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良子の歩いた道  作者: 大黒純
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遠き日の別れ

 砂ぼこりの舞い上がる土手道だった。足早に歩く母に手を引かれてゆく幼い良子は5.

6歩、歩くと遅れを取り戻すために2.3歩、駆け足で母に追い付かねばならなかった。

 クリーム地に梅の花柄の羽織姿の母は片手に風呂敷包みをかかえ、遅れてゆく良子を

片手で自然と引き寄せる形になった。良子も引かれてない方の腕に大切している赤い洋

服の人形を抱えているのでバランスを取るのに必死だった。

 その人形は布でできていて丸い顔や胴体、手脚の形をした布袋に籾殻を入れて縫い合

わせた物に紅いネルのワンピースが着せてあり、フリフリのついたベビー帽を被った可

愛い顔をしていた。元気だった頃の父に買ってもらった良子のお気に入りの物であった。

 雪がまだ溶け残っているリンゴ畑の横を抜けると、目指す大きなわら葺き屋根が見え

てきた。良子は母の手を振りほどいて駆け出した。

「ねえちゃ〜ん」と、良子が大声を出すと、生け垣のところで遊んでいた数人の子供達

がこっちを見た。

「よっ子!よく来たねえ、さあ、一緒に遊ぼう」みんなより少し背は高いが、丈の短い

着物にわらで作った草履を履いた女の子が手を振ってきた。良子の従姉妹で、四つ上の

朋子である。

 母が片手でかかえていたのは父、良蔵の遺骨だった。良子の父は、生地長野を離れて

大阪で家具造りの職人をしていたが、当時、不治の病と恐れられていた肺結核で28才と

いう若さで先立ってしまったのだ。

 大阪市浪速区の工場地帯の片隅の長屋住まいを引き払い、母は一人娘の良子を連れて

東京の実家に戻る途中、良蔵の遺骨を菩提寺に埋葬するべく実家に立ち寄ったのである。

 白いリンゴの花が咲くにはまだ早い季節だった。信濃川の支流の夜間瀬川も雪解け水

を含んでとうとうと流れていた。

 しかし、春まだ浅い良蔵の故郷は良子達親子を優しく迎えてくれた。義兄夫婦は僅か

ばかりのリンゴ畑で生計を立てていたが、5人の子供と両親を養うために、雪に埋もれ

る冬期に義兄は汽車に揺られて東京まで出稼ぎに出ていた。

「すまねえなあ、おらっちで喰わせてあげられねえで……。落着く先が決まるまで、よ

っ子だけでも預かってもええがのう」と、出稼ぎ先から戻ったばかりの義兄は母に申し

訳なさそうに言った。

 東京の母の実家と言っても、すでに両親は他界していて、義姉がその娘達と暮らして

いるところへ転がり込むことになるので、住むところも生計を立てる仕事も決まっては

いなかった。

 数えで4才の良子に詳細は理解できてなかった。ただ、朋子と遊べるのがうれしくて

旅の疲れも見せず、近所の子供達も交えて元気に駆けずりまわっている。朋子が笑えば、

訳もわからず少し遅れてみんなと一緒に笑っている。

 良子を東京へ連れていっても足手まといになるかもしれない。生活が落着くまで預か

ってもらおうかしら……。でも、可愛い盛りの良子の顔を見ることができずに暮すなん

てできない。一昨々年に始まった太平洋戦争も帝国海軍は連勝を続けていることだし、

東京でなら何とか軍需工場の就職先もあるだろうから親子で暮らすのが一番いい……。

それに、義姉が良子を預かることには反対のようだった。土間の隅に義兄を呼び寄せ、

「これ以上、喰わす米なんかねえぞ……」と、ささやいた。

「バカだな!東京で稼ぎだしたら、よっこが熱を出して医者通いしたからとか言って、

うまく仕送りをせびれるでねえかよ……」と、義兄が少し腹黒さを見せていた。


 良子の父の実家は貧乏を看板にしてリンゴ農家をしていたが、先祖代々300年ほど

続く旧家だったので、曹洞宗の立派な禅寺が菩提寺だった。

 一夜明けて、形ばかりの埋葬式をおこない母が帰り支度をしていると、義姉が良子を

置いていってもいいよと言ってきた。東京での生活が落着くまで預かってるとのことだ。   

 何も知らない良子は朋子とそのすぐ下の弟達にすっかりなついてしまって、駆けずり

回って遊んでいる。東京で職を探すにも単身の方が都合がいい……。が、良子を長野に

置いてゆくのは淋しい。でも、良子を捨てるわけじゃない。必ず迎えに来るから……。

母は心は揺れた。 

「かあさんはお出掛けするけど、良子はここで遊んでいるかい」

「うん……」

「おじさん、おばさんの言うことをきくんだよ……」

 羽織姿ではなくモンペをはいた母に少し不思議な顔をしたが、良子はマスコットの人

形を紐で背負い、朋子のお古の綿入りチャンチャンコを着てご機嫌だった。

 良子は朋子とともに夜間瀬川の土手道のところで母を見送った。春はまだ浅いが、陽

射しは暖かった。時に昭和17年の春、母が24才の時だった。母にしてみれば後ろ髪

を引かれる想いの別れだった。

 

 


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