百二十三幕 序章⑩
こちらの回は三章で起きた現象に関しての説明・解説回になります。
かなり主観的な設定を折り込んでいますが、大まかに理解して頂ければ幸いです。
東京丸の内にある高層ビルの最上階に位置するフレンチ形式の高級料理店。
子供では決して手を出せないディナーを楽しむ大人の色香が漂う上品な空気感。
庶民なんかでは決して足を踏み入れることがないような……ましてや高校生が足を踏み入れるのは場違いな雰囲気に店の前で萎縮してしまう。
本当にこの店……なのか?
店の名前を間違っていないか、もう一度メールを確認するも……ここで合っていた。
慣れない空気感の中を進むことに躊躇いを覚え、今更ながら店の変更を申し出たくなる。
だが、今日の為に事前に予約し、既に中で待機しているとのこと。
ここまで来た以上、引き返せない。行くしか……ない!
覚悟を決めて中に進もうとすると「なに、止まっているの?さっさと入れば?」と平然とした様子で蘭陵女子学園の制服に身を包んだ香織が先に中へと入っていく。
学校の授業か何かでこういう上品な場での所作を習うマナー講義の賜物か、場に相応な所作で先頭を歩く姿にとても頼もしく思えた。
中で待っている者の連れであることを伝え、スタッフの男性に席へ案内される。
内装は意外にもシンプルな造りで、如何にも高層ビルの屋上から一望できる東京の夜景を家族や友人達と楽しみながら楽しい食事の一時を送ることを想定している。
だからだろうか、中に入ってみるとそこまで自分達が浮いた存在にはならなかった。
そのまま、一番端に位置する角の三人掛けのテーブルへ案内されると俺達をここへ呼び出した張本人がそこにいた。
「やぁ、わざわざ来てもらってすまないね」
「いえ、こちらこそお招きいただきありがとうございます。ジルさん」
「大丈夫だよ。君達二人には例の件で大きな迷惑を掛けたからね。今日はそのお詫びだと思って欲しい」
そう俺達がこんな場所にやってきたのはジル社長に招かれたからである。
その理由は先に述べた通り、俺が向こう世界に意識を飛ばされ、明里と中身が入れ替わった事件でのお詫び。最も被害を受けたのは俺かもしれないが、香織もこっちに意識を飛ばされた明里の面倒を見ないといけないことから迷惑は掛けられている。
もっとも、香織に関しては全然迷惑なんて感じないくらい至高の時間を過ごしていたらしい……が、取り敢えずその埋め合わせとして俺達は高級フレンチをご馳走になりに来ているのである。
「立っているのもなんだし、一先ずかけてくれるかい」
夜景を背後に座るジル社長と対面する形で着席する。
すると、視線がこちらに仰がれジル社長は先に頭を下げて謝罪を述べる。
「陽一君、今回は本当にすまなかった。TSリングの機能を君に知らせていないばかりに今回の騒動を呼んでしまった。大変申し訳ない」
「謝罪は散々聞いたんで結構です。それにこの場でそういうのは少し控えて下さい……目立つんで」
ただでさえジル社長は周囲からかなり目を引かれる美形な容姿な上に整った身なりである。
そんな彼が一介の高校生に頭を下げて謝罪をしているという雰囲気は周囲の目に付く。
現にそんな視線が背後から漂っている気がしなくもない。
「なにはともあれ、君が無事に戻ってきてくれてよかった」
「大変でしたよ。戻るにしても戻り方がそもそも分からなかったですし、待っていればそのうちジル社長がどうにかして戻してくれるとかって思ってました」
「こればかりはどうにもならなかったよ。向こうに飛ばされてしまっては手の出しようもない……僕に出来たことは君と彼女の情報を共有する腕輪を修理して、君の帰還を待ち望むしかなかった」
「じゃあ、どうして兄は帰還出来たのですか?」
香織にはまだ今回の一件に関して、詳しい説明はしていなかった。
その問いを代わりに俺が答える。
「簡単な話、俺が向こうの世界で居づらいと思ったからだろうな」
「でも、居場所がない訳じゃないんでしょ。現に向こうの私とか唯菜ちゃんと仲良くやってたくせに」
「それはあくまでも明里として振る舞うことで……だ。俺自身が自分を出せる場はかなり限られていた上にこの先、三津谷明里として過ごすなんて絶対に無理だって途中で気付いたんだよ」
結果的にその気付きが帰還の最たる方法だった。
腕輪に自分の居場所がどちらにあるかを認識させるには最良な選択であったと言える。
むしろ、あそこで気付けなかったらまだ俺は向こうで明里として過ごしていたかもしれない。
「じゃあ、お兄ぃは寂しくなって帰ってきたってことかな?」
ニマニマした顔を向けてくる香織に「お前が恋しかったとかじゃねーから」と否定しておく。
「でもでも~さっきの言葉の一部の裏を返せば……お兄ぃってばあのまま明里お姉ちゃんとして過ごすのも満更でもなかったわけだ」
「そりゃ、姉に素直で可愛い態度で慕ってくる妹が居れば帰りたくないって思うだろ」
「オイ。それはここにも居るぞ?」
「兄に素直じゃなくて全く可愛げもない奴ならいるけどな」
「その言葉、そっくりそのまま返してやらぁ!……って、すいません。ついいつものノリで」
珍しく他人の居る前で本性を表す妹にジル社長はクスクスと笑っていた。
「面白い兄妹だ。唯菜ちゃんがこの場に居たら妬まれていただろうね」
「変な想像をしないで下さい。それに妬まれるだけではすまないでしょ……唯菜なら」
ワンチャン殺意の塊をぶつけ兼ねない勢いで睨む様子が目に浮かぶ。
「ははっ、確かにそうかもしれない。だが、君も唯菜ちゃんの事を段々と理解しているみたいだね」
「この三ヶ月近くほぼ毎日顔を合わせて、話していればよく分かります」
「一緒に泊まっている仲でもあるのだしね」
余計な一言を。
「へぇ~私はまだヒカリのお部屋に行ったこともなければお泊まりしたこともないのにな~」
やはり、不貞腐れた反応を見せたか。
しかもあの顔、何か狙ってこの話に乗じているのが分かる。
「そんな頻繫には泊まっていない。第一に、俺が泊まっていくよう言ったことは一度もない」
「じゃあ、なに?唯菜ちゃんが無理矢理泊まって行っているとでも言いたいのかな?」
「別にそんなんじゃない。部屋の片付け……主に洗濯とかを手伝ってもらう代わりに泊めているだけで……」
「なら、私に頼ってもいいんじゃない?妹なんだし、気兼ねする必要ないじゃん」
「いや、お前が部屋を知ったら絶対に居座るじゃん」
あの部屋は香織の事務所にも近い上に都心部のど真ん中に位置する。
香織の場合……この部屋から学校に通うには電車で一本とかなり近い。家に帰るよりも遥かに楽で、次の日に学校があっても普段の半分以下のの時間で登校可能。おまけに学校が終わってから空くレッスンまでの間、ゆっくりとくつろげる時間をここで過ごすことが出来る。
香織にとってはメリットだらけの部屋の所在地を知れば容易に泊まりにやって来るのは明白。
だから、敢えて伝えずにいたのだが……どうやら明里との一件で知られてしまっていた。
住所と部屋の番号とかを明里から聞き出してメモを取り、電子ロックキーのパスワードまで知り尽くした上で香織はこの機会を利用してある許可をジル社長から得ようと上手く話を進める。
「まぁ、私も多忙な身だし。もしも、そういう休める場所があったら理想的なんだよね」
「じゃあ、お前も借りれば?」
「お金かかるじゃん。てか、もうここまできたら言わずとも分かるよね?薄情なお兄ちゃん!」
「薄情も何もあそこはジル社長が俺に変身するための部屋として貸し与えてくれた……」
「僕は別に香織ちゃんが使っても構わないと考えているよ」
ジル社長の一言に香織はテーブルの下でガッツポーズを決める。
一体どういう訳なのか、説明を求むと訴える。
「実を言えば、麗華さんに言われていてね。彼女に君の使っている部屋を共有させて欲しいと」
「それでジル社長はOKしたんですか?」
「あの部屋の所有権は僕にあるけど、使っているのは君だ。最終的な判断は君の意志に任せる」
なるほど。本当に二人共卑怯なやり口だ。
この流れで嫌です。と断れば薄情な兄としてのレッテルが本格的に貼られてしまう。
故に「分かりました」と諦めて許可せざるを得ない。
「やった。今度、荷物持ってくね~」
「ちなみに言っておくが、隣人が頻繫に邪魔しにくるからそこだけは注意しておけよ」
「え、どうゆうこと?」
「僕の妹のルーチェが隣の部屋に住んでいるんだ。彼女は防火扉をぶち破って度々彼の部屋へと侵入しては勝手に昼寝とかしているから気を付けるように……ってことさ」
防火扉をぶち破る?
侵入して昼寝?
ルーチェの見た目からして大人しそうな雰囲気を香織はイメージしているのだろうが、ああ見えて傍若無人で兄の手では御せないくらいのヤンチャ姫。
そんな普段のルーチェを知らない香織が知れば今抱いているであろうイメージ像は一瞬で砕け散るのは間違いない。だから、あらかじめ留意点として述べておく。
「一応、僕の方からもルーチェには伝えておくよ。あまり邪魔をしないようにと」
相手が香織なら流石に人見知りが発動して多少なりとも抑えるには違いない。
ただ、一つ懸念されるのは……あの二人が仲を深めてしまうことだ。
ずる賢さと悪知恵に関しては両者共に長け、性格面も部分的には共通することもある。
話せば案外、簡単に仲良くなれそうな気がしなくもない。
そうなれば……くそ面倒な奴らが部屋に共存する可能性もあり得る。
その中に唯菜が加われば……考えたくないような修羅場が形成されるのは間違いない。
しかし、それはもう遅い。
いずれその日が遅かれ早かれくることを俺は覚悟した上で、ようやく運ばれてきたフレンチ料理を思う存分食すことにした。