百二十幕 それぞれの帰還とライブ
瞼を開き、視界の中で真っ先に映ったのは落ちた照明。
ほんのつい先程まで演劇で使われていたステージは一人を残して誰も居ない。
幕引きがなされ薄暗いステージ内に静かな時間が流れていることに気付いた明里は虚ろな意識を覚醒させて、直近の記憶を振り返る。
「私は確か唯菜と一緒に席に着いた筈。そこで意識が突然、途切れて……それで……」
その違和感に気付き、はっとベッドから上体を起こす。
他に誰か居ないか、周囲を見渡していると誰かの足音が近付く。
「目が覚めた?明里」
その声の主に意識を向ける。
するとそこにはよく見知った顔の人物が綺麗なドレスを着飾って立ち尽くしていた。
「……幸村さん?」
名前を呼ぶと小春は少しばかり顔を強張らせた。
そうして、大きく息を吸っては吐き出し……意を決して話しかける。
「向こうはどうだった?」
自分の身に何が起こったか。
その全てを知っていると告げる小春の言葉に明里は『夢じゃなかった』のだと認識する。
「どうして、幸村さんがそれを?」
「彼に言われたから。こっちに戻ってきた明里をフォローするように」
彼……という人物を頭の中で理解する。
向こうの世界にいるもう一人の異なる自分。
その彼が今の今まで明里として過ごしていたのだと遅れて気付く。
「彼は……」
「元の世界に戻った。だから、こうして明里は戻って来れた」
「そう……なんだ」
淡々と告げられる事実をゆっくり受け入れる。
決して夢物語などではない。第三者からの事実確認を通して明里は現実だったと認識した。
そして、目の前の現実と向き合う。
「幸村さん。これって今、どういう状況かな?」
「私達のクラスでの演劇が終わって、これからSCARLETライブが始まる所」
「え、じゃあ直ぐにここから出ないと……」
「その前に私は明里に伝えておかないといけない」
度々、名前を呼ぶ小春。
三津谷さんでもなく明里と呼称する小春の言葉を落ち着いて耳を傾ける。
その準備が出来ている。
そんな顔出迎えた明里に対して小春は長年にわたって秘めた想いを口にする。
「私はもう一度、明里と……っ、仲良くしたい!!」
今まで隠してきた本心を今更のように伝えたことに自分でも遅いと分かっている。
けれども、このタイミングで伝えられなければもう二度と明里と向き合うことが出来ないかもしれない。逃げ腰な自分が前に進めるよう、彼が用意してくれたこの場で言わなければまた……振り出しに戻ってしまう。
だからこそ、思い切って伝えた。
素直にはっきりと……昔みたく。
それを真っ直ぐ受け取った明里は少しばかり呆気に取られ……口元を緩ませた。
「良かった。そう思っているのが私だけじゃなくて……」
硬かった明里の顔に安堵が滲み、ニコリと笑みが浮かぶ。
「小春も同じ……だったんだ。全然、気付かなかったよ」
「多分、それはお互い様」
「そうだね。私もいつか言おうと思ってて……思っているだけで全然口に出来なかった。もしかしたら、小春はもうあの時のことを触れられたくないんじゃなかって」
「そんなことはない!私はあの時間が今でも大切で、出来れば取り戻したい。でも、私は明里に何も告げずに去ったからそれで……」
「うん。お互い様……だ」
抱いている想いは同じなのに……それが今の今まで重なることがなかったのはひとえに、二人がお互いに尊重し合い過ぎた結果でしかなかった。
それを今一度、本人の口から聞きようやく納得した小春は既にこの世界にはいない彼へとささやかな感謝を胸の中で伝えた。
そして、この関係に戻った時に交わす言葉は一体どうするのかという彼が消える直前で残した問いを無意味だと分かりつつも答える。
「じゃあ、改めて久しぶりだね。明里」
「そこはおかえりじゃないの?」
「うわ!空気感台無しだよ~もう……でも、そうだね。おかえり」
「ただいま。小春!」
あの頃みたく、ハイタッチを交わして名前を呼び合う。
戻ってきた。
目の前に自分の知る三津谷明里がようやく戻ってきてくれたことに感激を得た小春は溢れんばかりの嬉しさが涙となって現れ……気持ちが制御出来なくなる。
「あれれ、見ない間に泣き虫さんになった?」
「うるさいばかあぁぁぁぁぁぁ」
「ちょ、唯菜みたいに鼻水垂らして泣かないで……もう……」
その涙に当てられて明里もまた目尻に溜まった雫を流して抱き合う。
薄暗い物陰から周囲が見ていることに気を留めず、暫し二人は再会の喜びを分かち合った。
♢
ほんの数分で直ぐに落ち着いた小春は袖で様子を伺っていた春乃に合図を送る。
「それでここからどうするの?」
「やることは簡単。SCARLETを迎えるべく二人でMCを務めるんだよ」
そう言って、ベッドの上から明里の手を引いて立ち上がらせる。
「もしかして、アドリブ?」
「なわけなわけ……いい、私がこういうから明里は……」
開演を知らせるブザーが鳴り響く。
たった数秒で打ち合わせを終え、小春は明里にマイクを手渡す。
そのまま定位置たるポジションに二人で並んで立ち、手を繋いだまま幕開けを迎えた。
二本のスポットライトが二人のを照らす。
先程の素晴らしい演劇を披露した二人に観客から今一度、大きな拍手が送られると小春はすぅと息を深く吸って、再びキャラになりきる。
「長らくお待たせ致しました。本学園祭、メインイベントのお時間です。皆さん、準備はいいですか~?」
小春の呼び掛けに反応して、観客の手にある七色のペンライトが色鮮やかに横へと振られる。
「お、皆さん準備万端ですね!」
「それでは時間も限られているので早速、ご登場して頂きましょう」
二人は軽く視線を交わし合い息の整った入りで出演者を告げる。
『SCARLETのお三方です!どうぞ!!』
その掛声に合わせて一度、照明が暗く落とされ二人はその間に別々の舞台袖へと掃けていく。
すると、入れ代わる形でマジシャン風な衣装でマイクを手にした春乃と柚野がステージへと立ち、無人のベッドが置かれた場所の横に並んで立つ。
その不思議な定位置に興味本位で明里は様子を伺っているとベッドの上に掛けられた布団がもぞもぞと蠢いているのが見て取れる。
今し方、明里が寝ていたベッド。
その下から前奏が流れるタイミングで大きく布団から二人と同様な衣装を身に包んだ香織が飛び出し、華麗な着地から小さなシルクハットを取って可愛いらしくウインクで場を盛り上げる。
直ぐに演劇部の大道具係を務める二人の生徒が用済みとなったベッドと布団を移動させ、三人が本当の定位置に着いたのと時を同じくして、SCARLETの新曲【MAGIC】が始まった。
♢
「……ちゃん!起きて、もう始まっちゃうよ!」
大きく揺さぶられながら掛けられた声に飛び上がるような反応で俺は目を覚ました。
そこには心配そうな顔でこちらを見つめて必死に呼び掛けている唯菜がいた。
辺りが薄暗いせいでよくは見えないが、先のアニマルメイドの格好をしているのが分かる。
「……その格好、どうしたの?」
「あ、やっと目が覚めた。ビックリしたよ、急に寝ちゃうんだもん」
「え、あぁごめんごめん。それで、もうライブ始まる?」
「始まる始まる!ほら、今し方MCの人達が香織ちゃん達を呼ぶところだから、ほら!」
ステージの照明下、そこには見知らぬ二人の女子生徒が司会を務めていた。
明里と小春ではない……全く別のあてがわれた女子生徒達。
その事実から俺は戻ってきたのだと深く安心を得た。
「よかったぁ~」
「良くないよ。ほら立って立って、これ持って!」
一分一秒を争うと言わんばかりの忙しさでヒカリ分のペンライトを手渡され、立ち上がる。
すると、何故か足元がスースーする不思議な感覚に襲われ、頭部に何かカチューシャのようなプリムが付けられていることに遅れて気付く。
「え、何この格好?」
「さっきまでアニマルメイド喫茶で手伝いしてて、そのまま直接来たの覚えてない?」
唯菜の説明で何となく自分の身に起きた格好の経緯を理解出来た。
意識が戻る前まで着替えておいて欲しかったという文句は言いたくても言えない。
慣れない格好ではあるが、このままSCARLETのライブに付き合うとしよう。
準備と状況確認をする傍らでいつの間にか、SCARLETの三人がステージ上へと登場していた。俺と唯菜が座る席は講堂内の客席の中央に位置し、前列と後列を分ける通路を挟んだ後列の一列目。
ステージに立った香織と同じ目線の位置に居るからか、ふとお互いに視線が重なり合い……真っ先にこちらへと気付くや否やクスッと笑い『可愛いよ』と茶化すように口を動かして伝えてくる。
それ対して俺は『うるせ』と素っ気なく返す。
その瞬間、香織の瞳が大きく見開かれ……潤んだ瞳で『おかえり』と告げてくる。
声が聞こえた訳ではない。
単なる口の動きだけで中身が元に戻ったのだと知り、俺と同じくらい深い安堵に満ちた顔を垣間見せた。しかし、それも束の間……音楽が鳴り響き、歌が始まる頃にはもう既に気持ちを切り替えていた。
プロ意識が高い香織に改めて敵わないと思う一方で、帰ってきた俺に気付き、露骨なまで嬉しさを滲ませた香織の表情に大きな安心感を得た。
そうして一言……鳴り響く音楽に紛れて俺も小さく「ただいま」と返し、あの時は一緒に観れなかったSCARLETライブを今度こそ唯菜と共に心を熱くさせ臨んだ。