百二十七幕 悲劇の始まり
四年前のとある大きな講演にて綾華は歌姫という役柄の主役に抜擢された。
その講演は綾華が今まで経験した講演よりも遥かに規模が大きかった。
小さな講演を転々と回り、役者としての能力を高めながら演技力を磨き続けていた綾華にとっては未知の領域。その上、講演に先立ってかなり名の知れた脚本家が参加に名乗りを挙げ、続いて演劇界隈では超が付くほど有名な二人のプロデューサーと監督が携わることで始まる前から話題沸騰。
出演する女優や俳優達を選りすぐりのメンバーが抜擢され、二人の指揮の下で充分に実力を発揮出来る優秀な役者ばかりであった。
その主役オーディションにダメもとで参加した綾華はなんと合格した。
その最たる理由は綾華の持つ美しい声にあった。
演技力を評価されたのは勿論のこと。
しかし、歌姫という役柄を与えるにあたって普通の声では駄目であった。
観客に彼女こそが歌姫だと思い込ませるような特別な声でなければならない。
その御眼鏡に叶ったのが綾華であった。
故にその発表を聞いた時、綾華は内心で大喜びをした。
今の今まで主役という座から縁遠い自分がようやくその座に就けるのだと……そして、大舞台に自分が立てるのだと知り、かつてないほどの歓喜を覚えた。
その一方で、絶望した。
歌というジャンルは最も自分が苦手とする。
無謀、向いていない。
その二つの言葉が一瞬で脳裏に過ぎる。
しかし、このチャンスを逃したくはなかった。
例え、無謀だと分かっていようとも挑戦せずに諦めるのはこれまでの努力とまたとない好機を手放すことに等しい。
それだけは絶対にしてはいけない。挑戦するしかないと意気込んで「やります!」と返事をした。
だが……いざ歌ってみると音楽という才能が予想以上に欠落している事実を知った。
詰まる所、綾華は重度の音痴であった。
「うわぁぁぁぁん、ジル~たすけて~」
全体練習が始まる二週間、歌姫として披露する独唱のパートを練習し続けていた綾華は客観的なアドバイスや歌の指導をしてもらおうと唯一、自分の音痴を知る旧知の仲のジルと善男に歌の練習をカラオケボックスで付き合ってもらっていた。
その二人とみっちり二週間練習をするも……中々成果は実を結ばす。手の施しようがないくらい酷い音痴にジルと善男はお手上げ状態と言わざるをえなかった。
故に泣きつかれたジルもどう声を掛ければいいか分からず困惑していた。
「どうしてそんな役を受けたんだよ。君、向いていないの分かってただろ」
「これを逃したら私もう主役なんて一生やれないって思って……」
綾華は劇団での主役オーディションに落ち続ける日々を経験を繰り返していた。
何度も努力をしては敗れ。
辛酸を舐めるオーディションを嫌というほど味わった。
だから、この機会を逃したくはなかった。
「はぁ……プロデューサーの前田さんも綾華の歌を聞けば絶対に選ばなかったと思うよ。てか、よく受かったね」
「歌の演技よりもお姫様の演技がオーディションでは注目されてて……脚本家や演出に携わる人達は歌姫って印象を重視したいから『声』も評価されて受かった」
「まぁ、声はいいからね。声だけは」
「一言煩い」
「それで、一応歌う場面もあったと思うけどそれは問題なかったのかい?」
「どうにか目を瞑ってくれた。本番までに練習すれば大丈夫だろうって」
「ま、綾華は類を見ない音痴だからね。あまりの酷さで降板させられなければいいけど」
「音痴いうなー!!」
自分でも分かっているが、他人に……特に常に態度が上からのジルに言われると怒りが軽く沸点に達する。
「でも、それをどうにかしないと降ろされるのは確実だ。全体練習は明後日からなんだろ?それまでにどうにかしないと他の子と交代は免れない」
「分かってるよ!だから、助けてって言ってるの!」
「どうしようもならないからお手上げだって言っているんだ……と言いたい所だけど、どうにか出来る方法を用意してきたよ」
「え、本当に!?それなら早く言ってよ~」
表情をいつになくコロコロ変える綾華にジルは溜息を吐きつつバックから物を取り出す。
「はい、これ」
「……なにこれ、腕輪?これ付けたら歌えるようになるおまじないとか?ふざけてんの?」
切羽詰まった綾華は馬鹿にしているのかと激怒する。
「至って真剣だ。藁にも縋る思いなら、それを一度は身に付けて、自分が歌える姿を頭で想像してみなよ」
一方でジルは言葉通り真剣なトーンでそう提言する。
騙されたと思って言われた通りにしてみろ。
態度がでかい旧友の言葉を鵜吞みにして腕に装着する。
そのまま、曲を自分が音程を取りながら綺麗な声を活かして歌えている姿を何となく思い浮かべる。
「どう、想像出来た?」
「う、うん?」
「じゃあ、もう一回歌ってみようか?はい、流すよー」
「え、ちょっ……」
有無を言わす前にジルは曲を流す。
疑心暗鬼になりながらも綾華は何回も耳にしたメロディーのリズムを自然と身体で掴む。
(え……)
今までこんな感覚はなかった。
自然とどう歌えばいいのか、頭の中ではっきりと理解出来る。
そんな不思議な感覚に任せて歌詞を声に出して紡ぐ。
(私、歌えてる!)
流れるメロディーを掴むことをいつもみたい難しいと感じない。
むしろ、自然な状態で声のトーンがメロディーと重なる。
自分でも聴いていて違和感のない歌が耳の奥を通じて感動を与える。
「うそ、何で急に……」
「その腕輪の力だよ」
「なにこれ、本当におまじないでも掛かっているの?」
「おまじないというよりも超能力みたいなものかな」
「それってもしかしてジルのお父さんが開発したとかいう腕輪?」
「正解。何でも装着者が望む能力を引き出す力があるとかで……詳しくは俺もよく分からないから試しに音痴克服が可能なのか検証してみた」
「あんたね……私で実験しないでくれるかな」
「ま、どうやら成功だね。綾華は歌えるようになれたみたいだし」
その時は何も違和感はなかった。
綾華自身、突然歌えるようになったことにかなり驚いていたものの、これで無事に講演を乗り切れると安堵したことで特に危機感を覚えたりはしなかった。
むしろ、腕輪が無ければならないものだと判断し、一時で構わないからジルに貸してもらえるよう土下座をするほど欲した。
対して、ジルは快く渡した。
自分の手元にあっても埃を被る代物。いっそのこと使える人物に渡した方が道具の為になるとも考えた。
それにもう一つの理由として綾華の力になりたかったから。
一生懸命に努力を重ねる綾華を傍で見守り続け、密かに応援していたジルもようやく手にしたチャンスを綾華には是非とも掴んで欲しいと願っていた。
だから、渡した。彼女に成功へ導く為にも……
「ありがとうジル!やっぱり持つべきは友達だね!」
そこはもう少し違う回答が欲しかった……と、内心で残念に思う一方で、今は歌えるようになったことで嬉しそうな綾華を見ているだけで概ね満足していた。
「よーし、じゃんじゃん歌うよ~。あ、曲入れ係何でもリクエストして!」
「じゃあ、僕の祖国の歌。カチューシャで」
「知るか!」
綾華はそれ以降、歌う能力を身に付けた。
音痴という壁からある腕輪の効果で軽々と乗り越えたことで苦手を克服した。
その結果はとても良いものだと当時のジルは思っていた。
同時に腕輪の持つ力の一端に興味を覚えた。
一体どうやってその能力を綾華は身に付けたのか。
あれほど自分達ではどうしようもならないくらい酷い音痴を軽々と克服出来たのか。
その当時はあまり深くは考えず、楽観的に腕輪の持つ能力を捉えていた。
これが悲劇の始まりとも知らず。