45.子狐亭の住人が増えました
本日2話目の更新になります。
「ここが、僕の新しいうちになるの?」
子狐亭を見上げ、ユアンが口を開いた。
神官長様に話を通し、ユアン本人にも希望を聞いた結果、私と一緒に暮らすことになったのだ。
「きゅっ!」
「わわっ!!」
小さく飛び跳ねたユアンの足元で、コンがしてやったりといった顔をしている。
視線を上にやり無防備になったユアンのすねを、尻尾でくすぐったようだ。
「ちょ、はは、やめてよくすぐったいよ!」
「こきゅんっ!」
コンとユアンがじゃれ合い、庭で追いかけっこを始める。
再会したばかりの頃は暗い顔をしていたユアンも、だいぶ活発になってきた。
元気なのはいいことだけれど、怪我をしないよう念のため注意しておこう。
「右奥の方はまだ地面がならされてないから行っちゃダメだよ! ご飯の時間までには、中に戻って来てね!」
「うんっ!」
「こんっ!」
ひとりと一匹の返事を聞き、私は子狐亭の扉を開いた。
「二か月ぶりかぁ……」
《思ったより長く、家を空けることになったな》
するりとドアから入ってきたフォルカ様が、お気に入りの窓の下にさっそく陣取っている 。
ユアンを引き取ることになり、いくつかの手続きをすることになって。
ようやく今日、二か月ぶりに、子狐亭に帰ってくることができたのだ。
「懐かしい……」
ここは私の家だ。
まだ一年も住んでいないけれど、それでも懐かしいと言える場所があることが、家があることが、私にはとても嬉しかった。
「たまってるホコリの掃除をして、子狐亭の営業再開のお知らせをして……」
これからの段取りを考えていると、
「リナリア!」
上空から私の名前を呼ぶ声がした。
窓を覗くと、黒い竜が舞い降りるところだ。
「え、ルークさん!?」
彼は今、王都で竜騎士の仕事についているはずでは!?
慌てて外へ向かうと、初めて間近で見る竜に、ユアンがきらきらと目を輝かせていた。
「すごい! おっきいねかっこいいね! お兄さん竜騎士なの!?」
「あぁ、そうだ」
「お兄さん強いの!? 僕一回、竜に乗ってみたくて――――」
「こら、ユアン、落ち着いて。まず私がお話を聞くから、ちょっと待っていてね」
ユアンをなだめコンの元へ送り出すと、私はルークさんを見上げた。
「ルークさん、長期休暇中なんですか?」
「いや、仕事だ。またメルクト村に派遣されることになったんだ」
「……何かあったんですか?」
「あぁ」
ルークさんが声を潜めた。
コンと走り回るユアンには聞かせられない、物騒な話のようだ。
「リナリアが浄化した王都近郊の『氾濫』は、人為的に生み出された可能性があるだろう?」
「そう聞いています。それにまだ、誘拐事件の黒幕も見つかってないんですよね?」
エル誘拐の一件、最も怪しいのはウィルデン王太子だが、彼につながる証拠は発見されていないらしい。
現行犯の背後で糸を引く人物を、辿ることはできていないようだ。
「……王都近郊の『氾濫』だけではなく、メルクト村を襲った『氾濫』にも、誰か人間の悪意が関わっているかもしれないからな。再調査の必要が出て、俺が派遣されたというわけだ」
「『氾濫』の黒幕……」
決して野放しにしてはいけない相手だ。
ルークさんとしてもヤークト師匠の死の真相を知るため、黒幕を探し出したいに違いない。
しばらく思いを巡らせていると、ルークさんの手が優しく頭を撫でた。
「俺にも色々と思うところはあるが、これからしばらくは、メルクト村で生活するつもりだ。子狐亭の料理にも、またお世話になろうと思う」
「来店、お待ちしていますね」
自然と笑みが浮かんでくる。
またここで、ルークさんにご飯を食べてもらうことができる。
胸の奥がじんわりと温かくなってきた。
《我は来店を歓迎していないぞ》
ふん、と。フォルカ様が鼻を鳴らしていた。
ルークさんには王都で、フォルカ様の正体を打ち明けている。
それ以来フォルカ様は、遠慮なくルークさんに塩対応を取っていた。
「もう、フォルカ様。そんなこと言わないでください。ルークさんは私の恩人で、大切なお客さんです」
《だから気に食わんのだ。ルークといいフィルシアーナといい、おまえを気に入る者は多いから油断ならん》
不機嫌そうにするフォルカ様。
その背中を、なだめるように撫でていると、
「……フォルカ様相手にも一切臆さないとは、リナリアはやはり大物だな」
ルークさんが真顔で言ってきた。
「そんなことありませんよ。私よりずっと、エルなんかの方が根性があって大物だと思います」
まだ幼い身ながら、王族としての覚悟を持ち王都で暮らすことを決めたエル。
少し寂しく思っていると、ルークさんが口を開いた。
「……そのミヒャエル殿下のことなんだが、またここにお忍びで来たいと言っている」
「え? 王都からここまでですか?」
エルに会えるのは嬉しいが、いささか王都からは距離がある。
そう簡単に、お忍びで訪れることはできないはずだ。
「近々、ミヒャエル殿下はまた離宮に戻られることになる。マリシゃが偽聖女だと判明したからな」
「あ、そっか……」
言われてみれば納得だった。
マリシャとの婚約にうま味が無くなった以上、エルが王都に留まる理由はない。
……そして更に言うと。
王族を始めとしたこの国の上層部は、私が聖女であると知っている。
祭り上げられることを拒んだ私は、聖女であることを秘密にしてもらう代わりに、モンスターの『氾濫』が起こった際には力を貸すと約束していた。
平時においては、基本的に王族であれ私への政治的な接触は控えてもらっているが、それでも向こうからしたら、私となんらかの強いつながりを持ちたいはずだ。
その点、エルは以前からの私の友人で年も近く、窓口となるのにぴったりの人間だった。
色々様々な人々の思惑が動いた結果、エルはこの村近くの離宮へ戻ることになったらしい。
……政治の駆け引きは、私にはわからないことも多いけれど。
それでもまたエルを、子狐亭で迎えられるのは嬉しかった。
美味しいって、また料理を楽しんでもらえたらいいな。
「リナリア、どうしたんだ?」
黙り込む私を心配してか、ルークさんが声をかけてきた。
「次にエルが来てくれた時、美味しい料理を出したいなって思ったんです」
「あぁ、きっとミヒャル殿下も喜んでくれるはずだ」
ルークさんがわずかに、でも確かに微笑んでくれた。
「リナリアの料理、俺も楽しみにしているからな」
「……はいっ!」
ルークさんのまっすぐな誉め言葉に、私ははにかむように笑みを浮かべて。
緩む頬っぺたを隠すようにぼふり、と。
近寄ってきたコンを抱きしめたのだった。
お読みいただきありがとうございます!
書籍版発売しましたので、そちらも楽しんでいただけたら嬉しいです!




