祈りの日 3月11日に寄せて
阪神大震災の翌年の1月17日。
大阪のとある学校の食堂で昼食をとっていた。
2つほど離れたテーブルには年若き女子が数人。
話題に事欠かないのだろう。
騒がしくはないが、時折笑い声をあげ賑やかに話をしていた。
食堂の片隅に据えられた一台のテレビが震災の追悼式を中継している。
黒いスーツに身を包んだ政府や県の要人、遺族らの姿。
静かに、厳かに式典は進んでいく。
正午になった。
サイレンの音が聞こえ、テレビの人々は一斉に黙祷した。
私は食事の手を止めて、静かに合掌した。
ふと、先ほどのテーブルに目をやった。
談笑していた彼女らは、示し合わせたかのように口を閉じた。
そして、目を閉じ、静かに手を合わせた。
私も静かに目を閉じた。
食堂の喧騒は消え去り、私たちは静謐に包まれた。
それは、とても穏かな数十秒だった。
災いがなければ、決して失われなかった命。
決して失われなかった日常。
今日は昨日の続きであり、
今日は明日へと続いてゆく。
人は人を支え、
人は人に支えられ。
連綿と続く、時と命の積み重ねは、
いまを生きる者たちが歩む、その大地の地層となる。
いま、ここにある命に、ただ静かに感謝しよう。
祈りの日、3月11日によせて。 パン大好き