4.聖獣様とお話します
「聖獣……様?」
目の前にいる狐……に似たもふもふとした存在。
よくわからないが、とりあえず敬称をつけ聖獣様と呼んでみる。
《うむ。よい心がけだ小娘。我への敬意を表すその姿、幼いながら天晴であるぞ》
「ありがとうございます……?」
狐、もとい聖獣様に褒められてしまった。
なんていうか文字通り、狐につままれた気分だ。
呆然としていると、胸元がもぞもぞと動いた。
子狐だった。
「こんっ!」
私の腕から飛び出した子狐が、聖獣様へとかけよっていく。
嬉しそうに体をすり寄せ、足に頭をこすりつけていた。
「聖獣様は、その子のお父さんなんですか?」
《違う》
「ではもしかして、お母さん?」
《なぜそうなる》
聖獣様はどこか憮然とした声で答えた。
頭の中に直接響くような不思議な声。
低く滑らかで、性別があるなら男性なのかもしれない。
「失礼しました。聖獣様は、その子の仲間なんですか?」
《そのようなものだ。そやつがはぐれてしまった故、探しに来たところだ》
「そうだったんですね。合流できて良かったです」
これでひとまず、子狐、いや、小さい方の聖獣様、の心配はせずに済みそうだ。
聖獣様(小)は聖獣様(大)によく懐き、安心した様子だった。
微笑ましく思い見ていると、聖獣様(小)が再び、こちらの近くへやってくる。
「きゅこんっ!」
《ほう。そやつが人間に懐くとは珍しいな》
「たぶんさっき、傷を治してあげたからだと思います」
《……おまえが傷を?》
「はい。右前足を負傷してたので手当をしていたら、指がぽうっと光って、この子の傷が無くなったんです。たぶん、治癒魔術が発動したんだと思います」
初めて見る現象だったけど、治癒魔術というのは、この世界に存在していると聞いている。
そう考え説明したのだが、聖獣様(大)は瞳を細め黙り込んでいる。
「あの、聖獣様、どうかなさいましたか?」
《……なんでもない。褒美は何がいいかと、少し考えていただけだ》
「褒美?」
《おまえのおかげで、そやつは大事に至らなかったようだからな。望むものがあれば言ってみるがいい》
おおっ、太っ腹!
思いがけない申し出に私は舞い上がり、
「きつねうどんが食べたいです!」
気が付けばそう叫んでいた。
ひもじいお腹、目の前には狐に良く似た聖獣様。
連想ゲームの結果半ば反射的に、本能に従い叫んでしまっていた。
私の望みを駄目押しするように、一際大きくお腹がなってしまう。
《キツネウドン……? おまえよもや、狐を食べたいというのか?》
「あ、それは違います。狐の好物だって言われている、油揚げが上にのったうどんのことです」
《そのウドンとやらは一体なんなのだ?》
あ、そっか。
こっちの世界じゃ、うどんが存在してないのか。
無茶なお願いをしてしまったようだ。
《まぁよい。小娘、おまえが腹を空かせているのはよくわかった。何か人間でも食べられる木の実を持ってくるから、ここでしばらく待っているがよい》
助かった!
これでひとまず、飢え死ぬことは避けられそうだ。
背中を向け歩き出す聖獣様(大)に、私はお礼を告げた。
「ありがとうございます聖獣様!」
《この程度造作もないことだ。他に何か言いたいことでもあるのか?》
「あ、そうだ。でしたら良ければ、お名前を教えてもらうことはできますか?」
いつまでも聖獣様、じゃ少しややこしいものね。
《……フォルカだ。フォルカ様と呼ぶがいい》
「はい、フォルカ様! 帰りをお待ちしていますね!」
いってらっしゃい、と。
そう言い手を振った私のことを、フォルカ様が振り向き見つめていた。
「フォルカ様、どうかしたのですか?」
《……珍しい。おまえは私を恐れないのだな》
「……申し訳ありません」
初対面の、しかも聖獣であるフォルカ様に、馴れ馴れしくしすぎたかもしれない。
反省していると、小さく笑うような気配がした。
《咎めたわけでは無い。ただ、思ったところを告げたまでだ。おまえが我に、謝意と敬意を抱いていることは理解している。我は心が広いからな》
フォルカ様は告げると、尻尾を一振りして木立の隙間へと消えていった。
「……もしかして、尻尾をこちらに振ってくれたのって、私が手を振ったのに返してくれたのかな?」
どうやらフォルカ様は、優しい聖獣のようだった。
☆☆☆☆
《持ってきたぞ。好きに食べるがよい》
しばらく待っていると、フォルカ様の声が聞こえた。
フォルカ様は器用に、果実のついた枝を何本か加えている。
口は塞がっているが、どうやら声はテレパシーのようなものらしく、問題なく私に届いていた。
「美味しそう……!」
口の中に涎が出てきた。
色といい形といい、リンゴによく似た果実だ。
ただし二つで一組、サクランボのような形で枝についている。
大きさも少し、リンゴにしては小さい気がした。
《双子ベリーと呼ばれる果実だ。人間が口にしても問題ない》
「ありがとうございますっ‼」
さっそく恭しく、フォルカ様から双子ベリーを一組受け取る。
手にするとずっしりと、実が詰まっているのがわかった。
「いただきます!」
甘酸っぱい匂いを吸い込み、口へと運んで行って――――
《待て、小娘。少し待て。洗いもせず食べては、腹を壊すかもしれないぞ》
「……あっ」
双子ベリーにかじりつく寸前。
動きを止め、私は赤くなった。
空腹に負け、人間としての知恵とか慎みとか、色々とすっぽ抜けていたようだ。
「……川で洗ってきますね」
歩き出すと、フォルカ様達もついてきた。
見守ってくれるようだ。
水音を頼りに川にたどり着き、ざぶんと双子ベリーを沈める。
軽く表面をこすって、ホコリと砂を落としていった。
「こんなもんかな?」
水からあげた双子ベリーは、ツヤツヤととても美味しそうだ。
お腹を鳴らしかぶりつこうとすると、
《待て。もう一つやっておくことがある》
再びフォルカ様の制止が入った。
《人間は脆弱な生き物だ。ちょっとしたことで腹を壊し、翌日には冷たくなっている》
「うっ……!」
その通りだった。
腐敗に細菌。野生に実っている果実は、安全とはとても言えなかった。
「……けど、今の私は食べないと死んじゃいます」
《だろうな。だからこそ少しでも危険を減らすため、魔術で浄化しておくといい》
「浄化……?」
そんな便利な魔術があるのか。初耳。もちろん私は使えなかった。
《おまえは先ほど指から光を、つまり魔力を出しそやつの傷を癒しただろう? それと同じ要領で双子ベリーを魔力で包み、呪文を唱えるといい》
「なんて唱えればいいんですか?」
《おまえは人間だから、『光よ、害あるを拭い不浄を清めたまえ』と唱えろ》
「わかりました」
私は頷くと、双子ベリーを手に集中した。
光、魔力、指先、集めて包み込んでいく。
ほのかに温かい光を感じながら、教わった通りの呪文を唱えた。
『光よ、害あるを拭い不浄を清めたまえ』
一瞬、光が強く輝き、魔術が発動したようだ。
見ただけでは効果のほどはわからないけれど、これで多少は安全になった……はず。
「いただきます」
しゃくり、と。
双子ベリーの表面に歯を立てる。薄い皮を破ると、中から果汁が出てきた。
「……‼」
夢中になり食べ進めていく。
止まらない。止められない。
しゃくしゃくと音を立てる果実が、甘酸っぱさで口の中を満たしていく。
よく噛み呑み込むと、果汁が喉を潤していった。
あぁ、美味しい。美味しくてたまらないや。
砂漠でオアシスを見つけたように、瑞々しい果実を存分に楽しむ。
中心部には種と一緒に密のようなものが固まっていて、一際甘く舌で蕩けていったのだった。




