4 ご挨拶と確認
言われた通りに目を閉じれば、ぬるま湯に浸したかのような感覚が足先から全身に広がる。ゆらゆらと揺れるように漂っているのか、足元が覚束ない。そのまま段々と意識が薄れてゆき、プツリと途切れた。
「気づいたか?」
どれくらい経っただろうか。静かな声がした。三鷹さんよりずっと若い、男性の声だった。声の主を見ようと瞼を開けようとするが、いくら力を入れても開かない。何かで瞼がくっつけられているようだ。声を出して自身の異変を伝えようともしたが、喉から空気が漏れる音がするだけで、声になることはなかった。
なにが起きた?
焦る俺の心境など知ってか知らずか、しばらく経ってからようやく何かが俺の額に触れた。その瞬間、俺の全身に微かな振動が伝わる。全身を覆っていた薄皮がめくられたかのような感覚だ。
目を恐る恐る開け、ぼやけたピントを合わせれば、そこには今まで見たこともないほど整った顔立ちをした人物がいた。
肩口で切り揃えられた紺碧色の髪に、陶器を思わせる白い肌。絢爛な装飾を施され、それでいて嫌味になることもなく、威厳さえ醸し出す、さながら歴史の資料集や映画でしか見たことのない中国の皇帝を思わせる出で立ち。流石に冠らしきものはかぶってなかったが。
だがそれ以上に人外としての風貌と美がありありと見て取れた。
瞳は万華鏡のように色鮮やかな色彩で、白目の部分は黒曜石よりもなお美しい艶やかな色合いをしていた。これだけでも十分目を引くのだが、その人物には千手観音像ほどではないが、背から無数の腕が生えていた。腕と形容したものの、大半は腕の形さえ成していない。そんなものがある種の調和となって、その人物を一際異形として際立たせ、そして目を背けることも出来ない絶大な美しさを内包させていた。思わず見惚れるほど、目の前の人物は文句なしに美しかった。
「三嶋君」
不意に聞こえた三鷹さんの言葉で我に帰る。はっとなり、隣に目を向ければ苦笑した三鷹さんがいた。小声で「意識があるのなら、その旨をちゃんとお伝えしなさい」とほうけていた俺に返事をするよう促す。どうやら、目の前にいる人物が異世界を管轄する神であるようだ。慌ててしどろもどろになりながらも、なんとか答えた。
どうしよう。いきなり無礼をかましてしまったかもしれない。
「これこれ、そんな必要以上に怯えるでない。こちらの古く尊いお方は、この程度のことでは一々怒ったりはせんよ。それに、君はこちらが思った以上に礼儀正しくしておる。
大分前に連れて来た者は、かのお方を見て失禁して泡を吹いて気絶しおったからの」
目に見えて青くなる俺を気遣って、三鷹さんがフォローをいれてくれる。前の人はかなりビビりだったのだろうか。うん。それに比べたら確かに俺は大丈夫だよ、な? 心持ち安心出来る。ありがとう三鷹さん。ありがとう名も知らぬ誰かさん。
「既にこちらの受け入れ準備は整っている。あとは君が選ぶだけだ」
淡々とした調子で、中に並々と薄ぼんやり光る透明な液体を注がれた、繊細な細工を施されたガラスの杯を渡される。
「覗き込みなさい」
俺は言われた通りに覗き込む。すると、液体がみるみるうちに嵩を増し、杯から溢れ、足元にどんどん広がっていく。そして俺、三鷹さん、異世界の偉い神様の三人の足元に薄く発光する円となった。
「この足元に映る世界が、君の転生先だ」
同時に、どこかの街並みが映し出される。上空から街を見下ろしているので細かいところまでは分からないが、人々が行き交い、活気があるようだ。雰囲気はアジア風、なのかな? 日本周辺のアジアっぽささではなく、中央アジアとかペルシャとかそんな感じ。海も見え、周囲は開けた草原地帯に囲まれている。
「私が所有している七十三個目の世界で、アゼルタイ大陸だ。地球と異なり、魔法や魔獣と言ったものが存在する。精霊や悪魔、天使と言ったものはいない。
文明は…、そうだな、君を送る地は大体17から19世紀くらいの文明水準かな。魔法があるから誤差が出るが、それくらいだと思っておけば良い」
異世界の神様から魔法があると言われ、俄然転生が待ち遠しくなった。
「こちらが用意出来る君への選択肢は二つ。アゼルタイ大陸の南部か北部か。好きな方を選びなさい」
なんと大雑把な。いや、選択肢は向こう次第だって三鷹さんも言ってたからあまり期待はしていなかったけど。でも、もう少し選べるのかと思ってたので、少し残念。まぁ、もう一度人生を歩めるのだ。これ以上望んではバチが当たる。
それにしても、どちらにしようか。せめてもう少し情報が欲しい。質問したいが、こちらから口をきいたら無礼になるのではないだろうか? いや、でも結構寛容みたいなこと三鷹さんが言外に伝えてきてるし、ここは思い切って聞いてみる。
「あの、それぞれどのような場所なのかお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「ここに映っているのは東部だが、南部も北部もそう変わらん。それに、どのみち私の口からはこれ以上の説明も出来んしな。これ以上の説明は配下の仕事を奪いかねん行為だ。
配下の仕事を奪うのはこちらとしても不本意。すまないな」
「いいえ、とんでもございません! こちらこそ、無理を言って申し訳ありませんでした」
流石に他所の神様の仕事を奪うわけにはいかず、更には異世界を管轄している偉い神様にまで謝らせてしまったので深々と頭を下げる。その様子を見て、可笑しそうに異世界の神様は微笑む。
「ふふ、今回はちゃんと会話が成立するから助かる。やはり、配下を下げ、この身の大きさを人間に合わせたのが功を奏したか? なぁ、三鷹よ?」
「そうでしょうな、古く尊きお方よ。それに、お力を見事に抑え込んでいることも良かったのでしょう。そのおかげで、三島君も少し硬直する程度に済みましたからな」
「それだと味気ない。そうだな、お前が鷹なら、私は三ツ石とでも呼んでもらおうか」
そう言ってカラカラと笑い合う二人。三鷹さんはともかく、異世界の神様、こと三ツ石様(さん付けはちょっと抵抗が。決して三鷹さんを下に見ているわけじゃない)がこんな風に笑うとは。第一印象からして、失礼なようだが、こちらに関して殆ど関心を持っているとは思えず、ずっと無表情なのかと思っていた。しかし、知らぬ所でこちらに気をまわしてくれていたらしい。三鷹さんもそうだが、三ツ石様も神様なのに無下に扱うこともなく、丁寧に接してくれる。本当、俺には勿体無いほどの良い神様に出会えたものだ。
「さて、三嶋君。君も私のことは三ツ石と呼ぶように。
君の生まれる落ちる土地や周辺や情勢について語ることは出来んが、それ以外のことなら話せるし、好きに尋ねてくれて構わんよ」
無表情に近かった三ツ石様に気さくに笑いかけられ、しばし呆然となるが、何とか復帰し、お礼を述べた。その際、様付けで呼んだら、そこまでかしこまらなくて良いと言われた。
「どうせ仮の名だ。呼び捨てで構わん。呼び捨てが畏れ多いと言うのなら、さん付けにしろ。あまり畏まれても面白味に欠ける」
「はぁ、そうですか」
「そう言うものだ。
それに、君がいくら敬おうとも、転生した後はこちらは一切干渉しないからな。言うなれば、この場だけの関係に過ぎない。もう少し肩の力を抜け」
そう言って、背にある無数にある腕のうちの一本(宝石の原石を繋ぎ合わせたような腕。思ったよりやわらかい)で、ぽんと肩を叩かれた。ここまで言われたのだ。胸を借りよう。
「はい、分かりました。そしたら質問なのですが」
そう言って俺は三鷹さんにもした質問、オプションの能力でオススメがないかを尋ねてみた。やはり、生きるからには最善の策を取っておきたいから。
「なるほど。ちなみに、君は何と何で迷っているんだ?」
「病気耐性と予防効果、それから肉体の最適化です」
やっぱり健康が長生きへの一番の近道だから、候補はこの三つとなった。文明水準もそんなに高くないようだし。遺伝子の神秘はかなり怖いけど、やはり候補から外せない。言語は赤ん坊から生まれるから、向こうでゆっくり覚えればいいし、才能の類いであろう肉体操作も、取れれば欲しいが、優先度は低い。
「まぁ堅実だな。しかし、言語理解はいれておいた方がいいと思うぞ」
思ってもみなかったものを候補に挙げられた。言語なんて、一番優先度が低かったのに。三鷹さんも不思議そうな顔をしている。
「向こうと地球では、言葉の体系もそうだが、概念とも言うのか、とりあえず、著しく異なるものがある。いくら赤ん坊から始められるとは言え、地球で生まれ育った三嶋君には一生かかっても理解も体感も出来ないものだ。
そのまま行けば、確実に口がきけないか、耳が聞こえない、あるいは両方を背負うことになる。会話なんて夢のまた夢だ。そもそも、相手の言ってることさえ理解出来ないのだから」
思った以上に言語は重要な項目だった。これは取らざるを得ない。一生相手の言葉を理解出来ないなんて辛過ぎる。聞いておいて良かった。
「あと、君が迷っている病気耐性と予防効果だが、これは三嶋君が思っているよりも使い勝手が良くない」
更に俺が候補として選んだものがダメだしされる。
「向こうには魔法があり、無論治療の魔法も存在する。この二つはどちらもその効果を減退させ、運が悪ければ治療がきかない。薬も同様だ。あくまで、ダンジョンマスターのような、魔法も薬の補助も受けられないような過酷で劣悪な環境下において効果を発揮するものだからな。
君のオプションに祟りが混じっていたのならどちらかを取らざるを得ないだろうが、無いようだし、特に無くてもいいんじゃないか?」
「それは初耳でしたわい。それにしても、ダンジョンマスターはつくづく大変なものですな」
「転生組のダンジョンマスターは特にな。さっき送った奴なんて悲惨の一言だ。恐らく、一日と持つまい。まぁ、大抵そうだがな。
私みたいな生粋のダンジョンマスターに食われるか、現地の者に狩られるか、はたまた配下に殺られるか。まぁ、楽には死ねん。運が良くて、即死だろう。人間のままダンジョンマスターになんてなれば、そうなるしかない」
色々と驚いたが、三ツ石さんがダンジョンマスターだったことが一番驚いた。あれ、神様だよな? そんな俺の疑問を読み取ったのか、三ツ石さんが説明してくれた。
「私はダンジョンマスターから神になった者だ。ダンジョンは今も運営している。君の世界にはないがな。他にも、三鷹のように鷹から神になる者もいれば、色々いる」
「そうだったんですか」
思わぬ知識を得た。オプションの説明以外、多分一生役に立つことはないものだが。
それにしても、またしても誤算だ。役立つと思ったが、今の説明を聞いた後では取れないな。そうすると、言語は確定だし、残ったのは肉体の最適化と肉体操作となる。この二つもちゃんと聞いておいた方が良いだろう。
「肉体の最適化や肉体操作もあまりいいものではありませんか?」
「いや、そうでもないだろう。君は現地の人間として転生するのだから。
肉体の最適化と肉体操作か…。ちなみに、三嶋君は何か武道を修めていたか?」
「いえ、何一つ修めてないです」
「転生先では修めようと思うか?」
「そうですね、自衛が出来る程度の腕は身につけたいと思っていますが、達人とか武功で名を上げようとは考えていません」
「ふむ…」
俺の回答に三ツ石さんは少し考え込む。
「ならば、肉体の最適化がいいだろうか」