百十一幕 IF/文化祭/似た者同士⑨
外の屋台で購入したクレープを食べるべく、二人で近くのベンチに腰掛けて座っていた。
唯菜が食べているクレープ……少し美味しそうだ。
なんて心に留めていた想いが不思議と伝わってしまったのか、唯菜は食べかけのクレープを顔の前に差し出してくる。
「はい、どうぞ。あーん」
「なに、急に?」
「味見したそうな顔してたから。一口どうぞって、ほらあーん」
「いや、それはちょっと恥ずかしいって」
「ええ、いいじゃん。別に減るもんじゃないし」
「キスと勘違いしてます?まぁ、間接キスに違いは……」
待て。それはキスと同じなのでは?
唯菜が食べているチョコ生クリームスペシャルという甘々なクレープで未だ唇が触れられていない生地の部分は紙に隠れた下層でしかない。間接キスを避けようと敢えてそこを食べるのはあまりにも邪道で、食べる人のことを一切考えていない最低最悪な一口方法と言えよう。
そもそもクレープとは上から順に食べていくものであるが故に誰かとシェアして食べる場合は高確率で間接キスが成立するカップル向けのスイーツ。
『一口頂戴』という言葉自体が間接キスを成立させるカップルの常套句。
例え、一切その気がなく、単に唯菜が口しているチョコ生クリームスペシャルを一口味見してみたいという思いを口にしただけでキスの流れはほぼ確定的。
「はい。口を開けて」
いくら外見が女子同士と言えども中身は男女。
こんな形で人生の初間接キスをクレープ如きで行うのは些か……生クリームの甘さとチョコレートシロップの苦味が交互に混じり合って美味を演出していて美味しい。
ん?
口の中一杯に広がる甘い食感に気付き、現実に意識を戻す。
一口を貰う云々以前に、唯菜がクレープを食べさせてくれていた。
「どう?美味しい?」
「……美味しいです」
こうもあっさりと人生の初間接キスが成立してしまった。
しかも、相手は白里唯菜という美女。
純真たる恋愛の『れ』文字も知らない男子高校生にとってこの不可抗力から生じる間接キス体験はかなり刺激が強い。その上、何だか心地良かった。
「あ、鼻にクリーム付いているよ」
「……付いているよ。じゃなくて付けたが正解でしょ」
口の中に押し込んだクレープの押込み具合がやや強い気もした。
それにその指摘もなんだかわざとらしい。
「仕方ないな。取ってあげる」
その台詞もわざとらし……くてもいい。
鼻筋に付いた生クリームを指でなぞるようにして拭き取るとそのまま自身の口の中まで運び「甘いね」と笑って見せる。
百点満点中の百二十点だ。
唯菜がやって見せた一連の流れ。
それはまさに理想のイチャイチャカップルの彼女像そのものであった。
しかし、これは唯菜からしてみれば女の子同士の戯れにしか過ぎず。
全て私利私欲の為に作り出した自作自演だということ。
現にやった本人の方が遥かに顔を緩めていた。
「えへへ、間接キスしちゃった」
やけに今日はテンションが高い。
香織のライブが控えているからだろうか。
SCARLETライブ前の唯菜はいつもより少し気分上々になるのは知っているが、今日は異常なくらいテンションが高い。若干ドン引きする程に。
まぁ、いいか。
本人が楽しんでいるのであればそれに越したことはない。
唯菜との仲を深めることは明里やポーチカにとってもプラスに転じることではあるからな。
何だか変態化している様な気もしなくはないが……一先ず、目を瞑っておくことにしよう。うん。
「これ食べたら次、どこに行く?」
「そうだね~どこかヒカリちゃんのオススメとかある?」
と、言われましても当方、あまり文化祭には詳しくない故、オススメを聞かれても『これいいよ!』とは断言出来ない。
ただ言えるとしたら文化祭の定番とも言える……
「お化け屋敷とかかな。夏南とかが昨日、超怖かったって言ってたし」
たかが学生のお化け屋敷。
作り込み自体も遊園地で体験するお化け屋敷程凝ってはいなさそうだし、お嬢様達がお化けとして出てくるなら可愛いもんだ。
メイド喫茶に並ぶ陽一からの連絡でもまだ入るのに時間がかかるとのこと。
特に行きたい場所がないのであればお化け屋敷も悪くない。
「じゃあ、次はそこに行こうか。私も昨日までお化け屋敷やってたからどっちが怖いか比べてみようかな」
「唯菜の所はお化け屋敷やってたんだ」
「クラスの出し物でね。凄く大盛況で昨日は色んなお客さんを脅かしたな~」
「へー」
「今、あんまり怖くなさそうって思ったでしょ」
「なんかイメージ出来なくて」
正直者で人を騙すような狡猾さがなさそうな唯菜がお化け役というのは不釣り合いというか、人を脅かすことに不慣れな可愛いお化けが登場するイメージしかない。
むしろ、目の前に現れたら反って癒されそうだ。
「とにかく、これ食べたら次は……」
「あ~か~り~」
どこか恨めしい雰囲気を帯びた声が背後から届き、背中をびくりとと震わせバッと振り返る。
するとそこには何か物言いたげな顔をした渚が背後から迫っていた。
「あれ、渚……どうしてここに?」
「どうしてじゃないのよ。部活の仕事が終わったから合流しようと思って連絡してたのに……全然返事ないから探したんだけど」
「え……あ、ホントだ。気付かなかった。ゴメン」
メッセージはおろか二回の通話にすら気付かなかった。
その謝罪を述べ「これで許して」と冗談交じりでクレープを差し出すと「もう……」と言いながら渚は一口貰った。
「なに、文句ある?」
「いや、ないけど……なんでそんな不機嫌そうなの?」
やけにとげとげしい話し方。
怒っているというより不機嫌に近い。
それに少し不貞腐れ気味にも映る。
「なんでだと思う?」
「えっと……連絡に気付かなかったから?」
「違う。思い出して昨日のこと」
昨日、渚と話した内容を記憶で振り返り……何か約束をしていたことを思い出す。
そう言えば、今日の文化祭で部活の仕事が終わったら一緒に回ろうみたいな約束をしていたっけ。
「ごめん。まだ時間がかかるかと思って」
「まぁ、いいよ。それより……」
渚の視線は隣へと注がれる。
「なんで、ポーチカのリーダーさんがここに?」
「今日はお客さんとしてライブを観に来たんです。あと香織ちゃんに会いに」
メインの目的はどちらかというと後者な気がするが……今は黙っておこう。
「それなら列に並んできた方がいいですよ。あの喫茶は物凄い行列出来てますから、早く行かないと午後のライブでSCARLETの二人のアニマルメイド姿が見れなくなってしまいますよ」
「ご心配なく、お兄さんが代表で並んでくれていますから」
「他人任せでいいの?」
「ヒカリちゃんと遊んでいるのはお兄さんのご厚意なので」
「本当なの?」
「せっかくだから二人で回ってきなよ、とは言われてる……」
この二人、なんだか物凄く仲が悪そうだ。
唯菜も渚も普段は温厚で他人に対して敵意なんて剝き出しにしない。
しかし、両者が顔を見合った途端、場はピりつき、言葉を交わすと凍り始めた。
「とにかく、約束は約束なので明里は返してもらいます」
「別にヒカリちゃんは誰のものでもないよね?」
「所有権を主張するとかじゃないから。勘違いしないでもらえます?唯菜さん」
「渚さんだって私がヒカリちゃんを奪ったみたいな言い方してるじゃん!私はちゃんとヒカリちゃんをデートに誘った上でこうして付き合ってもらっているんで、勘違いしないで欲しいな」
あんたら下の名前で呼び合っているってことは実は仲がいいんじゃ……
明里兼ヒカリの所有権を巡って互いの主張が交わされる。
両者一歩も退かない口論に似た騒ぎが勃発し、ベンチの前を行き交う人達の異様な目に晒される。
どうにかして止めるべきなのだろうが……事の発端は俺が約束を破ったことに始まる。
それを謝罪した上でしかと二人と過ごす時間を取り付けるか、あるいは明里を介した三人で文化祭を回ろうと新たに提案を下すべきか、という二択が脳内の議会で議論される。
「なんだか、面白い展開になってるね~。これ、どういう状況?」
「端的に言えば、明里もといヒカリとの文化祭を過ごすことを巡って修羅場になっている……って、居たのか小春」
「うん。いたよ~」
俺の空いた横にいつの間にか小春が座っていた。
その妙にモグモグと動かす口とやけに軽くなった片手を交互に見る。
「おまっ……勝手に残りの食べたな」
「えへへ、ゴメンゴメン。お腹空いてて」
片手に持っていた残りのクレープを包み紙から器用に抜き取り、あろうことか全て食べてしまうという大罪を犯し、笑って誤魔化そうとする。
「それより、二人を引き合わせちゃったか……」
「え、何か不味いの?」
何も知らない俺のために小春は小声で二人の関係を教える。
「なぜだか、分からないけど二人って犬猿の仲っぽいんだよね。前に明里のコミュニケーション足らずで二人の予定とダブルブッキングして……その時に三人で結局、出掛けたんだけどその際に二人が明里を巡って衝突しちゃって以降、顔を合わせるとこんな感じ」
どんな感じか。
実演しているとこを見ると……
「私の方が明里と仲良いから。見てこれ、演劇の時の写真。こんな姿を唯菜さんは知らないでしょ」
「なら、こっちはヒカリちゃんと一緒にお泊まりした時の写真だよ~。渚さんはまだヒカリの家に行ったことないんでしょー」
「それなら、こっちだって去年の林間学校の時があるし!付き合いは一年以上、私の方が長いんでマウントは全然取れるから」
「でもでも、私だって渚さんが知らないヒカリちゃんを沢山知ってるから。一緒にアイドルをやっているくらいだし!」
互いのスマホに映る自分と明里・ヒカリ……あるいは単体の画像やお互いが知らないエピソードを語り合ってどっちがより明里を知っているかのマウントを競い合っている。
「これ、喧嘩なのか?」
「さぁ……でも、面白いよね」
まぁ、普段なら絶対に見れない二人が新鮮に映って面白いという気持ちは分かる。
しかし、如何せん納得し難いのは二人の明里に対する好意が爆発し合った結果で生まれた修羅場という事実である。
くっ……明里が同性からこんなにも慕われてて羨まし過ぎる!!
まるで百合ハーレムの世界線で生きているような明里に思わず心の底から嫉妬した。
「凄いよね。明里って、一度好きになるともっと好きになりたくなるというか……推しって感覚が心の中で強く根付くんだよね。不思議と」
「推しなのか?」
「推しでもあり友達。二人には負けたくないくらい友達でいたいよ」
ここに居る三人が明里を好きでいる。
その本人達が求める明里として振る舞うのははっきり言って荷が重い。
この三人とどう接して過ごしてきたのか分からない以上、俺はもうここに居られない。
これは、大人しく元の状態に戻る方が身の為だな。
その瞬間……突如視界がぐわんと歪む。
この感覚は……確かあの時と同じ……
平衡感覚が崩れ激しい立ち眩みに似た状態に陥る。
意識が何かに吸い込まれる様なフワッとした気分に駆られ、意識が保てなくなる……だが、俺はやり残したことを思い出し、踏み止まるよう意識を強く保つ。
くっ……まだだ。あと少し待ってくれ……
その意志を誰に伝える訳でもなく、ただ頭の中に思い浮かべる。
すると、意志が伝わったのか何かに引っ張られて朦朧としかけていた意識がはっと戻る。
「ちょ、大丈夫?急にぼぅっとして?」
「いや、何でもない」
「そう?ならいいけど……なんて納得すると思う?今、一瞬だけ魂が抜けたみたいな顔してたけど、もしかして……」
「それより、取り敢えず四人で文化祭回らない?ほら、三人だと喧嘩になるから小春も含めた四人なら収まるかもしれないし」
苦し紛れの誤魔化しを挟んでみるも小春は疑い深い眼差しを止めない。
こっちも苦笑いで応戦し続け、小春が折れるのを待つ。
「分かった。聞かないであげる……その代わりにさっきクレープ食べちゃったことなしにして!」
それで済むなら安いもんだ。
しかし、食べ物の恨みは重いと言う。
あともう一つ、頼み事を聞いてくれないと割に合わない。
「じゃあ、二人の仲裁で手を打ってやる」
「え~いいよ」
文句を言うかと思いきやあっさり小春は応じた。
即座に二人の間に立って議論に介入。
両者の主張を一旦は抑えさせ、四人で回るという提案を伝える。
二人はどうしても二人きりがいいと駄々をこねず、四人でならとあっさり受け入れた。
そして、唯菜のお化け屋敷に行きたいという主張が満場一致で通った。