3話
お久しぶりです。申し訳ございません。
山の国、王都『バーク・ヴィルカイム』のヴィルカイム城。
王女ラフィリアは、その中にある一際高い塔で景色を眺めていた。
有事の際見張りとして使われるこの塔だったが、ここもいずれ打ち壊されるのだろうか、とラフィリアは少しばかり寂寥感を抱いた。
(…この景色も、もうじき見納めですか)
朝の光が、山々を照らす。
小さい頃は、姉と良く無断で城から抜け出し、北の山で木の実を取ったりしていたものだ。姉の侍女も一緒だったか、と彼女は懐かしく思った。
その姉も、もう居ない。そして、今度はこの国すら無くなる。そして自分は森の国に嫁ぎ、父親とも会えなくなってしまうのだろう。
「ここに居たのか、ラフィリア」
後ろから、声がする。
振り返ると、ラフィリアの父親…この山の国の王のアランが階段から上がってきた所だった。
「この景色も、見納めですので」
「…感傷に浸るのも良いが、せっかく仕立てたドレスが汚れてはいけない」
その物言いに、彼女は少しムッとなる。
いつもこうだ。幼い頃から、父はラフィリア達姉妹に殆ど自由を許さなかった。
だから、抵抗する。
「…お父様、この前の事なのですが」
「またその話か。いい加減諦めろと、何度言ったら分かるんだ、ラフィリア」
やれやれ、と言わんばかりにアランが首を振る。
「ですが、お父様。私が見たのは本物です。門番も、衛士も『彼』の事を目撃してて…それに、指輪も光りました!」
アランの目前に、ラフィリアの左人差し指にはめられた指輪が差し出される。
が、アランはそれを鬱陶しい、と言わんばかりに振り払った。
「すまないが、王としてそんな可能性しかない物に頼る訳にはいかない」
「すまないって…それでも、一国の王ですか!!」
ラフィリアがアランに詰め寄る。
アランはそれを、ラフィリアから見れば冷たい言葉で遠ざける。
「…分かってくれ、ラフィリア。王は国民を守る義務がある。そして、私は王であると共にお前の父だ。ルミアも居ない今、唯一の肉親はお前だけなんだ。そのお前を、蒼の使者なんていう居るかも分からない者に託したくはないんだ」
アランが、諭す様に彼女に言う。
「…こうするしか無いんだ、ラフィリア。国民も守り、お前も守るには、この方法が最善なんだ」
「…それでも、私は嫌です」
絞り出すように、ラフィリアの唇が言葉を紡ぐ。
「この国は何もしてないのに。お父様が何かをした訳でも、私が何かをした訳でもないのに。白の国が言いがかりを付けてきて、それで戦いもせずに謝って、生贄を差し出して」
「生贄ではない」
「同じです!」
声を張り上げるラフィリア。
「国民は、貴方に売られるんです」
ぐ、とアランが開きかけた口を閉じる。
「私も、嫌です。自分の意思も、尊厳も踏みにじられるような結婚なんて」
嗚咽交じりに、ラフィリアが続ける。
「わがままだと言うのは分かっています。でも、縋ったって良いじゃないですか。後で絶望するんだと分かっていても、その希望を捨てなくたって良いじゃないですか」
「それは…」
「もう、戻ります」
アランの横を通り抜け、ラフィリアは塔の階段を駆け下りて行った。
「…悪いはずが、ないだろう」
ボソリ、とアランが呟いた。
その呟きは、届かなかった。
「久しぶりに来た気がするな」
レンガの町並みの中で、御垣ゼイはそう呟いた。
10日程度歩かないだけで、こんなに懐かしく感じるものだろうか。
「寝てた分も含めると、おおよそ二週間、といったところでしょうか」
隣を歩くサクラが言う。
「ゼイ様はずっと鍛錬とお勉強でしたからね」
フードを被った彼女がクスクス笑うと、ゼイはサクラから顔を背ける。
…彼女の笑顔は、何か懐かしい気がする。
そうゼイは思っていた。
サクラから、少し赤くなった頬が見える。
「どうされましたか?」
「どうもしてねえよ」
「少し顔が赤いですけど…」
「気のせいだ」
「何が気のせいですか、もう」
言い合いながら、二人は路地をすり抜けて行く。
お昼時とあってか、家々からは僅かにいい匂いが漂ってくる。その中には、幾日かぶりの肉の焼ける香ばしい匂いもあったが、ゼイは頭をもたげた食欲を抑え込み、誘惑を断ち切るように足に力を込め前に進む。
(…小屋での料理は、全然美味くなかったなぁ)
思い出すのは、薬草以外の具が入っていないスープと、この大陸では一般的な病人食であるらしい木の皮を練り込んだパン。
まずくはなかったのだ。だが育ち盛りの男子であるゼイとしては、正直肉が欲しかった。健康云々より、まずは美味さとエネルギーが第一なのだ。
そんな下らない事を考えていると、サクラが「間もなくですよ」と言う。大通りの事だろう。
その瞬間だった。
ゼイの感覚が何かを捉えた。まるでむわっとした空気が身体に叩きつけられているような、いやそれよりも邪悪で、神経に触る濃密な気配。
魔法の残滓だ。
ゼイはそれに驚く。ヒカルの言っていた『魔力を感知する能力』が、実際に自分に備わっている事に。
それと同時に、彼の思考が切り替わる。
静から動へ。小屋の食事も、サクラの笑顔も、今ここにいる目的も、全て思考の彼方に追いやられる。
気づいた時には、ゼイはサクラを置いて走り出していた。
「ちょっと!?」とサクラが悲鳴のような声をあげるが、彼は一切構わず…まるで聞こえてないかのように路地を突き進む。
道を知らないはずなのに、どう行けばこの残滓の根源のもとへ辿り着けるかが分かった。
『ここに行け』と誰かに誘導されるかのように。
右、左、左、まっすぐ。
「違う…ここ、行き止まりですよ!」
「…ここを上だ」
言うが早いか、ゼイは飛び上がる。建物のへりを掴みながら壁を登り、あっという間に屋上までたどり着く。
下位魔法、強化。
魔力を身体中に張り巡らし、身体能力の向上を行なう魔法だ。
わりとポピュラーな魔法でもあり、子供ですら知っている魔法だとヒカルが話していた。
「まったくもう…いきなりなんなんですか?」
屋上に着くなり、サクラがゼイに非難の言葉を浴びせる。
だがゼイはそれに応えず、その目は大通りに向けられていた。
「…ゲート」
呟く。
その瞬間、彼以外の何もかもが変わった。
立っているのは、屋上ではなくレンガの道。
後ろに居るのは、怯え、引きつった表情の少女二人。顔立ちが似ているから姉妹だろうか、とゼイは大雑把に想像した。
そして目の前にいるのは、白い鎧を着け、こちらに剣を向けている兵士。
その兵士に対して、ゼイは、自分でも驚くほど底冷えした声を出す。
「…何やってるんだ?」
少女とその妹は、ただ涙を流していた。
目の前の、振り抜かれた剣を持つ白い兵士。
それは絶望だった。今まで暴力なんて物とは無縁だった姉妹にとっては、特に。
幼い妹を庇うように、あるいは自分が共に死ぬ、と妹に伝える様に。少女は血に塗れた身体で抱きつく。
少女は、何も出来なかった。
迫り来る剣から妹を守る事も、兵士の怒りを収める事も。
左腕が力を失くし、だらんと落ちる。
その腕を見て、妹は更にきつく、少女を抱きしめた。
一瞬、兵士の顔が歪んだ気がした。
憐憫ではなく、愉悦に。
この下衆、死んでしまえ…そんな罵倒を思い浮かべたが、それを言ってもどうにもならないだろう。精々、少し死ぬのが早くなるだけか、痛い目にあってから死ぬかだ。
そう思いながら、少女は強く目を瞑る。
妹の温もりを腕に強く感じる中で、振り上げられる剣を想像した。
剣が振り下ろされる。自分達の身体が血を吹き出して倒れ、兵士は満足気な笑みを浮かべて剣を収める…。
五秒経つ。
十秒。
…いつまで待っても、死は訪れなかった。
疑問に思った少女は、ゆっくりと、目を開ける。
もしかしたら、兵士が諦めたのかも。
しかし違う。
いつの間にか、兵士と自分たちの間には、一人の男が佇んでいた。
黒髪に、黒い見たことも無い服。腰には異国のものであろう剣がぶら下がっている。
そして彼の肩には、自分たちを切り裂く筈だった剣が食い込んでいた。
「…へ?」
男が、口を開く。
目の前の兵士に向けて。
「何やっているんだ」と。
「…なんだ、お前は」
兵士が、声を出す。
「…質問に答えろ」
言って、ゼイは腰の刀に左手を添える。
イラつく。
「名を名乗れと言っている、小汚い猿が」
ああ、イラつく。
「名乗る義務も必要も無い」
腕に力がこもる。
「…ふざけているのか?」
剣を肩から抜き取り、兵士が構える。
「ふざけてるのはお前じゃないのか?女子供相手に剣を振るとは、剣が泣くぞ」
「殺すぞ」
「脅しか?随分と軽い脅しだな」
剣が、再び振り下ろされる。
やけに落ち着いた思考が対処する。
ゼイがニヤリと笑みを浮かべ、刀を抜いた。
妖しい輝きを放つ刀が、彼の手元で自己主張をしているようだ。
「…やめてくれ」
「何を?」
兵士の顔が、恐怖に引きつる。先程までの愉悦に浸った虐殺者の表情ではなく、ただ殺される事を待つ獲物の表情だ。
「都合が良すぎるんだよ。自分がされて嫌なことは相手にするな。基本だろ?」
刀を、一振り。
軽い抵抗と共に兵士の足が切れる。悲鳴と血飛沫を上げ、兵士が無様に転がった。
「狩られる気分をはどうだ?」
流石にいい切れ味だなと思いながら、ゼイは兵士に近付く。
「あひ…、あ…」
「何言ってるのか分からねえよ」
「お、おかね…」
あ?とゼイが首を傾げる。
「おかね…あげます。いえにあるのも、ぜんぶ…だから」
「見逃してくれと?」
コクンコクン、と兵士の頭が揺れる。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった中年臭い顔が、嫌に目についた。
それを見て、ゼイは男に言い放つ。
くだらないものを見た、と言わんばかりの冷たい目で。
「せめて楽に殺してやるよ」
「あ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさぁ、あ」
地面を抉る勢いで、首を払う。
うわ言の様に謝罪を繰り返していた口は動かなくなった。
無様なまでに液体に汚れ、恐怖でしわくちゃになった顔が、ごろんと転がる。
それを見て、ゼイは一言、呟く。
「…苛つくな」
「あちゃー、先走っちゃった?」
薄暗い倉庫。
その中で、ヒカルは独り言の様に呟く。
だが、それは独り言ではない。
禁忌魔術、深層共有。
お互いの心を結び付けることにより、相手が今どんな事をしているか、今どういった状態かを『感覚』で知る魔術だ。
上位の魔術師であれば、自分の感覚をシャットアウトし、相手の心理を一方的に知ることも可能なこの魔術。
「ああ、別に構わないよ。というか、ある程度派手に暴れた方が注目も集まる。それに、彼のその行動は一般市民からすれば賞賛に値するものだ」
それをヒカルは、サクラに使用していた。
「ん?まあ、問題が無いと言ったら嘘だね。ただ、それで他の兵士を殺せるだけ殺しておけ。奴らは神聖衛団といって、白の国でも選りすぐりのエリート達だ。そこに居るのはその中でも低めの階級ばっかだろうが、それでも数を減らしておけば後々楽になるかもしれない」
禁忌魔術は国家機密とされる場合が多く、当然辺鄙な小屋暮らしであったヒカルが知っているはずもない。
だが、彼女はこの他に二つ禁忌魔術を知っていた。
一つは、空間に歪みを作り、物体を消す魔法。
もう一つは、小さな街であれば焦土にする事のできる魔法。
深層共有も含めて、知っているだけで死刑になる程の強大で、かつ忌避される魔法だ。
それを、軽々とヒカルは使う。
目的の為に。
「じゃあ、そのつもりで」
短く言うと、ヒカルは樽に腰掛ける。
「…このままだと、私も出なきゃかな」