百十四幕 IF/文化祭/お化け屋敷⑫
体育館内に造られた特設のお化け屋敷はかなり精巧に用意されたもので、遊園地のアトラクションで体験する和洋建築物の屋敷を模した構造とそう対して変わらない。
ただ、この広々とした空間を活用すべく三つの屋敷が配置されている。
体育館内の左下側……入り口から直結している最初の屋敷、二つ目がその右側に位置し、三つ目が右上にある。俺が通った道は一つ目と三つ目を繋ぐ連絡通路であった。
そして、現在地は三つ目の屋敷。
柱に③と書かれたプレートが掛けられているということからも伺える。
ちなみにこれは憶測なのだが……本来ならば一つ目と二つ目の屋敷を経由して、三つ目へと流れ、あの連絡通路を通ってステージ上へと誘うといった巡回ルートが用意されていた。別れ道に見えたのはレの字の道に直線が追加されたからで、本来はお化け役の人が最初の屋敷で脅かした後にステージ上へと移動するためのショートカットとして用意されていた道なのではないか。
しかし、そもそも案内標識みたいなものものは用意されていない。どこに向かうべきなのか曖昧なまま何か脱出のヒントとなるモノを探しながら順路たる道らしき通路を進んでいたため、正規ルートから開始早々にして外れてしまっていた。
不思議なことに、まるでそう誘われるかのように進んでしまい……分断された。故意的に。
それはともかく……
「唯菜達の声が聞こえない」
先程から響いていた断末魔は急に止み、薄気味悪い静かな雰囲気が続いている。
まだ、唯菜達の絶叫のお陰でどうにか冷静になれていたが、静まり返ると反って背筋から迫る謎の悪寒に身の毛がよだつ。
合流しようにも声が聞こえない以上、探す手立てはない。
最後に声が途切れたであろう二つ目の屋敷へと向かう。
すると、その付近でお化け役の人達が迷わない為の見取り図が記載された紐付きファイルが不用意にも壁際に掛けられていた。
参考がてら見取り図を覗く。
二つ目の屋敷は一つ目と三つよりも広く大きい、中の構図は細く狭い直角の通路がひしめくように造られていた。おまけにこの屋敷に脱出の鍵なるものが置かれているのも記されている。
「まるで迷路みたいだな……それに鍵の在り処まで書かれているし」
みたいだな……とは言ったものの、間違いなくここは迷路で、脅かし役である殺人鬼を模した人物が首切り包丁を手に、屋敷内を徘徊して侵入者を追い駆け回すといったエリアなのだろう。
先程、二人の悲鳴が響いていたのはこの辺りからで間違いない。何かに逃げ惑うような緊迫感募る声であったのも、このエリア内の仕様から伺える。そして、今は何処かに身を潜め、隠れてやり過ごしているに違いない。
体験型ホラーアトラクションとはよく言ったものだが……たかが文化祭でここまでの設備を整え、参加者に本格的な恐怖を与えるゲーム作りになっているのはある意味で凄い。
その一方で、この学校の学園長は生徒達に恨みでもあるのかと問いたくなる。
そんな思索はさておき、通路構図を何となく頭に入れた俺は迷宮の出口に相当する通路に足を踏み入れ、ギィギィと歩く度に嫌な音をたてる床をゆっくりと進む。
殺人鬼にバレないようライトの灯りを消し、様子を伺いながら歩いていると急に激しい床音をたてながら近付いてくる何かに心臓が飛び出そうになる。
「やべっ……」
足音でバレたのだろう。
小さな音でもよく響き渡る空間であるが故にこのギミックはあまりにも致命的。
その対処法は後で考えるとして……通路の窪みに用意された机やロッカー、両開き扉付きのタンスといった身を隠れ潜める為の一つである教卓机の下に身を屈め、一旦はやり過ごす。
「いったか……」
物陰に潜んでやり過ごせばそれ以上脅かしてはいけないというルールが殺人鬼役には課せられている。脅かしてもいいのは通路内を進んでいる時のみで、隠れている時はその場所を特定しても見て見ぬふりをして別の場所に移動するといった配慮が義務付けられている。
故にこうして隠れてやり過ごせば、無事に出口へと辿り着ける。
そう考えれば攻略方が見出せたと希望を持てるかもしれないが、殺人鬼の足音を聞き分けながら鍵と唯菜達を探さなければいけない以上、ここが一番の難所と言えよう。
「一先ず、唯菜達を先に探さないといけないか」
音が遠ざかり、居なくなったことを確認すると靴を脱いで靴下のまま床に立つ。
普通に一歩を踏み出すと先程発していた嫌な足音は鳴らず、静かに床を進める。
「やっぱり、これが正解」
急ぎ足で逃げれば床を踏む音だけではなく、革靴と床を擦る音が余計に響き、位置を知らせてしまう。ここは靴を脱ぎ、素足で床を忍び歩く方が効果的であった。
「土足厳禁というルールを守らずに歩く奴が殺人鬼に見つかって追われる……大体、そんな仕組みなんだろうな」
このエリア内のルールは何となく掴めて来た。
出口までの道のりも丁寧に赤い血のりの様なマークが分かり辛く道順として記されているから気付けば目印になって簡単に出口まで戻ることは出来る。
あとは、この迷路の何処かに潜んでいる唯菜と渚……脱出の鍵を探せばほぼ攻略したと言って過言ではない。だが、唯菜も渚も恐怖のあまり本気で息を潜ませているせいか、一向に見つかる気配もない。その上、鍵のある場所への手掛かりも見つけられない。
「さて、どうしたものか……って、なに?」
なんか踏んだ。
妙に硬くて少し大きい。
その上、なんだかゴツゴツしてて……
「うわぁ!なまくびぃ!!」
ライトを当てた瞬間、顔がこちらに向いた血濡れの生首人形が悲惨な状態で置かれていた。
驚きのあまり声が上擦って、同時にドンと勢いよく壁際に仰け反ってしまった。
その音が直ぐに殺人鬼の耳に入り、先程よりも激しい足音で急速に近付く。
「ヤバいヤバいヤバい、どこに……」
ライトで周囲を照らし、何処か隠れる場所がないかと探す。
近くには大きなスーツケース、ロッカー、クローゼットと和風屋敷には似つかわしくない隠れ蓑が置かれている。それらの一つを適当に選び、急ぎ身を潜めようとするがいずれも鍵が掛かって開かない。
「クソ……どうすれば……」
偶然にもライトで照らした奥側に床の間を見つける。
「まさか……な」
熟考している暇はない。
イチかバチか、ある予感に駆られて床の間へと飛び込む……と案の定、壁が回転してその裏側へと突入出来た。そこで何かに思いきりぶつかると頭部辺りに鈍痛がお互い響く。
「いったぁ~」
「イテテ、だいじょう……はっ!静かに」
痛みよりもここで蓄積された恐怖感が勝った暗闇の中で先に身を潜めていた少女が俺の頭を柔らかい何かに押し付けて無理矢理静かにさせる。
なんだこの生温かくて柔らかい感触は……。
ライトは手元から外れて何処かに落ち、真っ暗闇空間に少女の吐息と殺人鬼が近くを通る足音が交差する。それに加えて、かなり恐怖しているのだろう……心臓の鼓動が物凄い速さでバクバクと脈打っているのが響いてくる。
暫くすると再び足音は遠のき、安寧と静寂がもたらされる。
そんな外の状況なぞに意識を向けず、身を委ねながら解放される時まで無抵抗のままこの感触を堪能することにした。
それにしてもこの感じ、凄く気持ちいい。
結果的に今、俺は誰かに抱き付いた形でやり過ごしているのだろうが、如何せんこの誰かに優しく包まれて守られていることに安らぎを覚えて心地良さを感じていた。
まるで母の胸に抱かれた子供の気分……ん、胸?
二つの柔らかな膨らみに挟まれているこの感覚は間違いなく……胸。まさしく、オッパイ!
「あの、大丈夫?」
ん、その声……
「クンクン、この洗剤とシャンプーの香り……もしかして」
聞き覚えのある声から放たれた変態臭丸出しの台詞。
お互いにその正体に気付くと名前を呼び合う。
「ヒカリちゃん!」
「唯菜!」
至近距離で顔を近付け合っているせいか、暗がりでも目を凝らせば何となく見える。
見知った顔が助けに来たことで深い安心感を得た唯菜は「こわかったよぉぉぉ」と半泣きで抱きつく。態勢上、再び唯菜の胸へと顔を埋める形になってしまっているのだが、不可抗力と自分に言って甘んじて温かな抱擁を受け入れた。
♢
身体を起こし、ライトを拾って暗がりの空間をほんの少しだけ明るく照らす。
暗闇が意外にも苦手な唯菜はそれで心の落ち着きを取り戻すとふと尋ねる。
「ヒカリちゃん、どうしてここに?」
「どうしてって……助けに?」
助けに来てと言われた訳ではない。
ゲームを攻略するために合流する必要があったからというよりも、あの叫び声を聞いて自ずと助けに行かないと……ってなった。
その言葉を聞いた唯菜は少し驚く顔を見せると「ありがとう」と微笑む。
「私……いつもヒカリちゃん。ううん、明里ちゃんに助けられてばかりだ」
「それはお互い様じゃなくて?」
「そうかもしれないけど、助けられているのは事実。明里ちゃんがヒカリちゃんとして入ってから、グループは大きく成長出来て、私も前より頑張れている」
そうなのだろうか……。
別に意図して助けようとしているのではない。
ヒカリの成長がグループ全体の成長へと結び付き、それが唯菜にとっての励みになっている。
そう言いたいのだろうが、どちらかというと俺は違うと言いたい。
「多分だけど……唯菜が頑張れているから、私も頑張れているんだと思う」
アイドルの白里唯菜という一人の少女が見せるひたむきな努力に感化させられて……少なからず俺は努力することの大切さと何かを追い求める心を取り戻せた。
助けられているのはどちらかというと俺で……あの日、唯菜と放課後に話してジル社長に誤解を受けなければ今頃、モノクロの荒んだ世界に未だ引き摺ったまま腐った様な時間を過ごしていた。
明里はどう感化させられたのは分からないが、彼女も少なくともそうなのだろう。
アイドルとなって唯菜と関わることで失くした何かを取り戻して、色鮮やかな景色が蘇った。
「だから、お互い様。それに助け合うことがチームで……グループでしょ」
唯菜は意外にも感性が豊かだ。
笑って、泣いて、喜んで、怒って……色んな感情を沢山素直に示してくれる。
そんな常日頃から明るいと思える彼女が好きで、もっと見ていたいと思える。
これは恋ではない。
あくまでも人として好きという意味合い。
友人として親友として……私は唯菜が好き。
って、何を思っているんだ、俺は……。
彷彿として浮かんだフワフワした想いを一旦は振り払って現実と向き直る。
「さて、そろそろここから……」
「良い雰囲気だね。二人共」
横から突如、不満を帯びた声が届き。
驚いて振り向くとそこには顔の前にライトを当てたジト目の渚が回転板の隙間から中を伺っていた。
「な、渚!どうしてここが……」
「さっき明里の叫び声が近くから聞こえて……あの変な奴に襲われているんじゃないかって勇気を出して助けに行ったら……イチャイチャしてる声が聞こえて……」
「アハハ、ごめん」
「もう、またそうやって笑って誤魔化そうとする」
笑って誤魔化す以外に切り抜ける方法が思いつかない。
そんな明里に溜息を吐いた渚は周囲を再確認して急ぎ出ることを勧める。
「アイツは今、居ないから早めにこのエリアから脱出しよう」
「そうしたいんだけど、ここの何処かに鍵があるらしいんだよね」
「そうなの?」
「うん。だけど、その場所がまだ特定出来てなくて、一体どこに……」
「鍵ってこれのこと?」
そう言って唯菜がポケットから取り出して見せたのは小さなプレート付きの鍵。
「え、どこにあったの?」
「ここに……偶然、この中に逃げ込んだら落ちてて」
「ナイスだよ、唯菜!ちなみにその鍵の番号は……って、え?」
唯菜が拾ったという鍵。
付けられた小さなプレートに書かれているのは番号ではなく、文字であった。