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うきぐもがたり  作者: towa
第二章 竜の国――嵐を呼ぶ婚儀
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其の一 竜の出迎え

「想像を絶しますわ…」


なめした皮が張り巡らされた天幕の中で、絢爛な衣装を身にまとった天女の如き少女が、低い声で呟いた。

彼女は、今日、花嫁として西の大国歳火に嫁ぐ予定の赤社の姫・示詩である。

実におめでたい日であるはずが、彼女の表情は今、見事なまでに曇っていた。

それというのも、全てこれまでの道行に起因している。


「なんたる屈辱…なんという侮辱なのでしょう!」


示詩は腸の煮えくり返る思いで、これまでの顛末を振り返る。




事の起こりは、赤社を出立した間もなくのことであった。

首都である丹郷にごうを後にし、間もなく国境へ続く街道へ入ろうかという時、一匹の騎竜が花嫁行列に近づいた。

竜は、ごつごつとした岩肌のような鱗の、苔のような色をした竜である。とがった鼻づらから口にかけて手綱がかけられており、騎手が乗る背中の部分には、見事な織の緋色の布がかけてある。その房飾りには色とりどりの宝玉がついており、乗り手の衣装同様に派手派手しく煌びやかだった。手綱の他には、騎手の為の器具は一切ついてはおらず、いかにも乗りこなすのが容易ではない様子だ。

そう、いかにも竜は、歳火特有の移動手段であり、主に戦場でのみ使用される騎獣である。

もちろん、そんな生き物を目にしたこともない赤社の兵士たちはみな一様に動揺し、騒ぎ立てた。

竜に跨った兵士がすぐさま歳火の使者の証を示さずにいたなら、場はいつまでも騒然としたまま、収まりがつかないところだっただろう。

しかし、一体どうして、戦場用の騎竜まで持ち出して使いをよこしたのか。

誰もが固唾を飲んで歳火の兵士の言葉を見守っていたが、その兵士の口からこぼれたのは、思いもかけないことだった。


「主要の街道ではなく、黄峰を通る山道から夕英山脈を越えてまかり来るべし」。


夕英山脈とは、歳火と赤社を分断している大山脈のことであり、黄峰とは、その山脈で二番目の標高を誇る峰である。

かつて、三代まで下った王の時代では、両社の国を行き来するのに重宝されていた道ではあるが、それも今は昔のこと。

現在主要となっているのは、これから向かおうとしている快適な街道であり、早馬であれば十日もかからずに歳火へたどり着く道筋だ。

それを、早馬であれ人の足であれ倍はかかる山道を行けとは、いかにも無理難題なことであった。

だが、猛烈に反対する示詩とは裏腹に、今回の道行に参列した家臣たちは唯々諾々とこれに従ってしまった。

恐らく、国王である律草から素直に従えとでも言い含められてきたのであろう。

たいして理由を聞くこともなく了承してしまった一行は、すぐさま進路を変更し、黄峰を目指して足を速めた。

しかし、予想通りとでも言おうか、道行は相当に困難だった。

示詩に言わせれば、これほどに足場の悪い道が本当に人の通る道なのかというほどの酷い道のりであった。

一時は、示詩が輿から下りて、己の足で通らなければならない箇所もあったほどだ。

まず常識ではあり得ないことではあるが、示詩はなんとか理性を総動員させてその場を乗り切った。

黄峰は、その岩肌が黄金に輝くことで有名な峰であったが、一行はそういった風情を楽しむ暇もなく、這う這うの体でなんとか山道を下りきった。




「そうして、苦労した末に招かれたのが、このようなあばら家…いえ、家ですらないのですものね、粗末な天幕に過ぎないのでしたわ」


赤社の一行は予定の十日を大幅に過ぎた、およそ二十二日後に歳火の国境に到着した。

そこで、またしても騎竜に乗り付けた兵によって歳火国首都・郡雷ぐんらいとは別の道程へ向かわされ、たどり着いたのが鬱蒼とした林の中の天幕群だった。

侍女が護衛隊長から聞いた話によれば、この辺りは歳火の神事の際に使われる緋翔林ひしょうりんではないかとのこと。

緋翔林といえば、邪九馬を中心として世界に広まった竜神教の始まりの地とも言われている、有名な場所である。

婚儀に際する何らかの儀式を行うためだとしたら納得せざるを得ないが、それにしても、一言あって然るべきはずが、またしても何の説明もなく性急に、一方的に事を押し進められてしまった。

これで腹を立てなければ、ただの愚昧なうつけ者だ。

示詩は、まさに、その愚昧なうつけ者にされようとしているのだった。


「ひ、姫様っ」


示詩の耳元で、侍女の縫自ぬいじが裏返った声で叫んだ。

この天幕に着いて早々に示詩の身の回りの支度にかかりきりだった縫自は、ここでようやく一息をつき、周りを見る余裕が生まれたらしかった。


「何事です、騒々しい」


耳に手を当てながら、示詩が眉を詰めて顔を向けると、縫自は腰を抜かして天幕の淵の方へ後ずさっていた。


「ひ、ひ、ひ、姫様、そ、そ、そ、そこに、なにか…」

「なにかとは…」


示詩は縫自が蒼白になって目をむいている方向へ視線を巡らせると、やや体を強張らせながらその名を口にした。


「この、竜を言っているのかしら?」


示詩が顔を向けた先には、こちらに案内した使者が乗っていた騎竜より、一回り大きな竜が蹲っていた。

こちらも騎竜ではあるのか、鼻づらから口に掛った手綱が掛けてあったが、先ほどの竜が見劣りするほどの装飾品が飾り付けてあった。

外に繋いでいないところを見ると、恐らく儀式の為に用意されたのではと検討をつけた示詩である。


「っひ、姫様、恐ろしくはないのですか!こ、このような化け物、私、私…」


今にも泡を吹いて昇天しそうな侍女の様子に呆れかえりながら、示詩は声を強めた。


「その様に、はしたない態度を見せるのではありません!いいこと、竜というのは、歳火においては戦術の要ともなっており、他国でも知らぬ者なき有名な騎獣ですのよ!それを、そなたらは揃いも揃って慌てふためき、果ては竜の迫力に恐れを成して、蛮族、歳火にまんまと言いくるめられ下手に出る始末。赤社の国民として、胸を張りなさいというのです」

「そんな、あまりにも殺生なお言葉…私、このような度重なる苦行、もう耐えきれません!」


すると、縫自は胸元から取り出した布巾で顔を覆うと、わああっと泣きだしてしまった。

その様子に、示詩は思わず心の底から掬い上げた重いため息を、はああっと吐き出すしかない。

分かっていたことではあるが、示詩は、赤社の者のあまりの頼りなさに、ほとほと呆れ返ってしまっていた。

嫁入りの前から、いかな箱入りの示詩であれ、ある程度の「苦行」は予想していた。

邪九馬やくまを宗主国とした四竜しりゅう連合国である歳火、業碧ごうへき灰露かいろ濡羽ぬれば、赤社の中で、最も国力が弱いのが赤社国である。それでも邪九馬の従属国でも交戦国でもない、中立的な立場を保っていられたのは、土地柄が良く農耕が盛んなうえ、若干ながら文化力が強いためだ。

歌や舞踊、絵画に織物など、芸術面に関して赤社は一目置かれる立場にあり、神事では邪九馬へ赴きそれらを捧げることもあるため、一国としての面目を立てることが出来ていた。

しかし、その文化力ですら、最近は他国に追い抜かれつつあった。

それでなお他国から侵略されずにいる理由は、もはや地形の理による幸運でしかない。

赤社は周りを標高高い山脈で囲まれているため、容易には攻めにくく、要衝が少ないので補填もしにくい。そうした理由から、他国から放っておかれている、というのが現状なのである。

そうした小国の赤社の姫が、大国と呼ばれる西の歳火に嫁ぐということは、暗に大いに舐められても仕方がない、ということを意味する。

あらゆる点で歳火が不手際を平気で晒してくるのには、「お前のような小国に払う礼儀は持ってない」といった非常に居丈高な意向が含まれてのことだ。

それら全て、歳火が、赤社にどういった立場かを分からせるために用意した意趣だったのではと、聡い示詩は勘ぐり始めていた。

それだというのに…。


「一体、いつまでそうやって泣いているつもりなのです。由緒ある赤社の者が、恥ずかしくありませんの?歳火などに隙を見せては国の恥、ひいては私の恥となるのですよ。侍女として、少しは自覚をお持ちなさい」


うんざりした示詩がとうとうそんな言葉を口にすると、縫自は突然ぴたっと泣くのをやめ、


「あまりにもひどいお言葉!姫様、御前を失礼いたします!このような恐ろしき所、薄情な姫様とは一刻と居られませぬ」


と、物凄い形相で言いきって、足をもつれさせながら天幕を出て行った。

侍女としてあまりにお粗末な有様ではあったが、ただでさえ疲労が頂点に達しようとしている最中、横でめそめそと泣かれては更なる疲れが溜まりそうだったので、示詩は何も言わなかった。

元々、それほど親しみのある侍女ではない。


「私とて、このようなところ、好きこのんで座しているはずがないのだけれど」


そんな独り言も、誰もいない天幕の中では虚しく響くだけだ。

示詩は、仕方なしに天幕の様子をじっくりと見ることにした。

このまま、どのように料理されるにしろ、何かしらの脱却方法は見つけておいた方がいいと考えたのだ。

この辺りの考えが、示詩がいまいち可憐な姫になりきれない所以だ。

見渡せば、天幕は太い二本の木を支柱に中心とし、円形に骨組みが組まれている。

天井の高さは背丈のある男性が一人余裕で立てるほどで、広さは、示詩のいる天幕においては、十人以上は入ろうかという程度だ。

骨組みにかぶせられた布地はこげ茶のなめした皮で、独特の臭気が鼻を突く。

入口から入って右の位置に座らされている示詩の目線の先には、暗がりで瞳を閉じて蹲る大きな竜がいて、入口から正面に当たる天幕の奥には、祭壇らしきものが組まれていた。

やはり、ここで何かの儀式が行われるのは間違いない。

そう確信するものの、では一体何の儀式なのかということは、意識的に避けたい示詩であった。


―――よもや…。よもや、婚儀の祭礼ではあるまい。


心によぎった懸念が、段々と大きくなっていくのを、示詩は無視しようとして出来なかった。


―――そうだとしたら、一体どれほど野蛮な相手が現れるのであろうか…


示詩の脳裏には、自然と熊のようなずんぐりとした大男が浮かんだ。

そして、一瞬ぶるりと身を震わすと、急いで頭を振ってその想像を振り払った。


冗談ではない、「見目好く」の部分が抜けているなど、約束違いも甚だしい!


父である律草に八つ当たりのような怒りを燃やしている時だった。


「いやあ、お待たせいたした、赤社国の姫様。…いや、我が国の王妃よ」


今しがた振り払ったばかりの想像の、熊のごとき大男が、天幕の入口に姿を現した。


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