其の二 不穏な因子
歳火国の伝統衣装に身を包んだ示詩は、さっそく竜舎の方へ向かうことになった。
いまだ城に不慣れであるにも関わらず、最初に行く場所が竜の飼育舎とはこれいかに、と不満げな示詩である。
しかし、先日誓った「竜脊を懐柔する」という野望にはもってこいな流れではあるので、胸に溜まる不満をなんとか押さえて竜脊の後に従った。
驚いたことに、示詩より三月も前に城に上がっていた桃衣ですら、竜舎に足を踏み入れるのは初めてであるとのことだった。
なんでも、おいそれと関係者以外の者が入れる場所ではないらしい。
「そのように秘匿性がある場所へ、何の許可もなしに訪れて良いのですか?」
「正妃様や王族の方々は特別の権限がありますゆえ、特に問題はないように思われます。ただ、私がお伴としてご同行いたしますことには、どのような判断が下されることか分かりかねますが…」
示詩の疑問に、桃衣は丁寧かつ自信なさげに応えた。
示詩の側付きの侍女として初の伴ということもあって、彼女には自覚や自信というものが足りないようだった。
そのことに不安を覚えた示詩だったが、桃衣が決して愚鈍でないことは知るところだったので、「しっかりなさい」という小言を授けるにとどめた。
桃衣は恐縮して、「申し訳ありません、正妃様!」と思い切りよく頭を下げていたが、あまりの委縮ぶりを見かねた竜脊に「お前はおかしなヤツだな」と笑われてしまう始末だ。
どうやら、赤社においてだけではなく、歳火国にしてみても、桃衣は少々変わった娘であるらしい。
だが、たった三カ月前に王城に上がった娘とは思えぬほど、内情は重々把握している。
どんな質問を浴びせても、大抵のことはそつなく答えることから、示詩は桃衣が不慣れである故に頼りないだけではないか、と、桃衣の優秀さを確信し始めていた。
道すがら城の案内などを聞きながら、示詩は塔の六階から一階へ降り立った。
その間、城勤めの家臣たちに会ったりしたが、どの者も皆一様に愛想がなく、探るような目で示詩を見てきて会釈していった。
緋竜城に居る者たちは、皆派手派手しい衣装に身を包んでいるが、性格はまるで反対であるかのように暗く、にこりともしない。
だが、ふと考えて、示詩はそれが「己を敵と見なしている」ためかもしれない、と推測した。
しかし、他国から嫁いだばかりの示詩へ対するだけのものならまだしも、彼らの無愛想な様子は幾分かは馴染んでいるはずの桃衣や、それどころか、敬う対象であるはずの王位継承者、竜脊にすら変わり映えを見せない。
異常ともいえるその様子から、示詩はこう結論付けた。
(ここは、いつ敵に攻められるとも知れぬ、戦の絶えぬ国、歳火…。大国といえ、常に用心深くあるようにと教えを受けているのかもしれませんわ)
そう解釈した示詩の後押しをするように、桃衣が話を切り出した。
「正妃様、緋竜城の人たちを、冷たいとお思いになられましたか?」
「ええ、桃衣。正直に言って、そのように感じられました…。ですが、冷たいというよりは、疑り深い、という風に見受けられますわ…。なにか、常に気を張っているような…」
桃衣は示詩の答えを聞いて、少しだけ声を押さえて言った。
「さすが正妃様、ご慧眼であらせられます。おっしゃる通り、ここに住む人々、あるいは城通いをする者は、王のお達しにより、常に気を張っているようにと教えを受けているのです。例え顔見知りであっても、それが目上の者であっても、用心を怠ることのないように、と」
示詩には、それを破った者がどうなるのかが容易に想像がついた。
たちまちに身を引きずり降ろされるか、食いものにされるか、そんなところだろう。
赤社の王宮のように、優雅に笑顔を振りまいて歩いているようでは生き抜いていけない場所、それが歳火の緋竜城なのだ。
「国王様は、陛下ご自身を含まれた王族の方々であっても、そのように振る舞うように、とお達しになられました。今から、七年も前のことだそうです」
「七年前といえば、陛下が御即位された年ではありませんこと?」
「その通りでございます。陛下は、即位後まもなくして、この緋竜城のそれまでの掟を全て一新されたのでございます。…業碧との戦役において、この国を作りかえると仰せになられて…」
「業碧との、戦役が関係ありますの…?」
「私も、その当時はまだ幼少でありましたゆえ、恥ずかしながら詳しい所を存じておりませんが、史学を習いました折にはそのように教えを受けました。なんでも、業碧戦での経験から、それまでの常識を覆すような法を多数お定めになられたとか…」
示詩はそれへ、何の気もなしに疑問を投げかけた。
「その、業碧との戦での経験というのは、一体どのようなことだったのです?勝者となった歳火であっても、それほど学ぶ所が多かった事柄ですの?」
「それはもちろん、陛下の側室であられたも…」
「おい、侍女!」
突然、桃衣の言葉を遮る鋭い声があがった。
声の方へ示詩と桃衣が顔を向けると、それまでまったく口を挟むことのなかった竜脊が、後ろを振り返って睨みつけていた。
その瞳には、7歳の少年らしからぬ烈烈とした怒りの炎がちらついており、それはすべからく桃衣へと真っすぐ向けられていた。
「それ以上を言ったら、お前の身がどうなるか分かっているのか!?」
「っ!!も、申し訳ございません、竜脊様!!」
冷え冷えとした竜脊の声は不自然なほど大人びており、示詩ですら冷や汗を背中に浮かべるほどだった。
一体、この小さな体のどこにそれほどの威厳が詰め込まれているというのか、他を圧倒するようなその迫力は、父である座龍に勝るとも劣らない。
まさにあの父にしてこの子あり、である。
だが感心してる場合でもなかった。
己より半分以上も生きていない子供に気圧されたことに悔しさが込み上げて来て、示詩は気を取り直すように竜脊をたしなめた。
「り、竜脊様。今は、私が話を聞いておりましたのよ。桃衣を叱るのは筋違いというものではございませんこと?」
すると、竜脊はけろっとした顔になり、元のあどけない様子を取り戻して言った。
「失礼いたしました、母上。しかし、こいつは話してはならぬことを話そうとしたのです」
「せ、正妃様、私が悪いのです、申し訳ございません!!正妃様のお言葉にはすべてお答えしたいと思っておりましたが、何卒、こればかりは……」
示詩は、二人の様子から、今桃衣が話そうとしたことが何らかの掟に抵触することだったのではないかと推測した。
そして、現時点の示詩の立場では触れてはならぬ部分であることも理解した。
(身内であれ、目上の者であれ、用心を怠らぬように……とは、こういうことなのでしょうね)
「……分かりましたわ。私も、隠そうとする物を無理に追求するほど無粋ではありませんもの。良しといたしましょう」
「あ、ありがとうございます、正妃様!!」
まるで命を救われたかのように手放しで喜ばれてしまえば、示詩にはもう何も言えなかった。
相変わらず、無愛想な城の中で桃衣だけが浮いているので、己よりもよほど桃衣の方が気をつけなければならないのでは、と示詩は呆れ返った。
竜脊もそんな桃衣の様子に驚いているようで、ぽかんと口を開けて見ている。
緋竜城の意外な側面を見た示詩は、竜脊が年相応の顔を見せていることに、桃衣のある意味での凄さを見つけていた。
優秀さを見せたかと思えば、その次の瞬間には素朴で純情な娘に戻る。
―――この城で三月もその様子で生き延びたとあれば、侮れませんわね、この桃衣という侍女……。
緋竜城一階の空洞部分にある中庭を通って外へ出ると、広大な庭とその奥には森林が広がっていた。
竜舎はその広大な庭を分け入った林の手前にあるそうなのだが、示詩はとてもではないが、馬車も輿もなしにそこまで行ける気がしなかった。
何しろ、一つの町がすっぽり入ってしまうのではないか、というほどに広い庭なのだ。
辿りつくのに早くとも半日はかかりそうだった。
「え、なぜだ、父上に許可はもらっているぞ!」
だが、示詩の懸念をよそに、話はどうやら別の方向へ転がっているようだった。
「まことに申し訳ございませぬ、竜脊様。しかしながら、竜の卵は秘蔵のものでございまして、例え竜脊様といえども、お見せするわけには参りませぬゆえ…」
黒くて分厚い羽織を身に付け、頭にも不思議な形状の頭巾をつけた数人の男たちが、幼い竜脊の身を阻むように中庭の通路に立ちはだかっていた。
彼らは、言葉ではさも申し訳なさそうに恐縮している様子を見せているが、その表情や態度にはありありと厄介だというような様子が見受けられた。
執拗に食い下がる竜脊には悪いが、示詩は内心でしめた、と思わずにいられない。
何しろ竜の卵などというものにはカケラも興味がなかったし、その興味がないものを見る為に半日はかかりそうな道のりを歩くのは、どうにも億劫で仕方がなかった。
それに、昨日までの長旅の疲れが癒えきらぬうちに、そんな無駄な運動をしたくはない。
本音ではそう思っていたものの、情熱に燃えているもう一人の示詩は、今こそが好機だとしきりに訴えてかけていた。
―――ここで竜脊様のお味方になって差し上げれば、お心を掴むのが容易くなるはず。今です、今、さも慈悲深き信女のように振る舞うのです!
優しげな美女を装い、見るに堪えないといった風情で他者の同情を誘うのは、得意中の得意とする示詩だった。
しかしながら、本音ではこのままお流れとなってほしいと思っているため、中々行動には移せない。
そうこうしているうちに、ずんぐりした黒服の男たちの中から、身なりが幾分か整っている、いかにも位の高そうな年配者が進み出てきた。
たっぷりとした白い髭を蓄えたその老人は、厳めしい顔つきで竜脊を見下ろすと、不遜な態度でこう言い放った。
「竜脊様、それ以上我がままを言われては、また皆の者に誹りを受けましょうぞ。王族に名を連ねるお方が、そのように低俗なお振舞いを見せていかがいたします。…まったく、華観様や林我様のご嫡子であれば、このようなことを言わずとも済んだものを…」
「よ、沃賀」
示詩には、そこで竜脊が初めて怯んだかのように見えた。
あれほど傍若無人に振舞っていた竜脊が怯むとは、何者なのか。
「本来であれば、城を追い出されてもおかしくはない立場だというのに、勉学もせず遊び呆け、挙句の果てには国の秘蔵の宝である竜玉をご所望とは……いやはや、さすがあの座龍様の血を引くお方。卑しさがにじみ出ておいでにでございますなぁ。血は争えぬとはまさにこのこと、とでも申しましょうか。はっはっは…」
示詩は思わず耳を疑った。
いくら緋竜城で我がままの限りを尽くしているとはいっても、竜脊はれっきとした座龍の嫡子であり、王位継承者には違いない。
そういった身分の竜脊に対して、今の発言はあまりにも聞き捨てならない言葉の数々だった。
示詩は思わず竜脊の前に身を躍らせた。
「そなたがどのような身分の者かは、この城に来て日の浅い私には分かりかねます。しかしながら、今の言い分は余りに不敬ではございませんこと?ここにいらっしゃるのは、そなたの主君である最高位にして絶対的権威をお持ちの、座龍国王陛下のご嫡男でしてよ。撤回なさい!」
己よりわずかに背の高い相手を強く見据えて、示詩は迷いなく言いきった。
すると、相手は小馬鹿にしたかのような低い笑いを洩らすと、皺皺の顔をゆっくりと下げてお辞儀のようなものをした。
「これはこれは、挨拶もせずにご無礼をいたしました。赤社より参られた…正妃様。私は、歳火国竜学師の長を務めております、『沃賀』と申す者。以後、お見知りおきを…」
「そうですか。では、沃賀。そなたに竜脊様への陳謝を求めます。即刻、謝りなさい」
示詩のにべもない言葉に、その場にいた者全員がぎょっとして示詩を見た。
竜脊ですらきょと、と大きな目をさらに大きく見開いている。
桃衣に至っては、白い顔を極限まで真っ白にさせて何事かを告げようとしていた。
「失礼ながら、正妃様……。私が進言いたしましたのは、すべて竜脊様の為を思ってこそでございます。竜の卵とは、生竜玉とも呼ばれまして、この国では至高の宝でありますれば、例え殿下であってもおいそれとは…」
「そのような説明はどうでもよろしいのです、私は竜の卵がなんであるかを問うているのではありませんわ。竜脊様への不敬を謝りなさいと言っているのです」
「なんと…!」
示詩が全く態度を変えず、頑として言い分を取り下げようとしないことに、沃賀は皺皺の眉間に更に皺を寄せて不快を露わにした。
示詩はそれを見て、沃賀という者が、恐らく竜脊や王族の者に不敬を言っても許される立場にあることを察したが、それでも竜脊への言い分には我慢がならない。
この際、竜の卵を見るか否か、竜脊の味方をするか否か、という先ほどまでの葛藤はどこかへ消え去っていた。
黒服の男達の周りも、ぴりっとした緊張で包まれており、一歩も引かぬ示詩と戦いも辞さないとでもいうような、穏やかでない空気が高まった時だった。
「なになに、卵ー?卵ならここ、ここにあんぜー、ここ」
「!?」
その場にそぐわぬ気の抜けた声が突如響き渡り、怪しげな黒服の男が右の植木の辺りからひょいと顔を出した。
―――な、なんなのです、この奇怪な男は!?
その男の登場にいち早く反応したのは、どういうわけか、真っ白な顔で行方を見守っていた桃衣だった。
「ひ、『緋仔』!?…緋仔、よね!?」
「そーそーそー、緋仔、緋仔ね、俺。で、卵でしたっけ、卵。ほ、ほら、これ。た、卵」
緋仔と呼ばれた男は、事情を知ってるらしい桃衣には目もくれず適当にあしらった。
どういう目をしているのか分からないほど分厚い眼鏡を目にかけ、ぼさぼさ頭に小汚い格好の男は、手に黒くて丸い、一抱えはありそうな大きな卵を抱えていた。
それを見て今度顔を真っ白にさせたのは、示詩と対峙していた男達の方だった。
「ひ、ひ、ひ、緋仔、き、き、貴様、それを、一体どこから…!?」
さきほどの余裕を保った態度はどこへやら、沃賀が声を何度もひっくり返して緋仔に聞いた。
すると、緋仔は黒くて大きな卵をぽーんと片手で投げあげて弄びながら、ぎゃはははは、と笑って言った。
「ど、どこって、竜志学所の安置室からに決まってるじゃないですか。あ、あ、あそこにしかねーんですから。ぎゃはははっははっははは!!」
「な、何を訳の分からんことを…!!あそこは私の許可なしに、何人たりとも足を踏み入れては…ああっ、そのように乱雑に扱うでない、馬鹿者めが!!」
「そ、そのアンタより偉い人に命令されたので、足を踏み入れて良いのですよ、ぼ、ボクは。大体、大体、ボクが研究をする分には、誰にも指図を受けなくてもいいと言われたの、わ、忘れましたか?忘れてない、わ、忘れてませんよね沃賀様?」
くねくねと予測不能な動きをする緋仔は、危うげな手つきで竜の卵だというそれを弄ぶので、黒服の男達と沃賀ははらはらとしながら言葉を返す。
「私より偉い、だとお!?よもや、座龍様か!?」
「そーそー、そうです、座龍様。ね。座龍様。国王様。逆らえないに決まってるでしょ。さ、逆らえないでしょ、それは」
「このような、このようなことが罷り通ることこそ、まことの国難といえようと言うのに、現国王の愚行の数々…!なんたる情けない王であることか…!」
またも不敬な言葉に、呆気に取られていた示詩の怒りも吹き返すかに見えたが、それは第三の男によって憚られた。
「その情けねぇ男ってのは、俺のことかい?沃賀」
「へ、陛下!!」
いつからその場にいたのか、朱と浅黄の薄絹を羽織り、着崩した格好の座龍が、面白そうに目を細めて顎を撫でていた。
「い、いえ、決して、そのようなことは…」
さきほどまでの偉そうな態度を改めた沃賀は、腰を低くしてしずしずと頭を垂れた。
後ろに控えていた黒服の男達もそれに従う。
「へっ、まあいいさ。今回は、俺も我がままをムリに通しちまったしな。手打ちってヤツにしちゃくれねえか。なあ、沃賀」
「ははっ、陛下の仰せの通りに…」
「そうかい、悪ぃな。そんなら、下がっていいぜ」
「は、御前を失礼いたします」
現れた時とは態度をまったく異にして、逃げるように男達は去っていった。
去り際に、緋仔が「威張ってるからこうなるんだよ」と言って沃賀に思い切り睨まれ、「す、すいません、すいません嘘です…はは」と、こちらも態度を一変させて謝り倒していた。
何が何やら、全く状況が掴めない示詩は、とりあえず、現れた第三の男に対して、
「どういうことか、納得のいくご説明をしていただけますでしょうか、陛下?」
と、これだけは強く言って、相手に睨みをきかせたのだった。
どうでもいい補足:新キャラ、壊れた男の緋仔にはモデルがいます。変人以外の何物でもないですね、この書き方だと…