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うきぐもがたり  作者: towa
第三章 緋竜城の愉快な面々
8/25

其の一 田舎者の侍女

―――コン、コン。


泥のように沈んでいた意識の中で、何かの金属が叩かれる音が響いた。

示詩は、疲れ切った体が、いつものように目覚めを強制するのを良しとしていないのを感じ、「ううん」と唸って寝返りを打つ。

再び安息の眠りへの誘いが訪れ、示詩は素直にそれへ身を任せた。


―――コン、コン、コン。


しかし、その眠りへの誘惑を阻止するかのごとく、金属が柔く叩かれる音は段々と回数と激しさを増して行く。


―――コンコンコンコンコン!


やかましいことこの上ないのだが、示詩は何しろ身を起こすのが億劫で仕方がない。

他人に目覚めを強制された経験もそれほどないため、無意識に無視を決め込んでいた。

しかし、やがてくる激しい呼びかけによって、それは急激に阻止された。


―――ダンダンダンダンダン!!


「母上ー、母上!!起きておられるか!!」


遠慮のない殴打の音とともに、幼い子供の声がくぐもって室内に届いた時、示詩はとうとう堪らずに身を起こしていた。


「おやめなさい!!このような早朝から、一体何事ですか!!ここはそなたの母上の部屋などではありませんのよ!!」


寝起きゆえか、示詩は淑やかさを装うのも忘れ、激昂して声の主に言い放った。

園恋宮では諸事情によって庶民の子供の世話をすることもあったため、示詩は寝惚けて園恋宮と間違い、またぞろ子供たちが自分を頼ってきたのか、と勘違いしたのだ。

しかし、ここは園恋宮ではなく、また示詩の立場も、園恋宮に居た時とはガラリと変わってしまっている。

従って声の主は、庶民の子供などでは勿論ありえなかった。


「母上。竜脊にございます」

「なっ……は、ははうえ…?」

「昨日、父上と約束をいたしましたゆえ、竜の卵を見に参りましょう」


それを聞いた時、示詩は夕べの、振り返りたくもない嫌な記憶を一瞬で取り戻していた。

昨夜、示詩は歳火国王・座龍の本性を垣間見、また、その座龍がすでに子持ちであり、己がその子供の世話をするために召喚されたという事実が、改めて思い出される。

深い安眠によっていくらか癒された体は一気に疲れを見せ、示詩はほうっと深いため息をついた。

どういういきさつかはともかく、母上と呼んで自分を起こしにきた竜脊の存在がひどく重く、鬱陶しくも感じられた。


「母上、部屋に入ってもよろしいか」

「……竜脊様、女人の部屋に早朝からお入りになるなど、例え相手がお母上であっても失礼にあたることですのよ」

「ですが、今は早朝でないゆえ、構いませぬか?」

「何を…」

「俺はもう昼餉をすませたゆえ、早朝ではございませぬ。竜舎へ参りましょう、母上」


それを聞いて、示詩は途端に寝台から跳ね起きて、部屋に設えられた窓から外を見やった。

高い塔の五階付近から見える眺望は素晴らしく、歳火国の全土を見渡せるのではというほどの眺めであったのだが、そんなことは今の示詩にとってはどうでもよい。

緑青の大きな瞳は、眩しい太陽しか映していなかった。


「日が、あんなに高く昇って…」


示詩は起きて早々に座り込みたいほどの激しい後悔を覚えていた。


―――なんという失態でしょう!


王族の身分の者が昼を過ぎるまで眠っていることなど、さして珍しいことではない。

示詩が問題としているのは、この場合、己が座龍を含めた緋竜城の者達に対して隙を見せたことに他ならなかった。

ただでさえ小国の姫として見くびられている所へ、昼日中まで惰眠をむさぼったとあっては、噂の槍玉に挙げられることは必至だ。

示詩はそこまで思いいたって、さらに伴の者が皆帰されていたことを思い出すと、下唇を噛んだ。


―――こういうことですのね、座龍国王陛下…。私の『威厳』まで摘み取ろうと…この城で飼い殺そうというお考えなのですわ…


せめて伴の者を一人でもつけていれば、この部屋に控えさせて失態を免れることができたであろう。

示詩は姫でありながら、大体のことを自分で管理できる能力を持ち合わせている。

それでも、侍女や家人がいないのはこれほどまでに不便かということを、身にしみて思い知らされた。


「母上、母上!」


扉の外から遠慮もなく呼びかけてくる声が、示詩を落胆に浸らせてはくれない。

それが示詩の過敏になっている神経に障り、よほど「私は貴方の母上などではありません」と口に上らせたかったが、寸でで思いとどまった。

気を紛らわすように大きく息を吐くと、先ほどから疑問に思っていたことを問いかけてみる。


「そのように大きい声でお呼びにならなくとも聞こえておりますわ、竜脊様。…それよりも、竜の卵を見るなどという約束、私は誰とも交わしてはおりませんわよ。陛下と竜脊様の間で交わされたものにございましょう。なぜ、私が参る必要があるのです?」


それは聞き様によってはかなり嫌みに取られそうな言い方ではあったが、示詩にしてみればなんら含むところのない、単純な疑問に過ぎない。

そして幼い座龍も、示詩の温情のない言葉を気にかけるような繊細な神経など持ち合わせてはいなかった。


「今朝早く、父上に竜の卵を見せて頂きたいと頼んだら、母上と共に参るようにと言いつかってきました。それゆえ、俺は母上と行かねばならぬのです」

「何を勝手な…」


思わず怒りが言葉となったが、仕方なしと諦めるより他はない。

何しろ、示詩は夕べ、竜脊の世話をする覚悟はある、というようなことを宣言したばかりなのだ。

とはいえ、示詩は着替えも済ませずに眠りに陥った上、髪や装飾なども昨日のままである。

これには、さすがの示詩であっても一人で支度するのが困難であるため、侍女に手伝ってもらうしかなかった。


「承知いたしましたわ、竜脊様。それでは私は支度を済ませますゆえ、誰か侍女をお呼びいただいてもよろしいでしょうか?」

「そうか!やった!侍女ならここにいるぞ」


竜脊は興奮のあまり口調を正すのも忘れていたが、示詩が咎めることでもなかった。

示詩がその時点で咎めたくなったのは、むしろずっと控えていたらしい、侍女の方である。


「いつから控えていたのです?早くお入りなさい」

「は、はい、正妃様!失礼いたしますです!」


示詩の予想に反して、幼く、たどたどしい口調の声が扉の向こうから聞こえてくると、数拍置いて、きぃという開閉音とともに、一人の小柄な少女が部屋に入ってきた。


「お、お初にお目にかかります!私、このたび、正妃様のお世話をさせていただくべくお城に上がりました、お側付きの『桃衣ももい』と申します!どうぞ、お見知りおきを!」


深ぶかと頭を下げた少女は、いかにも側付きの侍女としては頼りなげな、新参者のようだった。

そして、その口調の端々に独特の訛りが見られることからも、桃衣という侍女が地方の田舎から来た下位の家柄の者であることが知れた。

示詩はことごとく見くびられている己の身の上を嘆きながらも、一人で何もかもをこなすよりはましかと考えて妥協した。

気位の高い性質の示詩ではあるものの、この程度の妥協なら園恋宮にいた頃から幾度も経験してきていた。

頼りない家人達を取り仕切っていた頃の苦労を思えば、何ほどのこともないという思いで、示詩は目の前の侍女を見た。

多少田舎臭さは抜けきらないながら、見目はよく、服装も清潔に整えられている。

示詩よりも小柄な体は子供のようでもあったが、深く落ち着いた色を湛える瞳を見れば、彼女が見た目よりしっかりしていることが窺えた。

示詩は、ふむ、と桃衣の人となりを判断すると、側へ呼んでさっそく支度を任せた。

その間、待ちきれない竜脊が幾度か部屋へ入ろうとしたが、その度に示詩は「竜の卵が見れずともよろしいのですか」と脅しをかけて黙らせた。

座龍が説明した印象とは違って、示詩の目には、竜脊がそれほど手のつけられぬ子供には思えなかった。だが昨日の今日では結論を下すのはまだ早い。

示詩は気を引き締めて、鏡台の鏡に映る自分の表情に、自信の笑みを浮かばせた。


支度が終わるのは、思いのほか早かった。

桃衣は、口調や動作にあか抜けない部分があるが、それを補って余りあるほどの仕事の正確さに、示詩は思わず舌を巻いた。

そつがなく、丁寧で、センスがよい。

目を開いて鏡台を覗きこむ示詩の横で、ひたすら申し訳なさそうにおろおろとこちらを伺ってくる桃衣に、示詩は一言こう尋ねた。


「そなたは、いつからこの城で勤めているのですか?」

「は、はい、正妃様!およそ、三月みつきほど前からでございます」

「三月…!…それでは、短い間でよほどたくさん習い事を会得したのでしょうね」

「いえ、そんな……私のような者がお城に召されただけでも奇跡のようなことでございますです!その…正妃様のために習い事ができるだけでも幸運なことでございました」


卑屈とはいかないまでも、あまりにも貴族の娘らしからぬ殊勝な言葉の数々だった。

歳火国王のように猫をかぶっている様子でもないので、示詩は不思議になって言った。


「正妃とはいえ、私は先日この国に着いたばかりの余所者でしてよ。そのような私に仕えるのが、それほど幸運なことなのですか?」


すると、桃衣はとんでもないという風に勢いよく首を横に振ると、たどたどしく答えた。


「いいえ、正妃様!私は、赤社国出身の母を持っておりますゆえ、正妃様をこの国にお迎えする前から存じておりました!ですから、示詩様のお美しさ、素晴らしさも、もちろん母から聞かされておりましたゆえ、私、正妃様をお慕い申しあげておりましたのです!」


桃衣の口調は色んなところが流暢さに欠けていたが、しかし誠意のようなものは補って余るように満ちていた。

そのらんらんとしたつぶらな瞳にはありありと尊敬の念が込められており、紅潮した頬が示詩を前にしての興奮を物語っている。

控えめな少女のように思われたが、己が信ずる所に関しては正直であるらしい。

そのように純情な人間を目にしたのが久しぶりである示詩は、若干引き気味になりながら桃衣にねぎらいの言葉をかけた。


「そ、そうでしたか。では、そなたの母上にも礼を言わねばなりませんわね。そなたのように実直な娘を私の為に手放したこと、たいへん痛み入り、感謝申し上げますと。そなたも母上のご期待に添えるよう、一層励まねばなりませんわよ」


これが赤社の侍女たちを相手ならば、たちまちに煙たい顔を向けられることであろう。

しかし、桃衣は違った。

紅潮した頬を更に耳まで赤くさせると、瞳を感動で潤ませて、喉を詰まらせながら答えた。


「は、はい…!はい、正妃さま…。私、正妃様の半分でも立派になれますよう、誠心誠意お仕えいたしますです…そのようにもったいなきお言葉をおかけいただいたのですから…」


示詩は、かなり戸惑っていた。

やることなすこと、この桃衣という侍女は今まで見てきたどの侍女とも違っている。

それが身分やお国柄の違いのせいかどうかは分からなかったが、国元での示詩の評価を知っていながらこのように親愛の情を向けてくる少女が、示詩には理解できなかった。

全幅の信頼を寄せるわけにはいかないが、少し頼りにしてみるのも良いかもしれないと、示詩は初めて他人の力を頼みにすることを自分に許した。


「ですが、その前に」

「はい?」

「まずは、その口調をなんとかしなくてはなりませんわよ。このような、どんな悪鬼魍魎がはびこっているとも知れぬ城の中で、そなたの様子は余りにも無防備に過ぎるというもの。良いですか、『ます』のあとに『です』はつけませんのよ!」

「は、はいぃ、申し訳ございません、正妃様!」

「分かればよろしいのです。同じことを二度は言いませんわよ」

「はい、肝に銘じます!」


示詩の手厳しい指摘にめげる様子もなく、桃衣はその後二度と、間違った言葉づかいをすることはなかったという。

桃衣は、どうやら示詩が思った以上に優秀な人材だったようだ。







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