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良子の歩いた道  作者: 大黒純
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母の代り……

 おしおきには必ず限度というものがある。しかった者が許す場合もあるが、大抵は

周囲にやさしくしてくれる者がいるものだ。良子の場合は伯母の娘の姉がよくかばっ

てくれた。その夜も良子は彼女よって救われた。帰宅した姉が外でたたずむ良子をそ

っと家の中に招き入れてくれた。

「ごめんなさい……」寒さに凍えていた良子は伯母の背中に小さくつぶやいた。

 良子はめったに大声で泣かない。普段は笑い声の多い子だった。その声は高く澄ん

でいて周囲の人を明るく朗らかにさせるものだった。

「よっ子!笑い過ぎだよ……」などと、冗談半分に言われもした。そして、いつの間

にか片手を口に軽く当てて顔を少し上に向けて高笑いをするくせがついてしまった。


 太平洋戦争で多くの日本人が犠牲になった。結婚もせずに死んでいった若い男性も

多かったが、その結果、結婚適齢期の女性が何十万人と余ってしまっていた。姉のほ

うも気がついたら、もう三十路に近くなっていた。

 以前はいろいろと縁談が伯母のところに来ていたが、ある年齢を境にぴたりと来な

くなってしまった。行かず後家でしなびてしまったのか……。

 そんな姉を母のように慕いはじめてしまった良子だが、姉も無意識のうちに良子を

可愛がり、休日の買物などに良子の手を引いて行くこともあった。二十歳前後で、結

婚して子持ちになればちょうど良子ぐらいだ。

 上野駅近くに行くと学校に通わずに浮浪者生活をしている子供達をよく見かけた。

「私は幸せだよね、お姉ちゃん達がいてくれるから……」と、良子はお世辞を言うの

を忘れなかった。

 住む家もなく仕事もしていない浮浪者や戦争で親を失った浮浪児が上野の山の周辺

には山ほどいて治安は悪かった。彼等は長期間風呂に入ってなく薄汚れていた。女の

子は汚れた長髪に殺虫剤のDDTを散布されたり、男の子は窃盗などを働くため浮浪

者狩りをする警察官から追われる生活をしていた。

 戦後の混乱はようやく落着きはじめていた。物はなくても明るく平和な社会となっ

てすぐはやりだしたのが、集団見合いだった。当時の独身者はそれを遊び半分のパー

ティなどとは解釈せず、真剣に相手を見つけて幸せな家庭を作るために努力した。

 一家の主が汗水流して働いて得たわずかな金で、繁華街で開かれている“闇市”で

苦労して手に入れてた物を、家に持ち帰り家族にあたえると女房も子供も目を輝かせ

てよろこんだものだ。

 そして、亭主はみんなのよろこぶ顔を見てうれしがったのだ。母親は自分は食べず

に育ち盛りの子供に少しでも多く食べさせようとがんばった。そこには、貧しかった

が温かい家庭があった。

 

 そんな世の中で良子が小学3年生の時、やさしかった姉が結婚して千葉の農家へい

ってしまった。突然のことで良子は後を追うこともできずにいた。職場で開催された

集団見合いの席で紹介された離婚歴があり5才年上の子供のいる男のところへいって

しまったのだ。

 伯母は戦争未亡人だたくさんいるのに、何も好き好んで苦労するところへゆくこと

はないと猛反対していた。しかし、1年ほど前から妹が同じデパートに勤務する男と

半分同棲するようになっていて、姉妹の仲は何かと折り合いが悪くなっていた。

 良子が好む、好まざるとに関わらず周囲は年ともに変化していた。横丁の遊び仲間

も中学校を卒業して就職する者がいて顔ぶれが変わった。良子の湧かす風呂に入りに

来ていた友達の姉さんも、身体が大人になっていくにつれて風呂に来なくなった。

 良子が飼育していた鶏も二代目になり、伯母が初代の鶏肉をさばいてみんなに食べ

させてくれたが、ある時、妹の部屋に泊まっていた男が酒に酔った勢いで妹と喧嘩に

なった時、腹立ちまぎれにナタで鶏の首を切り取ってしまった。首がなくなっても鶏

は小さな庭を駆けずりまわっていた。

「何てことすんだい!この気違い野郎!」

伯母は鋭いけんまくで怒った。良子は庭を血だけにしてこと絶えた鶏をぼう然と眺め

ているだけだった。

 男はその後も妹の部屋には来ていたが、良子はそれ以来ひと言も口をきかなかった。

彼がナタを振りまわすさまは狂気に満ちていたので良子の心に深く残った。また、そ

の時以来、良子は鶏を飼わなくなった。

 その男には妻子があって妹とは愛人関係であることを伯母から聞かされていた良子

はその男を悪人として見るようになった。

「妾の子がまた妾をやるようにできてるのかね、世の中は……」と、

伯母はよく良子に愚痴をこぼした。

 二人が部屋にこもっている時は近づかないようにと伯母から言われていたが、良子

には彼等が何をしているか薄々わかっていた。大人の男と女がどんなことをするのか、

子供同士でよく話題にしていたし、神秘的な歓びで楽しいことであることはわかって

いた。

 また、その男が来ていると良子はよく表通りの酒屋まで酒を買わされに使われた。

用事をすますと男がお駄賃として五円をくれる。それはうれしかったが、良子は黙っ

たままお金をふんだくると、『あっかんべー』をするのだった。それが良子のささや

かな意志表示だった。

 その男もある時を境目にしてまったく来なくなってしまった。それは、またナタを

ふりまわしたのだ。部屋から逃げ出てきた妹をナタを振りあげて追いまわした。その

頃では流行の最先端をゆくパジャマ姿の妹は恥ずかしくて家の外までは逃げ出せず、

家中をかけずりまわり便所に閉じこもった。

 追いかけていた男は閉じられた板の扉めがけてナタを振りおろした。ナタが薄い板

を音をたてながら切り裂いた。妹がするどい悲鳴をあげた。

 伯母と良子は一緒に部屋の隅でおろおろしていたが、このままでは妹が鶏と同じに

なると思い良子は再びナタを振りあげた男の背中に飛びあがって体当たりをくらわし

た。振りあげた手からナタがぽとりと落ちた。酒に酔っていた男は動作が鈍かった。

良子はとっさにナタをひろいあげ男の後頭部に打ちおろした。

「うっ、う〜」

男は低くうめきその場に倒れた。振りおろしたナタは刃のほうではなく峰打ちだった。

 幸いにも出血するような傷もなく打撲ですんだ。酒乱で暴力をふるうようになって

しまった男はそれ以来妹とわかれたようだった。喧嘩の原因も彼の妄想から出た嫉妬

によるものが多かったらしい。

 また、この男は良子が傷付けた男の最初の人だった。



 

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