余命半年
私はね、もう長く生きられないことを知ってた。
だから、余命半年って聞いた時は、ああそっか…やっぱりな、って思うよね。
身辺整理も実はしてたんだ…予感してたから。だから必要最小限のものだけ残して全部捨ててた。月額使用料が発生する系のやつとか、口座やカードも解約した。
体の機能がね、1日1つずつ壊れていくみたいな感じなの。
痛覚は早いうちに消えてくれたから、痛み止めは処方されなくなった。
「代わりたい。君の代わりになれたらいいのに」
そんなこと言う彼は、死の予感後も私が手放せなかった唯一の人。でも、私を抱きしめて泣くから、とても傷ついているから、何も言わずに離れたほうが、本当はよかったのかもしれない。
「代わりになんて、そんなのダメだよ。それに私は大丈夫だよ。体は全然痛くないの。むしろすごく調子いいんだよ」
って言ってもダメで。
ああ、私なんで本当のこと彼に言ってしまったんだろう。
半年くらい一人で死を待てばよかったのにね。
私の為に泣かないで?笑っててほしいの。
もうお見舞いにだって来なくてもいいし、私を忘れて、手離して大丈夫だよ。
幸せに生きて欲しいのに、私のせいで泣いてばかり。
徐々に不自由になっていくけれど、私、話すことと考えることが最後まで残ってよかった。
彼は私と「最期まで一緒にいたい」と言ってきかなくて毎日病室に来るから
「じゃあせっかくなら楽しく笑って過ごそうよ」
って言ったの。そして「わかった」と言った彼は、今日あった楽しいこととか素敵だと思ったことを話してくれるようになった。
彼の目と心を通して見る世界は、すごく素敵。こんな風なこといつも考えてたんだね。もっと早く知りたかったな。
そして私もね、楽しいお話をする。
楽しいことを見つけるのって大変なんだよ?でも慣れてくるとね、とても小さな幸せに気づけるようになるの。
私の好きな病院食が出てくるのは月に2回…金曜日な気がするって思ってたら当たりだった!とかね。
マーガリンの表面をバターナイフで薄ーく取って、ナイフに乗ったボコボコしたマーガリンをじっと見ると、絵に見えてくるんだよ。今日のマーガリンは長い帽子をかぶったおフランスな女の子だった!とかね。
「君がそんなこと言うから最近、朝食に食パン食べるようになったよ。そしてマーガリンをじっと見つめてる。今日は犬だったよ」
「へー、わんこかあ。どんなの?描いて描いて」
「ええ、描けないよ…でもこんな感じ?あ、やっぱなし」
「ストップストップ消さないで!え、めっちゃ可愛い…家宝にする…」
「じゃあ君の絵もちょうだい。家宝にするから」
マーガリンの新しい楽しみ方に気づいてからは、朝ごはんの時にメモ帳を出して、今日のマーガリンの絵を描いてからパンを食べるようになった。彼も描いて来てくれるようになってね。それを見せ合うのがすごく楽しかった。
でも、途中からご飯を食べれなくなっちゃって。
でも、それがバレるのが嫌だったから、マーガリンがないのに絵を描かないといけなくなって、それがちょっと大変だった。
****
ついに五感を手放さないといけないところにきちゃってさ。最初は味覚だったの。次に嗅覚。
小さなお菓子くらいは頑張ったら食べれてたんだけど、お見舞いのお菓子の味やお花の匂いがわからなくなっちゃった。
頑張って隠そうとしてみたけど彼にバレてしまう。
余命はもう残り1ヵ月くらい?
体が本気出して私の人生たたみ出してきたよ。
「私はね、こうしてお話するのが一番楽しいから、なくなったのが味覚や嗅覚でよかったよ。私的に五感の中で一番いらないやつ。…ね、だから、泣かないで?いつもみたいに楽しいお話をしよ?」
彼の頭をなでなですると、私に寄りかかってきたから、抱きしめた。
私の腕がね、すごく重たいの。でも動かすの止めると筋肉が減って更にダメになっちゃう。
手は最後のほうまで動いててほしいな。
だって彼が私の手を求めてきた時に、私は彼に触れたいと思う。
でもその数日後、今度は耳が聞こえなくなってしまって、そこで私は半狂乱になってしまった。
「音がしない…」
震えて泣いて…でも、彼が私よりもショックを受けていたから少しだけ冷静になって、叫ぶことはしなかった。
本当は叫びたいけど自分の声が自分でわからない今、音量調整ができない。喉の震えからしか自分が話してることがわからない。だから、最後の理性で、ささやくように話す。
「どうしよう…なにも…音がしない、あなたの声が、聞こえない…どうしよう。もう聞こえないの、お話ができない、どうしよう…ごめんなさい…」
抱きしめられて、私もすがりついて、たくさん泣いた。
でもまだ私には、目があって口があって、心があった。
それに、温もりも感じることができたの。
****
私は口で話して、彼はノートで私に話す。
そのノートはね、毎日帰る時にちぎってもらうの。そして私は、彼が帰った後も読み返して、今日のやり取りを思い出して笑って…こっそり一言書き添えて、大切に箱にしまうんだ。
そのうち目も見えなくなるかもしれないから、そしたらこの紙は箱で返すねって言ってる。でも彼の言葉しか残ってない紙をそのまま返すのもなあ、って思ったから…いたずら心だよ。
これ見返した時にびっくりするかな?私の文字増えててさ。ふふ。まあ、書くことはね、他愛ないこと。
『←この言葉かわいい』とか『そういえば今日寝癖ついてたよ。といまさら言う』とかそういうの。
別の日には暗号を決めた。
「目が見えなくなった時の為に、暗号作ろうよ」
『暗号?』
「手貸して?」
そうして彼の手を握ると、手のひらに指で、とん、ってする。
「例えばこうしたら…『好き』」
そしたら彼が笑って私の手のひらに、とん、ってする。
私もそのお返しに、とん。
とん、とん、とん。
「ねえ、他の暗号はなににしようか?」
『この暗号だけでいいよ』
「ええー?」
私達は少し笑い合って…でも私はね、大事なことだからもう一回言った。
「あのね、目、本当に見えなくなるかもしれないの。手に文字を書いてもらっても、わからないかもしれないの。だからね、いざという時に伝えたい言葉とか、よく言う言葉を、簡単に伝えられるようにしよ?暗号じゃなくてもいいの。お願い…一緒に考えて…」
私がそう言うと彼は笑顔を引っ込めて、少し考えてからメモ帳にこう書いた。
『わかった。一晩ちょうだい。考えてくるから』
「うん、ありがとう」
とん。
「ふふ、知ってるよ?」
とん。
私も返す。我ながらこの暗号、良いよね。
簡単に2人、仲直り。
『不思議なことあってさ、いつも病室に来るとすぐ気づくのすごいね』
あ、音がないのに、ってことだね?
「気配がするの。あなたの気配。たぶんね、五感と引き換えに手に入れてるものもあるのかも。例えばね、今日はそろそろ帰ったほうがいいよ、雨降ると思う」
そうして帰ってもらってしばらくしたら、本当に雨が降った。
匂いも音もしないけど気づくのは…空気がしめるのかな?
ふと雨の気配を感じて窓を見るとちょうど降り始めた。
****
『○と×は、手に書いてもわかるよね?だから君が何か確認したい時は、○×で答えられるようにしてね』
「うん、わかった」
彼は本当に考えて来てくれて、あらかじめ言いたいことをメモ帳に書いてきてた。それを一緒に見る。
『いざという時に伝えたいのは、君を励ます言葉。その時は、手の甲に伝えるよ』
そして、手の甲に送る暗号のページをめくる。
『とん1回は<大丈夫だよ>』
ふむふむ。
『とん2回は<諦めないで>』
うん。
『とん3回は<死なないで>』
「…ちょっと待って」
『とん4回は<君がいないと困るんだ>』
私は彼を見た。彼は、とても悲しそうに私を見る。
そして、もう1ページめくった。
『君が好きだよ。でもそれは君が作ってくれた暗号があるから大丈夫。あとはね、今の4つを伝えられたらいい。君の言葉が好きだから、あとは○×でいけると思うんだ。』
そんなこと言われてもさ、どうしようもないよ。
私の目が見えなくなったら、私にそれしか伝えられなくて、本当にいいの?それであなたは幸せなの?
「私もね、一晩、伝えたいこと考えたんだよ。手のひらに、とん2回は<幸せになってね>」
そしたら彼が、私の手のひらに、とんとん、ってする。
「ふふ、私にそれは無理だよ」
そしたら、手のひらに『×』って書かれた。
そして、初めてキスされた。
「は?え…?んっ」
そして次はもっと長いキス。キスをされながら手のひらに、とん、ってされる。とんとんだと別の意味になっちゃうから、間隔を開けて。
好き、好き、好き、好き。
私は、とても幸せな気持ちになって、彼の手のひらに、同じように愛の暗号を返した。
本当だ…まだ私、幸せになれるんだね。
びっくりしちゃった。
****
「思った通り、やっぱり次は目だった。ヘレン・ケラーだって、目も耳も失ったけど、ウォーターって言ったもんね。喉はさ、振動だから最後まで使えるのかもしれないね。
…大丈夫だよ。私達には暗号があるし、簡単な言葉なら手に文字書いてくれたらわかるもん。それにね、あなたが今どんな顔してるかも、気配でなんとなくわかるよ。だから笑って?」
「あ、今笑ってくれた。正解でしょ?」
手のひらに『○』って書かれる。
「ふふ、やっぱり正解だった。
ねえ、そろそろね、覚悟してね。今日から点滴とか数が減ったの。え?諦めないで?…そうは言ってもさ、もともと余命半年だったし。…そんなこと言わないで。私はこの半年、毎日あなたと会えて幸せだったよ。
毎日仕事しながら通うの大変だったでしょう?…ん?大丈夫だよって?今思うとあなたの考えた暗号すごいね。本当に会話できてる。」
「まだ元気だった時にね、もろもろまとめたやつが一番上の引き出しにあるの。火葬場とか納骨先とか。お金入ってる箱のパスワードはあなた宛の封筒に入ってる。色々わずらわしいと思うんだけど、あとのことお願いしていいかな?…もう…そんなこと言わないで、死ぬのはどうしようもないよ。」
あれ?思ってたより早いかも。
意識が遠退いていく。
でも彼は目の前にいて、手のひらが側にある。
だから私は微笑んで、最後の最後に、彼の手のひらに、とん、ってしてから、とんとん、ってした。