そうして僕らは死ぬことになった
明けましておめでとうございます。
目覚めたのがいつかは定かじゃない。
『気がつけば』とか、『いつの間にか』、なんて言葉が一番合いそうな覚醒。
見渡せば周囲はなにもない空間。
ただ、物がないだけであって、誰も居ないワケじゃない。
見渡せば周りに見えるのは、大量の人型。
しかしぼんやりと、もやがかかったようになっている。そのせいで形貌が分からない。
そいつら……仮にモヤと呼ぼう……は、今の僕と同じように周りをきょろきょろと見回していた。
そして多分、そのモヤと僕は同じなのだろう。視界の端へ僅かに映る僕の手足もまた、もやがかかっていて、細かい造形が分からなかった。
「ここ、どこだろう」
自然に独り言が出る。心の底からの疑問だ。
余りにもなにもない空間なもので、当然不安な感情が湧いてくる。
ここはどこなのか分からないし、いつなのかも分からない。
だれか教えてくれる存在、救いの手を差し伸べてくれる者が居ることを期待してのつぶやきだった。
「さあね。ここはどこなのやら」
不意に、後ろから声が聞こえてくる。
そちらに視線を向ける。回転する視界。
直ぐ後ろには僕と同じような姿で、困ったように腕を組むモヤが居た。
造形は他のモヤと同じで、何の特徴もない。もし僕がこの場所から駆け出して十歩でも離れたら、見失ってしまうだろう。
「なにも知らないの?」
「まったく。気がつけばここにいたんだ。私もよくわかってないんだよ」
組んでいた腕を解いて持ち上げると、やれやれとでも言いたげに首を振る。
向こうは話す気こそあれど、答えを持っているようではなかった。
ただそれは僕も同じで、おそらくだけれど、ここに居るモヤ全てが同じ状況なのだろう。
皆いつの間にかここにいて、なにをすればいいかも分からない。なにかの変動が起こることを待つばかりだ。
そして、待ち望んだ変化が起こる。
「あれ……ねえ、なんか、おかしくない?」
「おかしい?」
「ほら、あっちの方」
目前に居るモヤが、不安げに話しかけてくる。ただ、僕はそいつが感じている違和感を感じ取れていない。
遅れて遠くの方をモヤが指す。また視線を動かし、そちらに視界を回す。
「え……なんだ、あれ」
遠くに見えるモヤが、黒く染まっていく。何もない空間だからこそ、遥か遠くに見えるモヤが黒くなる様が見えた。
モヤは腕や足の端っこから黒く染まると、少しの間だけ慌てたようにもがく。だが、少しするとぴたりと止まり、動かなくなる。そして全身が黒くなった辺りで、ふっと掻き消えてしまった。
「消え……えっ?」
「今の……消えた、よね……?」
なにが起こっているのか。
二人揃って、ただ困惑に声を震わす。
そして困惑は僕ら以外にも感じているらしく、周囲がどよめくのが分かった。
「な、なあアンタら! 今の見たよな!?」
「え、ああ、うん」
「何が起こって……ああ、クソ、誰か分からねえのかっ!」
唖然としていた僕らに、大声でまた別のモヤが話しかけてくる。
そいつもまた混乱しているようで、両手で頭を押さえながら周囲を落ち着き無く見回す。
「ちょっと、落ち着きなよ」
「落ち着け? 落ち着けだと! さっきのヤツみたいに、いつ消えるか分からないのに!?」
そいつはどんどんと声を荒げていく。別のモヤがなだめても、むしろよりヒートアップしていった。
そのまま取っ組み合いでも始まるか、という空気。居心地の悪さに、僕は一歩退く。
その時だった。
一瞬で視界が回転する。
足元が大きく揺れ動く。
立っていられず倒れ込んだ。
「う、わっあぁ!?」
遅れて上がる悲鳴。
僕のものではない。誰が上げたものかは定かじゃない。
ぐちゃぐちゃになった世界では、どこでだれがなんの声を出したのか、もう分からなかった。
「こ……今度はなんだ! ちくしょうがっ!」
語調からして、多分さっきのうるさいモヤだろう。またがなりたてているのが聞こえてくる。
辺りに居たほとんどのモヤは体勢を崩していた。僕も同様に尻もちをついて、ただ混乱に流されている。
「ああ、もう……ほんと、なんなのよ。あんた、大丈夫?」
「え、うん。ありがとう」
差し伸べられた手を取る。特徴がないせいで誰か分からないが、多分さっきまで話していたモヤだろう。
力を込めて引っ張り上げられ、少しだけよろめきながら立ち上がる。周りのモヤもゆっくりではあるが、少しずつ立ち上がっていった。
「なあ、おい」
「今度はなに?」
「他の奴ら、どこいった?」
「え……?」
言われてすぐ、周りを見渡す。
確かにモヤの数は減っていた。さっきまでははるか遠くまで見えていたのに、今は走れば辿り着けそうな場所にまでしかいない。
「あいつら、どこに行ったんだ!?」
「いちいち叫ばないでよ……誰も分からないんだから、聞いたって仕方ないでしょ」
がなりたてるばかりのモヤと、嫌気を感じつつも返事するモヤ。
僕はその二人の会話を聞きながら、辺りを見渡す。
減ったとはいえど、数はそれでも多い。数千から万に届きそうな数が、ほとんど間隔を開けず密集している形だ。
「あ、ねえ、アレ!」
「ああ?」
「アレ、さっきのとこじゃない?」
密集しているモヤの更に奥。よくよく見れば、同じように固まっているモヤの集団が見えた。
こちらよりも非常に数が多い。多分だが、さっきまで僕らが居た場所だろう。
「ホントだ……どうにかあっちに戻れないのかな」
「どうだろ、別の道は……あれ?」
道を探そうと、左右に視界を向ける。そこで、また別のものが見つかった。
僕らのグループとは別に、また同じくらいの数のグループが左右に見える。
「あれも僕らみたいに、切り離されたグループかな」
「え? ああ、ホントだ、なんかあるわね……」
「どうにか合流出来ないのかな」
「つーか、なんか数多くねえか、あそこ」
数は数千から万だが、どうにもばらばらだ。明らかに少なそうなところもあるし、どう見ても僕らより多いところもある。
その違いがどうやって生み出されているのか。それを考えるよりも先に、また変動が起こり始めた。
「うわ、寒っ……!?」
「次はなんだよ、くそ!」
急激な寒気。
強い風が吹き、それが冷気を運んできた。
途端に皆が寒がるが、この寒気を防ぐ方法はない。
自らの身体を抱くようにして、ぶるぶると震えながらただひたすらに凍える。
「ど、どうすんだよ……このままじゃ、死ぬだろこれ……」
モヤが言う通り、このままでは死ぬに違いない。それほどにひどい寒さだった。
「とりあえず、どこか別の場所に……!」
「そ、そうだな。とりあえず移動しよう」
動けば暖かくなるなんて言える状態じゃない。それだけでは凍死を免れないだろう。
それでも、ここに居たところで死ぬだけだ。それなら動くしかなかった。
僕の言葉に周囲も賛同したのか、まとまって同じ方向へと動き出す。
左右を見れば、他のグループも同様にどこかへ向かって移動していた。
「おい、見ろよあそこ」
どこに向かって進んでいるのかを確かめる前に、モヤが声を出してある方向を指す。
そちらを見れば、球体らしきものが遠くに見えた。
一見してそれがなにか分からない。それでも暖色をしたその球体は、寒さの限界に居る僕には暖かそうに見えた。
「あそこへ行こう。周りもあっち行こうとしてるし」
「なら、急ぐぞ。そんなにたくさん入れそうにないしな」
皆で駆け出す。
歩調はバラバラだ。それでも速度は同じくらい。
走っても疲れはあまり感じない。吐息が乱れることもなかった。
ふと、僕らは一体なんなのか、疑問を抱く。
僕らの姿は白いもやばかりで形貌が見えない。なんとか見える身長や造形はほとんど同じだ。
ただそれぞれ話し方に個性があって、動き方も違う。
寒さは感じるし、死の恐怖も感じる。
ただ走っても疲れないし、倒れたときに痛みもない。
一体僕らは、何なのだろう。
「見ろ、向こうの方から近づいてきてるぞ」
「もうすぐね。私たちが一番最初に入れそうよ」
思わず止まりそうになる足。
けれど周りの声が聞こえてきて、走り続けることが出来た。
たしかに他のモヤが言う通り、球体は少しずつだがこちらへ迫ってきている。
そして左右を見れば、僕らのグループが一番を走っている。
「このまま飛び込むぞ」
「うん」
走るスピードを速める。もうすぐ、もうじきだ。
そうして球体の目前まで辿り着く。
立ち止まることなく、そのまま僕らは球体の中へと飛び込んでいった。
――そこからのことは、よく覚えていない。
暖かく居心地の良い部屋。
時折外から聞こえてくる話し声。
たまに揺さぶられ、その動きに反応して壁を蹴る。
するとまた話し声が聞こえてきた。楽しげな声。
このまま居られたら、どれほど良かっただろう。
心地よい空間で、稀に揺れ動く程度の少ない刺激。
ストレスとはほとんど無縁に、僕は過ごしていた。
けれど、唐突にそれが終わる。
感じるのは寒気。死ぬほどのものではないけれど、ひどく不快だった。
思わず声を出す。出てくるのは、単純な鳴き声ばかり。
返ってくるのは歓声だ。一体なにが、そんなに嬉しいのやら。
誰かが僕を抱き上げる。
愛おしそうに頬ずりをし、なにかを呟いた。
それとはまた別の人が、声を掛けてくる。
「おめでとう、元気な男の子よ」
こうして僕は、この世に生を受けた。
そうして僕らは、死ぬことになった。
今年もよろしくおねがいします。