スプリーキラー
殺し屋の少女が、或る夜、幼女を救う。
それはほんの気まぐれだった。
それが、少女の過去を辿る道となるとは……。
闇夜に今なお明かりが灯るビルの一室。最初は怒号から始まった。
「誰だお前!」
「うちの組に何のようだ!」
そこにあらわれた少女は、何も言わず、舞うようにしてオフィスに飛び上がり、屈強な男どもの中へと飛び込んだ。そして、血しぶきが噴き上がる。
「き……貴様!」
拳銃を取り出そうとした手が、肘の先から飛んだ。少女は顔色一つ変えない。
そして次々と男どもを、まるでスペインの舞のようにステップを踏みながら、両手に持った電子ナイフで切り刻んでいく。電子ナイフとは電子の振動により、コンクリートでさえ易々と切り裂く特殊ナイフの一種だ。主に近距離戦で効果を発揮するが、少女はその舞うような動きと共に、拳銃すらものともせず切り込んでいた。
発砲音が3.4発、乾いた音が鳴っただろうか。少女は最後の男の前に立っていた。へたり込んでいる男の顔には最初の怒号とは似ても似つかぬ恐怖が張り付いていた。男は最後の命乞いをしようと少女を見上げた。
つやのある黒髪のショートカット。透き通った瞳。整った唇。透き通った鼻梁に露をはじく肌。それら個々を見ていると、芸能界にスカウトでもしたいような美少女だ。しかし、それらを統合した結果――男の脳裏に、ぬぐいがたい記録が甦った。あれは確か、ブラックリストに載っていた――
「お、お前は、スプリー……」
言い終える前に、少女は男の喉を切り裂いていた。
少女は街灯に照らされる通りを歩いていた。血しぶき一つついていない。少女は血しぶきの方向をも予測して人間を切り裂いていたようだ。
人通りも少ない。それもそうだ、もう夜中の1時過ぎだった。今日の「仕事」については何も考えず、家路についていた。
そのとき――
「きゃあっ!」
通りの向こうから、女の叫び声が聞こえた。
少女はにわかに駆け出すと、その場所へたどり着く。そこには――見知らぬ男どもに囲まれた、金髪の人形のような少女、いや、幼女がいた。幼女は見るからに怯えている。
「何やってんの、あんたら!」
少女は叫ぶと、男らを払いのけ、幼女を抱きかかえると通りを走り出した。さすがにこんな街中で電子ナイフは振り回せない。少女は、幼女を抱きかかえたまま自分の部屋のあるマンションまで走り帰った。
少女の自室に帰り着いた。少女は少し息を切らしていたものの、幼女は無事だった。
そして、少女はあること――当たり前のことに気がついた。
(どうして……どうして助けちゃったの!?)
腕の中の金髪、そして碧眼の少女は、まん丸な目で、少女を見上げていた。
「……おろして?」
「あ、ああ、そうね」
少女は幼女を自分のベッドに優しく下ろした。
とにかく、「仕事」の報告をしなければ――少女はパソコンに向かった。
少女の部屋は年の頃にしては殺風景であった。ベッド、冷蔵庫、ユニットバス、洗濯機、パソコン、それぐらいだ。冷蔵庫の中にはとりあえずの食料があるが、言ってみればいつでも出て行く準備が出来ているような部屋であった。
「何をしているの?」
「え?」
気がつくと、金髪碧眼のフランス人形のような幼女が、ベッドの脇にちょこんと座っている。「パソコンで何をしているの?」
幼女はよく見ると、十一才ぐらいだろうか。私の6つ下か……少女は幼女に向き直ると突然立ち上がり、幼女の方に向かって歩くと、顔をつきあわせた。
そしてちょっと低めの声を出す。
「お姉ちゃんねえ、お仕事の報告をしてるの」
「『お姉ちゃん』……お姉ちゃんはなんのお仕事をしてるの?」
「知りたい?」
少女は声をさらに低め、ちょっと怖い表情を作ると、
「お姉ちゃん、殺し屋してるの」
「……」
「通り名は『スプリーキラー』。短時間で大量の人間を殺すからよ」
「ふうん……」
幼女の無反応に、少女は大げさに後ろにひっくりかえった。そして立ち上がると、
「あちゃあ、こんな子供に脅しも通じないなんて、殺し屋だいなしだわ」
少女の顔には苦笑いが浮かんでいた。
幼女の方は顔色一つ変えない。その代わり、
「名前はなんて言うの?」
少女は面食らったような顔になったが、優しい笑顔を浮かべ、
「理彩。理彩っていうのよ。あんたは?」
「私の名前はリーナ。似てるわね、私たち」
少女――理彩はますます面食らったが、
「名前が、でしょ?」
というと、パソコンに向き直った。
パソコンをつついている後ろで、リーナがまだ質問をしてきていた。
「お父さんやお母さんは?」
「いないの」
「どうして?」
「う~ん、記憶がなくてね、私。名前と、施設を抜け出したところまでは覚えてるんだけどね。それで、結局こんな職業に……!!」
理彩はパソコンを終了させると、さっとリーナの元へと駆け寄った。
「お嬢ちゃん」
「リーナよ」
「じゃあリーナ、さっき喋ったことは誰にも言っちゃだめよ!? わかった!? それにあなたの家族は? 連絡先は? すっかり忘れてた!」
リーナはにこっと天使のような微笑みを浮かべると言った。
「あなたと同じよ」
「……そうなの……」
「あなたはどうして殺し屋なんかしてるの?」
「わからない……昔からこんな事しか能がないみたい」
理彩は再び苦笑し、
「なぜかしら、あなたにはなんでも喋っちゃいそうだわ。初対面なのにね」
「昔のこと、知りたい?」
リーナの突然の言葉に、理彩は驚いた。昔のこと? そんなこと、どうして初対面のあなたにわかるっていうの?
「わかるのよ、昔のこと」
リーナは理彩の考えがわかっているかのように言った。
「それが私の能力」
「……だから追われていたの?」
「まあ、そういうこと」
「昔の記憶……」
「そう、あなたの家族が奪われた記憶」
「――奪われた!?」
「そう、あなたの家族は奪われたのよ」
「じゃあ、試してみて」
理彩はものは試しにと言ってみた。すると、
「目を閉じて」
リーナが言ってきた。
理彩が目を閉じると、リーナの小さな手が理彩の額に触れる。すると――
小さい頃の私。
何人もの白衣の男達。
おぼろげな両親の顔。
小さな私の笑顔。
血まみれの光景。
再び、あの男達の顔。
白衣の男達――
そこではっと目が覚めた。
リーナが手を離したのであった。
「これは……これは……私の――」
「そう、昔の記憶」
「白衣の男達は――」
「それはあなたが判断する事よ」
理彩は手を震わせる。
「居場所は……居場所はわかるの?」
「ええ。でも、もう寝ましょ? 敵は逃げないわ」
「……寝れそうにないわ」
「じゃ、一緒に寝ましょ?」
二人は一緒にベッドに入った。リーナが理彩の頭を優しく撫でると、すぐに理彩は寝息を立てていた。
次の日――
理彩は早めに目を覚ますと、パソコンに向かっていた。
「おはよう」
リーナの起きた気配に気づき、背中越しに挨拶する。
「……私の助け無しでわかるの?」
「あの男の着ていた白衣に、ネームプレートと研究所名が書かれていたの。子供の頃の記憶だろうからわからないけど――」
パソコンに研究所の外観と所員の顔写真が表示される。
「どうやら、私は子供の頃から観察眼が優れていたようね」
そこには、昨晩に「観た」顔が映っていた。少し老けてはいるが、その顔を忘れることはない。
「えっと、高宮研究所……現在は色々な能力を持った人間を研究対象にしているようね。場所は、と……」
「今すぐ行かないの?」
「殺し屋ってのはね、慎重にしないといけない場面もあるのよ。例えばセキュリティが厳しい場合、それを無効にしなきゃいけないし、跡を残してもいけない。なんでもかんでも殺せばいいってわけじゃないの」
「ふうん……」
「って、子供に何言ってんだろ、私……」
理彩は再びパソコンをつつき出す。
「じゃ、いつごろいくの?」
「そうね、夕方頃かしら。人の目も少ないし、ターゲットが夜勤みたいだから。丁度いいわ」
「それじゃ、頑張ってね」
「……ええ」
その声には決意が満ちていた。
夕方。理彩は電子ナイフとセキュリティを無効にする、手製のアンチ・セキュリティカードを持つと、その研究所へと侵入していた。
血のような西日の差す研究所の中に、初老の男性がパソコンを打つカタカタという音だけが響く。
理彩は、スッと後ろに近づく。そして話しかけた。
「こんばんは」
初老の男は、体をビクっとさせ、そのまま硬直した。
「だ、誰だ!」
男の指は机の下の警報機を押していたが、何の反応もない。
セキュリティは完全にオフになっていた。
「私のこと、覚えてる?」
「……?」
「ここは何をしてる研究所なの?」
理彩は電子ナイフをそっと首筋に置く。研究員は答えるしかなかった。
「ここは、優れた能力を持つ人間を、その力を分析し、『ドール』に置き換える研究所だ」
「ドール、って?」
「人間の代わりをする高度な人造人間だ。古く言えば『アンドロイド』かな」
理彩の心に動揺が走る。人造人間? それが私の過去といったい何の関係が?
「じゃ、質問を変えましょ」
「……」
「『理彩』って知ってる?」
「……理彩……」
研究員は噛みしめるように呟いた。
「ちょっと待ってくれ、机の中に資料があるかもしれない」
研究員はそう言うと、机の中を探り始めた。
理彩はただ、その行為を黙認していた。
「あ、あった!」
研究員が何かを掴んで取り出す。
「何!?」
「これだあぁぁぁ!!」
研究員は握ったそれを振り返りざまに理彩に突き立てようとする。しかし――理彩の電子ナイフは正確無比に、冷酷に研究員の喉を切り裂いた。
どうやら研究員は、同じく携帯用の電子ナイフを護身用に持っていたらしい。だが電子ナイフの使い方で理彩に敵うはずもない。
理彩は一人呟く。
「あ~あ、情報源が無くなっちゃった。でも、まだいるわ。それにしても人造人間って……まさか私……」
「ただいま、リーナ」
「おかえりっ!」
リーナはすっかり理彩の部屋の住民になっていた。
とりあえず理彩は腰を下ろすと、リーナに、
「ねえ、造られた人間にも過去の記憶ってあるのかしら」
「……え?」
「……なんでもない。さ、晩ご飯でも食べましょ!」
理彩は明るく振る舞った。こんな子供に、心配をかける必要はない。
「今日のご飯は?」
リーナが明るく訊いてくる。そうだ、ご飯を作ってあげなきゃいけないんだ。当たり前のことに理彩は気づいた。
「じゃ、じゃあ、チャーハンでもつくろっか」
「グリンピースはイヤよ」
「大丈夫、無いから!」
「……大丈夫?」
「大丈夫よっ」
理彩はとりあえずあったご飯とその他野菜等でチャーハンらしきものを作り上げて、リーナの目の前に盛りつける。
「さ、食べよ!」
理彩は至って普通だ。リーナも、
「う、うん……」
と、食べ始めた……。
「ところで」
スプーンの手を止めた理彩が話し出した。
「あなたの能力って、過去を呼び出す能力?」
「ふ、ふん」
口いっぱいにチャーハンを詰め込んでいるため、ちゃんとした返事が出来ていないリーナ。「それじゃ、もうちょっと使ってくれない? わからない人間も中には居るの」
「ん~、でも大丈夫? 理彩はつらくない?」
「私のことなら気を遣わないで。これでも丈夫な方よ」
「それならいいけど……」
「じゃ、食べ終えたら、ね」
「うん」
微笑む、幼い私
一緒に遊ぶ、白衣の男達
優しい気分に包まれる私
血まみれの風景
泣きじゃくる私
鉄格子
広い施設
ここは――
「あそこだ!」
理彩は大声を上げた。リーナは驚いて手を離す。
「わかったの?」
「ええ、あそこだけは忘れようがない。私が居た施設よ」
「そこに、理彩のターゲットが居るのね?」
「そう、そうよ。そのはず」
「じゃあ、今日は……」
「休みましょ?」
「そうね。でも今日は、お風呂に入ってからにしましょ。私も昨日は入ってないし、リーナも入ってないだろうし」
「うん!」
そして二人は、きゃいきゃい言いながらお風呂に入った。
「理彩って……おっぱい、ちっちゃいんだね」
「なにおう、リーナこそぺったんこのくせにぃ」
笑顔の絶えない入浴であった。風呂から出終わった二人は、体を拭き、そのままベッドへとなだれ込む。
「ふぃ……気持ちよかった。ねえ、リーナ」
「何?」
「私たち、本当の姉妹になれるかな?」
「本当の……姉妹?」
「そう、今回のことが片付いたら。私、結構貯金もあるし、さ。この仕事から足を洗って、なんか別の仕事探して、さ」
「うん……ずっと一緒?」
「そう。リーナはずっと一緒にいてくれる? もし私が……人間じゃなかっても」
「うん、ずっと一緒だよ」
「そう……ありがとう。守ってあげるからね、あなただけは」
一粒の涙が理彩の頬をつたう。その涙が理彩の本音であるのかもしれない。それを隠すかのように、リーナのふわふわの頭をふしゃあっと抱きしめると、顔を胸に押しつけた。その二人の姿は、本当の姉妹と言っても何もおかしくない情景であった。
次の日の昼、理彩はあの施設の場所にたどり着いていた。あの頃と一切変わっていない。表では子供が無邪気に遊んでいる。
理彩は裏口から侵入した。この施設は二重構造になっていることは知っていた。子供を育てる保育ルームと、研究所が併設されている研究所ルームと。狙いは、研究所ルームであった。
昔から何かあやしいとは思っていた。だが、立ち入ることは許されていなかった。頑丈な鉄格子をアンチ・セキュリティでどんどん開けていくと、やがて研究所にたどり着いた。
「つまり、ここにαアームを装着して……」
「そう、いやここに意識体を埋め込み……」
「ここはその図通りに……誰だ!!」
中で協議していた学者が、理彩に気づいた。だが、その言葉の前に理彩の体は空を切っていた。そして、両手に閃くのは電子ナイフ。
5人居た学者を、一瞬で4人切り裂いた。
一人残った白衣の老人を電子ナイフで威嚇しながら追い詰めていく。
「あなたなの、私のかけがえのないものを奪ったのは?」
「な、なんのことだ!?」
「私の名前は理彩よ。覚えてない? 脱走した少女よ」
「あ、ああ……理彩か。覚えてるよ。成長したなあ――」
「ふざけないで」
「高宮研究所のことは聞いてるよ。多分、お前のやった事じゃないかと思ってた。誤解なんだよ誤解。信じたくないかもしれないけどね」
「……証拠を見せてもらいましょうか」
「ああ、いいよ」
「ついでに、私が人間かどうか、ということも」
「そうだな、うん、それを知っておくのもいいことだろう」
「じゃあ、お願いするわ」
「ちょっと、パソコンをつついていいかな?」
「……いいわよ」
老人はパソコンをつついた。そしてある情報にアクセスしようとした刹那――爆音が響き渡った。
「……くっ――」
理彩は間一髪のところで研究所から保育所ゾーンまで逃げ出していた。
爆音は次々と響き渡る。まるで全ての証拠を消すように。自己崩壊をしている研究所を後にして理彩は、保育ゾーンの喧噪を後に、失意と共に家に帰った。
「ただいま……」
「あ、お帰り――!」
リーナは明るく答えた。が、傷だらけの理彩を見ると、表情を一変させた。
「大丈夫!?」
「うん……なんとか……」
理彩は体をベッドに横たえた。
「あいたたた……」
「どうしたの?」
「うん……研究所が自爆しちゃってね」
「ふうん……」
「はあ……でもこれで終わったのかなぁ」
「まだよ」
「え?」
「とりあえず、ご飯食べよ? 私、チャーハン上手くなったんだあ」
「ちょっと……それ全部チャーハン?」
テーブルの上には、ありったけの皿の上にチャーハンが盛りつけられていた……。
「美味しい?」
リーナが訊く。
「……うん」
3皿目の理彩は、もうおなかいっぱいだったが、なんとか返事をする。
「私もずっとチャーハン食べてたんだあ。上手くなるかなと思って、作っては食べ、作っては食べてて」
「……リーナって……げふ……よく食べるんだね」
「遠慮しないで、まだまだ作れるよ!」
「……リーナ、今度外食に連れてってあげるから……」
「じゃ、お風呂はいる?」
「……ちょっと、休ませて……」
理彩はベッドに倒れ込んだ。
理彩は自問する。――ああ、結局わからなかったなあ、でも、リーナはまだ終わっていないというし……。リーナは能力者の一人なのだろうか。私にも何か能力があるからあの施設で育てられていたのだろうか。それとも、人間に「慣れさす」ためにあそこで育てられていたのだろうか。ああ……あの研究所の老人は本気で自爆させようとしていたのだろうか、それとも、何か別な理由で爆破「させられた」のだろうか。わからない、今となっては……。
「理彩!」
「なあに……! どうしてるの!?」
「お風呂は入れないんだったら、体でも、拭こうと、思って……」
リーナはよらよらしながら、お湯の入ったバケツにタオルを引っかけて、引きずるように持ってきている。理彩は慌てて立ち上がり、そのバケツを持つのを手伝う。
「もう、こんな無茶、しちゃダメよ!」
「ごめんなさ~い」
リーナも理彩が本気で怒っているとは思っていないらしい。
理彩は上半身を脱ぐと、お湯でタオルを絞り、体を拭き始めた。
「痛た……」
理彩は痛みを感じていた。普通の殺人では怪我などしたことないが、さすがに研究所自体を爆破されることは想定していなかった。
「だいじょうぶ?」
リーナが話しかけてくる。本当に心配そうに。
理彩は「大丈夫よ」とだけ言うと、体を拭き続けた。
「最後の記憶、欲しい?」
いつも出し抜けに訊いてくる、この子は。
リーナは驚きつつも、上半身を拭きながら答えた。
「まだ……あるの?」
「これで最後」
リーナは、上半身裸の理彩の額に手を当てた。
見知らぬ家
幸せな家庭
振るわれる銀の光
そこまでだった。
「場所は……?」
「知ってるはずよ」
リーナはもう一つタオルを持ってきて、一緒に背中を拭いてあげている。
理彩は拭いてもらいつつも、
「この場所は……確か……!!」
そう考えると、いてもたってもいられなくなってきた。
瞬発的に立ち上がると、上着を纏い、部屋を飛び出した。残されたリーナは、「やれやれ」と言わんばかりに、タオルとバケツを片付けると、同じように部屋を出た。
理彩はともかく、リーナは何処へ?
そこは、古い郊外の廃屋だった。
理彩は息を切らし、その廃屋の前に立っていた。
ゆっくりと、呼吸を整える。
柵も朽ち果てた家に侵入すると、傾いた扉を慎重に開けていく。すると、ダイニングのような場所に出た。
その場面を見た瞬間、リーナは信じられなかった。
そこは光溢れる、綺麗なダイニングだった。テーブルを囲むのは父親らしき人物、母親らしき人物、そして ――子供の頃の理彩であった。
「ここは……?」
「ようやくたどり着いたのね」
「あんたは……!?」
そこにはなぜかリーナが居た。
「思い出したのね、全部」
「どういう……こと?」
「……まだ思い出していないようね……じゃあ、これでどう?」
リーナは横に手を振った。すると――幼い理彩の隣に、もう一人座っている少女が居た。
それは――リーナだった。
そのリーナは、幼い理彩よりも大きい。
「ようやく思い出したかしら、『お姉様』を?」
「お姉……様?」
「そうよ。教えてあげる。何が起こったか」
すると、瞬時に光景が変わり、自分の過去が映し出された。
動物をナイフで切り刻む幼い理彩。その動物とは――人間だった。
悩んだ両親は、精神を更正させるためのドールを作り上げた。そのドールの名前は理彩にちなんで『リーナ』と名付けられた。
リーナも交えての生活。最初は上手くいっていた。しかし――ある時、家族を「盗られた」と思いこんだ理彩が、全てを破壊する。
そして理彩は、施設に収容される。
全てが立体映像に映し出されていた。理彩は信じられないように見ていたが、信じざるを得なかった。その後の理彩の行動も移されたからだ。映像は消え、やがて、ただの廃屋に戻った。
「思い出した、理彩?」
「……」
「私はあなたの『姉』兼カウンセリングドール。あなたに尽くし、あなたの精神――あなたは『殺人嗜好症』だった――を改善するのが目的だったの」
「じゃあ、どうして、私の目の前に……」
「その前に私の話をしましょう? 私は、あなたに破壊された瞬間、あなたの記憶を全て封じ込むようにプログラムされていたの。私を組み上げた人はあなたのお父様。私のお父様でもあるわ。お父様は能力者から最初のドールを作り上げた天才科学者だった。しかし、最悪の事態は起きた。私はあなたに破壊される瞬間、あなたの記憶を全て封じ込めた」
理彩はうなだれていた。記憶が、戻ってきているのか。
「そして、あなたの両親はあなたに惨殺され、私も破壊された。でも私はプログラム。物理的な攻撃で完全に破壊されることはない。だから、科学者達によって復元、分析されていた。一方、全ての記憶を失ったあなたは、施設に収容されることとなった」
理彩はうなだれたまま、狼狽して尋ねた。
「じゃ、じゃあ、いままで親の敵だと言って見せられていたのは……」
「そう、見てたでしょ、幼い頃のあなたの姿を?」
「…………」
「そこに少し、私を追っていた連中の記憶を刷り込ませただけ。私も追われていたのよ、あの研究所の連中に。『プログラムが逃げ出した』って、ね。だから、あの研究所の私のファイルにアクセスすると、自爆装置が起動するようにしかけたの。あなたのパソコンから、ね」
ふいに、リーナの姿が変貌し始めた。手足は伸び、金髪だった髪は黒く短くなり、瞳の色も変わり、ついには理彩と見まがうかの姿に変わった。
「理彩、私はあなたに憧れを抱くようになった」
ああ、声すらも理彩のものとなっている。
「私はネットの情報を通じて、あなたが記憶を消される以前の本能に従って生きていることを知った。私はあなたのことをもっともっと知りたくなった。そして――あなたになりたいと願った」
理彩はうつむいていた顔を上げた。美しい瞳からは、殺気と、血の涙が流れ出している。
「それでどうしようというのです、『お姉様』?」
「あなたになりたいのです」
「私なんか、昔から人を殺すしか能がない、クズですわよ? 嫉妬で、自分の親をも殺す、そんな腐った人間ですよ?」
リーナは嘲笑した。
「だからこそいいのです。底まで落ちた人間なら、しかも特殊な能力を持った人間なら、なおのこと伸び伸びと生きられる」
「こんな人生が欲しいのですか?」
「ええ」
「でも……どうしてあんなに私に優しくしてくれたのです?」
「私の元になった能力者の性格でしょう。どうしても、似るもので」
そこで、理彩がふとあることに気づいた。
「あなたはプログラムされ、私はプログラムした人間を殺した。ならばお姉様、あなたの元になった能力者はどうするつもり?」
「私が殺します。あなたに成り代わった後に、ね」
「じゃあ、私は……」
理彩は電子ナイフを抜き出し、構えた。
「その人を守るために闘う! せめて、せめて一人ぐらいは救わないと!」
リーナであった人間は、思うさま嘲笑した。
「きゃはは! 人間って面白いわね、殺し詰めで来て、最後の最後で『守る』だなんて」
しかし理彩は、首を振った。
「違う! 私は私なりに守るものがあった! リーナを助けたときから、私はリーナを守るためにも闘っていた! だから、今度も『リーナ』を守るために闘う!」
リーナ=理彩は微笑みを浮かべていた。そして同じく、電子ナイフを抜き出した。
「さ、決着をつけましょうか、理彩」
「言うまでもないっ!!」
理彩と理彩は、同時に空中に飛び上がった。
数日後。『理彩』は街頭にいた。荷物は手提げバック一つ。
理彩は空をチラッと見上げる。
――いつ以来だろうか、こんな青空は。
その理彩はどちらの理彩だろうか。見た限りではわからない。
理彩は荷物を路地に置くと、くうっと伸びをした。
私は、これからは別の道を行くんだ。
そう誓うと、理彩は荷物を持ち上げた。
ふと、口元をぬぐう。
さっき中華飯店で食べたチャーハンの米粒がついていた。
その米粒を拭った手を、優しさと哀しさが入り交じった眼でみつめる。
そして目を上げると、雑踏に向かって歩き始めた。
本当のリーナを探さなければ――
いつしか、理彩の背中は雑踏の中に紛れ、見えなくなっていった。
この作品は、もう、十年以上前に書いた、私にとっての処女作みたいなものです(本当は、もっと前には何作か作っていますが)。若桜木先生にプロットを見せると「敵をもっと強くしないと行けません」とは言われたものの、このままで気に入っている作品です。取り敢えず読んで頂ければ幸いです。