1 朝の恒例と
気がついたら、真っ暗だった。
何も見えない。手足も自由に動かない。どうしようもない不安に駆られる。
深呼吸をして落ち着こうと、息を吸えば、口から思いっきり呼気が吐き出された。それに声も。それに驚いて益々どしようもない不安がせり上がって声を上げる。もう自分でもわけが分からない。耳もよく聞こえない中で、誰かが俺の体を抱え、包み込む。その温もりに、少し安堵する。
「ーーー」
何か言っているようだが、よく聞こえない。だけど、不快な感じはしなかった。
安心したら、意識が朦朧としてきた。やはり不安で先ほどよりかは小さいが、声が漏れる。その度、優しく揺さぶられ、段々と不安が収まっていき、いつの間にかまた意識を手放した。
意識を手放す直前になって、ようやく自分が転生を果たしたことに気づき、無事に生まれられたことに心から安堵のため息をついた。
※ ※ ※
生まれてから一週間ほどだった。生まれた直後はわけが分からなくて大泣きしたけど、無事に誕生した。最近では目も少し見えるようになり、新しい家族など、色々と観察している。
「アージ、今日もいい子かい?」
そう言ってニコニコと屈託なく微笑む男性は俺の父さんである、シュルッカ。体つきはアスリート並みだ。身長は高いし、胸板は見事なほど分厚く、女なら思わず寄りかかってみたくなるほど立派である。四肢も服の上から分かるほど筋肉がしっかりとついて太く、かと言って筋肉ダルマと言うわけではなく、適度に引き締まっている。肩周りだって盛り上がっており、見事な肉体である。
肌は褐色で、輝くようなゆるくウェーブがかった金髪に、俺を嬉しそうに見るアーモンド型の黄金の瞳、髭のない精悍な整った顔立ちをした、文句なしのイケメンフェイスをした父だ。
「ふふ、今日もアージは良い子ですよ。ねぇ、アージ?」
そう言って抱えている俺を覗き込むようにして微笑む女性は母さんのファティーマ。こちらは父さんに比べたら頭一つ分以上背が低く、小柄だ。すらりとした華奢な手足に、シミ一つない百合の様に白い肌。指先もきれいで、爪も清潔に切り揃えられている。顔立ちは美人と可憐の中間くらいで、腰まである波打つ栗色の髪を下の方で三つ編みに揃えており、タレ目がかった緑の瞳に、桜色をした小さな唇。
化粧気はあまりないが、楚々とした雰囲気が漂う自慢の母さんだ。
ちなみに、この世界では俺はアージと名付けられた。鏡を見てないから不安は拭い切れないが、遺伝子様の神秘は知らずに済んだようだ。こんな美丈夫や美人から不細工として生まれたくはない。
両親の仲は良いようで、俺のこともよく気にかけてくれている。忙しい日もあるようだが、こうして朝一番に必ず俺の顔を見に来てくれる。まだ一週間くらいしか見ていないから分からないところも多いが、それでも、この両親は良い人達だと思う。
「旦那様、そろそろ支度をせねばなりませんよ」
コンコンと部屋の扉を控え目にノックする男性の声がする。家令の一人、ドルゴニュッシシュさんだ。非常に言い難い名だが、何故か一発で覚えられた。そうでなくても、記憶力が上がっている気がする。言語理解の恩恵なのか、それとも赤ん坊ゆえなのか。とりあえず、便利だ。
「あぁ、今行くよ。それじゃあ、行ってくるよ、ファティーマ、アージ」
「行ってらっしゃい、あなた。ほら、アージも。行ってらっしゃ〜い」
二人してソファーのようなものに座っていたが、ドルゴニュッシシュさんに呼ばれたので、父さんは仕事に向かう。そんな父さんを母さんが、赤ん坊の俺の小さな手を振って一緒に部屋から見送った。
母さんは必要な用事がなければ、基本この部屋にいる。そう言う習慣なのか性格なのかはまだ不明だが。
部屋は広々としており、天井も高く、圧迫感はない。壁は色とりどりの壁紙代わりの布で覆われており、賑やかだ。床は板張りで、ベッドとソファーの下にだけ絨毯が敷かれている。
ベッドとソファーは明るい色合いの下地に、錦糸で様々な模様が描かれた布団が敷かれており、絨毯にはベッドなどとは違った模様の描かれている。
また、オシメなどが入っている引き出しにも寄木細工のような装飾が施されており、衣服を収めたタンス、揺籠などがある。大きなガラス張りの窓とバルコニーもあり、そこから庭なのか外の景色も見え、窓を開ければ木々や花々の良い匂いがした。
この部屋の様子に加え、家令のドルゴニュッシシュさん、使用人らしき女性が食事やお茶や花瓶に生ける花々などを運んでくるので、この家はかなり裕福なのだろう。その割に使用人が育児の手伝いをすることは見たことはないが。母さんの身の回りの世話もあまりしないし。習慣なのかな?
いつもならこの後お昼ご飯(朝ごはんは既に食べた)になるまでは誰も来ず、母さんは俺をあやしたり、刺繍をしたりして過ごしているが、今日は違った。
「ファティーマ母様、入っていい?」
「えぇ、どうぞ」
女の子の声だ。俺の兄弟だろうか?
疑問に思う中、母さんは俺を揺籠に入れて、出迎える。揺籠の中からは何も見えないし、あまり聞こえない。
少女だけでなく、幼い少年達の声もする。キャッキャと楽しげな声がよく通る。
「この子がアージ?」
母さんの所にいた子供達がバタバタと足音と立てて、揺籠に集まってきた。みんな興味深々と言う顔をしている。女の子が子供達の中で一番年上そうだ。五、六歳くらいだろうか。他の少年達は更に幼い。三人おり、一番小さな子は三歳くらいで、残り二人は四歳くらいかな。この時期の一歳の差は本当に大きいな。体つきが全然違う。
「みんなフーダ明けの前祝いの言葉、ありがとうね。」
母さんの言葉に、全員がどういたしまして、と声を揃えて答える。
「かーさまがね、きょうのごはんはきたいしてって、いってたよ」
舌ったらずな言葉で、一番小さな男の子が母さんに告げる。その間にも、俺は子供達の好奇の視線と、ほっぺたプニプニ攻撃に晒されていた。
やめろ! 赤ん坊は繊細なんだ! 俺の意思関係なく泣いちまうほどに!
びぇぇぇぇぇぇ!!
突然の見知らぬ来訪者に、耐え切れず泣き出す。だが、それにつられて子供達も泣きそうになって、中には既に泣いてる子もいた。そんな子供達を母さんはなだめながら、俺を抱えてあやし出す。やはり、母さんの腕の中は落ち着く。
泣き声を聞きつけて、使用人の女性と、見たこともない女性が駆けてきた。俺はそのことにまた不安を覚え泣きだし、結局彼女や子供達について何も分からないまま眠りについた。