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九十五幕 来客

 晩御飯を仕度している最中、訪問を告げるチャイム音が家内に響く。

 まな板でキャベツの千切りしていた包丁を一旦置き、身に付けていた水玉模様のエプロン姿のまま、急いで玄関のドアを開けて顔を出す。


「はい。どちら様ですか……」


 夕方の陽が照りつける玄関前に立っていたのは向こうでもこちらでも普段から顔を合わせているポーチカの楢崎春。

 

 格好を見るからに春は学校帰りであるようだった。

 蘭陵女子の制服に身を包んだ春……もとい同じクラスメイトでもある小春をよく知る明里にとって彼女の格好は普段通りにも映る。


 明里が知っている小春とこちらの小春は性格面がかなり異なる。

 向こうもこちらも今ではよそよそしいことに変わりはない。

 お互いに壁を作ってしまい上手く距離を深められないことも同じではある……のだが、こちらの小春と関わりがほぼない分、明里にはなんだか少し違って見えた。


「突然、押しかけてごめんね。ヒカリちゃん」

「大丈夫。それより、どうして家に?」

「あ……うん。私、少し用事があって」


 用事?

 話しぶりからしてヒカリに用がある訳ではないのだろう。

 用事があるのはこちらに住む家主の二人。

 そのうちの女子同士、交流がありそうな香織に用があるのだと明里は推測した。


「ごめんね。香織、まだ帰ってきてないんだ」


 文化祭の準備があるということで今日は帰りが遅いという連絡がスマホの方に先程送られてきた。

 学校では話せないからわざわざ家に会いに来た……なんて勝手な思い込みで明里は話を進めるも、


「ううん。違うの。私の用事っていうのは香織ちゃんじゃなくて……陽一君にあるの」


 何か覚悟を決めた様子で改めて在宅中かを尋ねられるも明里は首を横に振るしかなかった。

 なにせ、小春が会いたがっている人物は目の前に居るに等しい。

 

 

 しかし、今日の所は絶対に会えない。

 従姉妹であるヒカリが三津谷家に滞在している理由も含めて、筋の通って尚且つバレないと思う言い訳を即興で考えては自然体を装って口にする。


「えっと、陽一君は叔父さん達と一緒に青森の方に帰ってて、暫くは帰ってこないんだ」

「そう……なんだ」

「うん。わざわざ来てもらってごめんね」

「こっちこそ、急にごめんね」


 ……気まずい。

 こっちでの小春は明里が知っている明るく元気な幸村小春とは違い、妙に大人しくて重く暗い性格を帯びているからか目の前の人物が別人の如く映った。

 

 それに明里は小春との間で少なからず因縁があり、向こうでもこちらでも同じな様子。

 三津谷陽一を訪ねて家に来た。

 小春の行動目的が彼にあるのだとすれば……そういうことなのだと自ずと分かる。

 

 しかし、二人の間に過去、一体何があったのか。

 男女間での二人の因縁に少し興味を抱いた明里は知りたくなる気持ちが一層膨れ上がった。

 本人不在の中で聞くのは野暮だと分かっていながらも、抑えられない好奇心から話を聞くことにする。

 

「まぁ、立ち話はなんだし……折角だから上がっていかない?」

「いいの?ヒカリちゃん、夕ご飯の仕度中なんじゃ?」


 リビングから漂うスープの臭いから小春は察する。


「香織、今日は遅いみたいだから。まだ全然平気。それに私、あんまり楢崎さんのことをよく知らないからこれを機に色々と話しておきたいなって」

「……分かった。じゃあ、少しだけお邪魔します」

 

 玄関へと足を伸ばした小春は明里(ヒカリ)に招かれて家の中へ入る。

 リビングへと案内し、ソファーへと小春を座らせた明里は冷蔵庫から冷えたお茶を用意する。

 自身も小春の横へと腰掛け、暫く無言の状態が続く。


(どうしよう。どうやって話を切り出せばいいか……思い浮かばない)


「あの……ヒカリちゃんは陽一君と仲が良いの?」


 そう思っていた矢先、小春はふとそう尋ねるも……会ったことがないこっちの世界に存在する男の自分というイメージが全く湧かないため、明里が知る陽一を想像して口に出す。


「うーん。どうだろう……従兄妹だけど、陽一君とはあんまり好印象はないかな。優しくてカッコよくて従姉妹想いなのは分かるんだけど、あのグイグイくる姿勢がどうにも少し苦手かな」

「そうなの?……意外。彼、香織ちゃんのことは嫌っているみたいだけど、ヒカリちゃんのことは好きなんだね」


(あ……つい……)


 明里にとってはリアル従兄妹に当たる陽一のことをありのまま話してしまい、内心で完全に変な印象を付け加えてしまったと後悔するも遅し。ヒカリの言葉を鵜吞みにした小春は陽一がヒカリを好きだと勘違いしている。


「そ、それで楢崎さんは陽一君とは知り合い……なの?」


 誤解を解くよりも話を逸らすことにした明里は無理矢理本題へと移ろうとする。


「うん。小学校も一緒だったけど話すようになったのは中学一年生の時が初めて。クラスは違ったけど、屋上で偶然にも出会ったのがきっかけで、そのあとは度々顔を会わせて色々と話す間柄……だったかな」


 屋上で偶然……彼が何故、施錠されている筈の屋上に居たのかは明里にはわからない。

 ただ一つ、分かるとすれば目の前にいる小春は少なくとも明里の知る幸村小春ではない。

 男女間で性別が違えば辿る運命や関わりも異なってくる。


 だが、陽一も明里も……幸村小春という人間との間には後ろめたい因縁が働いている。

 良くも悪くもそれは同じ様に未解決のままズルズルと時の流れに任せている。

 

(やっぱり私達は……相容れない間柄なのかな)


 小春と二人きりでこうして向き合うのは実に数年振り。

 最後にしっかりと話したのは中学の夏休み前の……いや、止めておこう。

 そんな自分の記憶はさておき、ゆっくりと落ち着いた口調で過去を回想しながら話を進める小春の言葉に耳を傾ける。

「はぁ……疲れた」


 放課後まで続いた練習を終えて帰宅する。

 先に帰っていた香織が夕ご飯の仕度をしてくれていたのか、玄関からリビングの方へと料理の臭いが続いている。

 空腹感をより一層刺激する臭いを辿るようにしてリビングへのドアを開ける。


「香織、ただいま……って、何をしているの?」


 ドアを開けた先には制服の上から身に着けたエプロンでおたまを手にした香織が鋭く睨み付けたまま土下座している従兄妹の陽一の頭を片足で踏みつけていた。


「あ、お姉ちゃん。おかえり~」

「や、やぁ……おかえり明里ちゃん、ふぐっ!」


 上から押される力に抵抗しながら顔をこちらに向けて挨拶するも後頭部に乗っていた足が頬に突かれる。異様にしか映らない光景を帰って来て早々目の当たりにした俺は一先ず、足を離すように伝える。

 姉の言うことには素直に従った香織は離れて台所へと身体の向きを変える。


「いや~助かったよ。明里ちゃん」

「いえ……」


 仮にも他人とは言えども、こっちの世界の自分が妹に顔を踏んずけられている様は見過ごせなかった。


「それで、どうしてあんなことに?」

「それは、今度の学園祭に俺を招待して欲しいって頼んだからさ」

「土下座で?」

「土下座で」


 こっちの陽一は何でこんなにも必死なんだか……。

 にしても、踏まれてた理由は一体何だ?

 香織のやつ、凄い怒っているようだが。


「駄目だよ。お姉ちゃん、そいつを招待しちゃ」

「何で?」

「この男にお姉ちゃんの演劇を見せたくないから」

「え、別にそれくらいは……」

「駄目ものは駄目。恐らく動画に残して、後で有料会員のファンクラブの方に流して再生回数でお金を稼ぐに違いない。絶対に」

「俺はそんな狡いやり口でお金を稼ぐつもりはないって。むしろ、無償で布教するさ」

「は?お姉ちゃんのプレミア級の演劇をタダで公開するの?」


 妹よ。言っていることがさっきと矛盾しているぞ。

 

「どっちにしろしないって。単にジルさんから言われているだけなんだ。明里ちゃんと小春ちゃんの劇を動画に残して来て欲しいって」

「あ~それは出来れば嫌かな。恥ずかしいからあんまり見せたくないし」


 ほぼ俺の本音ではあるが明里の代弁者として香織の立場に付いて追い打ちをかける。


「そんな~頼むよ。分かった、動画にはしないから。この通り招待だけでも!」


 いや、物凄い必死だな俺。

 こんなにも惨めなまでに懇願している自分(仮)を観ていると胸が苦しくなる。


「まぁ……動画に残さないって約束してくれるなら招待してあげても……いいかな」

「え!?」

「ホントに!?」

「ダメダメ。絶対にダメだよお姉ちゃん!」

「でも……こんなに来たがっているんだし。別に劇を観に来るくらいなら構わないけど」

「ほら、明里ちゃんも良いって言っているんだし……それに学園祭にも来れない叔父さん達に言われているんだ。娘達の晴れ舞台をどうか記録に残してきて欲しいって」

「うっ、卑怯よ。パパ達を盾に使うなんて」


 流石に両親からの頼み事だと言われれば、香織も考えを変えざるを得ないようだ。

 そして、その好機を見出した陽一はここぞとばかりに情で訴えにかかる。


「叔父さん達は凄い楽しみにしているんだ。明里ちゃんの劇も、香織の文化祭ライブも観に行きたがっていたけど……仕事があっていけない。だから、代役を俺に頼んだんだ。『娘達をよろしく頼むよ』って」


 お~流石は俺だ。

 香織の心を最大且つ最強の武器を切り札として折に掛かっている。

 情に載せた陽一の必死な演技から父さんが彼の肩に触れ、希望を託している様な美化された光景が香織の目に浮かんでいるだろう。


 だが、実の所は恐らく『僕たちは仕事があって二人の学園祭には顔を出せないから、代わりに行ってもいいよー』と軽いノリで言われているに違いない。

 記録を残して欲しいっていうのは母さんの台詞で『二人の可愛い所を出来れば撮って来てもらえるかな?』という感じで頼まれたのだろう。


 こう言っちゃなんだが……嘘くさいのが容易に目に見えた。

 

「……はぁ、分かった。写真許可証を含めて招待者に申請しとく」

「ありがとう香織ちゃ……」

「但し、撮った写真のデータは全て私に頂戴」

「勿論!」

「あと、私のクラスにだけは絶対に来ないで」

「そう言えば、香織ちゃんのクラスは何をやるつもりなんだ?」

「確か……メイド喫茶だっけ」

「違う。アニマルメイド喫茶……春乃の案で」

「流石は春乃ちゃんだ。ファンが観たいものをよく理解している」 


 それもあるだろうが、八割方自分の欲望を占めているだろう。

 普通のメイド喫茶ではなく『アニマル』を付けている辺り……嫌な予感しかしない。

 香織も同様な懸念を抱いているに違いない。


「だから、当日は記念講堂から一歩も出ないこと。それを呑むならいいよ」

「くっ、香織ちゃんのアニマルメイドも捨てがたいが……背に腹は代えられない。香織ちゃんの言う通りに従うとするよ」

「決まりね。約束を破ったらただじゃ済まないから。ほら、お姉ちゃん夕ご飯にしよう」


 こっちの陽一に対しては厳しいくらい当たりの強い様子に関係ない俺も少し萎縮してしまう……が、陽一は明らかに諦めていない様子だった。


「まぁ、現地にはもう一人、協力者が居るし。後は彼女に任せるか」


 最後の方、香織の背中でブツブツと独り言を呟いていたが何を発したかは聞こえなかった。

 だが、何か企んでいるのは明白。

 『三津谷陽一』と書いて『三津谷陽一(あきらめがわるい)』と読むのはどちらでも同じらしい。

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[一言] 香織ちゃんのアニマルメイドッ!? 文字だけなのになんて破壊力
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