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うきぐもがたり  作者: towa
第六章 右将軍の帰還
22/25

其の二 左将軍出兵





「正妃様、どうやら近々、遠征軍が東の部族の鎮圧を終えて帰還するそうですよ」

「桃衣、情報をくれるのは嬉しいのだけれど、私は遠征軍より何より、一向に姿をお見せにならなくなった、私の夫の情報が欲しいのです。いったい、あの方はいつまで緋竜城を空けておくおつもりなのですか!?」


激昂する寸前で己を律し、示詩は桃衣に詰め寄った。

緋竜城に来てもう三月みつきになろうとしているが、座龍が桃衣の元へ通ってくることは、前回宣戦布告をして以来、一度としてなかった。

返答に窮している桃衣を助けるように、新しく入った侍女の火乃が言った。


「正妃様、それは桃衣に答えろというほうが可哀想ですわ。何しろ、座龍陛下の隠遁先など、長年城勤めをしている者ですら分からないのですから」

「いいのですか、仮にも一国の城主がそんな風に行方をくらまして!?いいえ、どこに行方をくらまそうと私とて知ったことではありません、問題は夜伽にお渡りにならないことなのです!そなた達も私の元で働くのであれば安穏と遠征軍の話題に花を咲かせていないで、陛下の情報をもっと仕入れ、行動を熟知し、なんとしてでもお子を頂けるような作戦を考えなさい!」

「は、はい、正妃様!」


桃衣は即座に良い返事を返したが、火乃と臙脂の二人は眉をひそめたのみだった。

城勤めの長い二人は、座龍の行動を熟知するなどという芸当が、およそ正気の沙汰ではないことを知っているのだ。


先日、示詩によって城勤めを続けることを許された二人の貴族令嬢は、一度は家に帰されたものの、改めて「示詩付きの侍女」として正式に城へ迎え入れられることとなった。

二人とも、勘当同然で家を出された身となった為か、再び示詩の元へ仕えるようになってからは以前まで見せていた失敗続きの勤務態度が嘘のように、桃衣に負けぬほどの有能ぶりを示して頭角を現し始めた。

その覚悟の根底にある思いの正体は、懲罰房で示詩に好き放題扱き下ろされたという怒りが半分を占めていたが、もう半分は主を謀りその身を危険に曝したという、決して小さくはない罪を許した示詩の度量の深さに感じ入った、尊敬の念であった。

とはいえ、やはり田舎者の姫という新参者に全てを捧げるには、長年大貴族の娘として方意地を張ってきた矜持が邪魔をするらしく、桃衣ほどその思いが素直に表に出ることは少ない。世間話に花を咲かせるということもなく、割に淡々と仕事をこなすことに情熱を傾けていた。

まともな神経の持ち主であれば、窮地を救ったとも言える主人に対してあまりにも薄情だと怒りを露わにするのであろうが、運のいいことに示詩は色んな意味でちょっとその辺のお姫様より「強い」少女だったため、怒るどころかむしろ真面目に仕事をこなす二人を歓迎した。

しかし、その真面目にこなす勤務内容の一つに「あの」座龍陛下の行動を熟知することを加えよとは、それはあまりにも無理難題であり、横暴な主命といえた。


「ですが、正妃様。座龍陛下はこうして時々、長らく姿をお隠しになることが多々ございまして、それは珍しいことでもないのです。言われてみれば、確かに、恐れながら軽挙な所業にも思えますが、陛下は在位なさる前から市井へとお忍びで赴かれる様なお方でしたから、その、行動を把握することは少々無謀であるかと……」


火乃の進言に、隣で臙脂も黙って頷く。


「では、こういうことですか?そなた達は長年この城に勤めてきた者でありながら、陛下について、この城に来て一年足らずの桃衣と同等の知識しか持ち合わせていないと、そう言うのですね?」

「いえ、その……座龍陛下は、あのように親しげな雰囲気は表向きのことでございまして、実際は近寄りがたいお方なのです」

「え?今、なんと申しました?」


なにか世にも奇妙なことを聞いた気がする、と、示詩は割と本気で耳を疑った。

あの気さくすぎる王をして「近寄りがたい」とは、にわかに信じられない感想だ。


「恐れながら、座龍陛下は、王位をお継ぎになるまで継承者からもっとも遠いお方だったのです。擁立なさるのは、兄君であらせられる華観かみ様と淋我りんが様のどちらかであろうと、貴族諸侯も二派に分かれて対立している有様でした」


示詩はそこで、あの中庭で座龍が語った過去の身の上話を思い出した。


―――どういうわけか、俺はガキの頃から親父にもお袋にも疎まれて育ってな。教育係だった朱平しゅへいがいなけりゃ、燈源のオジみてぇに神官になるか、でなけりゃ城を出て盗賊の首領にでもなってたかもしれねぇ


「座龍陛下のことは……長らく、この城の者でもそれほど姿を見た者はありませんでした……。ただ、教育係であった朱平様と、その嫡子であり、陛下のご学友でもあった光野様は例外で、常に陛下と動向を共にしておりました。……ですが、そのお姿を目にする機会は城外であることがほとんどで、……」


話を引き継いだ臙脂も、いつもは表情の浮かばない面を話しにくそうに歪めている。


「例え王位を放棄した王族でも、それほどまで放任された話など聞いたことがありませんわ。仮にも王侯貴族が……。つまり、座龍陛下の立場はこの城にとってどういうものだったのです?」


示詩にとって、これは決して恨みや何かで断じたことではないが、そこまで放っておかれる立場であれば他国へ人質に出すかあるいは有力な貴族の元へ養子に出した方がよほど役に立ちそうだと思えた。

こういった内情には城勤めの長い二人に後れをとる桃衣も、示詩同様に目を丸くして驚いている。


「これは、座龍陛下がお生まれになった年、城内でまことしやかに流れた噂なのですが、座龍陛下は歳火国筆頭巫女師によって、凶兆とも取れる託宣を授けられたというのです。なんでも、『歳火を滅ぼす災いをもたらす忌み子』であるとか。真偽のほどは分かりかねますが……」

「歳火を滅ぼす……忌み子?」


火乃から明かされた衝撃の真相を耳にして、桃衣は痛ましそうに顔を伏せたが、示詩は同じ王族の身の上としてむしろ腑に落ちる思いだった。


(なるほど。そういうことでしたのね)


もちろん、その辺の姫と違って、額面通りにその噂話の託宣を受け入れたわけではない。


(恐らく、その託宣は『真逆』だったのではないかしら)


示詩は、座龍が両親や兄弟から幼少より疎まれていたというその理由を垣間見たような気さえした。


(そうすると、全てに納得がいきますもの。座龍陛下の指揮によって、今ふたたび歳火が隆盛を極めていることがその証。託宣は『歳火を救う希望をもたらす大器』とでも下されたのではないかしら。だからこそ、あの「宣戦布告」をした夜に陛下が仰られていた言葉……)


―――争いの『モト』なのさ、兄弟ってのはな。事実、俺の兄貴は全員俺を敵視してやがるし、父親にいたっては命まで狙っていやがる


(御子を作らないと仰ったのは、それでは、ご自分のように不遇な立場の王子をこれ以上増やさないため?……まさか、あのように非情で何を考えておられるか分からぬような方が、そのためだけに?)


血の繋がった実の親兄弟であっても、王族にとってそれはなんの抑制にもならないことを、示詩はよく知っていた。

己の権力を握るためには何をも犠牲にする者たちなど、赤社にもごまんといたのだ。


「噂のこともありましたが、先王・夕栄ゆうえい様や王太后・めい様が座龍様をことのほか遠ざけてお育てあそばされていたこともあり、それに倣い、城の者たちも陛下には触れずに過ごしました。……陛下があのように、正体のつかめぬお人柄だったということも、私たちが知ったのはついこの前のことでございます」

「……それに加え、陛下は城の者、特に先代王に与する者たちに声をかけることはまずありません。……お忙しい、というのも理由の一つとして挙げられますが、それ以前におそらく……」


示詩は、火乃の話を引き取った臙脂の話すその先の展開に嫌な予感を覚えたが、突然聞こえた「失礼いたします」という硬い声に遮られ、顛末は分からずじまいとなった。


「何事です」


示詩が警戒を隠さぬ強い声で答える。

三人の侍女たちの他には、座龍、竜脊、光野以外ほとんど訪れる者がいない正妃の部屋で、耳慣れぬ男の声が響いた。


「ご歓談中、大変心苦しいのですが、ご尊顔を拝謁したく、左将軍・秋英しゅうえいが参りました。どうぞ、正妃様のそのお優しい御心で、この固く閉ざされた天上の扉を開けていただくことはできませぬでしょうか……」


妙に芝居がかった艶美な声に、示詩は思わず背中をゾクっとさせたが、両側からは思わぬ反応が立った。


「せ、正妃様、左将軍・秋英様が来られましたよ!まあどうしましょう、こんなことならもっと華美な衣装を身に着けてくるのだった!」


と、火乃。


「(ああ……こんな時に、あの麗しい姿を書き留める紙と筆を用意できないなんて)」


ぶつぶつと珍しく臙脂が落ち着きをなくす。


「せ、せ、正妃様、左将軍秋英様は、とてもお美しい殿方としてこの城の侍女にとっては花形役者のごとき人気を誇ってございまして……」


まさかの桃衣も虜になっているとは、と、赤ら顔の侍女の口先を制して、示詩は告げた。


「どうぞ、お入りなさいませ、左将軍・秋英殿」






「この度はご挨拶が遅れまして、大変失礼いたしました。改めまして、この国の左将軍を任ぜられております、秋英と申します。以後お見知りおきを。私は今、我が国にこれほどお美しい正妃様を迎えた至福を味わうことなく過ごしてきた我が身を、呪いたい気持ちでいっぱいでございます。このような、天女の如き女性にょしょうが世に存在するとは、いやはや、恐れながら陛下よりももっと早くにお会いしたかった……」

「こちらこそ、麗しい殿方にこれほど世辞を尽くされるなど、女という性を受けた者として光栄に思います。私が赤社より参りました一の姫示詩でございます。秋英殿」


そう言って示詩が差し出した手に、左将軍・秋英は跪いて爪先に軽く唇を落とした。

途端に、横合いから「きゃー」と黄色い悲鳴が上がる。

示詩は侍女たちの娘らしい一面を知ったと同時に、再教育の必要性をひしひしと感じ取っていた。

しかしながら、桃衣は別として、仮にも大貴族の娘である二人の侍女を瞬時に腰砕けに魅了させるような男であることは、示詩も渋々認めなくてはならなかった。

何しろ目の前に跪くこの男は、国元の赤社の宮廷人や邪九馬よりの使者でも稀に見るような美男子だった。

サラっとした金糸の長髪を首の後ろで一つに結わえ、長い前髪は耳の横に垂らしていて、秀でた額がよく目立つ。白い面は決して女性的な要素などないのに、整った鼻や切れ長の瞳、薄い口元までも、まるで一つの芸術品であるかのように完璧な造作を誇っていた。

その上そこそこ長身で、身に着ける衣装や武具も華美でありながらすっきりと洗練されている。

座龍とはまったく真逆の美しさを有している武人が、左将軍・秋英という男であった。


『いいわよねぇ、秋英様。暑苦しい歳火の男達の間にあっては、荒れ地に咲いた一輪の清涼な百合のごときお方よ!』

『今まで散々言われ尽くして来たけれど、本当に、邪九馬の国から来た貴公子と言われても信じられるほどの美貌ですもの』

『そうそう、まるで神々の世界から来たかのように、人間性まで清廉で完璧な殿方なんて、そうはいらっしゃらないわ』


ついこの前まで座龍の素行調査という名目で侍女たちの噂話に聞き耳を立てていたため、なんとなく左将軍の人となりにはぼんやりとした想像を宛がっていた示詩だが、実際目にするとその美貌には圧倒されるものがあった。


(それにこの殿方……。大抵、こういった口の良く回る色好みは頭が弱い者が多いけれど……)


示詩は試すように、秋英に突如訪れた理由を尋ねた。


「その物々しいご様子、どうやら戦支度をしてらっしゃるようにお見受け致しますが……一体、どのような了見でこちらにいらっしゃったのですか?」


言外に、秋英の訪れを快くは思っていないという念が込められている。

横合いで侍女たちが表情を無くす様子が手に取るように伝わってきたが、示詩は意にも返さなかった。

これで激昂して見せるようなら、示詩にとって見掛け倒しの色ボケと片づけることができる。


「これは、物騒な出で立ちで参上してしまい、配慮がございませんでした、正妃様。ご無礼をお詫び申し上げます。されど、恐れながら私にはもうさほど時がございませぬ。これから、東の反乱を鎮めるための遠征を、陛下より仰せつかっております。万が一にもこの城へ生きて帰ること叶わぬとあらば、心残りを無くしておきたかったのです」

「私に、目通り叶わぬことが心残り、とおっしゃりたいのですか?」

「御意」


いまだ跪いたままの美麗な武人は、嘘など一つも感じさせない、真っ直ぐな目をしてはっきりと告げた。

示詩は、やはり、と秋英の隙の無さを目の当たりにし、油断ならぬ人物として位置づけた。

だがそうなると、こちらに秋英の情報が少なすぎる。

示詩は噂話を耳にした時点で桃衣に詳細を聞き出さなかったことを今更ながら後悔していた。


「恐れながら秋英様、私、『明星めいせいの紋』の家の娘、火乃でございます。久しくお会いしておりませんでしたが、覚えておいででしょうか?」

「……これはこれは、もしや明星の屋敷で会ったあの小さなご息女、火乃殿かい?見違えたよ、こんなに立派な宮廷人となってしまって、もう私の手の届かない人となってしまったようだね」

「まあ、相変わらずお上手ですこと」


示詩がなんと切り出せばよいか思案していると、侍女の火乃が我慢しきれないといった様子で身を乗り出した。

どうやら同門のようである。

そうはいっても、主人の許しも無しに話し出すとは、一応正妃付きの侍女としての立場を自覚している火乃にしてはあまりにも軽挙な行動だった。

こればかりは窘めた方が良いかと割って入ろうとした矢先、斜め後ろで控えていた臙脂が親しげに話す二人に素早く言葉をかけた。


「秋英様……お越しいただいたところ、恐縮ではございますが、正妃様はまだお仕度の途中でございまして、少々奥でお暇をいただきたいのですが……。火乃殿、この場をお任せしてよろしいでしょうか?」

「なんと、そこに居られるは『竜牙りゅうがの紋』の家のご息女、臙脂殿。まさか貴女をこのようなところでお見掛けするとは……。それにしても、正妃様に置かれましてはどこにも乱れたご様子をお見受けしませんが……?」

「秋英様、女というものは、例え正妃様のように欠けることなきお美しさをお持ちであっても、完璧を追い求めましてよ。殿方には、その違いを見つけることが難しいでしょうけれど。さあ、臙脂殿、この麗しい訪問者はしばし私の恋しい方となりますから、正妃様を存分に飾って差し上げて」


火乃が笑顔で引き受けたのを見届けると、秋英に返す隙を与えず、臙脂は桃衣を促して奥の間へ連れ立った。

扉をきっちり閉めたことを確認して、示詩はひそめた声ですかさず尋ねた。


「臙脂、私に何か話したいことがあるのですね?」

「え?臙脂様、このような時に、いったい何を……?」


きょろきょろと二人の顔を見比べる桃衣は気づいていなかったようだが、示詩が見る限り、明らかに火乃と臙脂の様子は不自然だった。

最初こそ歓迎したが、会話の途中から、まるで秋英から示詩を遠ざけたいかのような……


「正妃様、単刀直入に申し上げます……左将軍・秋英殿は……私の叔父にあたる沃賀様の覚えめでたき、先代王側に与するお方でございます」

「なんですって、あの方が?」


寝耳に水であったが、そうだとしても、何故あのように急を要して示詩を下がらせる必要があったのか、示詩は解せない。


「けれど、臙脂。そなた達はそろって、秋英様をこの部屋に招いたことをあんなに喜んでいたではないですか?何故、急に……」

「正妃様……秋英様は、東の部族の鎮圧に遠征すると仰いましたが……今現在、そこで戦っておられるのは、陛下が特別のお引き立てで将軍の座に据えた、右将軍・烈火様なのでございます……」

「つまりは、此度の遠征でお二方が入れ替わるということ?」

「おそらく……そして、元々この城の者でない右将軍・烈火様にとって此度の陛下のご主命がどのようなものになるかは分かりかねますが、秋英様にとっては、これは見方を変えると、はっきりと……」

「左遷……ということになると言いたいのですね」


いつもは生気のない臙脂の声に若干の緊張が混じって取れるため、示詩と桃衣にも今がどのような状況にあることなのかわずかに分かって来た。


「……ですが、秋英様も将軍として、何度もこの城を開け遠征しており、その事自体は特別危ぶまれるようなことでもありません。問題は、つい先日、陛下と沃賀様が衝突された際に、秋英様が取り成したことでございます。座龍陛下が、それほど面目を潰されたことを気になさるような方かどうか、私には分かりかねますが……こうも時期が重なり、また、この度の正妃様への突然のご訪問……警戒しておくに越したことはありません……」

「火乃もこの事を知っていて私をあの方から遠ざけたというのですね」

「……火乃殿は、私などよりよほど内情に通じていらっしゃいます。……私とてこの度の急なご訪問には懸念を抱きましたが、火乃殿があのようなご振る舞いをなさらなければ、ここへお連れする機会を逸していたことでしょう。……それに、彼女は秋英様とは知己でございますから、今頃は有益な情報を引き出してくれているやもしれません……」

「そう。助かりましたわ。そなた達を侍女として仕えさせたのは、やはり間違いでなかったようですわね」


示詩の褒め言葉に、臙脂は「勿体なきお言葉、当然の働きをしたまでにございます……」と答えるに留まった。

こういった事態を、桃衣と示詩の二人のみで対処するにはいかにも心許ない。

ちょうど秋英という男の人となりを知ってから対面するべきだったと後悔していたこともあり、実にありがたい補佐ぶりであった。

しかし、こうなってはどうやって出ていくかの問題も浮上する。

何しろ急だったので、火乃に合図を送ってもらうなどの有効な段取りは組んでいない。臙脂が「一先ず、言葉通り正妃様のお仕度を進めた方がよろしいかと……」と口を添えたことで、侍女二人はまるでこれから大規模な式典にでも出席するかのような勢いで示詩を飾り立てることになった。

ところが、この事態は示詩たちにとって急速に都合の良い展開へと発展を遂げることになる。まさに、災い転じて福となす。

始まりは、もう一人の訪問者の登場によるものだった。

何を隠そう、二人目の招かれざる客は、この部屋にとってはある程度なじみのある男、光野であった。


「秋英殿……!?貴公が、何故このような所に……!」

「これは、光野殿。式典の前に正妃様の部屋で顔を合わせるとは、実に奇遇な。なに、私が正妃様のお顔も知らぬまま出兵したとあっては、数々の浮名を流す左将軍として下の者に示しがつかなくなるのではと危ぶんでね。こうしてご尊顔を拝謁賜ったというわけだよ」


にわかに扉の向こうが騒がしくなったのを聞きつけ、示詩は静かに取っ手を引いてわずかばかりの隙間を作った。

このような展開において、誰も示詩を「はしたない」と窘める者はない。

桃衣も臙脂も、どのようにしてこの突然の難局を乗り切るかに頭を悩ませていたからだ。


「浮名を流すことに誇りをかけるのは結構ですが、正妃様に醜聞の汚名を着せるようなことだけはお止めいただきたいものですな。陛下の許しなくば正妃様の私室に訪れることは禁じられているはず。それは左将軍として揺るがぬ地位をお持ちの貴公でも同じことですよ」

「おや、規則を破ってでも麗しいご婦人に会いたいという男心を、生真面目な光野殿にはご理解いただけないようだ。勇敢な武人にとって、最高峰のご婦人との艶聞は武勇に匹敵する。そこを行くと、武王として名を馳せる陛下も、こちらの勝負については私に軍配が上がるということをようく自覚なさっておられるよ。こ度の遠征も、陛下の負け惜しみから来たものではないと良いものだが……」


左将軍についての艶聞は示詩の耳にはあまり入ってこなかったが、座龍の不貞ならよく伝え聞いている。あれよりも酷い有様なのかと思うと、示詩は秋英という男の評価を地底よりも下に落とした。


「今の言葉、陛下には内密にしておきますよ、秋英殿。過酷な遠征を前にくだらない不祥事でケチをつけられたくはないでしょう」

「いちいちごもっともでつまらないな、光野殿きみは。熱く滾る血潮の衝動を感じたいと思ったことはないのかい?」

「生憎、その様な衝動を抱えて陛下にお仕えする趣味を持ち合わせておりませんので。それより、火乃殿。正妃様のお姿が見当たらないようだが、一体どちらへ?」


突如、不穏な会話の流れの先を向けられ、火乃は取り乱さないように必死に己を抑えながら言った。


「正妃様は……少々、お仕度に不備がございましたので、桃衣殿と臙脂殿によって衣装直しを……」

「それは丁度良かった。本日、左将軍・秋英殿の出兵と、右将軍・烈火殿の帰還を祝う式典を急きょ執り行うことになった。準備が整い次第、私の私室へと足をお運びいただきたい。色々と段取りがありますので」

「分かりましたわ、正妃様にお伝えしておきます」


火乃にとっても、覗き見していた示詩にとっても、それは朗報となった。

取りあえずこの窮地を脱するおあつらえ向きな理由となったのは確かだ。


(それにしても、この流れ……何か引っかかりますわ。確か陛下は、私のことを他国に伏せていると仰っていたはずでは?このように正式な式典に私が顔を出せば、もし間者が潜り込んでいるとして隠しておくことが難しくなるのでは)


そうなると、「示詩を式典で二人の将軍に合わせる」ことに何らかの意図があるように感じてならない。

若干の不信感を抱きつつ、示詩は光野の私室へ向かうことになった。






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