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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

レイトウ睡眠

作者: モモスケ

ごめんなさい。

 初めは何を言われているのかわからなかった。


 「もう助からないだろう」


 そう言って、彼女の父は病室を出て行った。脳裏に映るのは、昨日まで元気にはしゃぎ、目を細めて笑う彼女の姿。

 たった数時間。夕食を食べて別れてから日付が変わるまでの数時間。その僅かな間に、ずっと近くにいた彼女は、遠くに行ってしまった。手も握れる、頬にも触れられる。それなのに、彼女は、僕の手の届かないところに行ってしまった。


 彼女を遠くに追いやったのは、酔っ払いが運転していた信号無視の車だった。運転手は、逃げることなく、すぐに救急車を呼んでくれたらしい。彼女の父に泣きながら土下座をしていた運転手は、病院についた警察に連れられて行った。


 突然の事過ぎて、どう反応して良いのかわからない。怒りや悲しみがこみ上げることはなかった。

 頭を強く打ち付けたらしく、いつ目が覚めるのかもわからないらしい。彼女の父は、元救急隊員で、既に目を覚ますことを諦めていた。

 それでも僕にとっては、ただ眠っているようにしか見えなくて、彼女の目が冷めないかもしれない、と感じ取ったのは、それから1週間後だった。


 西日が差す病室で、彼女の寝顔を眺めている。

 状況を理解してもなお、怒りも悲しみもこみ上げてこない。あるのはただ、虚しさだけだった。


 一ヶ月経つと、食事が喉を通らなくなった。

 彼女は相変わらず、病院のベッドで眠っている。笑うことも、食事をすることもなく、ピッピッ、と心臓の動いている音が、機械音となって病室に響く。


 何度も神社に行った。怪しい宗教にも祈った。信じるものは救われる。そう信じて、彼女が目を覚ますことを祈り続けた。

 それでも、僕の願いが届くわけもなく、彼女の目が覚めることなく、数ヶ月の月日が流れた。きっと彼女は死んだのならば、僕も諦めて死ぬことができたのだろう。

 しかし、彼女は、目の前で生きている。生きているが、死んでいる。

 決して手は届かなくとも、二度と僕に微笑みかけてくれなくとも、彼女が生きていることに変わりはないのだ。喉を通らない食事を、無理矢理水で流し込んだ。流し込んでは吐き、流し込んでは吐きを繰り返した。


 生きながら死んでいる、という意味では、きっと僕も彼女と変わらないのだろう。


 身体も心も壊れ、現実逃避をすることが癖になり始めた頃、病院の壁に貼られたポスターが目にとまった。


  『保険会社の新商品 睡眠中に増える預金 冷凍睡眠』


 最近色々なところで目にする広告。年を取ることもなく、ただ時間だけが過ぎていく。そんな説明をしていたきがする。


 その広告に、僕の心は揺れた。彼女が起きることはきっともう有り得なのだろう。それまで僕はこんな生活を続けていくのだろうか。それを彼女は望むのだろうか。決して叶わないと分かっていながら、彼女の目が覚めることだけを信じ、祈り続けて生活を送っていくことが、まだ僕に続けられるのだろうか。


 きっと無理だ。もう耐えられない。だからと言って、今更彼女を忘れて生きていくこともできない。かと言って、彼女を残して死ぬこともできない。延命措置によりただ続く寝息、しかしそれれは、僕が生きることを諦めない理由になるのには十分だった。


 しかし、もうだめだ。分かっていても、諦められない。だからもう、全部忘れよう。全て忘れて、眠りについて、全てを終わらせよう。次に目を覚ました時は、この悪夢から開放されて、新しい人生を生きていく。だから、どうか、どうか許して欲しい。


 現実から目を背け、一人未来に逃げる僕を、どうか許してください。






 それから60年、僕は眠り続けた。それでも、僕を蝕んだ現実という悪夢は、夢にまでやってきて、文字通り悪夢となって僕を苦しめた。

 それでも、目を覚ませば、そんな悪夢も過ぎ去った。町並みも変わり、彼女の病院も無くなった。眠っていた60年の間に、世界は大きく変わり、僕の知らない機械が世間に普及している。変わっていないのは僕だけで、まるで全時代に取り残されたかのように感じた。それでも、過ぎ去った日々は現実で、僕のことを置いていったこの世界は、彼女と決別することができたと言う、証となり、僕を慰めた。

 生活に苦労することはあっても、幸いお金に困ることはなく、晴れ晴れしい気持ちで人生をやり治すことはできそうだった。

 とはいえ、いくら未来に逃げて彼女と決別したとしても、彼女との思い出は、一瞬で消えるものではなくて、彼女はいないと分かっていても、忘れることはなかなかできなかった。



 夕暮れになると、決まって彼女の寝顔を思い出してしまう。だがそれは、今の僕にとっては、美しき思い出であり、もはや悪夢ではなかった。そう言い聞かせ、僕は生活を送っている。





 目覚めから数週間たち、未来での生活にも慣れてきた頃、彼女とよく来た公園が合った場所で、僕はいつものように夕日を眺めていた。夕日に照らされ光る池の水、風に揺れて舞い散る紅葉、美しいそれらを眺めながら、僕の脳裏には、病室のベッドに横たわる、美しい彼女の面影が浮かぶ。そんな彼女の横で、泣き崩れる両親。そこに僕の姿はなくて、心臓が止まったことを伝える音と、必死に心臓マッサージを繰り返す看護師の姿だけがある。

 もう彼女はいないのに、僕は未だにあの病院から抜け出せないでいた。最愛の人と別れることがあるのは、僕だけではない。


 人は喪失を許容できる生き物だ。しかし、逃げ出した僕は、それが上手くできなかった。未来に逃げても、現実と向き合えなかった僕が、未来と言う現実を生きることは、不可能だったのかもしれない。

 彼女との思い出は消えるどころか、鮮明に蘇る。彼女のことを忘れられず、気が付けば僕は、彼女と歩いた道をひたすら歩いていた。


 過去に囚われて、すっかりと抜け殻になって歩く並木道。

 だが、それは、偶然か、奇跡か、それとも天罰なのかわからない。だが、彼女の面影を追い歩き続ける僕の前に、幻覚か彼女にそっくりな女の子がいた。陽射しを浴び、賑やかに笑うその声に、限りなく確信に近い、彼女の面影を見た。

 おもむろに、女の子が駆けだし、抱きついた。受け止めた老婆の、しわしわの両手に咲いたその笑顔が、懐かしさを僕に思い出させる。

 互いに目を細めて笑う二人の顔は、僕が願い、祈り、夢にまで見た希望だった。


  もう二度と手の届かない、失った僕の希望だ。




 冷えたコンクリートに持たれて頬を付ける。目線の先、西日に漂う埃を見る。

 何を話すでもなく、何をするでもなく、僕は下手な絵空事ばかりをずっと空想する。



 手の届かない希望を。失った僕の希望を。ずっと空想する。


m(_ _)m

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