百〇七幕 IF/文化祭⑥
「っていうのが、私と明里にあった過去」
「……最後に聞かせてくれ。なんで、何も言わずに去ったんだ?」
「単純な話。野乃にあれだけ言ったから何か報復でもされるんじゃないかって……怖くて逃げた」
分からなくもない。
中学時代における望月野乃という人間がどういった人物なのか、知っている身としては小春の感じる恐怖から逃れたくなるのも理解出来る。
「現に野乃は私の机に色々とやってたっぽい。夏休みに入って、一人で教科書を取りに来た時……私の教科書はボロボロだった」
「望月とはそれ以来……」
「会ってない。家が隣同士だったけど、私が極力会わないよう避けてた」
気まずいのは容易に想像出来る。
仲違いした者と家が隣同士ってだけでも外に出る気力が削がれるものだ。
「ま、色々とあの期間はあったけど……悪い思い出じゃなかったかな」
「いや、むしろ良い思い出だろ。さっさと明里と仲を取り戻せよ」
「その明里が今は君である以上、どうやって仲直りしろと?」
それはごもっとも。
二人の為に早くこの身体の意識を明里に返したい所存だ。
「てか、明里は別に怒っていないんじゃないか?」
「……なんで、そう言えるの?」
「明里は少なからず小春に救われた。結果的にバドミントンは辞めているっぽいが……別に喧嘩別れした訳じゃない。多分、久し振りに会ってなんて話せばいいか、未だに分からないだけだろ」
その期間がもう半年以上経っているというのは流石に拗らせ過ぎだと思うが。
「どうしてそう言い切れるの?」
「三津谷明里は女になった俺。考えることも感じることも似ている部分は多い」
「つまり、自分だったらそうだと?」
「奥手なんだよ。俺も……明里も」
三年という年月は長い。
その人との関わりが三年も無ければ一時の関係なぞリセットして終わり。
どこかでまた再会したとしても、なんて言って会話をすればいいか分からない。
特に男女間であれば尚更……。
明里に関して言えば、小春がその過去に触れたくないと勝手に思い込んでは触れないようにして、ポーチカにおける三ツ谷ヒカリと楢崎春という新たな関係を築こうとでも考えていそうな気がする。
「なんだか、三津谷明里って人間を客観的に見ると思い込みが激しいっていうのがよく分かる」
「それ、置き換えると自分にも当てはまるんじゃ?」
「否定はしない。ま、なにはともあれさっさと仲直りしとけよ」
そう無理矢理に話を切り上げ、椅子から立ち上がろうとするとスカートの裾を引っ張られる。
「待ってよ。君の話をしてくれるんじゃないの?」
「言ったけ?」
「言った。交換条件でしょ、ほら話して」
「じゃあ、簡単に言えばだな……俺は幸村小春が好きだった」
「……」
「……」
「それだけ?」
「それだけ」
「ふざけてんの?」
「分かった。話すから、マジでスカートを引っ張るのはヤメテ」
力強く引っ張られるせいでスカートがズリ落ちそうになる。
「早く座って」と催促する小春の横に再び座り直す。
「まぁ、今の話に比べたら全然良い思い出でもない。むしろ、俺の知ってる幸村小春は思い出したくはないと思ってる」
「大方、予想はついているよ」
屋上で話したことを思い返せば予想は出来るだろう。
「こっちで明里がイジメを受けていたように……向こうでは幸村がイジメを受けていた」
やり口は基本的に同じ。
イジメを受けた理由も、犯人も……同一。
「少なからず幸村は心にかなりの傷を負っている。明るさを取り戻せなくなるくらいに……な」
「そっか。やっぱり聞くのやめとく」
「その方がいい」
出来れば俺も話したくない。
幸村小春が転校した理由……その大きな原因はそのイジメに要因される。
そこを語り聞かせるのはあまり気が向かない。
「でも、そっちの私にとって君はこっちの明里と同じで唯一頼れる友達……だったんでしょ」
時折、向こうの都合で顔を合わせては適当に話しているだけの間柄を果たして友人関係と呼ぶべきなのかはいかがなものかと思う。けれども……
「友達だったと俺は思ってる」
明里の顔と声でそう答えても全くの説得力がない気がした。
「じゃあ、元の状態に戻ったら一度、会ってみれば?」
「幸村と?」
「向こうの私も私と同じ卑屈な臆病者で……友人だと思った相手を大切にしたいって思う人だから、ちゃんと会って話してみなよ」
話せば分かる……か。
「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ」
「するよ勿論!……むしろ、なんで今まで迷ってたのか不思議なくらい」
過去を本人だけど本人じゃない者に話して考えを整理出来た。
迷いや不安が消え、今すぐにでも明里とそのことを話したいといった顔で小春は前を向いている。
「とにかく、私の悩みはこれにて解決。あとは勇気を振り絞って明里と向き合うだけなんだけど、さっきから言っているようにどうやったら戻れるか、なんだよね」
「そうだな」
「ちなみにだけど、どうして君はこっちに来ちゃったの?」
「さぁな。気が付いたらこっちにいたんだ」
「その前は?」
「確か、SCARLETのライブにゲスト出演したんだ。その後、アンコールを観ようと客席に移動している最中に立ち眩みが起きて……意識を失ったんじゃないか」
「ふむふむ。分からん」
「だろうな」
一体何が原因でこっちに意識が飛ばされたのか皆目検討も付かない次第。
果たしていつになったら戻れるのだろうかという疑念が日に日に高まる一方で、もういっそこのままこっちで明里として過ごすのもアリなのではないかという気持ちも現れつつある。
まぁ、流石にそれはこっちの明里にとって迷惑だろうからナシだとは思っている。
「そもそもジルさんから受け取ったTSリングっていうのが三ツ谷ヒカリとしてアイドルをする発端なんだっけ」
肯定。
「なら、ジルさんに聞いてみるのが早いんじゃない?」
まだTSリングの存在についてちゃんとした確認はしていない。
以前、直接聞くのを躊躇って間接的に聞いてみたが、未だ確証的な答えは得られていない。
それによくよく考えたら明里はTSリングを付ける必要がないだけで、もしかしたらジル社長が持っている可能性もある。
今一度、そのことについて詳しく、正体と現状を明かしてでも尋ねる必要があるかもしれない。
「多分、ジルは知らないと思うよ」
突然、木の陰から姿を現した人物がそう否定する。
ゆっくりと近付くその人に俺達は刮目した。
「あれ、彩香さん?」
真っ先に正体を見抜くと名前を呼ばれた彼女はニコッと微笑む。
「ごめんね。二人の関係が気になってつい盗み聞きしてた」
「彩香さんは知ってるでしょうに」
「そっちはね。私が知らなかったのは……」
視線が俺に向けられる。
「あなたが明里じゃないってことくらいかな」
「それより、どうしてジル社長がTSリングを知らないことを知っているんですか?」
「それは私があなたと同じ立場にあるからかな」
「俺と同じ立場……?」
「そう。私もTSリングとは異なる腕輪を介してこっちの松前彩香と入れ替わってしまった……言わば、あなたと同郷者だからだよ。三津谷陽一君」