百二十六幕 IF/明里と綾華⑰
ジルが経営するマンションの一室。
そこで独り暮らしをしながらポーチカの作詞作曲を行う人物の要望により防音設備が完備された小さなレコーディングスタジオの様な箱型の空間が部屋の中に作業場として併設されている。
その中でキーボードを弾きながら自身の作った曲を自ら歌って確認を終えると満足気に身体を伸ばす。
「んんん~あーようやく終わったぁ~」
ジルから言われていた新曲を創り終え綾華は作業場から出る。
足の踏み場がないくらい曲を創る傍らで生じた紙屑が溢れかえる光景に自分の才能のなさを実感する。その一方で達成感があって心地良い。
多くの失敗から積み上げた中で出来た傑作に自分でも誇らしさを覚える。
「ま、失敗は失敗だから。ゴミに変わりないんだけどね」
台所でポッドに残ったコーヒーをカップに入れた。
一息を吐いて改めて窓の外を見渡すと既に夕暮れ時。
期日が迫り、集中して曲創りに努めていたからか、空っぽなお腹がぐぅ~と鳴り響く。
「そう言えば、お昼から何も口にしていなかったけ……」
カップ麵でも作ろうかと台所の戸を開けるもどれも空。
冷蔵庫に開こうにもまともな食材はない。
ここ数日、まともに買い出しに行ってない事を思い返し、自身の生活習慣のヤバさを改めて思い知る。
「はぁ、こりゃ今日も外食かな」
昨日、一昨日に引き続き今日も外食。
表参道の通りに出ればお店は沢山ある。
今日は曲創りを終えた自分へのご褒美として何か美味しいものでも一人寂しく食べに行くとしよう。
どうせなら暇そうなジルでも誘って曲創りを終えたお礼にでもご飯を奢ってもらおう……なんて考えた綾華は早速電話で声を掛けようとするも……不在着信になる。
「仕事か、アイツ。しゃーない、一人で……」
すると、部屋のインターホンが鳴り響く。
「あれ、何か荷物でも頼んでいたっけ?」
ネット通販で何か頼んだ記憶はない。
一先ず、インターホン越しで対応する。
「はい」
『あの、三津谷です。彩香さん、今お時間よろしいでしょうか?』
来訪したのは明里だった。
両手に何か大量に買い込んだ様子で訪れている光景に綾華は不思議に思うも「うん、いいよ」と軽く許可を出す。
そう一旦は返事をしてインターホンを切る。
そのまま玄関へと向かって部屋の扉を開く。
「こんにちは、彩香さん。楽曲制作中にお邪魔してすいません」
「ううん。全然いーよ、ちょうど今終わったところだし。それよりどうしたのその食材?」
「ジル社長に様子を見てきて欲しいと頼まれたのと……外食ばかりしているかもしれないからたまには家庭料理でも振る舞ってあげて欲しい、と」
「あはは~見透かされてる……」
(しかも、終わるタイミングを見計らって明里を寄越してくるとは……あ奴、部屋に監視カメラでも仕掛けているんじゃないかと疑うくらいの手際が良いがいいな)
実際には偶然。
ジルと綾華は付き合いが長い。綾華の性格面を十分に理解しているからこうした事態が読めてくる。それに伴ってジルはいつも通り、サラッと気を遣っているだけに過ぎない。
「ま、せっかく来てくれたんだし、お言葉に甘えて明里の手料理でも作ってもらおうかな。ささ、あがってあがって」
「お邪魔します」
玄関で靴を脱いで明里は部屋に上がる。
この部屋に足を踏み入れたのは今日が初めてではない。
二週間という期間に何度もお邪魔しては掃除やご飯を作ったりしていた。
それも全部、向こうの世界での話。
「あ~ごめん、結構散らかっているかも」
結構どころではない。
服や物、食べた物のゴミや紙くずが多く散乱している。
到底、人を呼べたものでない光景だと今更ながら綾華は気付く。
そんな部屋の様子に明里はクスッと笑む。
「ふふっ、沢山散らかってますね」
楽しそうに笑う明里に綾華は不思議と思う。
普通はドン引く所なのに明里は簡単に受け入れた。
それになんだかこの部屋はこうじゃなきゃ……なんて期待が若干込められているように見える。
「ご飯を作る前に掃除を先に済ませましょう」
「あ~うん。そうしようか」
明里の家事スキルが高いのは綾華も知っていた。
家事を両親が不在時にはほぼ一人でこなし、帰りが遅い妹の代わりに今まではご飯も作っていたという。現に綾華が手を出す間もなく、明里は黙々と掃除を進めていき、一時間足らずで汚部屋を清潔感溢れる部屋に変えてしまった。
「すご……」
「じゃあ、これから夕飯を作りますね」
普段は使わずにいる包丁やまな板、フライパンなどを巧みに扱って料理を作る女子高校生アイドルに綾華は母の面影を重ねた。
今は会えない。いや……もう十年以上会えていない小さな頃によく見ていた亡き母の面影。
あれ以来、誰かの手料理を家で食べることはあまりしてこなかった。
仕事で忙しい父が作ってくれる訳もなければ、綾華自身で作ることもない。
母が亡き後、お互いに家を空けることが多くなったことも相まって外で夕食を取るか、買って家で食べることがいつしか主流となっていた。
それはこちらでも、向こうでも同じ。
(向こう……あれ、そう言えば明里ってば彼と入れ替わる形で……)
「お待たせしました。綾華さん」
あっという間に料理を終えた明里は豪勢な具沢山の見た目をしたパエリアを提供する。
良い臭いが鼻からお腹へと刺激し、空腹を満たすべく自分の皿に盛られたパエリアを豪快に食す。
「美味しい!凄いね明里、パエリアなんて作れるなんて」
「ジルさんから聞きました。彩香さんが好きな食べ物だって」
「ジルの奴もたまには粋な計らいをしてくれる」
そう感心しながらも好物を勢いよく食べた綾華は『おかわり』を所望。
念の為を思って三人分多く用意していた明里は自分が食べる前に追加分をよそう。
再び、食べる直前に綾華はスプーンを空で止めて、あることを先に尋ねる。
「ねぇ、明里は私が彩香じゃないって知っているよね?」
椅子に座った明里は小さく頷く。
「彩香さん……いえ、綾華さんと呼ぶべきでしょうか」
「どっちでもいいよ。今の私は彩香でもあり綾華でもあるから」
その言葉の真意を明里は知っていた。
「記憶の共有……」
「もしかして、向こうの私から聞いた?」
「いえ、ルーチェに教えてもらいました。勿論、向こうの」
「あ~ルーちゃんは知っているか。あの子は好奇心旺盛だし……ジルよりも賢いからね」
食べる片手間に綾華は話を進める。
「どうだった、向こうの世界は?」
「未だ信じられないです。世界を渡った実感はあまりないですし」
「そりゃそうだよ。こっちも向こうもほぼ同じ現代社会で同じ時間軸なんだからさ……ちょっとは魔法が使えたり、近未来的な世界とかだったら面白いんだけど」
「まぁ、そのお陰で私は苦労せず楽に向こうで過ごしていました」
「彼の身体ではなかったの?」
「はい。私は私のままでした」
「じゃあ、苦労してたのは彼か」
途轍もなく苦労していたのは間違いない。
現に綾華が陽一だと気付く前までは明里として過ごしていることを強いられていた。
誰にもバレる訳にはいかず、素の自分を出せないまま一人で時間を過ごしていたのだから。
(いや、小春は知っていたんだっけ。偶然にも)
「あの、それで今日は綾華さんにお話があってきました」
「向こうの世界のこと?今回の入れ替わりのこと?それとも……私?」
「その全てだと思います」
明里がどこまで知っているのか。
この機会に綾華は知りたくなった。
それに向こうの世界に渡った自分が一体どういう状況下にあるのか興味がない訳じゃない。
むしろ、知りたい所ではあった。
今回の一件、もしかしたらただの偶然で生じた入れ替わりではないと睨んでいることも含め。
「オッケーじゃあ、話してあげるよ。パエリアを作ってくれたお礼に」
そう言って、綾華は自身の過去を回想する。
一体どうして自分がこの世界に居るのか。
その理由と事実を過去の出来事と交えて話す。




