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百二十一幕 エピローグ/約束と兄妹④

 SCARLETのライブが終了し、蘭陵女子学園祭における記念講堂館でのステージイベントは大盛況のまま閉幕を迎えた。

 それに伴い文化祭の時間も終わりを迎え、在校生以外の参加者は例外を除いて全員下校となった。


 例外の一人である俺と唯菜は一度、私服に着替えるべく荷物を預けている香織達のクラスへ戻った。元々は明里が着ていたであろう私服着……ではなく制服に着替え、向かうでも同じく中原学園の制服を着た唯菜とクラスで片付けをする生徒達よりも一足先に教室を出た。

 そのまま二人で昇降口へと向かうも、脱いだ靴を教室に置いたままであることを下駄箱の時点で気付いた。急いで取りに行くことを伝え、直ぐに教室へと戻った。

 

 その前には女子生徒の一人が靴の入った袋を持って教室から出ていた。

 どうやら靴の忘れ物に気付き、渡しに行こうとする直前だったのだとか。

 行き違いになることなくタイミングよく彼女から靴を受け取った俺はほんの少しだけ、最後に校舎を見ながら昇降口へと向かう。


 窓の外を眺めると空は夕焼け色に染まり、もう半刻を過ぎれば夜が訪れる。

 時の流れはあっという間で、事後になると明里として過ごしたあの不思議な時間が遠い過去のように思える。たった、数時間前の出来事だというのに。


 けれど、まぁ……楽しい時間だったのは間違いない。

 そうでなきゃこんなにも時間が早く感じる筈がない。

 楽しい時間というのはいつもあっという間で過ぎれば恋しくなるもの。

 続けたくても続かないのが現実で、中々忘れられない貴重な時間だったと思い出の中で残り続けるのみ。そして、同じ時間を共有し合った者同士で集まり、その当時を振り返りながら楽しく会話を弾ませるための道具として自分と他人の中で残り続けるもの。

 

 しかし……この思い出はそうはならない。

 なにせ、語り明かせる友人や同じ時間を共有し合った者はこの世界に居ない。

 誰にも明かさないまま記憶の海の底へと沈み続けるであろう。


 だが、決して忘れることはない。

 あんなにも強い輝きを放つ思い出だ。暗闇の中で何時でも取り出せるようその輝きを誇示し続けるに違いない。

 

 だからこそ……少し惜しくも感じる。

 これが誰かと共有出来ないことに。


「……ん?いたっ!」


 物思いに耽りながら歩いていると廊下と階段の曲がり角で突然現れた女子生徒に反応出来ず、頭からぶつかってしまう。


「……くうぅぅ、すいません。不注意で」

「いえ、こちらこそ」


 ぶつけたおでこに響く鈍痛を擦りながら倒れた女子生徒に手を伸ばす。

 すると、その手を取った人物の名を自然と叫んでしまう。


「あれ、渚……」

「え……」


 渚は驚いてこちらを見上げ、目の前で知らない人物から名前を呼ばれたことに困惑を浮かべる。

 そこで俺は自分のうっかりに気付く。


「あ、ごめん。凪さんの妹さんだと思ってつい下の名前で……失礼でしたよね」


 苦し紛れの言い訳で誤魔化す。


「お姉ちゃんのお知り合いの方ですか?……あれ、よく見ると香織さんによく似ている」

「従姉妹なんです。香織とは、ちなみにお姉さんは私のファン……みたいな」

「あ、ポーチカの!確か、三ツ谷ヒカリさん……ですよね?」


 そこで気付いたのか、渚はハッと思い出したように名前を呼ぶ。

 ここ二週間ばかりずっと『明里、明里』と呼ばれていたせいか、『ヒカリ』と呼ばれると違和感しかない。無論、これが正しいのではあるが。

 差し伸べた手を掴み、立ち上がった渚は「いつも姉がお世話になっております」と丁寧に挨拶をするよそよそしい態度に若干の寂しさを覚える。


 これが当然の反応……だよな。


「どうかしましたか?」

「いえ、何も……」


 何でだろう。

 渚の顔を見た途端「またね」でも「さよなら」でもなく……「ありがとう」と感謝を伝えたくなった。

 向こうでは色々とお世話になった訳だし、何度か学校での日常で助けてもらった恩もある。

 何かしら感謝を伝えてこっちに戻りたかったのだが……結局のところ、何も言えなかった。

 そんな後悔が今更、胸の中で浮かび上がる。


 目の前にいる渚は何も関係がないのにな……

 そう自嘲気味に自分の薄情さを嫌い「すいません。そろそろ帰らないと学校側に怒られるのでそれでは……」と逃げるように立ち去る。

 だが、するりと伸びた手が腕を掴み「あの……」と引き留められる。

 改めて向き直った渚は少しばかりモジモジとしながらこう尋ねる。

 

「私も今度、ライブを観に行ってもいいですか?」


 え……?


「お姉ちゃんから話を聞いていると何だか凄く楽しそうで……私もいつか行ってみたいなーって思っていたんです。だから、その……」


 俺は少し呆気に取られて……クスリと笑んだ。

 向こうでも見せなかった渚の初々しい会話が妙に新鮮に映ったからだろうか。

 いや、それ以上に嬉しかったのだろう。

 渚がそう言ってくれることが。

 

「あ、ごめんなさい。つい変なことを……行きたきゃ勝手に来いって話ですよね」

「いえ、そんなことはないです。むしろ、お待ちして……いや、待ってるから来て」


 お願いします。なんて丁寧口調では言わない。

 友人感覚の様に渚が何時でも足を運んでくれるよう砕けて……強く伝える。


「絶対に。凪さんと来てよ、ステージで待っているから」


 その思いだけを伝えて、「じゃあ、また」と唯菜の待つ昇降口へと向かう。

 離れていく渚に振り返ることもなく、階段を駆け下りる。


 感謝の言葉は今、伝えなくていい。

 伝えるべき場所、タイミングを自分で用意したのだから。

 その時に精一杯の「ありがとう」を渚に伝えばいい。


 ゆっくりだった足はとても軽く前に進む。

 我ながらとても気分が良い。

 『来てよ』だなんて台詞、柄ではないのはよく分かっている。

 知らない誰かや知っている誰かに向けてアイドルをしているから見に来てなんて言葉は決して伝えることはないと思い続けていた。

 

 けれども、いざこうして話してみると渚にはどうしても来て欲しかった。

 向こうでも過ごした時間が少なからず尾を引き、こっちでも関わりを持ちたいという気持ちが表面に出たことも一因として挙がる。

 

 仮に関わりを持った所であの記憶が渚と共有されることは決してない。

 こっちでの関係もクラスメイトで友人ではなく、単なるファンでしかない。

 あの時みたいな距離感ではお互いに話せないかもしれない。


 だけど、不思議と仲良くなれる気はした。

 あの時間が俺の中で在り続ける限り……渚とはこっちでも多少なりとも上手くやれる。

 そんな希望が今は胸の中で微かに宿り、渚の来訪がとても楽しみで仕方がない。


 昇降口の前に着くと待っていた唯菜がこちらに気付く。

 

「靴あった?」

「あったよ」

「……?ヒカリちゃん、何だか嬉しそうだね。良いことでもあった?」


 顔に出していた覚えはないが、無意識に出てしまっているのだろう。

 そう指摘されたことに「あったよ」と返し、「えー教えてよ~」と気になる唯菜の追及をのらりくらりと躱しながら帰宅の途に就いた。

 「ただいま」と疲弊し切った声で香織は覇気もなく告げる。

 昨日までなら「おかえり」と言って、リビングの方から香織と同じ顔をした双子の姉に当たる明里が夕食の準備を済ませて出迎えてくれていた……のだが、そんな姉はもう居ないのだと理解する。


 兄と入れ替わっていた姉たる別の人物は既に元の世界に戻り、普段からよく知っている兄が今は家の中にいる筈……なのだが、リビングにもその姿は見当たらない。

 

 二階の自室に居るのだろうか……。

 

 『可愛い可愛いマイスウィートシスターが帰ってきてあげたよ~ん』とふざけて部屋に押し掛け、久々に再会した正真正銘の妹に対してどんな呆れた反応を示すのか……気になる所ではあるが、文化祭で精神的にも肉体的にも疲れていた香織は面倒だと一蹴した。


 大きな欠伸を浮かべて背もたれ付きのソファーに寝そべる。

 すると、ようやく二階から降りてきた陽一とリビングで顔を合わせる。


「帰っていたのか」


 普段と何ら変わらない冷めた態度に香織はイラッとする。

 

(なんだろう……この虚無感)


 これが本来の兄妹としての姿であり、三津谷家の日常である。

 姉妹としての自分達はあくまでも仮初の日常であり……香織が夢見た理想的な日々であった。

 それが突然として終わりを迎え、普段の日常が戻って来れたことには安心もしてる。


 しかし……久し振りに再会した兄の態度があまりにも普段と何も変わらないからか、反って明里の姉としての抱擁力が恋しくなった。


「戻って」

「は?」

「戻って戻って戻って~!女の子の時のお兄ぃの方がなんか良かった~」


 駄々を捏ねる香織に陽一は深々と溜息を吐いて呆れる。


「戻っても何も、こっちが本来の俺なんだよ」

「知ってるわい。でも、ヒカリの時は許せたんだけど、こっちだとなんか腹立つの!だから、今晩だけはヒカリで居て!ね、お願い!」

「意味わかんねーし、嫌に決まってんだろ。久しぶりに戻れたんだ、少しはゆっくりさせてくれ」


 そう言って陽一は香織の隣へと座る。

 兄妹並んでソファーに座る光景に香織は小さく「許す」と呟いた。


「それで、どうだったの向こうは?」

「そっちこそ、どうだったんだ。明里…お姉ちゃんは?」

「私の理想的な姉だった。料理や洗濯、掃除……家事のあらゆることが万能なお母さんみたいなお姉ちゃんでめっっっちゃ甘えれた!」

「そりゃ良かったな」

「お兄ぃもあぁなってよ」

「やだよ。むしろ、お前が尽くせ」

「分かってないな~兄と姉が妹に尽くすのは当たり前のことなんだよ。妹の権利ってやつ」

「そんな当たり前は聞いたことがない」

「オイオイ、ブラコン系妹キャラ主体のアニメが大好きな人が何を言っているのかな。白々しい」

「お前こそ、一体いつ俺がそんなアニメを視聴していると?」

「隠れて観ているのはお見通しだけど」

「残念ながら、ブラコン系姉キャラが出るアニメが大好きなんだな~俺は」

「おい!」

「冗談だ……」


 ツッコミとボケを交互に繰り返す双子兄妹の他愛ない家での会話。疲労困憊からか、自然とその後は続かなかった。同じタイミングで大きな欠伸を浮かべ、背もたれに身を預けたまま白い家の天井を仰ぐ。


(帰ってこれたんだな……おれ)


 くだらないこんなやり取りから陽一は不思議と自分の居場所に戻ってこれたのだと実感した。

 それが安らぎ与え、目を閉じれば今すぐにでも泡沫の夢の中に意識が沈みそうである。

 それは香織もまた同じで兄の肩に頭を預け、傍に寄り添っていると自然に眠りへと誘われそうになっていた。

 

「重い……」

「重くない。それに今日くらいはこうして居させてよ。心配させた罰」


 何も言い返せないと陽一は甘んじて受け入れた。

 そのまま電気も消さず、明るい部屋のソファーで香織は身を預けながら微睡の中に意識を投じ、陽一もまたゆっくりと眠りに就く。

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