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うきぐもがたり  作者: towa
第六章 右将軍の帰還
21/25

其の一 夢の跡


血と砂埃と、何かが焦げ付く嫌な匂いが風に乗って荒野を駆け巡る。

辺り一帯は兵と竜の屍に埋め尽くされ、地獄絵図をそのまま再現したかのような、見るに堪えない惨憺たる光景であった。

ああ、もう何年と見ていなかったのにな、と、そう思って座龍は目の前に広がる光景の正体をすぐに悟った。


『風賀……っ、風賀……どうして……っ』


躯の山をものともせず、一人の若者が青白い顔をした少女を掻き抱いて、泣き咽んでいる。

豊かな黒髪を高く結んで風に遊ばせ、血みどろの体も省みぬ彼は、涙を流して悔やんでいた。


『若……様。どう、か、歳…火を、お、救い……くださ……』


耳を口元に近づけてようやく届くか細い声で少女が言って、若者は咄嗟に怒鳴った。

それは彼にとって、到底信じられない訴えだったようだ。


『馬鹿野郎!俺はこの国なんか、お前に比べたらどうだっていいんだ!王座なんかいらねぇ!俺は……、こんなことしてまで王座にかじりついたのは、ただ、お前のために……っ、お前に見合うようになるためだったのに……っ。それなのに、どうして!』


泣きたくなどないのか、若者は涙を流しながら少女を睨みつけ、時々唇を噛みしめながら吐き出した。血と汗と泥で真っ黒の頬を、涙が白い筋をいくつも描いて洗い流す。

その軌跡に触れようとするかのように、細いむき出しの腕がゆるゆると上がる。

若者はすぐに気付いて、はしっとその華奢な手首を掴んだ。


『い、いえ……わ、若様、は……座龍様は……ただ、一人、真に、王座を継ぐ…べき…だから、こそ、国も、民も、……私、も、貴方を、愛した』

『風賀……?』


一言一言、言葉を発する度、少女の体温は奪われていく。

若者は必死に取り縋って体を温めようとするが、それはいかにも無駄な抵抗といえた。

少女が天命を全うしようとしているのは明らかだった。


『若様……歳、火…を……民、へ……安寧、を……』

『風賀……!風賀……っ風賀、風賀、風賀!!』


言いかけて、少女は絶命した。

もう、どんなに呼びかけてもその口が動くことはなく、その目が開かれることはない。

若者が心の底から愛し、信頼していた人間が、この世のどこからもいなくなった瞬間だった。


『うわああああああああああああああああああああああああああ』


若者は力の限り、少女を抱きしめ、まるで狂人のように天へ向かって叫んだ。

それは、何かを呪うかのような、酷く濁った声だった。


(馬鹿の極みだな、こりゃあ)


憐れみすら含んだ視線でそんな感想をこぼしたのは、冷静に若者と少女の躯を見下ろす、二十七歳の座龍だ。

彼が目前にしているのは、もう二度と見たくないと、過去何百回と眠りを妨げてきた悪夢の一端だった。


(いや、悪夢ならまだ、良かったのかもしれねぇな。醒めりゃいいだけの話なんだ)


タチが悪かったのは、うつつが地続きになっているから、寝ても覚めても絶望が襲いかかってくることだ。いや、起きて彼女がいないことを確かめなければならない分、やはり現世の方が悪夢より始末が悪いのかもしれなかった。

そうして、「託された願い」が無ければ、座龍は生きることすら放棄していただろう。

彼は、少女……「風賀」から託された願いだけを命綱にして生きながらえたのだった。


(託された……ね。そんな昔のことなんざ、そういや忘れていたっけなぁ)


面影をなぞることすら禁じていた座龍にとって、風賀と若かりし頃の己の思い出など遠い昔の、記憶の彼方だった。

座龍は今、現だけを見据えて生きていた。


『殺してやるぅぅうう、お前をこんな目に会わせた奴を、業碧のクズどももクソったれな親父もお袋も兄貴も、一人残らず弄り殺してやるからなぁああああ!!!!!』


だが、悪夢は、過去という名の『座龍の亡霊』の慟哭は、こんなにも今の座龍を揺すぶってくる。

その憎しみに触発され、当時の痛みすら思い出しそうになるほどだった。


(やべぇな……)


封じ込めた苦しみや憎しみ、悲しみは、胸の裡に押し込めて二度と取りださないようにしたはずだった。それなのに結局、それはただ表面に出ないだけで、決して消えたわけではないのだと、強く訴え出てくる。

まだまだ未熟だな、と己を嘲笑った時、どこか遠くから誰かの呼ぶ声がして座龍は咄嗟に振り向いた。


(誰だ)


見渡す限り屍で埋め尽くされている荒野の上空は暗澹たる雲に覆われ、そして、一人として生ける者の姿などは見当たらない。

誰も居るはずが無い。

ここは過去の己が生み出した荒野だ。

ふたたびどす黒い感情の嵐に引きずり込まれそうになった座龍は、しかしやはり、幻聴かと思ったかすかな呼び声をまたしても耳に捉えた。


――――――か、へいか。


それは一体、誰の声だったろうか。

柔らかくて、甲高い、女の声のように聞こえる。

母親?

いや、あの女がこれほど慈愛に満ちた声で俺を呼ぶはずが無い。


―――陛下、座龍国王陛下。


他人行儀にも思える呼びかけながら、その声はやはり、過去に引き寄せられていた意識を無理やり現実に引っ張っていくほどの力で満ち溢れていた。

その様な声など、座龍は知らない。

過去に覚えが無い。

しかし、無遠慮に、厚かましいくらい有無を言わさず、声は座龍を呼び続ける。


陛下。座龍国王陛下。


(ああ、うるせぇな。そんなにキンキンとした声で呼ばれちゃ、おちおち寝ていられねぇじゃねぇか……)


砂糖菓子のように甘い、けれどかたくなで、熟す前の青々とした実を思わせる、やはりそれは、少女の声。

過去を振り返ることなど許さぬような、前だけを向いている声。


『私がこの国の国母となって御覧に入れますわ!』


ああ、そうか、と、苦笑すら交えて、ようやく座龍はその声の主を見つけ出した。

片田舎の国の王女、美人だが矜持ばかり高く人から疎まれ、実の父親からも見放されたと、実に歳火にとって都合の良い姫。

しかし、手駒でしかなかったはずのこまっしゃくれた少女は、その強い意志を窺わせる濃緑の瞳で座龍を、引いては歳火をも相手に、一歩も引こうとはしなかった。


『私の望みは……この国の国母となり、歳火を立派な国へ導くことでございますわ』


引くどころか、押しの一手しか知らぬような、勝ち気で早熟で、そして聡明な少女だ。

傀儡などまるで似合わぬ、美しい相貌よりよほど内側の輝きの方が目立つ存在。


(けど、浮かねぇ顔……させちまったな)


その目立つ輝きによって突っ走る性分を読み間違ったのは座龍の落ち度だった。傷一つつけずに飾っておくつもりが、一時でも大人しく飾られてくれるようなタチではなかった為、目測を誤ってその生命を危機に陥れてしまった。

この先彼女をどう扱うにしろ、「今」の歳火にとって絶対に欠かせないのがあの美姫の「役割」であるのに、それでは本末転倒だ。


(さて、どうしたもんか)


座龍はとっくに醒めていた目をぱちっと開いて起き上がった。

今後の彼女の処遇について考えを巡らせ始めた座龍は、ふと気づいて、そういえば「例の夢」を見た朝にしてはやけに目醒めがすっきりとしている己を不思議がった。

しかしその違和感は、「陛下、お目覚めになられましたでしょうか」という近侍の声によってすっぱりと忘れ去られてしまったのだった。











明朝、夜も明けきらぬ内に起きだした示詩は、桃衣を連れてそうっと自室を抜け出した。

昨夜のうちに慎重に手順を確認して、手筈は整い済みのはずだ。

そうは言っても、今はこの城のどこに敵が潜んでいるのか分からない情勢だったので、念には念を入れ、身なりには十分時間をかけて気を配った。


「スゴイです、正妃様。どこからどう見ても歳火の侍女にしか見えません」

「しっ!桃衣、無駄口を叩いている暇はありませんわ。せっかく監視の者を誑かしたのに遅れては元も子もないのです。急ぎますわよ」

「はい!」


今示詩は、桃衣から替えの服を借りて侍女に扮していた。

桃衣が褒めそやした通り、いつも紫や蘇芳のように落ち着いてかつ品のある色味の衣装を纏っている示詩が、一たび薄紅や萌黄といった艶やかな色彩を身に纏うと、その印象はガラリと変わった。

加えて髪型は、二つ結わえの飾りの他を背中に垂らすという、見慣れた簡素なものでなく、全体を頭頂部で結わえそれなりに衣装の凝った飾りを施し、複雑に編み上げる、緋竜城ではよく目にする侍女の形を取った。

そうすると、いつもより雰囲気が華やかであるにも関わらず、不思議と周りに埋もれてしまうような地味さの方が目立つ。

化粧も、そこらの侍女に引けを取らぬほど入念に塗りたくったというのに、どういうわけかケバさが先立ち、示詩の生まれ持った美貌を隠すという逆の効果でよく役に立った。

そこまで変装に力を入れた二人の目指す目的地は、城の地下に位置する懲罰房だ。

示詩は、先の暗殺未遂の件で軟禁されている二人の侍女、火乃と臙脂に会いに行こうとしていた。


『なんですって?あの二人が家に帰される?』

『ええ、当然です。何といっても、正妃様を謀り、傷つけた挙句、御身を危険に曝したのですから、これでも処分が甘いくらいでございます』


ことの顛末がそんな風に幕を閉じると耳にしたのは、昨日の昼頃のことだった。

事件の衝撃から立ち直ったものの、座龍によってしばらく安静にしていろと言いつけられた示詩は、見舞いとして部屋に訪れた光野からかつての二人の侍女の様子を聞き出していた。


『ですが、話によれば本当の首謀者は黄詠殿で、そのうえ私の命を狙った者は他国の間者だということではなかったのですか』

『ええ、正妃様。陽炎の報告によればそれで異論はないかと思われます。ですが、このような失態を犯した侍女を咎めずに置けば、他の者に示しをつけることができません』

『そう……あの二人を、裏切り者の末路として見せしめにするというのですね』

『見せしめ、というには語弊がございますが……あの二人にとっても宿下がりをするのが一番かと思われます。今後この城に仕えていくことは難しいでしょうし……』


光野がそんな風に言葉を濁したことで、示詩ははっと気が付いた。


『もしや、黄詠殿が、あの2人を見放すと?』

『見放すだけならまだ良いのでしょうが、……ご存じやもしれませんが、黄詠殿は一度でも失態した者を懐に戻すような、甘やかなお人ではございませぬゆえ』


そう言って、光野はまだ若い幼顔を渋面にし、十は年を食ったような表情に変えた。

示詩は、もちろんそれが一番温情のある罰だとは思えど、かといって宿下がりをしたところで、あの二人に幸せな道行が約束されているとは到底思えなかった。


―――私は生家の名を貶めることが出来ませぬゆえ、他の者に後れを取るわけにはいかなかったのでございます。

―――私は、ここを出ても帰る場所がないので……。親も私を諦めているため、あとは嫁ぐか一生城に仕えるか、それしか道はありません。とはいえ、私の様な者をもらってくれる殿方などいるとは思えないので……


もしかしたら示詩の懐に入るために同情を買う方便だったのかもしれないが、示詩にはどうにも二人が嘘をついているようには見えなかった。

それに、折角手に入った味方をこのままむざむざと帰してしまっては、なんだか勿体ないような気もしてくる。

あの二人は失敗が多かったとはいえ示詩の為すことに胡乱な目を向けることはなかった。

もちろん、それも演技だったのかもしれないが、仕事の効率自体は早い方だと思っていた。

(少なくとも、赤社の城に居た侍女たちよりは良く働いていた方ですもの)

園恋宮に居る時は大抵のことを一人でやっていたが、城にいる時分はそうもいかず侍女をつけるより他にない。所が世話をする者が世話人を雇っている侍女も少なくなく、そうして示詩のそば付きになる者は、大抵がそういった金にものを言わせて鳴り物入りした無能な人材であることが多かった。


『光野殿、ひとつ頼みを聞き入れていただきたいのですが』

『正妃様、陛下は正妃様に安静にしていただくことをお望みでございます』


示詩が内容を言う暇を与えず、光野は素気無く頭を下げた。


『まだ何も言っておりませんわよ』

『正妃様のご主命とあらばどんなお望みでも叶えて差し上げるのがこの光野の幸せにございます。しかしながら、今は陛下の主命を優先していただきたく……』

『私が何を望んでいるのか知っていると仰るのですね。でしたら話は早いですわ、あの二人に会わせて下さい』


今度は示詩が最後まで言わせなかった。

だが内容を明らかにしたことで、光野の表情はますます硬くなり、どこにも取り付く島がなくなった。柔和そうな雰囲気とは別に、光野はやはり座龍の親衛を務めるだけあって抜け目ない性格のようだ。

仕方なく、示詩は遅くまで桃衣と二人、懲罰房へ行くための作戦を練った。

そうして今朝に至る。


桃衣が提案した懲罰房までの最短の道は、幸い誰にも見つかることなく二人を目的地まで導いた。早朝とはいえ起きだしている者もちらほら見える城の中にあって、やけにこそこそと辺りを窺う二人は明らかに怪しいものだったが、どういうわけか誰にも見咎められることはなかった。

示詩はつい先日明かされた、己を見張る存在を思い出さずにはいられなかったが、こうして無事懲罰房に辿り着いたからには目的を遂行せずに引き返すなど、示詩の矜持が許さない。後は野となれ山となれ。城を追い出される覚悟で臨んだ。

予め書状によって丸め込んでおいた看守は、桃衣の姿を見止めると「これっきりですから、頼みますよ」と恐れるように二人を通した。

地下はさすがに薄暗く、石壁がひんやりとした空気を閉じ込めているかのようだった。恐る恐る階段を下りていくと、通路が二股に分かれている。

一方はただ同じ通路が続くのみで、もう一方は木の扉によって塞がれていた。


「正妃様、罪を犯したとはいえ、火乃様と臙脂様はあくまで大貴族のご出自。その様な身分のお方を、陛下がおいそれと他の罪人と同じ牢にお入れになるとは思えません」

「私も考えておりましたわ、桃衣。これだけ広大な敷地であれば城から離れた場所にもっと大きな監獄を作れるはず。地下に懲罰房を作ったのは、貴族や要人の罪人を一時的に閉じ込めておくためでは、と」


となれば、どちらへ進むべきか、答えはおのずと見えてきた。

示詩と顔を見合わせた桃衣は、先ほど看守から預かってきた鍵をいくつか試して、木の扉を開けにかかった。


「開きました、正妃様」

「桃衣、扉の影に立って、ゆっくりとお開けなさい」


何者か飛び出してくるとも限らないので注意を払ったが、扉を開いて暗がりから見えたのは、新たな扉だった。それも、黒光りする頑丈そうな鉄の扉だ。

よもやこちらが大罪人の収監されている牢だったか、と、二人が生唾を飲み込んだとき「誰!?誰かそこにいるの!?」と、聞き覚えのある高い声が響き渡った。

手に持った灯りを桃衣が恐る恐る鉄扉へ近づけると、どうやら声は覗き穴の僅かな隙間から発せられているらしかった。


「そこにいらっしゃるのは、もしや、火乃様でございますか?」


抑えた声で桃衣が問うと、相手もこちらに気づいたようで、「桃衣殿!?」と藁にも縋るかのような必死さをにじませた声で答えた。


「お願い、桃衣殿!あなたから正妃様や陛下に口利きして下さらない!?臙脂殿はどうか分からないけれど、この私は決して正妃様のお命を危機に曝すことなど考えてはいなかったの!全ては黄詠様の差し金だったのよ、私は仕方なく……っ」


強く訴える火乃の言葉を遮って、桃衣は努めて平静に告げた。


「この度のこと、私からは何も申し上げるつもりはございません。私はこの城において、火乃様よりもずっと身分の低い、一介の侍女に過ぎませんですから。ですが正妃様が為す事であれば、従わずにはいられないでしょう」

「正妃様の、為す事?」

「火乃、臙脂もそこにいるのですね?」


それまで二人のやり取りを静観していた示詩がようやく口を挟むと、はっと息をのむ気配がして静まり返った。


「正妃……様?なぜ、このような場所へ……」


火乃が驚いた声を上げて静謐を破ると、後に続くように臙脂の細い声が聞こえてきた。


「はい、正妃様。臙脂もここにおります」

「では二人とも、心してよくお聞きなさい。そなたたちの処罰は、家に帰されるということで済むそうです。たばかりに荷担したことで首が飛ぶことはないそうですから、安心なさい」

「そんな!首が飛んだ方がまだしもマシだわ!こんなことになって、一体どのような噂が立っているか、考えただけで恐ろしい……っ。帰る場所なんてどこにもないのに!」


言葉遣いが蓮っ葉になっているのも構わず火乃は喚きたてた。

命よりも自尊心を取るあたりがいかにも貴族といった反応だったが、示詩はそれへ驚く様子も見せず、淡々と今度は臙脂に尋ねた。


「臙脂。そなたはどう思いますか?火乃と同じく、己の命より外聞の方が大事だと、そう思いますか?」

「……元より、私の居場所など城を出ればどこにもありません。……いえ、城に居たとしても、ろくな道を辿ることにならなかったでしょう。……宿命さだめとして受け入れる所存でございます」


火乃とは全く対照的な答えに、示詩は「はあっ」と呆れ交じりのため息をついた。


「まったく、揃いも揃って情けないことですわね。強国と名の知れた歳火の城の侍女は、誰も彼も爪を抜かれた猫のようですわ。それでも大貴族の娘ですの?この私を謀って危機に陥れたそなた達なのですから、『意地』というものが少しでもあれば、それなりの気概を見せてくれるのかと思いきや、とんだ興ざめですわ」

「な、何を……!?」

「…………」


示詩の言い様に少しは怒りを覚えたのか、先ほどまで身も世もなく嘆いていた様子からは一変して、鉄扉の向こうから張り詰めた空気が伝わってきた。


「そなた達、私の元へ来てはじめに言ったことを覚えておりまして?火乃、そなたは家の名を貶めぬため。臙脂、そなたはここより他に己を生かす術を知らぬため。その言葉はそなた達にとって真の言葉だったのではないのですか?……この程度のことで、その覚悟を曲げるような腑抜けた者は、たとえ此度の失態がなくとも、後々同じ結果で終わっていたことでしょうね」


冷たくぴしゃっと言い切ると、示詩は桃衣に向けて「要は済みましたわ。帰りますわよ」と促した。桃衣は示詩の顔と鉄扉の方を交互に見て戸惑っていたが、結局は足早に去っていく示詩の背中を負った。

しかしそこへ、待ったの声がかかった。


「待ちなさいよ!……何よ、何よ、田舎者の赤社の姫風情が、この大国・歳火の城で生きていくのがどういうことか一つも分からないくせに偉そうな口聞いてくれちゃって!大体、黄詠様からの命令でもなけれれば、誰があんたみたいにいけ好かない王妃の世話なんかするもんですか!私の覚悟が腑抜けているですって?冗談じゃないわ、私はこれくらいで終わらない、終わってたまるもんですか!……あんたこそ、私たちの境遇がマシに思えるくらい、これからこの城で酷い目を見るでしょうよ!せいぜい今日から辞世の句でも考えておくことね」


どうやら、示詩に仕えていた時は相当猫をかぶっていたのか、火乃は思った以上に苛烈な本性を隠そうともせず、やけになって喚きたてた。

そして臙脂もまた、己の素直な思いを呪われそうな細い声で訴えた。


「この城で生きていくということは、正妃様が考えるより、ずっと忍耐と強運を強いられることでございます……私たちの身がどうなろうと、それは私たちの責任ではございますが、正妃様もゆめゆめ身辺の警護を怠ること無きよう……」


それを聞いた示詩の足は、くるりと鉄扉の方へ戻された。


「そなた達、では、この度のことで終わる気はないと、そう言うのですね」

「当り前よ、大国で生きてきた根性を見せつけてやるわ!」

「歳火の貴族として生きていくというのが、どれほど難しいことか……これほどのことで証立てできませぬゆえ」


二人の覚悟をようやく耳にした示詩は、さっきまで氷よりも冷たい表情を浮かべていたのが嘘のように破顔すると、桃衣に鉄扉を開けるように指示した。

そして、決定事項であるかのように、強く断言する。


「分かりましたわ。それではそなた達の覚悟、その身柄とともに、この示詩が預かりましてよ!」


おそらく唖然とした顔で固まっているだろう火乃と臙脂を想像して、唯一この展開を想像していた桃衣だけが、安心したように笑みを零していた。


(やっぱり私なんかが出る幕などなかったわ。正妃様が、ここに来ると仰ったのですから)





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