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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

勇者召還された私が異世界で生き抜くためとりあえずメイドを手籠めにした話

指先が肌色の海に沈んでいく。

ほのかに赤らんでいるそれはとても柔らかく、蕩けてしまうほどに温かい。

肌の滑らかさも、身体の柔らかさも、体温の温かさも私とは違って。

指先を境界線にして、別の存在に触れているのだということを強く感じる。


「やはり駄目です、ヒメギシ様……このようなことは」


「駄目って、それはどうしてかしら、ステラ。私たちが女同士だから? けれど貴女は私の唇を受け入れたじゃない。それとも、貴女が私たち転移者の世話をするメイドだから? なら、滾る私の情欲を受け入れてくれるのもまた、世話の一つということでいいじゃない。それに―――」


舌先を首筋に這わすと、ステラの身体がビクリと震えた。


「貴女の身体は、とても正直みたいだけれど」


首筋や腹部を愛撫する。

彼女の肌に玉のような汗が浮かび上がり、呼吸が荒くなる。

唇を噛み、喘ぎ声を殺す彼女の唇を奪い、舌を無理矢理に割り込ませる。

口内をじっくりと蹂躙すると、次第にステラの藍色の眼に情欲の色が宿る―――こうなってしまえばもう、あとは堕ちるところまで堕ちるだけ

どの時代、どの世界であろうとも、快楽こそが極上の麻薬には変わりない。


「それじゃあステラ……貴女のこと、たっぷりと味わわせてもらうわね」


乱れているクラシックタイプのメイド服の内側に隠されている最も女性らしい部位を露わにするため、ゆっくりと剥いでいく。

フレンチキスで形だけの拒絶を失ったステラは、待ちきれないとばかりに股を擦り合わせている。


「どうかしたの?」


「あの、ヒメギシ様……私、もう」


彼女の瞳に宿る情欲の色が濁り出す。これ以上の焦らしは、毒にしかならないか。


「御免なさい、つい貴女が可愛かったから、意地悪をしてしまったわ。けれど、もう大丈夫よ―――これから貴女には、気を失うくらいに気持ちよくなってもらうから」


王城、異世界より召喚された勇者たちに割り与えられた部屋、その一室にて。

私とステラの身体は重なり、境界線を見失ってしまうぐらいに溶けて、交わる。

己の目的を果たすために、無垢なメイドをこの手で『堕とす』。

―――全てが始まったのは、異世界に召喚された『あの日』からであった。



唐突だった。

昨日まで降り続けていた鬱陶しい雨が止み、五月晴れが心地よい昼下がり。

春日野高校二年普通科二組の教室、皆がバタバタと着席し五時限目の準備をしていたとき、それは起こった。

突如として足元に現れた、巨大な光の紋様。

窓から差し込む陽光を掻き消す眩い光。

誰も彼もが事態を把握できず、悲鳴を上げることすらできなかった。

最後列の窓際という教室の端っこの席に着く私に分かったのは、その巨大な魔法陣がこの教室の全てを収めるくらいに巨大であるということと、急速に光量を増していくことから残されている時間が一秒にも満たないということだけで。


「みんなここから―――ッ」


このクラスの中心的な存在、刀財勇也(とうざいゆうや)が皆に避難するように声を張り上げたところで―――私の意識はぶつりと途切れた。


―――



「うぅ……」


脳味噌が空転している感覚を覚えつつ、私は目を覚ました。

視界に広がる、真っ赤な毛織物。私はさっきまで教室にいたはずなのだけど……駄目だ、頭が上手く回らない。

唇を強く噛み、意識をはっきりさせる。痛みが最も意識を叩き起こすのに向いているということは、実家での生活で学んでいた。

痛覚を介して送られた信号が脳へと辿り着き、中途半端に眠っている脳味噌を叩き起こす。

意識がはっきりしだし、思考が回り始めた―――瞬間。


「成功だ……成功だぞ! 勇者様の召喚に成功したぞ!」


わっ、と割れんばかりの歓声が周囲から上がった。

あまりの音量に思わず耳を塞ぎ、顔を上げ―――この時、初めて自分が座り込んでいることに気付いた―――視界に入った光景に、目を見開いた。

教室とは、なに一つとして共通点のない巨大な空間。

両端に並び歓声を上げる、西洋鎧を身に着けた何十人もの人々。

そして、一段高くなっており装飾された場所に立つ、金髪碧眼で頭に王冠を乗せている五十代の男性と、これまた金髪碧眼で豪華なドレスを身に纏う息を吞むほどに美しい同年代の少女。

―――これは、一体なんだ?


「うぅ……俺はいったい……って、ここは?」


ほんの少し離れた場所で、誰かが呻き声をあげた。意識を失う直前にクラスメイトに避難するように声を張り上げていた、刀財勇也であった。いや、彼だけではない。私の周囲で、次々にクラスメイトが意識を取り戻し、周囲に広がる光景に驚愕の声を上げている。

叫び声をあげるもの、混乱のままに頭を掻きまわすもの、まだ夢を見ているのだと逃避するもの、気持ち悪い笑みをうかべるもの―――と様々な反応を皆が示す中、豪華な衣装に身を包んでいる少女が一歩前に出る。


「我がソフィレント王国の召喚に応じていただき、ありがとうございます勇者様。どうか、魔王の脅威に晒される人類を、お救いくださいませ」


心地よいソプラノの声でそう告げると、少女が頭を垂れた。

周囲がざわざわとどよめくのを見るに、この少女が頭を下げるという行為は「あり得ない」ものなのだろう―――というか、この少女は何と言った?

ソフィレント王国? 勇者様? 魔王? なんだその、ファンタジーじみた名詞の数々は。


「ちょ、ちょっと待って、勇者とか魔王とか一体何の話!? それに、個々はどこなの!? 私たちは春日野高校の教室にいたはずなのに!」


刀財勇也の隣、柊奈々音(ひいらぎななね)が声をあげた。

気の強さを伺わせる目と眉を吊り上げ、皆の気持ちを代弁した問いかけをする。


「一体何の話……ですか? 貴方様方は勇者様ではないのですか?」


「だから勇者ってなんのこと? 私たちはただの学生よ!」


「学生? ですが、私たちが召喚願ったのは勇者様のはず―――」


「勇者なんて知らないわよ! いいから私たちを学校に帰しなさいよ―――」


会話が噛み合わず、雰囲気が徐々に剣呑なものへとなっていく―――これは、まずい。

不穏な空気を感じ取った両端に整列している西洋鎧を着こんだ人たちが、腰に下げている剣の柄に手を当てている。

もし、私たちが直接的な行動をとったら、すぐさま取り押さえるつもりなのだろう。

これだけの護衛に守られる立場であるあの少女に手を出そうものなら、どうなるかなど想像に難くない。

今すぐにでも矛先をおさめ少女の話を聞くべきだが、ヒートアップしている柊奈々音はその考えに至らないだろう。

さらに、空気に当てられて混乱していたクラスメイト達も柊奈々音に協調して声を張り上げ始めていた。

方法など関係なく止めなくてはいけない―――と考えたところで、今の今まで座り込んでいたクラスメイトの一人が、勢いよく立ち上がった。


「異世界転移キタァァァァァァッ!! まじかよまじかよ、とうとう来ちゃったよ、俺の時代が!! 勇者に選ばれた俺がチートな能力でハーレムを作る最高の俺物語が始まっちゃうってか!? ツンデレ姫様にロリっ子ドワーフに恥ずかしがり屋のエルフにエッチで爆乳なサキュバスお姉さんーーーくぅ、夢にまで見たエロエロなハーレムが俺をまってるぜ!」


両手を振り上げて叫んでいるのは、石弥斉之(いしやまさゆき)。クラスの中でも一、二を争うオタクである彼なのだが……助かった。

欲望に塗れた叫び声に、ヒートアップしていた少女や柊奈々音だけでなく、西洋鎧を着こんだ方々も、クラスメイトも、ポカンとした表情で彼をみた。

奇妙な静寂が、広間に訪れる。

自分に向けられる数多の視線に気が付いた石弥斉之は突き上げていた手を下ろすと、視線から逃れるようにそっと座った。いや、周りが立ち上がっているのに座ったら、それはそれで目立つと思うのだけれど。

ごほん、と刀財勇也が咳払いをし、場を仕切り直す。


「どうにも互いの話に食い違いがあるようですから、ひとまず話し合う合うところから始めませんか?」


―――


ソフィレント王国―――ニベロ大陸東部にある千年の歴史をもつ大国であり、大陸内で唯一勇者を召喚する術式を保有しているこの王国は、現在危機に陥っていた。

二ベロ大陸に、『魔王』が現れたのだ。

魔王とは文字通り『魔』の王様。あらゆる魔物を従わせ、世界に災厄と殺戮を振りまく暴虐の王。

百年に一度現れるという魔王に、人類は生存圏を脅かされ、結果としてすでに大陸の半分が魔王の手に落ちてしまった。

まだ崩壊していない国々は協議をし、ソフィレント王国に勇者償還の儀を行うように要請、王国もそれを快諾し、勇者召還を行った。

そうしてこの世界に召喚されたのが、私たち春日野高校二年普通科二組の生徒たちであったのだ―――



理路整然とした少女―――エリエステル・フォン・ソフィレント姫の説明。透き通った声音が鼓膜を揺さぶり、抵抗なくその言葉が脳に染み渡る。

天性のもの、ではないだろう。

発声方法、抑揚、間のとり方―――どれもが大勢の人間に対して演説するのに適した方法だ。王族として必要な技能だから、身に着けたものなのだろう。

クラスメイトの半数が、姫に話術に引き込まれてしまっている。


「あの、質問よろしいでしょうか?」


「はい、何でしょうか勇者様」


「先ほどの説明で、私たちがいるこの場所が異世界であることは理解しました。つまりあなた方はこのソフィレント王国は魔王と戦わせるために、私たちを召喚したということで間違いありませんか?」


怜悧な印象を受ける顔立ちをした神宮司奏(じんぐうじかなで)は姫を真っ直ぐに見据え、率直な質問を口にした。

魔王の危機にさらされた諸国の要請に応じて、ソフィレント王国は勇者召還の儀を行った―――つまり彼らの言う勇者とは魔王と打倒する者であり、召喚された私たちはその役割を求められている、ということになる。


「はい、その通りです。我がソフィレント王国では、過去に何度か勇者召還の儀を行った記録があります。その記録によれば、召喚された勇者様は皆、凄まじい力を有し、瞬く間に世界を救ったと記されています。ですので、どうか―――」


「すみません、もし差し支えなければ、私たちの話を聞いてもらえますか?」


神宮司奏が代表し、私たちの話をする。

ここにいる全員が春日野高校に通う学生であることと、命が脅かされることのない平和な国で暮らし、戦争や殺し合いどころか本気の喧嘩すら経験したこともない者もいるということを。

神宮司奏の話を聞いていくうちに、姫が顔色を青褪めさせていった。


「勇者様が……ただの学生? 私たちはただの学生を―――この戦争に巻き込んでしまったということですか?」


その顔に浮かぶのは、関係のない人間を巻き込んでしまったことへの罪悪感と、自分がどれほど取り返しのつかないことをしてしまったのかを理解しての、恐怖。

エリエステル・フォン・ソフィレントという少女の反応を見る限り、勇者であるから戦え―――というスタンスではなさそうだ。それが演技なのかは、分からないけど。


「そんな……では私は―――」


「エリステル、お主のせいではない。勇者召還の儀を行おうといったのは確かにお主だが、それに許可を出したのは私だ。その責任は、全て国王である私にある」


今まで口を閉ざしていた壮年の男性が、前に出る。

エリエステル・フォン・ソフィレントと並び立つ男性は、恐らく―――


「申し遅れた。私の名はべリトルト・フォン・ソフィレント。この国の王だ」


男性の口から告げられたその言葉に、驚きはなかった。

膝をつき頭を垂れたくなるほどの、重厚な雰囲気。声音には、王国を背負い続けた人間だからこそ纏える、威厳と重厚さがあった。

無意識に、背筋が伸びる。


「此度の勇者召還の儀を行う許可を出したのは私だ。つまり、勇者様方がこの世界に召喚されたのは、私のせいであるともいえる―――だが、謝罪はしない。私は王として間違った判断はしていないと確信しているし、また貴方方が勇者ではないと決まったわけでもない」


「決まったわけでもないって、私たちはただの学生だってさっき説明したでしょ!」


王の言葉に、柊奈々音が噛み付く。

しかし、この王様が頭を下げることはないだろう。彼が頭を下げるということは、イコールで『ソフィレント王国そのもの』が私たちに謝罪していることになる。


「聞いた。だが、貴方方に何の力がないということも、証明されたわけではない」


「つまりソフィレント王は、私たちに戦えというのですか?」


「否、それもまた違う。他の世界から招いた学徒を強制的に戦争に放り込むなどしない」


「なら、私たちを元の世界へと帰してはもらえませんか?」


「それは今すぐにはできない。貴方方は元の世界への送還を望んでいるのだろうが、送還するのに必要な条件を揃え、儀を起動するための魔力が満ちるまでに、約一年かかる。つまり、貴方方を元の世界へと送還することもまた、できない」


元の世界へと帰る方法がある―――その言葉に、クラスメイト達が湧き立つ。

帰る方法が存在する、その情報だけでも幾分か心が軽くなる。

一年間、どう足搔こうともこの世界で暮らさなくてはならないが。


「故に、貴方方には訓練を受けていただきたい。基礎的な魔法学、戦闘訓練。それらを行って、本当に貴方方が勇者でないのかを、確かめさせてほしい。そしてもし、貴方方に勇者足りえる力があったならば―――どうか、この世界を救ってほしい」


威厳に満ちた言葉が、広間に響く。反射的に「はい」と答えそうになっているクラスメイトを制して、神宮司奏が応答する。


「王様のお言葉、確かに拝聴させていただきました。そのうえで申し上げますが、どうか私たちに話し合いをする時間をいただけませんか? 情報を整理し、各々がどういう道を選択するのか決めるための、時間が欲しいのです。明日には必ずお答えしますので」


「構わん―――エリエステル」


「はい。では、皆様を宿泊していただくお部屋と、ご相談する大広間にご案内させていただきます」


姫の言葉に応じて、両端から数名の鎧を身に着けた男女―――推測するに騎士だろう―――が出て、私たちを先導する。

神宮司奏のおかげで時間を手に入れることはできたが……はてさて。


―――


勇者のために用意された別館は、凄まじい広さであった。

春日野高校二年普通科二組の生徒三十名が宿泊できる部屋数に加え、専属メイドたちの部屋、騎士たちが使用する宿直室、それ以外にも王家秘蔵の蔵書が保管された図書館、春日野高校の校庭よりも広い庭園、百人は収容できる大食堂がある。

案内された部屋は、簡素ではあるがそれなりに広い部屋であった、

木製のベッドに、木製の机。衣服をしまえるクローゼットに、身支度を整えるためのドレッサーも置かれていた。


「さてと……話し合いの前に、色々と考えておかないといけないわね」


クラス全員での話し合いは、今から三十分後に行われる予定であった。

勇者として異世界に召喚され、魔王だの勇者だの説明されたクラスメイトは皆いっぱいいっぱいで、情報を整理するための時間が必要だと神宮司奏が判断したためだ。

―――この後の話し合いは、どうせ一つの『結論』に辿り着くだろうから、私が考えるべきことは別のことね。

ソフィレント王が提案した訓練云々において、私たちが選べる選択は『一つ』だけ。話し合いがどういう道筋を辿ろうがそこに辿り着くし、もし辿り着かなければ私が直接告げればいい。

だから私が考えるべきことは、『生き残るために』どう行動するかということだけだ。



―――コンコン。

扉がノックされたのは、きっかり三十分後のことだった。


「はい、どうぞ」


「失礼いたします。神宮司様より、皆様に大食堂に集まるようにとの伝言でございます」


「ありがとうございます。すぐに向かいます」


「では、ご案内いたします」


部屋に入ってきたのは、クラシックタイプのメイド服に身を包んだ使用人であった。

王城に努めているだけあってその所作は美しく、思わず見惚れてしまうほどであった。

―――今のところ一番驚いたのは、メイドも含めて美形が多いってところかしら。

勇者として召喚された私たちは、全員が別館にある部屋を割り当てられている。その別館には、私たち専属のメイドが何名もいた。

炊事、洗濯、掃除―――基本的な雑用の全てを行ってくれる彼女たちは、どうしてだか美人ばかりであった。私を呼びに来たメイドも、元の世界であったら街を歩くだけで人だかりができることだろう。実際、メイド達を目にした男子生徒の殆どが、顔を赤らめていた。

……邪推するのならば。

美人が多く配置されているのは、あわよくば勇者の『子種』を貰えるかもしれないからだろう。子供を授かれば最高、絆されてこの世界に永住してくれれば僥倖といったところか。

女性ばかりで美男子がいないのは、戦力となる勇者が身重になることは避けたいからか。



「……まぁ、どちらにしろ私には関係のない話かしら」


「どうかされましたか?」


「いえ、なんでもありません」


特にメイドと会話をすることなく歩き、大食堂へと到着する。


「あ、姫岸さん。まだ半分くらい来てないから、好きなところに座って待ってて」


「どうも」


大広間に入ると、刀財勇也が声をかけてきた。適当に答えると、私は端の席を確保して、着席する。

大食堂の入り口に目を向けると、刀財勇也が別のクラスメイトに話しかけていた。

クラスの中心であり誰にでも優しい彼は、どうやら一人一人に声をかけているようだ。

メイドに先導されたクラスメイトが集まり出し、五分とかからず全員が揃った。

皆の前に立った刀財勇也が、ぐるりと私たちを見回すと、口を開く。


「皆、疲れているだろうに集まってくれてありがとう。急に異世界だとか勇者だとか言われて、混乱していると思う。勿論、僕も混乱している。だけど、いつまでも混乱しているわけにはいかない。皆で話し合って、これから僕たちがどうしていけばいいのかを―――」


「御託がなげぇんだよ。いいからさっさと始めろや」


遮るように、粗野なヤジが飛ぶ。

私が座している席とはちょうど反対側、だらしなく椅子に寄り掛かり足をテーブルの上に投げ出した豪徳龍治(ごうとくりゅうじ)が不機嫌そうな表情で刀財勇也を睨んでいた。

彼の両隣には、彼について回る子分の阪真田佐那出(さかまださなで)鳶唐大吾(とびとうだいご)が座っていた。


「ちょっと、余計なヤジを飛ばさないでよ! 勇也が話しているんだからさ!」


「うるせぇな。俺はどうでもいいお為ごかしなんていいからさっさと始めろって言ってるだけだ。一々ギャーギャー騒ぐんじゃねぇ」


「なによその言い草! だいたい―――」


「まぁまぁ、落ち着いてよ奈々音。豪徳も悪気があっていってるわけじゃないしさ。それに、僕の話が長いのも事実だから。それよりもありがとう、僕を庇ってくれて」


「勇也……」


頬を赤らめる柊奈々音。彼女が刀財勇也に惚れているのは、クラスメイトの周知の事実であった。ついでに言えば、豪徳龍治が刀財勇也にやけに絡むのもその辺りが関係しているのがだ―――馬に蹴られたくはないため、誰もそれを追求しようとはしない。


「さて、それじゃあここからは私が話を引き継がせてもらうわね」


このままでは話が進まないと判断したのだろう、神宮司奏は席を立つと、刀財勇也と柊奈々音を放って話を進める。


「元々、この話し合いの場は私が設けたものだし、責任をもって進行役を務めさせてもらうわ。とはいえ、話し合いというよりも全員の認識を共通させて足並みを揃えようって話になりそうだけれど」


どういうことだと首を傾げるクラスメイトに、神宮司奏は特にためることなく告げる。


「あの時―――ソフィレント王が私たちに訓練に参加してもし力があったなら云々と説明した時、彼は『訓練した』場合について説明したけれど、『訓練しなかった』場合についての説明はしなかったわ。ただ言いそびれた可能性もあるけど『訓練に参加しなかったものは勇者としては認めない』って解釈したほうがいいわね」


「いまいちわかんないんだけど、それって何か不味いのかよ」


前の席に座る男子が挙手し、問いかける。

他に何名か理解できていない人がその問いに賛同する中、神宮司奏の言葉の意味を理解した何名かの生徒が、顔色を青くしていた。


「不味いどころの話じゃないわよ。いい、私たちが今こうして部屋を与えられ、生活を保障されているのは偏に『勇者かもしれないから』よ。もし、ここで全員が勇者じゃないから訓練したくない、なんて言ってみなさい。絶対に掌を返されたような待遇に落とされるわよ。最悪、格好の実験材料として非人道的な扱いをされる可能性すらありえるわ」


「ちょ、ちょっと待てよ! 非人道的な行為って……それはあくまでも、神宮司の推測なんだろ!?」


「ええ、そうよ」


勢いよく立ち上がった堂島卓(どうじまたく)に神宮司奏は淡々と答えた。

クラスではお調子者で通っている彼が表情を強張らせていることが、今の状況の危うさを表していた。


「だったら、本当にただ言わなかっただけかもしれねぇじゃんかよ! それに、いざとなったらあのお姫様を頼ればどうにかなるかも―――」


「かも、でしょう? そもそもあのお姫様がソフィレント王国でどれだけの権力があるのか、堂島君は分かるの?」


「そりゃ、分からねぇけどよ……んなもん、神宮司だって分かんねぇことだろ!?」


「確かに分からないわ。だからこそ私は最悪の場合を口にしているのよ。だって、死にたくなもの」


『死』

その単語が、じわじわと実感を伴ってクラスメイトに浸透し、恐怖が伝播していく。

親や教師の庇護がない異世界、頼れるのは自分を除いた二十九名のクラスメイトだけ。


「……なんだよ、そりゃあよ。だったら俺たちはどうすればいいっていうんだよ!」


「嫌だよ、私……死にたくない」


「はははっ、やっぱりこれは夢なんだよ。だからほら、頬を抓ればきっといつものベッドで目を覚ますはずだ―――」


十代半ばの少年少女には重すぎる現状を前にして、クラスメイトの大半がパニックに陥る。

死にたくないという欲求だけが先行し、どうにかして死なない方法はないのかと騒ぐ。

情報もなく、力もない今それを口にしたところで意味はないのだと気づかない―――否、気づけない。

このままパニックを放置したら最悪の場合、爆発しかねない。

クラスメイト同士での取り返しがつかないほどの諍いか、はたまた召喚したソフィレント王国への抵抗かは分からないが。

そんな状況になってしまうのは面倒だし、何より巻き添えを食いたくない。

なので、刀財勇也や柊奈々音が場をとりなそうとするよりも早く―――パンッ、と柏手を打った。

大広間に響き渡った破裂音に、虚を突かれたクラスメイトが肩を揺らし、こちらへ向く。


「―――静かになったみたいね。神宮司奏さん、お話の続きをどうぞ。あぁ、またパニックになっても困るから、恐怖を煽らないように話してもらえると助かるわ」


「え、えぇ……」


普段、クラスメイトと交流を図ろうとはしない私が起こした行動に面くらったのだろう、神宮司奏は幾ばくか固まったのち、咳払いをして話を再開させた。


「悲観的な話ばかりして、混乱させてごめんなさい。つまるところ私が言いたかったのは、私たちが自己の安全を確保することができる選択肢は『訓練を受けること』しかないってことなのよ。訓練を受けている間は、私たちが勇者かどうかを見極める必要があるから、手を出される心配はないから」


「ちっ、気に食わねぇな。言いなりになるなんざよ」


「うるさいわね豪徳! 嫌なら自分だけ訓練うけなければいいじゃない!」


「あ!? 誰もそんなことは言ってねぇだろうがよクソ女!」


「まぁまぁ、二人とも落ち着いて」


なぜか喧嘩を始めた柊奈々音と豪徳龍治に、それを宥める刀財勇也を放置して、話は先へと進んでいく。


「私は皆の安全のためにも、全員で訓練に参加するべきだと考えているわ。というか、断られても無理矢理訓練に参加させるつもりだったけれどね」


「だったら、最初からこんな話し合いする必要なかったんじゃないか?」


「それについては最初に言ったでしょう、足並みを揃えるためだって―――まず、私たちの目的は『元の世界に帰ること』これについては相違ないわよね?」


「当たり前だろ、そんなこと」


クラスメイト全員が、頷く。

相違あるものは『今』はいないだろう。

誰もが、元の世界へ帰りたいと思っている。


「いいえ、ここが何よりも重要なのよ。『元の世界へと帰ること』―――それは決して『魔王を倒すこと』でも『この世界を救うこと』でもないわ。『一年後、元の世界へと帰るその日まで、誰一人欠けることなく生き抜くこと』―――これこそが、私たちが心に掲げておくべきもの。例え何があろうとも、決して忘れてはいけない目的なのよ」


「生きて、元の世界へ帰る……」


明確な目標を持つことで、人間は強くなる。

辿るべき道があるだけで、頑張ることができる。

足並みを揃えるとはつまり、クラスメイト全員が『元の世界へと帰る』という道を歩くと決めることだ。


「―――奏の言う通りだ。困っている人を見捨てることはできない、助けを求めている人を放っておくことはできない。けど、そのためにクラスメイトの誰かが死んでしまっては駄目だ。必ず、全員で生きて、元の世界に帰ろう」


立ち上がった刀財勇也が、クラスメイトを見回して、そういった。

さっきまで憤慨していた者が、悲しみに暮れていた者が、現実逃避をしていた者が、まるで彼の言葉に火をつけられたかのように、瞳に意思の輝きを灯して賛同した。

一種のカリスマなのだろう。彼の言葉は、損得関係なく人の心を揺さぶる。

だからこそ彼はこのクラスの中心人物であり―――それゆえに厄介な存在だ。


「それじゃあ皆、明日から一丸となって頑張っていくぞ!!」


「「「おぉ!!」」」


 重なった叫びが、大広間を揺さぶった。


―――


「美味しい料理に綺麗で広いお風呂……下手な旅館よりもいい設備じゃない、ここ。」


日の暮れた異世界は、元の世界に比べ暗かった。

この世界には魔力を注ぐことで動く道具―――『魔具』である魔灯が設置されているそうだが、白熱電球やLEDと比較すると光量はかなり弱く、蝋燭を使うよりは多少まし程度であった。

元の世界でならば数千円はするのではないかという料理に、教室よりも広い浴室を堪能し、ふわふわふかふかのベッドに寝転がる―――なんだろうか、急に元の世界に帰りたくなくなってきた。旅行の最終日みたいな感じで。


「冗談はさておいて……眠る前のルーチンをさっさとこなしましょうか」


睡眠前に身体の隅々までメンテナンスを行いつつ一日の出来事を整理するのが、私のルーチンであった。

身体を起こし、柔軟体操を行う

腰を下ろした状態で脚を大きく開き、身体を倒す。上体がぺたんとベッドにつく。

異世界転移に、勇者に、魔王―――今日あった出来事だけを並べてみる。もし他人の話であったら、即座に嘘だと判断する内容だ。


「神宮司奏が矢面に立ってくれたから助かったわ。下手に目立つ羽目にならなくて」


訓練に参加すること、クラスメイト全員で元の世界へ帰ることを目標とすること―――もし神宮司奏が提案しなければ、目立つリスクを負ってでも提案するつもりだった。

全員が訓練に参加するという従順性を見せれば王国に下手な介入をされないだろうし、全員で目的を一致させれば離反者を出しにくい情報にもできる。


「すでに話し合いの時点で、何人かおかしな行動をとりそうな人がいたものね」


環境が変われば、人は変わる。そしてその変化は、必ずしも好ましいものとは限らない。

大広間の端で観察していただけでも三人。

彼らの行動には、今後は注意を払っていく必要がある。


「あぁ。まだ一日も経っていないのに、面倒なことばかり―――」


私はなんとしても、元の世界へと帰らなくてはならない。あの世界には、置いてきたものが多すぎる。

―――私の生家はいわゆる裏稼業を営む一族で、常に陰謀と策略の絶えない環境で生きてきた。

この世に生を受けた瞬間から人間の悪意に晒され、年齢を重ねるごとにこの世の醜さを知り、他者を懐柔し、利用し、欺く手腕だけが磨かれていく。

私はそんな世界で、ただただ自分の居場所を守るためだけに足掻いてきた。

自分の居場所を守るためだけに、他者を利用し、騙し、蹴落として生きてきた。

私はただ自分がのんびりと暮らせる場所を守ろうとしただけだったのに、いつの間にかその場所は他人の命を背負い、導くものへと変わっていた。

気が付けば私についてきてくれる人が増えていき、やがて私は彼らを束ねるものになった。

居場所は変わっていないはずなのに、その高さが変化していった。

面倒で、厄介で、投げ出したくなるけれど、それでも私が守り抜きたいと思った場所だ。

だからこそ、それに伴う義務も責務も、放棄するつもりは毛頭ない。


「『長』なんて肩書は重過ぎるけど、急になくなるとそれはそれで気持ち悪いのよね」


私は必ず元の世界へと帰る。障害となりうるものは排除するし、敵対するものは反抗の意志すら抱かぬほどに磨り潰す。例えその相手が、同じ世界から来たクラスメイトであろうとも。

己の目的のためならば、他者の幸福を踏み潰し、尊厳を踏みにじり、その命を奪おう。

ありとあらゆる手段でもって元の世界へと帰る―――これが私の『指針』だ。


「目下知らなくちゃいけないのは、この世界の『法則』ね。魔法、勇者、魔王―――それ以外にも、勇者召還を行ったこの国についても調べないと」


情報こそが最大の武器であることを、私は知っている。

この世に運などなく、より情報を多く入手し、その情報を正確に把握して利用したものが、『幸福』という『必然』を手にすることができる。

偶然辿り着くのではなく、理路整然とした筋道を立て、己が望む『幸福』を手に入れるのには、何よりも情報が必要なのだ―――だから、私がこの世界でやることは、変わらない。

元の世界でやってきたように、懐柔し、利用し、欺き―――手に入れる。

時間をかけてストレッチを終え、魔具の灯りを消してベッドへと潜る。

―――訓練を通し魔術を知りつつ、懐柔できそうな人材を探していこう。

簡単な方針を決めると、私は眠りについた。


―――


魔法とは、特別な力を持つ『言語』と円環内に記された紋様自体が力を持つ『陣』を組み合わせることで発現する現象の総称である。


力を持つ特別な言語―――『魔法言語』は単語一つを記すだけでその単語の現象を発生させる。例えば、紙に『炎』と書くと、その文字から炎が発生するのだ。

この魔法言語は人間が持つ『魔力』をエネルギーとして現象を発生させるのだが、元々人間が持つ魔力自体は多くないため、魔法言語で記した文字が起こす現象は、かなり小規模なものなる。先ほどの『炎』ならば、ライターの火よりも少し強い程度の『炎』しか発生しない。


人間の魔力では扱いきれない魔法言語、それを実用可能な段階にまで押し上げるのが『陣』だ。

円環の内側に紋様を描き、特別な効果を生む―――それこそ、元の世界における魔法陣に近い。

異なるのは、あくまでも線の組み合わせで効果を発揮するため『図形』でなくとも問題ないことと、魔法言語と組み合わせるために作られたものであるということだ。


陣の効果は、エネルギーの効率運用と現象への指向性付与。

この陣に魔法言語を組み合わせることで、圧倒的に少ない魔力で大規模な現象を発生させることができる。さらに、指向性を持たせることでより目的に特化した形で現象を発生させられる。

紙に記した時はライターの火よりも弱かった炎が、陣と組み合わせることで藁人形であれば容易に燃やし尽くせてしまうほどの火力になり、更には槍や球状での攻撃を放つことができる。


魔法言語と陣の組み合わせは無限大であり、故に使用者の性格やその魔法に求めるものによって、発現する現象が異なるのだ―――


「―――魔法言語とか魔力とかよくわからない説明だったけれど……なるほど、実際に使ってみるとよくわかるわね」


火球を放った己の掌を見て、私はぽつりと呟いた。

一夜明けて、ソフィレント王へ訓練を受ける旨を伝えると、さっそくということで私たちは王城内にある訓練場へと連れていかれた。

だだっ広い訓練場には、壁に取り付けられた的や人間大の木製人形、鉄製の武器など様々な物が置かれていた。

習うより慣れろ―――過去に召喚された勇者たちがそうであったように、勇者として召喚された私たちも言葉で説明されるよりも実際にやってみたほうがやり方が分かるはずだ、ということで説明もそこそこに訓練場で魔法を扱うことになった。

魔力とか、魔法言語とか、指向性とか、聞いたうちの半分も理解できない説明だけをされ、さぁやってみましょうと言われてやらされた結果―――あっさりと、魔法を発現させることができた。春日野高校二年普通科二組の全員が。

己の掌から人の頭よりも大きい火球が放出された。まさしくファンタジーな現象を前に、呆然とする者もいれば、異様なほどに興奮して騒いでいる者もいる。


「この紙のおかげというのもあるんでしょうけれど……それにしたって、気持ち悪いわね」


訓練に際して私たちに手渡された紙には、最も基礎的な『火』の魔法言語と『球状にして放出する』という指向性を持つ陣が書かれている。これに魔力を通すことで、私は火球を放つことができたのだ―――が。

その事実を前にして、私は驚きよりも気持ち悪さを覚えていた。


なぜならば―――理解できるからだ。

紙に書かれた魔法言語の意味が、陣といて記された紋様の効果が、体内を流れる魔力が。

人生で一度も触れたことはなく、ほんの少しばかりの説明を聞かされただけなのに、歩くのと同じような感覚で―――当たり前のような感覚で、扱えてしまった。

まるで、私の脳にどう扱えばいいのか、全て刷り込まれているような気持ち悪さ。

知識なんて一切なく、こうして実際に火球を放った今も状況を上手く処理できていないのに、脳と身体だけは何年も訓練したかのように違和感を一切覚えていない。

それを気持ち悪いといわずに、なんといえばいいのか。

クラスメイト全員がミスをすることなく一発目から成功させるなど、異常過ぎる。


―――勇者として召喚された私たちには、そういう知識が刷り込まれているのかしら。

分からない。

分かるとしたら、もし何かされていたとしたらすでに手遅れだろうということだけ。


「素晴らしい! 流石は勇者様方だ! 発現させるまでに半年はかかるはずの魔法を、こうも簡単に発現させるとは!」


私たちを訓練場へと案内した騎士の一人が、驚きと称賛の声を上げる。

壁際で護衛するように―――あるいは監視するように―――こちらを見ていた騎士たちも

皆一様に驚きの表情を浮かべていた。


「すごいな……これが魔法か」


「不思議だね。あんな大きな火球が近くにあったのに、まったく熱くなかったし。というか勇也の火、私の倍くらい大きくなかった?」


「うぉーッ! すげーッ! 俺の手から火が出たんだけど、ちょーかっけーッ!!」


「うわぁ、スマホがあったらなぁ……絶対バズるのに」


「ふひひっ、現地人を圧倒的に上回る才能……これぞ異世界転移の醍醐味だよ。後は俺専用のチートが手に入ればハーレム待ったなしだな」


騎士に手放しで褒められたからか、気を良くしたクラスメイトの雰囲気は一気に興奮へと偏り、さながらお祭り騒ぎの様相を呈してきた。

誰も彼もが好き勝手に火球を放ち、どっちの方が早く的に当てられるかなんて言う競争を始めている者たちもいた。

理解しているのだろうか。今自分たちが扱っている者は、魔王との戦争に際して使われる道具であり―――人殺しの技であることを。


「―――ねぇ、姫岸さん。ちょっといいかしら」

名を呼ばれて振り返ると、そこには憂い顔を浮かべた神宮司奏がいた。


「なにかしら?」


「……貴女は、今私たちが扱った魔法についてどう思う?」


「どうして私にそんなことを聴くのかしら? 貴女には他に仲が良くて話を聞きやすい友人が何人もいるでしょう?」


「いや、なんていうか……姫岸さんが一番冷静の物事を見えているような気がしたから、かしら。会議の時、騒ぎが大きくなりそうなのを冷静に止めたのを見て、そう思ったのよ」


「別に、あの時はただ騒がしいのを嫌っただけよ」


「だとしても、姫岸さんにはどう見えているのか、私としては興味があるの」


あしらおうとしても一歩も引かない彼女に、私は数秒押し黙る。

さっさと諦めてくれたらそれでよかったが、思いつめた表情に気が変わった。


「……魔法については、ただただ気持ち悪いと思うわ。知識も経験もないのに、たった一回軽くやってみたら平均を大きく上回る結果が出たんだもの。けれどそれ以上に、恐ろしいわね。こんな簡単に、人を殺すことのできる力を扱えるこの世界が」


元の世界でも、簡単に人を傷つける道具を手に入れることはできた。

包丁、拳銃、爆弾―――だが、十数年も生活する中で、それらが持ちうる危険性というのは、なんとなくわかっていた。だからこそ、それらの凶器を簡単に振るうことはしなかった。

けれど、この魔法は違う。

まるで物語の世界に入り込んだかのような錯覚を抱き、その危険性に疎くなる。

容易に扱えるからこそ、誰かを小突く感覚で使えてしまう。

魔法に関する知識も倫理も皆無のくせして、扱える力の殺傷能力は非常に高い。


「元の世界で例えるならば、ヤンチャな少年にロックのかかっていない拳銃を渡して、ただ撃ち方だけを教えただけ―――みたいな状況かしらね、これは。正直、いつ死人がでても私は驚かないわ」


「……姫岸さんも、そう思うのね」


神宮司奏が、重苦しい声音でそういった。

どうやら、彼女も私と同じ危険性に気が付いていたようだ。そして同時に―――悔いている。


「話したらどう?」


「え?」


「別に興味ないけれど、話しかけてきたということは話したいことがあるということでしょう? なら、暇だから聞いてあげることぐらいはしてあげるわ」


「……なら、お言葉に甘えさせてもらおうかしら」


魔法を放ちはしゃぐクラスメイトを他所に、彼女は静かに語り出す。


「皆を集めた話し合いで、私は訓練に参加するように言ったわ。あの時はそれが最善だと考えたから。私たちが戦えるようになるまでには相応の時間が必要で、それだけの時間を稼げれば何か他の道を見つけることができるかもしれないって、そう考えた結果よ―――けど、現実は違った。まさか、たった数時間で魔法が扱えるようになるとは思わなかった。たった一回の魔法行使で、戦力になりうることを証明してしまうなんて思いもしなかった。私が安全だと考えて、皆を巻き込んで選んだ選択肢は―――結果、最も早く皆を戦争へと巻き込んでしまう危険な選択肢だった」


最善だと判断して選んだ選択が、たった一日で最悪の選択へと引っ繰り返った。

命を守るための選択が、血みどろの道へと変貌してしまった。

それは偏に、神宮司奏が皆を先導して訓練に参加させたから―――


「結局私がしたことは、全て間違っていたのよ。もし、これで誰かが傷ついたり……死んでしまうようなことがあったら、それは私の責任―――」


「―――そんなわけがないでしょう。そもそも、貴女があの時皆にあの道を示さなかったら、私が代わりに言っていたわ。あの状況で、手元にある情報を冷静に精査したら、誰もが同じ選択に行き着くわ。だから、別に貴女のせいではないのよ」


あの場では、あれ以外の選択肢はなかった。

訓練に参加するという選択肢が血みどろの道だとして、他の選択肢の方がよい状況になっていたという保証はない。訓練に参加しないという選択肢がデッドエンドに繋がっていた可能性だって、大いにある。


「あれを選んでいたら、これを選んでいたら、なんて考えるのは無駄よ。過去に遡って選択を変更できない以上、時間をただ浪費するだけの自己満足な行為でしかないわ」


「辛辣ね……」


「事実だもの。選んで、最悪で、悲嘆するのは個人の自由だけれど、悲嘆したままで終わるのはただただ無責任な行為よ。自分の選択に責任を感じているのならば、今自分が何をすべきなのかを考えるべきよ」


「何をすべきか……?」


「例えば、なにがあろうとも皆が間違った方向や厄介な方向に進まないよう、舵をとれる立場に居続けるために努力をする、とかかしらね」


行為には責任が伴う。己の意志か他者の思惑かは関係なく。

その責任は放棄したところで法的な罰則はなく、他者から非難されることもない。けれど、放り投げてしまえば、私を私たらしめている大切な『何か』を失う。

その感覚は私だけのものなのかもしれないけれど、それでも私はその『何か』を失いたくないから、己の行為に責任を持ち、失敗してしまったときはどうするべきかと考え、行動する。

立ち止まり、悲しみ、嘆くことは、責任を取っているように見えるだけで、その実ただただ己の責任を投げ捨てて自己を慰めているだけだ。


「私は貴女とは友達ではないし、詳しくは知らないけれど―――神宮司奏という人間ならば、その程度のことはできるはずよ」


「詳しく知らないけどできるって……随分と無責任な言葉ね」


ふっと、神宮司奏が力の抜けた頬笑みを浮かべる。

思わず『食べてしまいたくなる』くらいに綺麗な笑みに、目を奪われた。


「姫岸さん、ありがとう。話を聞いてもらったら少し楽になったわ。……自分がどうするべきか、改めて考えてみる」


「そう」


それじゃあ、と神宮司奏は私の傍を離れ、友人のもとへといった。

……惜しいことをしたかしら、とほんの少し後悔する。

綺麗な少女だとは認識していたが、あんな見惚れてしまう表情ができるとは。

唾をつけておくではないけれど、わざと答えを焦らして多少親密な関係を築いてもよかったかもしれない。


「やっぱり、後悔しない選択なんてものは異世界であろうとも存在しないのね」


そんなことを呟きつつ、私は魔法陣の描かれた紙に魔力を通した。

私に今できること―――少しでも魔法に触れ、その理解を深めるために。


―――


訓練を開始してから、一週間が経過した。

最初は戸惑いや興奮の大きかった魔法ではあったが、一週間も経過すればまるで幼子の頃から知っていたかのように、当たり前の存在になっていた。


初日であっさりと魔法を発動してから、クラスメイトの誰もがメキメキと腕を上達させていき、いまでは全員魔法陣が描かれた紙がなくとも魔法を発動できるようになった。

体内に魔力を用いて疑似的に魔法陣を描いて発動する、高等技術。

本来であれば魔法を習得した人間が何年も訓練を重ねて、ようやくたどり着ける境地―――らしいのだが、私たちは誰一人として躓くことなくあっさりとその境地に至った。

それを才能ある選ばれた人間だからと解釈して喜ぶものがいれば、あまりの上達の速さに気味悪がるものもいた。私も、気味悪がっていたうちの一人だ。

ページの欠落した小説を読まされているような、本来ならばなくてはならない過程をすっ飛ばしているにも関わらず違和感なく目的を達成してしまっているような、気持ちの悪さ。

喜ぶものと、気味悪がるもの―――クラスメイト間で認識の差が生まれだした。


そして一週間が経過した今、その認識の差をさらに広げる事態が発生していた。

訓練を行っていく中で、クラスメイト内でその実力に明確な『差』が生まれだしたのだ。


まず―――刀財勇也、柊奈々音、神宮司奏、豪徳龍治など、すでに王城内には比肩する者がいないほどに魔法の腕前を高めている者達。すでに魔王との戦闘に参加しても、多大な功績を残すだろうと期待されており、彼らだけを指して『勇者』と呼ぶ者が出始めるほどに、規格外な成長をしていた。


次に―――堂島卓、阪真田佐那、鳶唐大吾など、刀財勇也達ほどの実力はないが、王城内でも渡り合えるのは数人程度しかいないほどに魔法を扱える者達。その実力は、この世界においてトップクラスに属する者達に比肩しうるほどであった。だが、『勇者』と呼ばれている者たちとの実力差は圧倒的であり、実力があるにも関わらず扱いが劣っている現状に不満を抱いている。


最後に―――私こと姫岸弥生(ひめぎしやよい)、石弥斉之など、クラス内で最も実力が劣っている者達。この世界において中級程度の実力であり、代わりとなる人材はいくらでもいる。だからこそ王城内でも丁重に扱われることはなく、一週間ですでに見切りをつけられた集団であった。

大きく三つのグループに実力が別れた私たちは、一週間が経過した今、訓練も三グループに分かれて行われている。


表向きには実力差があるもの同士で訓練を行うのは危険であるから、らしいのだが、本当のところは戦力となりうるものを集中して育てたいのだろう。

他にも、勇者として扱うことで優越感を抱かせ都合のいいように利用しやすくしたいとか、グループ分けをすることで私たちが三十人で固まり続けることができないようにするとか、色々と目的があるとは思うが。

それが分かっていても、今の私たちに逆らうことはできないのだけれど。



私が割り振られている最下層のグループの訓練は―――簡潔にいえば『放置』であった。

王城内にある訓練場の一つ、第三訓練場。

初回に案内された第一訓練場に比べかなり広いのだが、一切の道具が置かれていない。

ただただ開けただけの空間に、私たちのグループは集められ『基礎魔力を向上させるため、魔法を自由に行使して身体を慣らす訓練』というお題目の元、監視の騎士を数人だけ置かれて放置されていた。


「放置するぐらいなら、監視の騎士もなくしてくれたら有難かったのに」


青空に向け、魔法で生成した炎の槍を放ちつつ、一人ごちる。

監視をつけている理由は、放置されている現状に不満を抱いた結果暴走しないように―――ではなく、暴走したら即刻処分するためだろう。

どうにもソフィレント王国側は『実力ある』勇者だけを手元に置き、残りの使えないものを処分しようとしている節がある。

実験材料にするのか、はたまた魔王の仕業にして勇者を炊きつけようとしているのかまでは分からないが、私たちの立場は相当に危うい。

故に身の安全のため、真面目に訓練をしているていをとっている。


「くそっ、どうして俺がこんな扱いを……俺がこの世界の主人公のはずだろうが。いつになったらチートが手に入るんだよ!」


荒々しく言葉を吐き、苛立ちをぶつけるように石弥斉之が魔法を地面に放つ。

爆発音が響くと、離れた場所で訓練を行っていた鈴里聡里(すずりさとり)がビクリと身体を震わせた。

―――この最下層に分けられた者達は皆一様に『才能がない』と判断された者達だ。

より正確に言えば、勇者足りえる素質を持ちえない者達、であった。

扱える魔法の実力はこの世界における中級者程度、成長性は他のクラスメイトよりも低く、なによりも性格が不向きであった。


自身の才能のなさを棚に上げて不当な評価を受けていると怒り八つ当たりするもの。

元来の性格が戦闘向きではないため魔法の行使を渋るもの。

致命的に才能がなくこれ以上の成長が見込めないもの。

最下層に別けられた私たちは、いわば勇者不適合者の集まりであった。


「うぅ、もうこんなことしたくないよ……」


「泣いてんじゃねぇよ鬱陶しいな! したくないならさっさと帰ればいいだろうが!」


勇者不適合者の烙印を押され、まともな訓練は行われず放置され―――皆、すでに自分たちが王国から戦力として数えられておらず、見捨てられていることを理解していた。

故に彼ら彼女らは、勇者としての価値がないと判断された自分たちの今後の処遇に、不安と恐怖を抱いている。

魔王との戦闘の時に捨て駒として扱われるのではないか、用済みとして実験材料にされるのではないか―――不安が不穏な想像を呼び、その想像が恐怖や苛立ちを生む、

勇者である限り私たちの生活は保障される。であれば、勇者出なくなった時私たちの処遇がどうなるのか―――


「―――そろそろ動き始めないと、手遅れになりそうね」

行き場のない怒りと不安をぶつけるように諍いを起こすクラスメイトを横目に、私はもう一度空に向け、炎の槍を放った。



「おい、ちょっと待てよ姫岸」


別館の廊下を歩いているところを呼び止められ、振り返る。

そこにいたのは阪真田佐那出と鳶唐大吾―――豪徳龍治の取り巻きだった二人であった。

彼らは下種な笑みを浮かべ、好色な目を私へと向けていた。

またか……。

律義に応答してやる義理もないため無視してさっさと行こうとすると、肩を掴まれる。


「おい、無視してんじゃねぇよ!」


「触らないで頂戴。大切な一張羅が汚れるわ」


「痛ッ!?」


阪真田佐那出の手を叩き落とす。

私が身に着けているのは、この世界に転移した際に身に着けていた制服。この世界の被服製作技術はなかなかに高いのだが、やはり着慣れた服が一番着心地がよかった。

たった一着しかないのだ。汚されたくはない。


「なにしやがるんだよ、てめぇ!」


「肩に汚らわしい虫がいたから、払っただけよ。それの何がいけないのかしら? そもそも、私は貴方たちと話すつもりはないのだから、放っておいてくれないかしら?」


「……おいおい、そんな口をきいていいのかよ。最底辺のグループの中でも最底辺な実力しかねぇお前が、それよりも上のグループの俺らに盾突いてよ」


見下し、蔑む視線に、私はそっとため息を吐いた。

―――クラスメイト間に大きな実力が生まれてから、こういった『脅し』をされることが多くなった。

親や教師といった監視する大人がいなくなり、褒めそやす大人ばかりが増えた環境。

未成年の身には余る力を手に入れ、自分よりも明確に下であると分かる相手がいる状況。

なにより、刀財勇也や豪徳龍治のような圧倒的な実力を持っていないという劣等感。

最上位のグループに入ることができなかった彼らは、最下層の人間を虐めることで鬱屈とした感情を晴らし、欲求を満たしている。


格好悪いことこの上ないが―――無視しておくには少々厄介な問題であった。

現状はこうして無駄に絡まれるだけだが、これが行き過ぎてしまえばより『直接的な行為』に出る可能性がある。

魔法の実力差があるとはいえ、この程度の男達に簡単に組み伏せられるようなことはないが、厄介な芽は早急に積んでおきたいところだ。


「盾突いたからってどうなるのかしら? 豪徳龍治についていくだけしかできないコバンザメ風情が。さっさと貴方たちとは違って魔法の才能に溢れている彼に泣きついたらどうかしら? あぁ、貴方達は見捨てられたんだったわね、彼に―――『雑魚はいらない』って」


「いい加減にしろよこの―――ッ」


挑発に乗った鳶唐大吾が胸倉を掴む。

瞬間、私は素早く彼の腕を両手で掴むとそのまま―――


「貴方達、なにをやっているの!!」


凛とした声が響く。

険しい表情を浮かべた神宮司奏が、足早にこちらへと近づいてきた。

彼女の姿に顔をひきつらせた阪真田佐那出と鳶唐大吾は、舌打ちをして逃げるようにして私の前から去っていった。


「逃げ足だけは早いんだから……姫岸さん、大丈夫かしら?」


「ええ。あの程度の男にどうにかされるほど、軟な生き方はしていないもの」


「そうみたいね。私が止めるのがもう少し遅かったら、彼の腕をへし折っていたでしょう?」


「どうかしらね」


はぐらかすように言うと、神宮司奏はため息を吐いた

―――一週間前に話してから、神宮司奏とは度々話す間柄になっていた。

彼女の中で私は相談相手としてふさわしいと認識されたのか、はたまた最初に弱音を吐露した相手として懐かれたのかは分からないが、私もしても上位グループの情報を得るのに都合がよかったため、彼女とは話すようにしていた。


「最近増えているわね、こういうことが」


「最下層のグループの中でも私は飛び切りに才能がないもの。ちょっかいをかけるにはちょうどいい相手だと思われているのよ。特に、元の世界で私に近づけもしなかった男は」


自画自賛をするわけではないが、客観的に見て私の容姿はかなり整っている。

愛らしいというよりは綺麗系で、男女関係なく『綺麗』と認識される顔立ちで、だからこそ元の世界では話しかけづらい相手として一部の人間には敬遠されていた。

そんな人物がこの世界では自分よりも下の立場だと分かれば、さながら塵にたかる蠅のように、鬱陶しいぐらいに近寄ってくる者もでてくる。

他の者に比べて私が絡まれる回数が圧倒的に多い理由は、それであった。


「……ごめんなさい、私のせいで。私が訓練に全員で参加しようなんて最初に決めなければ、姫岸さんが絡まれることも、こんな風にクラスで軋轢が生まれることもなかったのに」


「そんなこともないわよ。この軋轢は生まれるべくして生まれた軋轢だわ。むしろ、訓練を行っているからこそまだこの程度で済んでいるのだから。……あと、毎度毎度その話を私に振ってくるのは辞めてもらえるかしら。流石に聞き飽きたわよ」


「いや、なんていうか、姫岸さんには本音が吐露しやすいのよ。ついついぽろっと弱音を吐きたくなってしまうの……ダメ、かしら」


「…………別に、駄目じゃないわ。貴女は弱音を吐くだけじゃなくて、ちゃんとどうにかしようと行動しているもの」


あまりにも可愛らしい発言をする神宮司奏を抱きしめたい衝動を、必死に抑え込む。

会話を重ねるごとに、神宮司奏はこうして甘えるような言動を見せることが多くなってきた。普段の凛とした彼女を知っている身としては、そのギャップが我慢できなくなってしまいそうなくらいに、強烈であった。

これもう『食べて』もいいんじゃないだろうか?


「それより、こうして私に話しかけてきたということは、なにか相談したいことがあるんじゃないかしら?」


「あ、そうだったわ。貴女に伝えておきたいことがあるの―――私たちのグループ、とうとう武器を持っての戦闘訓練が始まったわ」


「そう。それで、どうだったかしら?」


「ええ。貴女が考えていた通り、私たちは何の問題もなく武器を扱えたわ―――訓練を指導していた騎士の数人に勝ってしまうくらいに」


「……となると、やっぱり勇者召還の儀は『勇者』を召喚する機能とは別に、召喚した人物に『戦闘』の恩恵を与える力があったという推測は、正しそうね」


これまで平和な世界で暮らしていた少年少女が、武器を握ったその日に訓練と実践を経験している騎士を倒せるわけがない。けれど事実として、神宮司奏が属するグループは騎士を倒してのけた。

そこに、なにか『別の要因』があるだろうと考えるのが自然であった。


「その時、他の騎士の反応はどんな感じだったかしら?」


「さすが勇者様って褒めそやしていたわ。誰一人として、自分が負けたことを悔しがっている様子も、驚いている様子もなかったわ。刀財君なんて、褒められすぎて妙な自信を持っちゃっているくらいだし」


「つまり、この世界における『勇者』はそれくらいのことを簡単にやってのける存在、として認識されているということね。そのうち他のグループにも、戦闘訓練として武器が与えられるでしょうけど……そうなったらかなり厄介ね」


現状は魔法の実力のみで訓練を行うグループが三つに分けられているが、もしここに武器を用いた戦闘の実力も加味されることになれば、それこそより強固なヒエラルキーがクラス内に生まれかねない。

何よりも厄介なのが、魔法とは違い武器を用いた戦闘訓練はより直接的な力関係を生み出しかねないという点だ。暴力で劣る相手だと分かったとき、人の嗜虐性、残虐性はより顕著な形で現れる。


「ええ。一応、訓練を統括している騎士には、勝てたとはいえ私たちもまだ手探り状態だし、適性の高い武器をゆっくり探していきたいから、他のグループの戦闘訓練はもう少し待ってほしいとお願いしてはいるけど……」


「時間稼ぎにしかならないわね」


神宮司奏が抱いている懸念は、私と同じものだろう。

魔法適正は非常に高く、武器の腕前は騎士すら簡単に超えるほどに高い。

そんな戦力が三十人も手に入ったら、まず間違いなく王国は即時戦場に投入するだろう。

それも、他国に対して大々的に喧伝をしたうえで。そうなればもう私たちは魔王を倒すまで戦場から逃れることはできなくなる。


「王国……いえ、ソフィレント王にとって『勇者』は私たちが属するグループだけ。それ以外はあくまでも『腕の立つ戦力』程度の認識のはずよ。でなければ、私たちのグループにだけ姫や王が視察に来る理由はないもの」


「あぁ。確か刀財勇也に対して姫が積極的な交流をしているのだったかしら?」


「えぇ。最初は彼と姫を恋仲にさせて元の世界へと帰らせないための枷にするつもりかと思っていたんだけど……どうにも、最近の交流を見る限りだと別の目的もあるみたいなの」


「別の目的?」


「姫が刀財君にする話、半分は世間話なんだけど、もう半分が魔王の被害にあった人々の話とか、魔王がどれほど酷い行いをしたのかとか、そういう話なのよ。そのせいか、最近の刀財君は異様に魔王に対しての敵意と妙な正義感を抱いたみたいで、自分が苦しんでいる人を救わなくちゃ―――ということが、極端に多くなったわ」


「なるほどね……つまり王国側としては、私たちに戦争への参加を強制するのではなく、自分たちの意志で戦争への参加を表明してもらいたい、ということね」


無理矢理戦わせるのと、志願して戦わせるのでは、圧倒的に後者が望ましい。

志願した当人たちは勝手な責任を背負って命がけで戦うし、対外的にも勇者が自ら魔王討伐を宣言したという方が、受けがいい。

王国民の支持はあがるだろうし、他国からの援助も受けやすい。

恐らく姫は、そのために王様に利用されているとみるべきだろう。全員で訓練を行った際に何度か見かけているが、あれはただただ刀財勇也に惚れているだけの可能性が高い。


「今は私や柊さんで押しとどめているけれど、いつまでももつか……」


「他の面子はどうなのかしら。特に、豪徳龍治なんかは」


「彼ね……刀財君が姫や王に手厚く扱われるようになってから、かなり荒れているわ。ただ、そのせいか元の世界にはいた取り巻きなんかはいなくなって、今は一匹狼みたいな感じだけど。後は皆、刀財君のシンパよ。元々あったカリスマ性に加え、魔法と武器の扱いもクラス一。正直、彼が一声かければ命すら捨てるかもしれないクラスメイトがちらほらいるわ」


「元の世界に戻れるかの不安に加え、力を得たことによる傲慢さや思い通りにいかない苛立ちで暴力的な面が多々見られるようになったクラスメイトの中で、変わらず紳士で居続ければ、そうなるわね」


吊り橋効果のようなものだ。

平和な世界ですらクラスの中心であった彼が、この異世界でより一層強く輝けば、それにすがろうとし信奉しだす人間がいてもおかしくはない。

それが、たった一週間で起こっているということには驚愕してしまうが。


「だからこそ、より不安なの。このまま戦場に放り込まれたら、刀財君は人々を助けようとして無茶な行動をするかもしれないし、そんな彼を助けようとクラスメイトが命を顧みないで行動するかもしれない。『元の世界に帰ること』―――それが私たちの目的だったはずなのに、いつの間にかそれがないがしろにされていくようで、私は……」


唇を噛み、神宮司奏が俯く。

異世界転移初日は結束していたはずなのに、たった一週間ですでに瓦解しかかっている。

実力のばらつきが考えの違いを生み出し、その違いに大人が漬け込んでくる。

もう誰も、心に刻んだ目的を忘れてしまったかのように―――


「ないがしろにしてなんか、いないわよ。少なくとも私は、『元の世界に帰ること』を忘れてはいないわ。そのためだったら、どんなことをする覚悟もある。貴女が皆のために掲げた目的を受け取った人間は、確かにここにいるわ。だから、顔をあげなさい」


「姫岸さん……」


彼女の目尻にうっすらと浮かぶ涙を拭ってあげる。

気分が少しばかり晴れたのか、照れくさそうに笑った、


「正直、もう戦争への参加を避けることは不可能だわ。なのに私たちは準備不足で、このまま巻き込まれるのは非常にまずい。だから、刀財勇也と豪徳龍治の二人には喧嘩をしてもらって、戦争への参加をギリギリまで引き延ばしましょう」


「喧嘩?」


「喧嘩といっても、派手な諍いを行う必要はないわ。ただ、刀財勇也には『クラスメイトの意見を一致させてから参加するべき』と進言すればいいのよ。そうすれば、自然と今の流れは停滞するわ」


刀財勇也に対して、豪徳龍治は特別な反抗心をもっている。それは偏に刀財勇也に惚れている柊奈々音が原因だったりするのだが、少なくとも豪徳龍治が刀財勇也の意見に迎合するということは天地が引っ繰り返ろうともあり得ない。


「クラス内の意見が分裂しすぎて険悪にならないように調節する必要があるし、結局は自分だけでも助けに行くって結論が出てしまえばそれまでだけど、多少の時間稼ぎにはなるはずよ」


「その進言と、クラス内の調節を私にやれってことね」


「えぇ。そういうのは貴女の得意分野でしょう?」


「別に得意ではないけど……引き受けたわ。上手くいかなくても文句は言わないでよ」


「勿論」


これは神宮司奏にできて、私にはできないことだ。

それが失敗したからと責任を押し付けるのが間違っていることぐらい、理解している。


―――


神宮司奏と別れた私は、自室へと戻ってきていた。

別館内の至る所に監視の目がある―――恐らく世話役のメイドたちも監視の役目を担っている―――ため、落ち着いて考え事ができるのは、唯一の閉鎖空間である自室だけだった。


「ふぅ」


制服が皺になるのも厭わずに、ベッドに寝転ぶ。

目を閉じ、神宮司奏から得た情報を精査する。

最上位のグループが武器を用いた訓練を始め、たった数時間で騎士を数名倒せるほどにまで成長した。そして、勇者として異世界転移した私たち全員に同じ程度の素養が『与えられている』可能性が高い。


「つまりは私も、何かしらの武器を扱えるってことね」


護身という観点から見ればありがたいが、別館内の安全性という意味では非常に厄介だ。

王宮に勤める騎士に勝てる腕前ということは、クラスメイト全員が一斉に暴動を起こせばこの王国をひっくり返すのも難しくはないだろう。しかし王国側は、私たちを監視するだけで警戒した様子はなく、ただ純粋に称賛していたと神宮司奏はいっていた。

だとすると……王国側は、勇者が暴動を起こすことはないと踏んでいるのか。

それが、過去の勇者の事例から来る妄信的なものなのか、はたまた私たちが魔法や武器を当然のものとして扱えるのと同じような、何かが仕込まれているからか。

後者だとしたら、すでに手遅れである可能性が高い。


「やっぱり、私たちをこっちに呼んだ『勇者召喚の儀』を詳しく調べる必要があるわね」


元の世界へ帰還することは不可能―――なんて制約でもされていたら、目も当てられない。

クラスメイト側の諍いについては、さほど問題視していない。

神宮司奏が助言通り行動すれば状況は膠着するだろうし、膠着すれば王国側がなにかしらアクションを起こすはずだ。それに上手く利用すれば、あるいは―――


「残された時間があまり多くはないし、そろそろ行動に移すことにしましょう」


神宮司奏に話さなかったが、私はすでに自身の能力が頭打ちに近いことを自覚していた。

一週間行った訓練で、自身の魔法成長率は日に日に低下しており、このまま低下し続ければ、あと一週間で伸びしろが無くなる―――要するに、そこが私の限界値なのだろう。


元々、自衛できるだけの力があれば問題なかったためショックはないが、王国側に伸びしろがこれ以上ないことを悟られてしまえば、訓練を行う必要なしとして戦地送りになるか、最悪の場合他のクラスメイトをたきつけるための生贄として利用されることだろう。

それだけは、御免被る。

最初から、この世界の土俵で渡り合うつもりなどなかった。


私にできることは、ただ一つ。

元の世界で居場所を守ったときのように、他者を騙し、誑かし、依存させ―――支配する。

この別館を、この王国を、この世界を―――支配する。

そのための足掛かりは、すでに見つけている。


―――


ステラ・アラデアラード。

アラデアラード侯爵家の三女であり、王城にて住み込みで働いているメイドの一人。

現在は私たち異世界転移者の世話役で、主に私の自室がある二階を担当している。

貴族令嬢がなぜメイドをしているかといえば、ステラ侯爵家は資金難であり政略結婚の望みも薄いため、王城に奉公に来ているためだ。


メイドとしての彼女の立場は下っ端だが、この別館を任されているメイドの中で貴族の身分を持っているのは彼女だけであるため、彼女に強く当たることのできるものはいない。

ソフィレント王国は身分制度が重視されているため、メイドを統括する平民のメイド長よりも、貴族の下っ端メイドの方が立場が上なのだ―――非常にややこしいが。

ステラ・アラデアラートは身分を笠に着ず真面目に仕事をこなしており、性格もよい娘なのだが、貴族というだけで他のメイドから敬遠されている。


私がいつ見かけても、彼女は一人でいた。

故に、とても都合がよかった―――全ての計画の、足掛かりとして。

神宮司奏と情報交換をした翌日、訓練を抜け出した私は部屋のベッドメイクをしている彼女に、背後からこっそりと近づいた。


「いつも綺麗にベッドメイクしてくれるわね、ステラ・アラデアラードさん」


突然かけられた声に、彼女は大層驚いた顔をする。

その反応が面白くてつい笑ってしまうと、彼女は顔を赤くして身を縮こませた。

陽光を浴びて輝く金髪に、感情豊かな紺碧の瞳。

クラシックタイプのメイド服の上からでも分かる豊かな胸部は男の目をくぎ付けにし、すらりとした腕と白魚のような指は女性が嫉妬を覚えるほどだった。

なにより、彼女には他のメイドとは異なり『気品』があった。

上品で、つい目が引き寄せられてしまう魅力のある女性。

まさしく―――私好みの女性であった。


「ひ、姫岸様。申し訳ありません、お帰りするまでにベッドメイクを終えることができず―――」


「ああ、気にしなくて大丈夫よ。単に私が訓練を抜け出してきただけだから。貴女に会いたくて、ね」


「私に、ですか?」


「ええ、そうよ」


すっと近づき、彼女の顎に手を添える。

ほんのわずかに私より身長の小さい彼女の顔をこちらへと向けさせ、微笑む。

途端、彼女の顔が熟れた林檎のように真っ赤になり―――その反応に、笑みを深める。

私は、自分の顔立ちが整っていて、女性受けしやすい顔立ちであることを自覚している。

自分がどう微笑めば女性の胸に刺さるのか、これまでの経験で熟知している。

貴族令嬢であるため世間知らずで男性経験のない生娘を誑かすことなど、私にはさほど難しいことではなかった。


「いつも丁寧なベッドメイクをしてくれるから、お礼を言いたかったのよ」


「そんな、私はただ自分の仕事をしただけですから……」


「だとしても、私が貴女に感謝していることに違いはないわ。だから、ありがとう」


「……はい」


そっと彼女から身を離し、今度は手を握る。

ビクリと身体を揺らす初々しい反応を感じながら、口を開く。


「ねぇ、もし貴女さえよければ時々話し相手になってくれないかしら。こっちの世界でまだ世間話ができる友達がいないのよ。勿論、貴女の邪魔はしないわ。貴女の都合がいいときだけでいいから。どうかしら?」


「私は、勇者様方のお世話をするメイドです。お友達なんてそんな大それた関係など、恐れ多くて……」


「誰かに咎められるのが怖いなら、こうして私の部屋で二人きりで話せばいいわ。それなら、誰に文句を言われることもないもの。それに、勇者といっても私は落ちこぼれ―――貴女が敬うような人間じゃないわ」


「だとしても、貴女は勇者様です。それに、私はここの皆様から敬遠されています。そんな私と仲良くしているほうが問題になります。だから―――」


「貴女が貴族だという話は聞いているわ。けど、異世界から来た私にとってはそんなことどうでもいいことよ。ただ私―――姫岸弥生はステラ・アラデアラードと仲良くお話がしたいだけよ。……ダメ、かしら」


瞳に憂いを湛え、じっと彼女の瞳を見つめる。

まるで吸い込まれるようにステラ・アラデアラードの視線は私の瞳に注がれ、やがて彼女はゆっくりと頷いた。


「ありがとう、それじゃあこれからよろしくね―――ステラ」


―――


「最近、あのメイドさんと随分仲がいいみたいね、姫岸さん」


―――三日後、日課である情報交換を終えたところで、不意に神宮司奏がそんなことを言ってきた。

その表情はしかめっ面で、一目で機嫌が悪いことが分かる。

私は、あえてとぼけるように聞き返す。


「あのメイドさんって誰のことかしら?」


「あの、貴族で同じくらいの年頃のメイドさんよ。確か、ステラって名前の」


「どこで聞いたの?」


「最近、他のメイドさんたちが噂しているのを聞いたのよ。ステラって娘が、勇者の一人と懇ろな関係になっているって」


どうやら、計画通り別館内で噂が広まりつつあるようだ。


「ちょっと、聞いているのかしら?」


「聞いているわよ。まぁ、懇ろな関係は言い過ぎだとしても、仲良くしていることは事実だわ。あの娘、これまで世間話ができる友達にも恵まれなかったからか、私に色々なことを話してくれるのよ」


ステラ・アラデアラードの知識量は、相当なものであった。

元々貴族令嬢にふさわしい教養があったことに加え、休日は王城内の図書室に入り浸っていることもあるほどの読書好きであるため、大概の質問に明確な答えを返してくれる。

彼女のおかげで、魔法に対する認識が何段階も深まった。

当初は別館のメイド内で唯一の貴族令嬢であることから目を付けたのだが―――これは思わぬ拾いものであった。

それはさておき―――


「ふぅん、よかったわね。随分と仲良くできて」


「貴女、どうしてそんなに怒っているのかしら?」


随分と機嫌が悪い彼女に、わざと察しの悪い質問をぶつける。

本当は理由の見当はついているのだが、それをそのまま彼女にぶつけるのは面白くない。


「別に、怒っていないわよ。ただお腹の奥がむかむかとして、余計なノイズが入って思考が上手く纏らなくなっているだけよ」


「それを怒っているというのだけれど……ふぅ」


わざとらしくため息をつき、そっと彼女の手に触れる。

私から彼女に対して直接接触するのはこれが初めてで、彼女の肩が面白いくらいに揺れた。


「せっかくの情報交換の場なのだから、機嫌を直してもらえると嬉しいわ。貴女と二人きりで話すのに、ぎくしゃくとしたままなんて嫌だもの」


「ふ、二人きりって……ま、まぁ私も流石に態度が悪すぎたし、ええ、改めるわ。……私もこの時間をぎくしゃくしたまま終わらせるのは、嫌だもの」


頬を赤くし、視線を彷徨わせながら告げる神宮司奏。

元々、彼女を堕とす予定はなかったのだが……これほどに誘う表情をされると、流石に我慢ならなくなってくる。


「……それじゃあ、もう少し話を続けましょうか」


今すぐ彼女を自室に連れ込みたくなる感情を何とか抑え、数十分ほど情報交換を行った。


―――


「……姫岸様は、同郷の方にも仲の良い方がいらっしゃったんですね」


夜、私の部屋を訪れたステラ・アラデアラードは、ポツリとそう呟いた。

彼女の手はよどみなく紅茶を入れているが、その表情はどこか暗い。


「それは、私にもお話をするくらいに仲のいい友達はいるけれど……どうかしたの?」


「……お昼ごろ、姫岸様が神宮司様とお話されているのを目にしまして。その時の姫岸様の表情がとても楽しそうだったので、その……」


「嫉妬しちゃった、とか?」


ステラ・アラデアラードの顔が、ボッと赤くなる。

生娘のような彼女は神宮司とは違い、直接告げたほうが効果的だ。

今も、図星を指されてしまった自分を恥じて、身を縮こませている。


「申し訳ありません……私はただのメイドですのに、こんな―――」


「そんなことはないわよ。むしろ、嫉妬してくれるだなんて嬉しいわ。私にとって、貴女はこの世界で初めてできた大切な友人だもの」


「大切な…………とても、嬉しいです」


恥じらいながらも可愛らしく喜ぶその姿に、思わず抱きしめてしまいそうになる。

自分を抑えるため、彼女が入れてくれた紅茶を一口飲む。

アールグレイに似た味と風味が、口腔内に広がる。


「相変わらず美味しいわね。貴女の入れてくれた紅茶は」


「ありがとうございます」


―――たった三日交流しただけで、ステラ・アラデアラードの態度は随分と柔らかくなった。

ベッドメイクに訪れるお昼時と、寝る前に紅茶を運んできてもらう夜の二回。

たった数十分程度の交流ではあったが、それで充分であった。

最初はどこかよそよそしく、メイドと勇者と線引きをしていた彼女だったが、今では普通の友達―――否、それ以上の感情を抱いている。

無論、そうなるように私が仕向けたのだけど。

二人でテーブルを囲み、わずかな時間ではあるがティータイムに興じる。

夜、月明かりと魔石灯が薄暗い室内に、芳醇な香りが満ちる。

心身ともリラックスさせるこの香りは、人の心を無防備にする。

だからだろう―――


「どうかしたのかしら?」


「先ほどは、姫岸様に随分と失礼な態度をとってしまったなと……姫岸様にもご友人がいらっしゃるであろうことは、考えればすぐわかったはずなのに。お二人の姿を見た途端、頭が真っ白になって、息がつまるほどに胸が苦しくて―――何も考えられなくなってしまいました」


―――こうもあっさりと、彼女は自身の心中を素直に吐露してくれる。


「可愛いことを言ってくれるわね、貴女は」


頬に手を伸ばす。最初は触れるだけで身体をびくっとさせていたが、今では気持ちよさそうに目を細め、手に頬を擦りつけてくる。

あまりにも可愛らしい反応に計画など度外視して『食べたく』なるが……今はまだ我慢だ。


「姫岸様の手、とても暖かくて気持ちいいです」


「そう。ならしばらくこうして撫でてあげるわ」


外界から切り離されたかのような、ゆったりとした時間が流れる。

紅茶がすっかり冷めてしまうまで、私は彼女の頬を撫でていた。


―――


別館は、かなり閉鎖的な空間だ。

別館内で寝泊まりしているのは異世界転移してきた私たち三十名と、別館専属のメイドが十五名、警備の兵士が十名、料理人が四名だけだ。

この中で入れ替わりがあるのは護衛の騎士のみであり、メイドや料理人は専属という形でずっと同じ人が働いている。


その閉鎖性は学校と似通っており、誰かが口にした噂はすさまじい速度で広がる。

―――私とステラ・アラデアラードが懇ろな関係であるという噂も、今ではこの別館内の全員が知るところとなっていた。

昼下がり、別館内を歩いている私に無遠慮な視線が刺さる。

振り返る。私を見てこそこそと話していた二人のメイドと目が合った。

教師に校則違反を発見された生徒のごとく、メイドたちは慌てて逃げていく。

あんなに慌てて逃げる必要はないのに……別に私は、彼女たちを見咎めて怒る気は毛頭ない。元々、噂が広まるように仕向けたのは私なのだから。


閉鎖空間に広まった噂は、加速度的にその形を変えていく。

当初はただ『私とステラ・アラデアラードが懇ろな関係だ』という噂だったが、今では背ひれ尾ひれがつき、別物と化していた。


曰く、ステラ・アラデアラードは勇者に取り入りステラ侯爵家に更なる恩恵をもたらそうとしている。

曰く、姫岸弥生は目についた女性に片っ端から手を出すレズビアンである。

曰く、姫岸弥生はすでに元の世界に帰る気はなく、ステラ侯爵家の力を借りてこの世界で自由に生きていくつもりである。


当然、そのどれもに根拠は一つもない。

ステラ・アラデアラードは侯爵家ではあるが没落寸前の弱小貴族であり、勇者の恩恵を手に入れたとしても貴族社会を上り詰めるほどの実力はない。そもそも、ステラ・アラデアラードがメイドとして別館勤めになったこと自体が、彼女の家の弱さを表している。

私も、この世界に骨を埋める気は毛頭ない。こうやって行動しているのは全て、元の世界へと無事に帰れるようにするためだ。

それに、私はレズビアンではなく『バイセクシャル』だ。ただ、女性の方が好みに合うというだけで。

捻じ曲げられた噂の中には、私やステラ・アラデアラードを中傷するものもあった。

別館という閉鎖空間内において、噂ほど都合のいい暇つぶしはない。だから皆噂に食いつき、無聊を慰めるために好き勝手に解釈する。


「お、噂をすれば女好きの姫岸じゃねぇかよ」


進路を塞ぐように、阪真田佐那出と鳶唐大吾が現れる。

毎度毎度……この二人は随分と自分よりも下の立場の人間を虐めるのが好きなようだ。

大方、別館に広まる噂を聞きつけ、私にちょっかいをかけにきたのだろう。

相手にするのも面倒なので、そのまま無視して通り過ぎようとする。


「おいおい、どこ行こうとしてるんだよ」


「例のメイドのとこにいって、お楽しみでもしようってのか?」


二人が進路を塞いでくる。その無造作な動きから、私では自分たちをどうにかすることはできないと、高をくくっていることが読み取れた。


「……何かしら? 要件があるのならさっさとすましてほしいのだけれど」


「はっ、随分と偉そうな態度じゃねぇか。まさか、この間みてぇに神宮司のやつが偶然助けに来てくれるとでも思ってんのか? 生憎だったな。あいつは今訓練中なんだよ」


「私に絡むために、わざわざ邪魔が入らないか調べたの……随分と暇なのね?」


「なんだと?」


阪真田佐那出が胸倉に掴みかかってくる。

ちょっと挑発しただけですぐに手を出す……暴力でしか人を従わせることができない人間のやり口だ。弱者には強く出るが、強者には媚を売ることしかできない人間特有の。

元の世界でその程度の人間ならごまんと見てきたため、私にとっては日常風景でしかない。

むしろ、迫力がなさ過ぎて白けてしまう。


「さっさと、要件を済ませてもらえないかしら」


「てめぇ……ちっ、まぁいい」


胸倉を離した阪真田佐那出は、口元に下品な笑みを浮かべた。


「なぁ、姫岸。まさかてめぇが同性愛者だったとは思わなかったなぁ。驚いたよ。しかも、このクラスで一番早くメイドに手を出すなんてよ。他の連中も驚いてたな、てめぇが女好きで手が早いってことによ」


「手は出していないのだけど……別に、私が誰を好きになろうが私の勝手でしょう?」


「かもしれねぇなぁ……けどよ、随分と噂が広まったおかげで、お前も肩身の狭い生活をする羽目になってんじゃねぇか? 例えば、クラスメイトに避けられたり、メイドに敬遠されたり」


「だとしたら、なんだっていうのかしら?」


「いや、女好きってのはつまりあれだろ? 男の方がどんだけ気持ちよくできるのかしらねぇからってだけだろ? だからよ、姫岸がこれ以上浮かねぇように、男のよさってやつを教えてやろうと思ってな。親切だろう?」


下種な視線が、私の身体を舐める。鎖骨から胸、腰を通り過ぎて臀部へと。

気持ちの悪さに、吐き気がする。


「いらないわ。貴方たち程度の人間に明け渡すほど、私の身体は安くないの。要件はそれだけ? なら、さっさといなくなってくれないかしら」


「なんだと―――ッ」


また掴みかかってこようとする阪真田佐那出の手首を掴み、捻り上げる。

彼の勢いを利用した結果、阪真田佐那出の身体は宙を舞い、背中から床に叩きつけられた。


「がはッ!?」


「生憎だけれど、貴方達程度であれば捻り潰すくらいわけないわ。これ以上、私に絡むのはやめて頂戴ね―――時間の無駄だから」


私の反撃に恐れをなしたのか。鳶唐大吾は臆して攻撃してこようとはしなかった。

私は彼らから視線を切り、歩き出す―――と、見慣れた金色の髪が視界の端に微かに見えた。


「あれは……」


間違いなく、ステラ・アラデアラードのものだ。どうやら、私が阪真田佐那出と鳶唐大吾の二人と揉めていた現場を見ていたようだ。

だとすると、次に彼女が起こすであろう行動は―――


「―――丁度いいタイミングかしらね。今日の夜、彼女を『堕として』しまいましょう」


自然と頬が上がる。

随分と久々に、私は『悪い』笑みを浮かべていた。


―――


「―――私、もうこの部屋を訪れるのは止めようと思います」


夜、深刻な表情を浮かべたステラ・アラデアラードは、感情を押し殺した声でそう言った。

自分自身も納得していない、けれどそうするほかないといった彼女の様子に、私はあえてすぐに答えることはせず、ゆっくりと紅茶を飲む。

ソーサーにカップを置く音が、部屋に響いた。


「……理由を聞かせてもらってもいいかしら?」


「……私のせいで、姫岸様が不当に貶められているからです。私のせいで姫岸様がそんな扱いを受けていることに、耐えられません」


私とステラ・アラデアラードに関する噂が出回り始めたのは、数日前。

恐らく彼女の決意を決定づけたのは、阪真田佐那出と鳶唐大吾に絡まれていた時の光景を目撃したからだろう。


「今まで、大変ご迷惑をおかけしました。今後は姫岸様の迷惑にならないよう、担当も外させていただけるよう、明日にでもメイド長に進言いたしますので―――」


顔を伏せ、感情を押し殺した声で淡々と告げる。

私は彼女の言葉を一切無視して無造作に近づくと、両肩をつかみ壁へと押し付けた。


「なっ、なにをするんですか姫岸様!」


「いえ、貴女が勝手に全ての結論を出そうとするから、しっかりとお話しようと思ってね」


「……お話するべきことは全てお話しました。ですからもう―――」


「私はまだ、なに一つとして貴女の本心を聴いていないわよ?」


肩を抑えつけている手に、力を込める。

ほんの少しステラ・アラデアラードの顔が歪むが、気づかないふりをして話を続ける。


「そんな何かをこらえるような顔をしていたら、嘘をついていると公言しているも同然よ。貴女の本心ではない言葉をいくら聞いたところで私は一切納得しないし、貴女が離れていくことも許しはしないわ」


「ですが、それでは姫岸様の立場が」


「元々実力的には下から数えたほうが早い程度だもの。守るべき立場なんて持ち合わせていないわ。ねぇ、ステラ。貴女はどうして、私の傍を離れようとしたのかしら? ……私のことが、嫌いになったのかしら?」


「そんなことありません! 私が姫岸様を嫌いになるなんて、絶対にありえません!」


「ならどうしてか、教えてくれないかしら?」


ぐっと唇を噛んだステラ・アラデアラードの瞳を、じっと見つめる。

数秒後、彼女は観念したように力を抜き、口を開いた。


「……ただ、怖かっただけなんです。不当な評価を受けた姫岸様が、その理由は私だって判断されて……姫岸様に嫌われてしまうのが。怖くて、恐ろしかっただけなんです」


「嫌われてしまうくらいなら自分から離れよう……そう考えたわけ?」


こくり、と彼女は頷いた。

なんて健気で、いじらしい行動なのだろうか。

……もう、限界だ。


「ねぇ、ステラ。貴女の気持ちはよく分かったわ。だからそのうえで、一つ提案があるの。私たちの噂をどうにかして、更には貴女の不安を拭える提案が」


「提案、ですか?」


「ええ、それはね―――こういうことよ」


顔を近づけた私は、不意打ちでステラ・アラデアラードの唇を奪った。

彼女の吐息と私の吐息がぶつかり、混ざり合う。

しっとりと柔らかい感触に脳髄が蕩けてしまいそうになる。

この世のどんな甘露よりも甘い行為にこのまま彼女を貪ってしまいたい衝動に駆られるが、自制して彼女から顔を離す。

ポカンとした表情を浮かべていたステラ・アラデアラードであったが、徐々に口づけされたことが理解できたのか、その顔が真っ赤に染まっていった。


「ひ、姫岸様っ!? い、いまのは!??」


「今のは口付けよ―――愛する人に対して行う、愛情表現の一つ」


「愛する、人……」


「ええ―――私と貴女が噂通りの関係になってしまう……それが、噂と貴女の不安を拭う最善最高の選択だと思うのだけれど、どうかしら?」


言外に、私と正式に肉体関係を結ぶ仲にならないかと告げる。

言葉が身体に染みわたり、ステラ・アラデアラードの蒼い瞳が蕩けていく。

夢心地な表情になった彼女は―――首を、ゆっくりと縦に振った。


「ありがとう、ステラ。私は貴女を愛しているわ。……もう、我慢できないくらいに」


彼女をエスコートし、ゆっくりとベッドに横たえる。

私は、彼女に口づけをする。

さっきよりも濃密な口づけを。


―――


窓から差し込む月明かりが、隣で静かな寝息を立てているステラ・アラデアラードの真白な肌を浮かび上がらせる。

処女雪が降り積もった雪原のような肌を、私は欲望のままに踏み荒らした。

久しぶりだったのもあるが、それ以上に彼女の初々しい反応が劣情に火をつけ、ついついやりすぎてしまった。いつもであればピロトークを楽しめる程度には余力を残すようにしているのにそんな余裕もなく、彼女は行為が終わったと同時に眠りについてしまった。


どうやら私は、ステラ・アラデアラードに思った以上にのめり込んでしまっているようだ。

金糸のような髪をそっと梳く。

くすぐったそうに身を揺すった彼女の口元には、穏やかな笑みが浮かんでいた。

全く、どんな夢を見ているのやら。


「さてと……」


ようやく、スタートラインに立つことができた。

ステラ・アラデアラード。

ソフィレント王国に名を連ねる貴族の一つ、ステラ侯爵家の三女。

貧乏貴族であり権力も大きくはないが、彼女という存在を手中に収めることは、私にとって大きな利益となる。

貴族という立場でなければ手に入れることができない情報や、他の貴族との繋がり。

それは勇者として召喚され別館で訓練を受けなくてはいけない私では、どう足搔こうとも手に入れることができず、また元の世界へと帰るためにはどうしても必要なもの。

魔王の目的、勇者の役割、ソフィレント王国や他国の思惑―――身の安全を確保し、かつ必ず元の世界へと帰れる保証を手に入れるには、知らなければいけないことが山ほどある。

ステラ・アラデアラードは、その上で重要な存在となりうる。


「別館のメイドは、ステラ・アラデアラードがいればどうにかなるわ。王城の情報も彼女の家が持つ伝手を利用できればある程度は手に入るはず……あとは、『異世界転移者』という立場を利用すれば貴族や商人とも対等な関係を結べる」


異世界の技術、勇者の力―――私が持つ手札の中で、この世界の人間が欲しがるものはいくらでもある。これを適当に使えば、私の第一の目的を達成することも難しくはない。

私は、なにがあろうとも元の世界へと帰らなくてはならない。

あそこには、多くの者を騙し、誑かして守り抜いた大切な居場所がある。

私についてきてくれた馬鹿どもが、大勢いるのだ。

その居場所に帰るためならば、私はどんなことでもやろう。

例え外道畜生と罵られるような、最低最悪の行為であろうとも。


「―――まずは、この国を乗っ取るところから始めましょうか」



なにか思いついたら続き書くかもしれません。

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― 新着の感想 ―
[良い点] めちゃくちゃ面白いです。王国の思惑や姫岸さんがこれからどんな行動を起こすのかワクワクします。 [一言] ぜひ続き描いて欲しいです。
[良い点] 頭のいい腹黒百合最高!ありがとうございます! [一言] 帰る時はステラちゃんも連れて帰ってあげて!
[気になる点] ステラ侯爵家って表記はおかしくないですか? アラデアラート? が性名ですよね。ならアラデアラート侯爵家なのでは?
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