことが元の姿よりも充実し過ぎて、自分の時間をあまりにも疎かにし過ぎた。
それ故に腕輪は深層心理を介してこのような現象を起こした。
結果的に、俺は入れ替わりを通じて気付けた訳だ。
こっちでの姿も大切にしないといけない。
でなければ、再び俺は同じ過ちを繰り返してしまう。
今回の出来事はある意味で良い教訓になった。
自分を見失ってはいけない。
自分の可能性に諦めてはいけないのだと。
そのことを胸の奥深くに刻む良い機会であった。
まぁ、その反面で色々と現実を知り過ぎて……未だに状況を整理出来ずにいる。
それは隣で泣きじゃくる香織も同じ。
「ねぇ、ジルさんの話、理解出来た?」
「お前と違って俺は色々と体験した側だからな。はっきりとではないが……感覚的に理解してる」
「私には分かんない。綾華さんが死んだって言われても、私はまだ知らない綾華さんに会ってもいなければ、お兄ぃの会った綾華さんに会ってないから……訳が分からない」
「それは当然かもな。分かんない方がいい……とは言わないが、別に綾華さんは死んでいる訳じゃない。そこだけはジル社長と違って思っていれば、いつか会えるんじゃないか」
励ましになっているのか。
自分でもイマイチよく分からない言葉だと発した後に思う。
それを聞いた香織もまた肩で笑って顔を挙げる。
「うん……そうだね」
死んで命が消えてしまったならともかく……綾華の意識は未だ向こうの世界で生き続けている。
こちらの世界に戻ってくる手立てが今の所、ないにしても希望が潰えている状況ではない。
微かにその希望を掴む手立てが探せば残っているかもしれない。
前向きに考えて探せば見つかる可能性は少しでも膨らむ。
「諦めるのはまだ早い。今はまだ待ち続けるしかないだけ……違うか?」
「正論。なんかお兄ぃに励まされるの気持ち悪いわ」
「おい」
「この間までずっとツンケンした気持ちばっか突きつけられてたし……今更優しくするなら、これからはもっと優しくて」
涙を流して弱っている甘えん坊な妹の姿を演じているのだろう。
元劇団員の演技力の一端を見せる妹に心を凍らせ、敢えてツンケンした態度をとる。
「泣き止んだなら早く帰るぞ。ったく、世話のかかる妹だ」
「はぁあ~??世話を焼く妹の間違いだろうが!どっちが世話のかかる存在か教えてやろうか!?」
軽い冗談でいつも通りに戻った香織は家でしか見せないオラオラ態度で迫ってくるも、ここが外であることに意識を向けて、コホンとなおる。
そして、少しモジモジとした様子で改めて向き直る。
「今更かもしれないんだけど……お帰りなさい。お兄ぃ」
その言葉に『本当に今更だ』と思うも、自分でもちゃんと言うべきだったと思い返して答えた。
「あぁ、ただいま。香織」
♢
窓の外に映る夜の摩天楼。
都内を走る道路から見える夜景が今日は一段と綺麗に思えた。
「何か良いことでもあった?」
車を運転する人物が声を掛ける。
普段と違うその身なりと運転手の人物にジルは車を出してようやく気付く。
「叔父さんが運転してくれるなんて意外だ。それより、行きはナイルがしていなかったっけ?」
「彼は帰らせたわ。あなたが駐車場から出て行ったあと、二人で話がしたかったから早上がりでいいわよって、伝えたら素直に応じてくれた」
色々とツッコミ所の多い台詞ではあるも、今はそのまま受け入れた。
「あの子達に話したのね。色々と」
「今更隠しておく必要はないからね。今回の一件もあるし、彼らには知っておいてもらった方が良いと判断した。特に彼には知っておいてもらわないと下手に腕輪の機能を解明しようとして予想外の事態が起きそうで怖い」
彼は予想外の事ばかりを起こす。
それは悪い意味ではなく良い意味で。
今回の一件も偶然の出来事とは言えども、こうなる可能性が全く考えられない訳ではなかった。
腕輪の機能に大きく制限を課したとしてもジル自身も気付けない見落としがあり得る。
それによって綾華の二の舞に巻き込んでしまうことだけは絶対に避けなければならない。
そう強く警戒していた矢先、入れ替わり現象が生じた。
「私も反省しているわ。あなたが設けた休み期間の意図を察せないばかりに彼を……」
「仕方がない。僕も彼が妹のためにああも動くとは思いもしなかったから」
「そうね。それで、綾華ちゃんは見つかったの?」
善男の問いにジルは「見つけたよ」と答える。
「やはり、微かな希望は残っていたのね」
「それもこれも彼のお陰だ。あの日、偶然にも彼に声を掛けて、目を付けた僕を『よくやった』と褒め称えたいくらいだよ」
「なにその、自意識過剰な台詞」
助手席の方から棘の含んだ声が届く。
せっかくの有頂天気分が一気に冷めていく。
「君もいたのか、彩香」
「いたわよ。あんた達と同じレストランでご飯も食べてたし」
「いつの間に……」
「それで、綾華を見つけてどうするの?私と彼女を元に戻す方法が見つかったの?」
「それはまだ全くといっていいくらい不明さ」
「あっそ。まぁ、それは私も分かっているから今更聞かないわ」
「じゃあ、何が聞きたいんだい?」
「あの腕輪のことよ。何で、綾華や彼が使えて、私やあんたは使えないの?」
その理由が一体何だったのか。
彩香はそのことについて今更ながら尋ねる。
二人が実験で使用した際には分からなかったことも今なら分かるとジルも答える
「綾華の記憶を共有している君なら分かる筈だよ。綾華が君のように自分の意志を通して生きていくことに憧れを覚えていたことに」
「それが何だというの……」
「要は……綾華は君の様な別の自分になりたいと内心で思いながらも自身の父親が敷いた人生のレールを歩み続けていた。本当の気持ちを偽ってでもね」
「……」
分からない訳ではなかった。
綾華の幼少期の頃を知っている彩香は彼女が本当はどうなりたかったのか知っている。
その面影は昔の自分と重なる部分が多い。
綾華も彩香と同じで音楽への道を志し……父の反発を受けた。
綾華の場合は元々より音楽のセンスが皆無的であったこともあり、自らの意志でその挑戦を断念した。だから、父の言う通りに自分が出来る演者としての力を身に付けるべく努力を続けた。
本当の自分の気持ちを偽ってでも。
「だから、腕輪は応えた。深層心理を介して装着者が求める本当の気持ちに応えることこそが腕輪が与える機能の恩恵だと思う」
「それだと、陽一君が心の奥底にそういう願望を秘めているみたいで親近感を抱くわね」
「その真偽は分からないけど、彼の場合は美人でありながらも優秀で才能溢れる妹と自分で間にあるコンプレックスが大きく左右している……そのことは叔父……いや、善男も知っている筈では?」
「まぁ、何となくはね」
「でも、人間なら誰しもコンプレックスなんて抱えているものでしょ?失礼かもしれないけど、タムチン然り」
「善男はもう立派な大人だ。自分という人間がしっかりと備わっていて、ある意味で開き直っているから腕輪の対象外。ま、僕たちのように自分の人生に対して深い迷いや不安、悩みを抱いていなくて自分のやりたい事をやり続けて、ある程度結果出して満足してる人間には扱えない代物だということさ」
「言い方、腹立つ。それだとあんたと同じみたいで嫌なんだけど」
「事実は事実だよ」
「あっそ」
それ以上のことを綾華は尋ねなかった。
腕輪のこと、綾華のこと……ジルがどう思い、何を考えているのか。
大まかな思惑は今夜の話を聞いて一通り理解出来た。
「まぁ、今後は彼の成長を期待しつつ父の研究を待つしかない」
「研究?」
「そう。君達の入れ替わりを解決するための研究。詰まる所……新たな腕輪の開発だよ」
ジルの回答に彩香は興味無さげに「あっそ」と呟く。
「ちなみにだが、君に頼んだ曲創りの方はどうなっているんだい?」
彩香は半透明のケースに入った二枚のCDを後ろへ投げ渡す。
「言われていた新曲を用意したわ」
受け取ったジルはそれぞれの曲名を確認して感謝を伝える。
「助かるよ。これでKIFへの参加に臨める」
「陽一君には伝えたの?」
「帰り際にね。まぁ、彼は向こうの世界で知っていたから伝える必要はなかったけどね」
「てか、関東アイドルフェスティバル……だっけ?なんで、そのイベントの参加に固執してんのよ。調べた感じただのフェスみたいだけど……気合いの入れようを察するに何か仕掛ける気なんでしょ」
綾華の記憶を共有していることはある。
容易に自分の思惑に気付かれたジルは観念して、素直に想いを吐き出す。
「僕もプロデューサーの一人として、自分が育てている可愛い子達が馬鹿にされたままなのは気に食わないだけだ」
これは私情だ。
個人的に吹っ掛けられた喧嘩と言ってもいい。
普段は冷静な大人の対応をとるジルであったが、この一件だけはどうしても意地になった。
関東アイドルフェスティバルは勝負事ではない。
アイドルファンや出場する大勢のアイドルにとっても楽しいお祭りイベントである。
しかし、ジルの中では違った。
この喧嘩を吹っ掛けてきたある人物にポーチカの実力を知らしめるべく、私情を大きく交えながらも正当な方法にて闘うことを決めていた。
「こればっかりは引けないよ。僕が意地でも彼と彼女達を舞台へと導き、最高の形であの人の前に立たせてやる」
やる気に満ちたジルに対して二人はより大人な対応で呆れる。
「途中まではカッコイイんだけど、最後の方がね……」
「やっぱりコイツ、ガキだわ。大人ぶってるだけの」
「まぁ、ポーチカのためになるなら大目にみましょう。ジルの気持ちが分からない訳ではないでしょ」
善男の言葉に彩香も少し同意していた。
自分の一番弟子が蔑ろにされて、思わない所がない訳じゃない。
気分的にはジルと同じで自分に対する喧嘩だと捉えていた。
ポーチカの音楽担当を務め、過去にSCARLETにも楽曲をいくつか提供している身として……KIFが出した提案は彩香にとっても許し難い話。
見返してやるといった気持ちはジルと変わらない。
むしろ、それ以上の想いで楽曲創りに励んでいた。
「とにかく、この後に関してはタムタムに任せるしかないんで。よろしくお願いします」
「えぇ、任せて頂戴」
善男もまた男としての闘志を久しぶりに燃やしているかのような勇ましい声で承諾した。
説明回が長々と続きましたが……腕輪と入れ替わり現象に関する説明は以上となります。
再度、読み返して設定におかしい点があった場合は変更するかもしれませんので、ご了承ください。