元英雄は死んだ目をした奴隷の少女を弟子にして甘やかし尽くす
「……君、いい目をしてるね」
一切の光を寄せ付けない伸び放題の長い黒髪と底を映したような黒い瞳。俺が探していたのはまさしく彼女のような子だった。
「あー、旦那。人の趣味にどうこう言うつもりはないけど、それは止めといた方がいいと思うぜ」
ようやく見つけた原石。意識せず浮かぶ笑みを抑えていると、ばつの悪そうな顔で頭をかきながら奴隷商がそう言った。
金ならいくらでもある。値札がかかっているのを見るに彼女が売り物であることにも疑いはない。発言の意図が分からず首を傾げると、いくらか申し訳なさそうな顔をして奴隷商が続ける。
「そいつ、病気でな。顔はともかく、体はかなり欠けちまってるし、売り物としての価値が薬代と釣り合わねーんだ。薬を買うならそれでもいいけどよ、破損してても健康な奴隷は他にもいるからさ、薬代を使ってそっちを買った方いいんじゃねーかな?」
「そうか、だから手錠がないんだ」
「まーな。いや、どのみち足が両方ねーんだから逃げる心配なんてしなくてもいいんだけどよ。ま、そーいうわけだから、愛玩用が欲しいなら他のをおすすめするぜ」
きっと、彼は優秀な奴隷商なのだろう。放っておけば、病気で死んで完全に商品価値のなくなる少女を黙って売り付けることもできるはずなのに、それの不利益をきちんと理解している。
けれど、彼は誤解している。俺は別に愛玩用の奴隷が欲しくてここを訪れたわけではないし、ましてや体が欠けている少女に興奮する性癖を持っているわけでもない。
「忠告ありがとう。でも、やっぱりこの子を貰うよ。俺にはこの子が必要なんだ」
「……まぁ、旦那がそれでいいなら別に構わねーけど」
言いながら奴隷商は唯一少女に残っている四肢である右腕を引っ張って引きずって俺の前まで連れてくる。
随分と乱雑な扱いだが、それに彼女が何かを言うことはない。まるで感情のない人形のように、所有者がいることを示す首輪を嵌められる間もただじっとしていた。
「旦那、薬はどうする?」
「いや、必要ないよ」
「……ま、それもそうか。おし、分かった。代金は――」
「お釣りは貰っておいて」
手近な机に金貨を一枚。
明らかに過剰な支払いであるのはわざわざ確認をとるまでもなく分かること。これならもう一人奴隷をつけるという奴隷商の提案に首を横に振って答えて俺の所有物になった少女をだき抱える。
「良い買い物をできたから、そのお礼だと思って」
◇◆◇◆◇
転移魔法というのは実に便利だ。一度でも行ったことのある場所であればそれがどれほど遠い場所であったとしても瞬きの間に着くことができる。
問題は難易度が高すぎて使える者が俺を含めてもせいぜい片手で数えられる程度にしかいないことだけど。
瞬きの間に目の前の光景が奴隷商から一軒家に変われば多少は表情の変化も見せるかと思ったけれど、変わらず少女は無表情だった。
「さて、じゃあ始めようか」
まぁ、どうでもいい。彼女に感情があろうが無かろうが俺がやることは変わらない。
「まずは左腕と両足から」
治癒魔法は極めると条件次第で死人すら甦らせる。失われた体のパーツの修復程度、造作もない。
肉が蠢きながらかつてはあった部品を形作っていく様に、さすがに驚いたのか少女は微かに目を見開く。
なるほど、別に感情が完全に死んでしまっているわけではないようだ。
「次は……あぁ、五感が大概やられてしまっているのか」
ぽんと頭に手を置いて感知魔法で少女の体を探ると見た目以外にも色々とずたぼろになっていた。
病気だとは聞いていたけれど、これはそれ以外も酷い有り様だ。
「うん。これで体のパーツは全部足りてるし、体の中身も概ね完治したかな。あとは……女の子だからね、顔の傷も消しておこうか」
スッと顔の傷をなぞると夢みたいに傷は消えてなくなった。
ぼろ布を纏って、首輪を着けているのを除けば概ね健康体と言えそうだ。いや、ちょっと痩せすぎかな?
「まぁ、太らせるのはおいおいやっていくとして……あぁ、忘れてた」
そう言えば何も伝えていなかった。
しゃがみこんで少女と目をあわせる。
「これから、君には俺の弟子になって、この世界で最強になってもらう」
「……」
少女は何も答えない。けれど、その底を映したような黒い瞳はきちんと俺を捉えている。だから、そのまま続けることにした。
「それから決めて欲しいんだ。その力の使い道を」
「……」
「名声を得る為に使ってもいいし、誰かを救う為に使ってもいい。誰かを殺す為に使っていいし、欲望を叶えるために使ってもいい。君が今苦しんでいる現状を作り上げた全てに復讐するために使ってもいい。なんだっていいよ」
少女はただ黙って聞いていた。
けれど、俺が話し終えたのを確認すると、ゆっくりと口を動かして感情を映さない黒い瞳で呟いた。
「……分かり、ました」
◇◆◇◆◇
彼女が来て一週間が経った。
この一週間で気付いたことがある。
彼女には才能というものがまるでない。
魔力量は人並み以下。
術式の構築センスも人並み以下。
そのうえ、どうにも生まれつき体が弱いらしく、お世辞にも戦闘向きの体をしているとは言えない。
「奴隷ちゃん。あと五百追加」
「……はい。……分かり、ました」
「……」
特筆すべきことがあるとするなら、それはこの従順さだろうか。
一週間あった。彼女の体の限界は彼女以上に理解しているつもりだ。すでに彼女の体力は限界だろう。
けれど、やれと言えば彼女は表情に限界なんてものはまるで出さずにやり続ける。それこそ壊れるまで。
当然、彼女の代替品はいないので、そんな無茶をさせるつもりはないけれど。
「やっぱり気が変わった。休憩にしよう」
「……分かり、ました」
椅子と机を用意する。
彼女を座らせ、お茶と茶菓子を手に取らせる。
無論、いつもこんなことをしているわけではない。けれど、今日に限っては少し話さなければならないことがあるためこんな席を設けた。
一週間で概ね理解はできた。
彼女はやれと言われればなんだってやる。今だって、座るように、お茶と茶菓子に手をつけるようにと言えば何のためらいもなく彼女はそれに従った。ちなみに用意したお茶と茶菓子はどちらも体力を回復できる代わりにすこぶる苦いと定評のある薬草を使ったものだが、やはり彼女がそれを顔にだすことはない。
「一つ、聞きたいことがあるんだ」
「……なん、ですか……?」
「君はどうしたい?」
「……意味が、分かり、ません」
無表情はそのままに、彼女は小首を傾げてみせる。
あぁ、やっぱりだめか。たぶん、このままじゃ俺の願いは叶わない。
「……君は、意思を捨てたんだね。望みも願いも、自分の頭で考えることを捨てた。だから、君にかけられていた洗脳や暗示の類いを根こそぎ潰しても君は何も感じず、何も考えず、ただ俺の言葉に従う」
ここまで来るともはや習慣と言った方がいい。
彼女のことは概ね理解したつもりだったけど、表面的なことばかりで内面的なことを俺は全く理解できていなかったらしい。
だから、こんな肝心なことを見落とした。
「まず、最初に言っておくけれど、君のその選択は奴隷として生きるなかではこの上なく正しい。けれど、それでは俺が困るんだ。だから、君にはもう一度意思を取り戻してもらう」
少女はまた首を傾げる。
そして、変わらない無表情のまま困惑混じりに呟いた。
「……分かり、ました」
◇◆◇◆◇
少女が来て一月が経った。
あれから、もう一度彼女に自分の頭で考え望む意思を取り戻してもらおうと、あれこれやってみたけれど残念ながら今のところ結果は全く出ていない。
彼女が意思を捨てたのは、奴隷として生きる上で意思が邪魔なものでしかなかったから。寿命を縮めかねないものだったから。意思を無くして、ただ命令に従う人形になることで彼女は自分を守ろうとしたのだろう。
だからこそ、彼女の環境を変えれば、彼女に根付いたその在り方も変わると考えていた。
書物には、年頃の子供には自律のために自室が必要だとあった。
だから、彼女が自由にできる部屋を与えた。
書物には、成長期の子供には快適な寝床が必要不可欠だとあった。
だから、彼女が良い睡眠をとれるように、世界一の職人が作ったベッドを与えた。
書物には、女性という存在は年齢を問わずオシャレに関心を示すとあった。
だから、彼女に世界中から集めた一級の服とアクセサリーを与えた。
書物には、子供の健やかな成長に最も必要なのは、美味しく健康的な食事だとあった。
だから、世界的に名が通った有名な料理人に金を積み頭を下げ、必要とあらば俺に可能な願いを叶えて彼女のためにその腕を振るってもらった。
けれど、彼女は何をしても意思の伴わない瞳で「……ごめん、なさい」と言うのみだった。
「……困ったね。そろそろ打てる手がない」
本はいい。本は多くを教えてくれる。感情を切り捨てた俺でも彼女を喜ばせ、再び意思を取り戻させる為の手段を得るための策を教えてくれる……はず。
これまでのところ『猿でも分かる!これで君はモテモテだ!』『これで平凡な私の息子は某有名大学に進学しました!(実話)』『悪用禁止!!これで貴方もメンタリスト!!』などの本がくれた知識はあまり役に立っていないけれど……ほんとに大丈夫だろうか。
「……ふむ。これは……」
積まれていた本の山も気づけば残り僅か。
開いた一冊の冒頭にはこう書かれていた。
『小手先のテクニックで騙すようにして、唸るほどの札束で押し付けて、それで手に入るのは表面上の偽物でしかない。きっと、この本を読んでいる貴方は貴方自身の経験を通してこのことをよく理解していることだろう。では、本物を手にいれるために本当に必要なものは何か。それは正しい意味での【愛情】だ。もちろんこれを疑う者も……』
それはこれまで読んだ本には全く書かれていなかった新しい見解だった。むしろ、誰かの心に作用するためにはそのような感情は邪魔になるとすら書かれていた。そして、その本は俺を助けてはくれなかった。だからこそ、この本の新しい見解を俺は試してみる気になった。
ペラペラと実践までページをめくる。
『さて、ここまで読み進めてくれた読者諸君はすでにこの正しい意味での【愛情】の重要性を理解してくれていることだろう。では、この愛情をいかにして相手に伝えるか。これには順序が必要だ。これまでテクニックや財力に頼ってきた者ほど真摯に相手に愛情を伝えることは不得手なもの、だからこそ順序立てて一つずつ確実にステップを踏んでいって欲しい。では、まず最初のステップだ。なんでもいい、貴方が尽くせる限りの言葉で相手を褒めて欲しい』
「……ふむ? ……こんな、ことで……?」
はっきり言って全くピンとこない。
こない、けれど、信じると決めたからには試してみるべきか。
「奴隷ちゃん」
「……はい」
「……その……今日も、頑張ってるね。……凄いよ。……うん、凄い。凄く……凄い。だから……頑張ってね、これからも」
修行に明け暮れる少女に声をかけると彼女は修行を中断していつもの無表情をこちらに向ける。
色々と考えて、とりあえず頑張って褒めてみた、けれど……これ、ほんとに意味あるのだろうか。
ぱちくりと二度瞬きをして呆けたような表情をした後、少女は呟いた。
「……分かり、ました」
◇◆◇◆◇
少女が来てから半年が経った。
褒めるとは、すなわち相手を理解すること。理解していなければ、相手を認めることも褒めることもできない。
その事に気がついたのは、最初に彼女を褒めた日からちょうど一月後だった。以後、俺は彼女を見ることに時間を費やしている。観察ではない。見ることに時間を費やしているのだ。
「奴隷ちゃん。そろそろ休憩にしようか」
「……はい。分かり、ました」
彼女は相変わらず俺の言葉に絶対に従う。
けれど、半年前までとは明らかに違う点がある。
「はい、どうぞ」
「……ありがとう、ございます」
カップを差し出す。それに彼女がお礼の言葉を口にする。
以前までなら彼女は何をしても謝罪の言葉を口にしていた。それがある時から変わっていた。その日は別に何か特別なことがあったというわけではない。ただ、いつも通り、彼女を褒めることを忘れずに、休憩時に彼女にカップを差し出したら、彼女がか細い消えるような声でそう呟いたのだ。驚きすぎてあの時は机を壊してしまった。
しかし、最近ではすっかり彼女のお礼の言葉にも慣れてきた。それが日常にあるものとして受け止めることができるようになった。
だから、そろそろあの本の示す次のステップに移ってもいいのではないか。
すなわち、彼女の名前を呼ぶのだ。
書物曰く、第一段階のステップを通して、俺は相手をきちんと見て理解することを学んだらしい。実際に理解できたかどうかは問題ではなく、理解しようと試みる姿勢こそがこのステップでは最も大事なんだとか。
そして、今回のステップ、名前を呼ぶ。これは分かりやすく目に見えるもので表面的な要素が強いが、内面に多少なりとも触れたうえでこれによって距離を縮めるのは効果的なのだとか。
「…………アリス」
「……っ。……? ……は、い」
「その……今日から俺は君のことを名前で呼ぶことにした。……嫌かい?」
「……い、いえ……」
「……そう。なら、決まりだね」
無事達成できた。けれど、なんだろうか……この変な感じは。なんというか……凄く変な感じだ。うまく言葉にできないが、もにゃもにゃする。
どうやら少女も似たような状況らしく、これまで見たことないような変な顔をして呟いた。
「……分かり、ました」
◇◆◇◆◇
少女が、アリスが来てから一年が経った。
アリスに戦闘の才能はない。その結論は一年経った今でも変わらない。
けれど、才能があろうがなかろうが、一年という時間は誰しもに平等に与えられ、その時間は確実に彼女の基礎を形作った。
出会った当初とは比較するまでもなく彼女の能力は上昇している。
もう、今の彼女にはそこらの雑兵では手も足も出ない。ある一定までの敵であれば、純粋な力のみでねじ伏せられるはずだ。
だから、今日から修行は新しい段階へと入る。
「アリス、剣を抜きなさい」
「……はい。師匠」
手近なところに落ちていた棒切れを拾ってそれをアリスに向ける。
「今日で君と出会ってから一年だね。君は、この一年で土台となる力を手に入れた。だから、今日からは少しやり方を変えよう。ルールは簡単だよ。どんな手を使ってもいい、俺を殺してみなさい」
「……ぇ?」
彼女が呆けたような声をあげた時、すでに俺は拳の間合いに踏み込んでいた。
拳が腹を抉り、血を吐きながら宙を舞い、地面に叩きつけられて、あとはピクリピクリと弱々しく痙攣するのみ。
まぁ、初日はこんなものだろうか。
「今、俺は君と同じ程度の力と速さしか出していない。つまり、君は今の攻撃を本来なら防げたし、たかが一撃で瀕死に追い込まれることなんてないんだ。でも、結果はこの通り。どうしてか分かるかな?」
治癒魔法でミンチになった体内を治しながら尋ねると、言葉を発する元気もないのかフルフルと首を横に振ってアリスは答えた。
「今回に限って言うなら、君がいきなり俺に殺されることを想定して常々警戒をしていなかったから。先々のことを考えて言うなら、君には経験が圧倒的に不足しているから。だから、同じだけの能力でもここまで結果に差が出たんだ」
「……経験……」
「別に経験が足りないのはこれに限った話じゃないよ。まぁ、説明が難しいし、俺は人に何かを教えるのがお世辞にも上手なタイプじゃないからね。これから毎日今日と同じことを繰り返して自分で勝手に学んでいってよ」
「……分かり、ました」
手を掴み、引っ張り上げて立たせると、顔の前で拳を作ってふんすと頷きながらアリスはそう答えた。
その目は一年前と変わらず底を映したような暗く冷たい黒。けれど、その奥には目標とやる気に静かに燃える意思がある。
良い傾向だ。この一年、本当によく頑張ってくれた。
だから、こちらの方も、今日はもう一歩先に進んでみよう。
「さて、じゃあ今日のメインだ」
「……?」
「言ったでしょ? 今日は君がここに来て一年だ。それから、君の誕生日でもある。記念日は大事にしないとね」
指を鳴らせば、用意しておいた机、椅子、装飾、料理、等々ありとあらゆるものが顕現する。
「楽しんで、また明日から頑張ろう。期待してるよ、アリス」
微かに目を見開いて驚いた様子のアリスに声をかけると、彼女は満面の笑みを浮かべて答えた。
「分かり、ました……っ」
◇◆◇◆◇
アリスが来てから十年が経った。
そして、今日で全て終わりだ。
「強くなったね、アリス」
仰向けに倒れ、その上に馬乗りになられ、首には剣が突きつけられている。反撃に転じるより彼女が俺の首をはねる方が速いだろう。首をはねられた程度で死にはしないが、あくまで彼女の現在の力に合わせて殺しあっているわけだから、それをやるのはルール違反。
うん、完敗だね。
微笑みかけると、アリスも嬉しそうに微笑み返した。
本当に、よく成長してくれた。
「……さて、それじゃあこれが最後だ。……俺を殺しなさい、アリス」
「……」
「知っての通り、君は俺の全力には届かない。ルールがないなら、今この状態からでも君を殺すなんて簡単だ。だから、殺しなさい。君がこの世界で最強になるために」
……ようやく終わる。
弟子は見つけた。これ以上教えられないくらいに教えた。もちろんまだまだ強さの先はあるけど、それは彼女が自分で見つけるもの。
少なくとも、この世界に俺を除けばアリス以上はいない。
だから、そんな彼女が最強になってその力を何に使うのか。その結果、世界が滅ぶのか、あるいは救われるのか。死んでいても確認する方法はある。だから、あとはそれを確かめるだけだ。それが、あいつとの約束だから。
「…………師匠」
「何?」
「……師匠、は、私に、言い、ました。私に、この、世界で、最強に、なって……力の、使い道を、決めて、欲しい、って」
「そうだね。そのために君を弟子にした。もう、君は誰かの命令に従うだけの奴隷じゃない。自分で考える意思とその意思を通せるだけの力を持った俺の最高の弟子だよ」
震えていた。当てられた刃が、それこそ気を付けなければ気づかないくらい微かに。けれど、その震えは彼女の感情を俺に伝えるのには十分すぎるほどの震えで。だからこそ、俺は彼女に最初で最後の命令をした。
「……だから、殺せ」
ビクリと、今度は傍目に見ていても分かるくらいに大きく震えが伝わった。
……十年は長い。長過ぎた。それだけあれば、良い感情であれ、悪い感情であれ、少なくとも『情』を抱く。俺が抱いているそれとアリスが抱いているそれが同じかは知らないけれど、いずれにせよ刃を震わせる理由には十分だ。
だから、それでも動けるように、命令をした。
そして、アリスは――
「……嫌、です」
初めて、俺の言葉に逆らった。
「だって、師匠、言い、ました。力の、使い道は、決めていい、って。だから、嫌、です。私、は、師匠と、いっぱい、楽しいことを、したい。だから! 殺してなんて! あげません! ……死な、ないで……っ」
ぽたぽたと雨が降る。アリスの底を映したような、けれど感情に溢れた黒い瞳からぽたぽたと。
頬を濡らし、心を濡らし、心を揺らし。
俺は、思わず呟いた。
「……うん。それが君の答えなら、分かったよ」
◇◆◇◆◇
バカな男がいた。
世界を救うために、人間によってあらゆる遺伝子操作とあらゆる魔術的干渉の末に産み出された人の形をした『何か』である俺に、真正面から挑んでくる男が。
何度もそいつとは勝負をした。けど、ただの一度もそいつに俺が負けたことはなかった。それもそうだ、俺は最高で最強の存在なのだから、俺に勝つなんてどれだけの時間を費やしたってだってただの人間にはできっこない。でも、そいつはいつも決まって言うのだ。「次は勝つ!」って。
いつの間にか、そいつは俺が唯一友人と呼べる存在になっていた。
初めから完成された存在である俺とは違って、そいつはどんどん会うたびに強くなっていった。そして、そいつと知り合ってかなりの時間が経って、一つ思いがけない発見があった。
賭け事において、俺は絶対にそいつに勝てなかった。なぜかは分からない。俺は完璧な存在で、それはたとえ賭け事であってもあらゆる情報から最良の選択を導ける。にも関わらず、なぜか賭け事にだけは勝てなかった。
遊びにくるたびに、賭け事に勝てない俺を笑うあいつを俺が何度ぼこぼこにしたか分からない。初めから完成されていたがゆえに感情の乏しかった俺に、感情を教えてくれたのはあいつだった。
けど、あいつは殺された。
世界を牛耳る奴らは自分達のために不幸を撒き散らし、それに異を唱え、説得を試みたあいつを罠に嵌めて殺した。万が一にも俺に真相がバレないように、何重にも偽装を行って。
気づかないわけがない。血だらけで、俺ですら助けようがない状態のあいつを見つけたとき、俺はここが底なのだと知った、そして、この世界に救う価値がないことも。
だから、終わらせてやると言った。
けれど、そんな俺にあいつは言った。最後にもう一勝負しよう、と。
俺が弟子を見つけ、その子を最強に育てあげ、そのうえでその子に意思にこの世界の全てを任せる。
俺はその勝負にのった。俺と同じく底を映した少女を見つけ、育てあげ。そして、アリスは選択した。人ですらない、この俺と生きることを。
結局、最後まで俺はあいつにただの一度も勝てなかったらしい。
「……師匠。ご飯、できました」
「うん。ありがとう、今行くよ」
あの日から十三年。
今日も俺とアリスはこのどうしようもない世界で結構楽しく生きている。