牙城崩れる
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一遍。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
冬なのに、今日はばかみたいに暖かいな。
思い出すぜ。冬場でもぬくい日があったりすると、じいちゃんの家の畑の草刈りを手伝わされるんだ。お菓子と缶ジュースの報酬つきだったから、ホイホイつられていってさ。
当初は、草刈り鎌を使っていたんだがな、あることをきっかけに手伝いに行く機会は激減。もし、やるにしても、手でつかんで根っこから引っこ抜く方法へ移行したんだ。
俺の腕力が増したから、というのもあるが、少々、やっかいな事態に巻き込まれたことがあるんでな。お前もこれから先、草刈りに限らず、草むらへ入る時は用心した方がいいぜ。
じいちゃんの畑はテニスコート数面分ある。そのうちの一面の半分が、俺の担当範囲だった。
昼前に作業を始めて、15時前後には仕事を中断。寒くなり始める前に終わらせる。
雑草たちは元気だ。少し放っておくとぼうぼう伸びてきて、俺のくるぶしをすっかり隠すほどになってしまう。
その週の連休も、俺はじいちゃんからの召集を受けて、まかり越したってわけ。
先にも触れたとおり、俺は鎌を使って草刈りをしていた。当初は必殺技のノリで、ぶんぶん鎌を振って刈ろうとしたんだが、思ったように切れない。
ここで俺は刃物にとって大切な動きである、「引く」という動作を学ぶ。刃の行き先を見て、自分を傷つけないように引き寄せれば、スムーズに断てる。
ついでに草の根元も確認し、野菜の茎など、切っちゃいけないものを巻き込まないように注意もされたな。
まがりなりにもテクニックを得た俺は、調子に乗って、ざっざか、ざっざか、わき目も降らずに草を刈り始めた。
終わればお菓子とジュースが待っている。それがますます、俺のモチベーションをかき立てていた。
こんなわずかなコストで精力的に取り組んでくれるんだ。じいちゃんにとって俺は、手ごろな労働力だったろうな。
そんな手伝いが二ヶ月近く。合計6回目を数える時のことだった。
畑の一角にかがんでいた俺は、鎌の刃に引っかかりを覚える。
二回、三回と歯を当てなおしたが、どうも硬い何かに当たっているようだった。
じいちゃんに注意を受けたばかりの俺だったら、きっちりと草の根を分けて、鎌の先を確かめていただろう。
だが、この時、俺の中で草刈りはじいちゃんの畑の手入れではなく、お菓子に通ずる、既定のステップに過ぎなくなっていたんだ。エスカレーターと同じように、乗っかりさえすれば勝手にたどり着く、消化試合のようなものだと。
そのいつもの流れが止められると、無性に腹が立たないか? その時の俺も同じで、当初の慎重な取り扱いはどこへやら。強引にあたりの草を巻き込みつつ、土も掘り起こさんばかりで、何度も刃を頑丈な草根っこに打ち据えたんだ。
不意に、これまで鎌の軌道を遮り続けていたモノが、消えた。期待していた手向かいが失せて、一気に足へと振り切られそうになった鎌。
ビリッと音がして、長ズボンのすそを刃がかすめ、穴が空いた。半ズボンだったら、ケガをしていたところだ。
でも、それ以上に、引き寄せた鎌の刃の腹に、乗っかっているものが気になる。
スポンジに似た弾力を持つ、細かい泡の集まり。綿の塊にも見えるそれは、カマキリの卵らしかった。
だが、刃と接している部分から緑色の液体が広がり、したたっていくのは、正しい切断後の状態と言えるのだろうか。
地面に生えている、刈ったであろう草にも目をやる。
根元から2センチほど上に、鎌に乗っかったのと同じような泡の塊が付着している。上部が途切れ、やはり同じ、緑色の液体がしみ出していた。
――カマキリの子供を、やっちまったんだろうか。
ぶるりと身体を震わせながらも、俺はそばに転がしてある、雑草入れとなっているビニール袋に、残骸を草ごと放り込む。
まだ頼まれた分は、終わっていない。今度こそ俺はしっかり草の根元を確認しながら、残りを慎重に刈り続けた。
刈った草は、畑の入り口に置いてある、手押しの一輪車の中へ入れることになっている。
俺がゴミを中にあけていると、反対側を刈っていたじいちゃんも、たまたま同じタイミングでやってきた。「なんもおかしいことはなかったか?」と尋ねながら。
刃物を扱わせている身として、気を配るのは当たり前。いつもやっている、確認だ。
でも、その時の俺には、先ほどのことがばれていて、あえてとがめてくるような口調に思える。
俺は、正直に話した。じいちゃんが「見せてほしい」というので、先ほどぶちまけた草たちの中から、お目当てのものを掘り出す。
じいちゃんはそれをじっと見つめた後、長ズボンの中から、最近扱い始めたケータイを取り出し、電話をかける。母親の名前が出てきたから、俺の家だと分かった。
会話から察するに、「今日、俺をじいちゃんの家で預かってもいいか?」と交渉しているようだったよ。
お約束のお菓子タイムだったが、俺はドキドキしっぱなし。なぜならじいちゃんが、俺の使っていた鎌の刃を、そばでしげしげと眺めているからだ。
包丁を握った人が、そばにいる時も同じような心持ちがする。
いつ、その刃が自分に向いて、グサッとやられるか……そんなことを、しきりに心配してしまうんだ。
結局、鎌は刃の部分を手ぬぐいで覆われて、元々入っていた、桐の箱の中へ戻され、押し入れの中へ。
「今日は、じいちゃんと一緒に寝るか」
泊まり込む時に、一緒に眠ることはそれまでも何度かあったが、今回は異状。
寝る段になって、俺は有無を言わせず、剣道でつける面や胴。その上からハチを相手にする時のような防護服を着させられた。生地の中に何か入っているようで、一度、横になってしまうと自力で起き上がるのが難しいほど重い。
じいちゃんも俺と同じ服装になり、ふとんを並べることに。
「念のためじゃ」とじいちゃんは話していたが、それが意味を成すのは、夜中になってから。
明かりを消してから数時間。正面のふすまに、外側から「どん」と、ぶつかってくるものがあった。
なんだ、と俺とじいちゃんが同時に身体を起こしたが、そこへもう一度ぶつかるや、「バリッ」と音を立ててふすまを破り、何かが飛び込んでくる。
俺の顔に、厳密には顔を覆うプロテクター部分に当たって、大きくひびが入った。そこへ突っ込んできたやや湾曲した刃は、面がねの間に挟まって、かろうじて俺の肌への直撃を避けている。
鎌の刃だ。ふすまを破り、俺の顔へと突っ込んできたのは、鎌だったんだ。
じいちゃんが、すぐさま鎌を抜く。柄に書かれた名前から、昼間に俺が扱った奴と分かった。
ふすまを開くと、そこには押し入れにしまったはずの桐の箱。ふたが外れた状態で、転がっていたんだ。
「やはり、昼間にお前が崩したのは『牙城』だったな」
じいちゃんの落ち着きっぷりに、俺はちょっとむっとする。
――危うく、俺が大変になるところだったんだぞ。少しは心配しろよな。
じいちゃんに服を取り外してもらう間、そのことを考えて、ずっと悶々としていた。
じいちゃんは家中の明かりをつけた上で、懐中電灯を手に取ると、鎌が入った桐箱を抱え、外にある小さな物置へ。俺も一緒に連れていかれた。
「お前が崩したもんを、じいちゃんは「悪の牙城」と呼んでいる。冬場に時々、姿を見せるんだ」
じいちゃんは箱から鎌を取り出す。そして大きく振りかぶり、コンクリートでできた物置の床を叩く。曲がった鎌の刃で持って、だ。
「ひとつところに住まって眠る奴ら。放っておくには害がないんだが、いったん目覚めると大変だ。自分たちが動かし得るものだったら、なんでも取り付いて動かして、悪さをしようとたくらむ」
重なる殴打に、鎌の刃は耐えられない。折れて飛んだ破片が、俺の肩をかすめて「あっぶねー!」と、ついぼやいてしまう。
怖さより、いらだちの方が勝っていた。
「だからそいつらを叩き出して、閉じ込めなくちゃならねえ。そのためには、一度、こいつらを叩き出す必要がある」
勝ち目のない衝突が繰り返されて、鎌の刃は砕かれ、崩れていく。それが根元まで及んだ時、あの時に見たのと同じ、緑色の粘液がどろりと漏れた。
「見ろ。こいつらがそれだ」
――何、勝ち誇っていやがる。偉そうに!
祖父が液体を見せてきた瞬間、うっぷんを晴らすように、俺は殴りかかっていた。
かつて祖父が、軍隊で鍛えていたという噂は本当だったらしい。
祖父は少し驚いた顔をしたものの、俺が繰り出した腕をさっと掴むと、そのままひねられて、床へねじ伏せられてしまう。
「お前もやられていたか?」
祖父の声が聞こえているのに、俺の口はそれに答えず、「離せ、ほどけ!」と自分でも驚くくらいのだみ声で、わめいていたのを覚えている。
祖父は空いた手で、ズボンのポケットから縫い針のようなものを取り出すと、ひねっている俺の腕の、親指を軽く刺した。
「刺しやがったな!」と勝手にわめく俺。その目の前で、指の血管を破り、垂れてくるのは鎌の根元から出るのと同じ、緑色の粘液だったんだ。
「子供のお前じゃ、身体もまだまだ軽い。その分、こいつがわずかに入っただけでも、身体にとっちゃ重大事。すぐに影響を受けちまう。
さっきまで何かと、イライラして仕方なかったんじゃないか?」
自分から垂れる緑色の液体が、床を汚していく。それは気味の悪い光景だったはずなのに、俺はそれを見ているうち、湯船に漬かっているかのごとき、心地よさを覚え始めたよ。
きっと、「悪」が追い出されて、本来の血の巡りが急速に戻ってきたからだろうな。
指からも緑色の液体が出尽くしてしまうと、じいちゃんは鎖を一本手に取って、俺と一緒に小屋の外へ。
そのまま入り口の戸ごと、がんじがらめにしてしまう。それ以来、小屋は封印されることになったんだ。
さすがの奴らも、小屋ほど重いものは動かせないらしい。だが時々、中にある色々なものに取り付いているらしく、昼夜を問わずに何かが壁や床にぶつかって、壊れる音がするのだとか。