百〇五幕 IF/明里と小春④
翌日の土曜日練習。
小春は普段通り、部活動の練習に参加した。
「おはよ、小春」
「おはよ、愛唯……舞彩も」
部活中、いつも二人で居る愛唯と舞彩と挨拶を交わす。
その横に居ないもう一人の空いた空間に目を向けた小春は少し寂しさを感じた。
「明里、今日は来ないのかな?」
「分からない。昨日、テスト終わりにあんまり話せなかったし」
同じクラスの愛唯と舞彩ですら今日、明里が練習に参加するかどうか分からなかった。
「やっぱり辞める気なのかな?」
「その感じが強いよね。テスト期間中もそれで結構悩んでいるっぽかったし」
「辞めないで……と言い辛いよね。私達はいいけど……野乃ちゃん達は明里のこと凄い嫌っているみたいだし」
「うん。明里の味方になってあげたいけど、勢力はあっちの方が断然に上だし」
「私達みたいな部活内でも日陰者じゃ大した発言力もないからね……いつも通り、ひっそりとやるしかないよ」
舞彩の考えに愛唯も同様な意見を示す。
やはり小春が予想した通り、二人は中立的な立場でいるようだった。
「二人はそれでいいの?」
「良くはないと思うけど……怖いもん」
「私も愛唯と同じで、バチバチに喧嘩するとかは無理かな」
そうこう話しているうちに部長である三輪から練習開始の号令がかかる。
土曜日の午前中だけはバドミントン部だけが使えるいつもは広々とした体育館の中央に集まり、後からやってきた男性顧問へと部員達の目が向けられる。
その中で小春はその斜め後ろに練習着で立っている見慣れた顔の人物に目が止まった。
明里……来てたんだ。
テスト開けの昨日、明里は体調不良を理由に休んでいた。
しかし、その実態は今日の練習までに『部活を辞める』考えを改めないか顧問に言われていた。
練習開始前にその答えが変わっていない意志を告げたが、聞き入れてもらえないまま体育館へと連れて来られたというのが今に至るまでの経緯であった。
何はともあれ、小春にとって今日の練習に明里が参加してくれたことは幸いだったと言えよう。
明里がここに来てくれなければ、何も始まらないのだから。
「あー今日はだな、来週の大会に向けた校内戦を実施しようと思う」
夏に行われる中総体本戦に向けた地区予選。
そのシングルスとダブルスによる個人戦が次週に行われる。
メンバー登録は試験終わりの土曜日と定められているため、本日中に決めなければならない。
そこで顧問は午前中という期間をフルに使って選抜戦なる校内戦でメンバーを決めることにした。
しかし、バドミントン部の部員は一年生から三年生を含めて50人以上と多く、その中でも試合に出られるのはシングルスの5組とダブルスの5組を合わせた15名しか試合に出れない。
そのため、入部して三ヶ月と経たず、実力が覚束ない一年生は勿論のこと、試合経験が少ない二年生はこの校内戦の参加は難しいことを前提として顧問は告げる。
「なので、今から発表するメンバーが今日の校内戦に参加してくれ。先ず……シングルスからだが……」
そう言って顧問は上級生の実力者達から順に名前を読み上げていく。
シングルスは三年生が主体で選ばれ、ダブルスは三年生と二年生が混在したグループ分けとなった。そして、最後……
「一年生から三津谷と幸村……お前達で組んで校内戦に出てくれ。以上だ」
唯一の一年生枠で明里と小春の二名が最後に名前を読み上げられた。
二年生でも10名以上、呼ばれていない選手はいる。
その彼女達を差し置いて一年生の最たる実力を持つ二人がダブルスの校内戦へと参加する。
二人の実力は二年生にも負けず劣らず。
明里だけの能力を見ても三年生には匹敵する巧さがある。
下手を打って二人に負ければ三年生は最後の大会に出る機会を逃がし、二年生は今後のレギュラーの座を危ぶまれる。その意味を理解した上で顧問は敢えて二人を校内戦へと入れた。
「それじゃあ、二十分後に試合を始める。実際の試合を想定して各自ウォーミングアップを行うこと……名前を呼ばれなかった者達は審判やその他の役割を分担して行うように」
解散!と告げた顧問の合図に従って各々は動く。
空いたコートでストレッチ等を行って乱打を始める者もいれば、ダブルスで作戦会議をする者……といった具合で各自試合に備えた準備に取り掛かる最中、明里は少し俯いたままラケットを強く握り締めて体育館の端に立ち尽くしていた。
そんな明里に小春はどう声を掛けるべきか迷う。
いつものノリで果たして声を掛けていいのだろうか。
昨日の件を思い出し、今の明里の心情を察するとかなり不安定であるのは間違いない。
複雑な心境が胸の中で再び渦巻いて苦しい……そんな顔をしている。
本当なら優しく声を掛けるべきなのだろう。
同情して気持ちに寄り添う方が友達としてはいいのかもしれない。
でも、そんな風にして弱々しく自分を見せる明里に小春はどうしても許し難く……黙って見ていることは出来なかった。
「明里」
「……」
声に反応すると顔を挙げて小春を見詰める。
やる気がない。これでは試合に出てもまともに動いてくれるかどうか危うい……とは思わない。
仮に明里が出ているのがシングルスであればわざと負けるよう振る舞ったかもしれない。
でも、今から出るのはダブルス。
明里が自己中心的な行いをすれば小春に嫌な思いをさせるだけ。
それだけは決してさせてはいけない。
そんな意志を目に宿した明里は弱い自分を今更ながらも隠そうと取り繕う。
「ごめん、切り替えるね」
「……いいの?」
「何が?」
「本当は試合、したくないんでしょ」
「……うん。でも、小春と組む以上迷惑は掛けられないからやるからにはちゃんと……」
「私、転校するんだ」
「……え?」
自分でも言うつもりではなかった。
転校の事は暫く言わないでいるつもりだった。
しかし、小春は不思議とこのタイミングで明里に伝えた。
「夏休み明けには違う学校に行く。そしたら、明里達とは離れ離れになって……もう会うこともなくなるかもしれない」
「な、何で今なの?」
「そう言えば、明里は本気でやってくれるかなって」
「……!」
「辞めるならもう勝手にどうぞ。だけど、辞めるなら私がいなくなった後に辞めて」
小春の言葉に明里は今日初めてしっかりとその両目を捉えた。
「この夏、最後の大会に私は出たい。一年生だろうが実力がなくても別にいい。私は明里と一緒に試合に出て勝ちたい。私一人じゃ無理だけど、明里とならどうにかなると思う」
今日の対戦相手には三年生の先輩や二年生の中でも一番、二番の実力を持つペアもいる。上級生達に明里と小春の勝ち目は薄い。
けれども、小春にとってそれはどうだっていい。
今したいことは明里と組んで試合に出ること。
明里にバドミントンをさせること。
嫌々でも構わないから……バドミントンを楽しくプレーして欲しかった。
「私は明里がなよなよしてバドミントンしている所なんて見たくない!それに、一緒にやるなら楽しくやりたい……違う?」
「違わない……」
「なら、やろうよ」
一歩を踏み出して小春は明里の手を取る。
自らで進めず、後退ってばかりな明里の足を前に出させる。
コートに二人で立ち、前に立った小春は大きく息を吸ってから振り返る。
「どうせ辞めるなら遠慮なんてしなくていいんだよ。だから思いっきり先輩達を倒しちゃおうよ」
明るく笑顔な表情から放たれる堂々とした強気発言に明里はクスっと笑みを漏らす。
言ったことに対して笑ったのではなく、小春の持つ陽気な一面に触れて自然と明るい気持ちが戻った。
「笑わないでよ」
「ごめん……でも、ありがとう小春」
明里の放つ最大の笑顔に小春もまた大きく心を揺さぶられた。
まるでアイドルさながらの可愛い純粋な明里の一面にドキッとしてしまう。
「もう、ズルいな。相変わらず」
照れ臭くなった顔を明里には見せず、前へと向いた小春は気持ちを改めた相棒と共にネットを挟んだ向こうに立つ強大な相手へと気を集中させた。