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うきぐもがたり  作者: towa
第五章 花園は秘密の香り
19/25

其の四 秘密の庭園




次々と襲いかかる衝撃の事実が飲み込めず、示詩は座龍の瞳に映る赤い自分の顔を見つめていた。

現実逃避とも言えたが、それよりも先に気付いたことがあった。


―――陛下の双眸は、こんな色だったろうか。


まるで、天幕の中で見た座龍の竜「天轟」の瞳を思わせるような、業火のように燃え盛るその色は、確かにその強さを見せつけていたはずだ。

見る者全てを圧倒させる、獰猛なまでの赤。

決して何者にも消すことの叶わぬ火。


―――きっと逆光を背負っていらっしゃるからよ。そうよ。


覗いた先にあるのは、業火とはとても言い難い、悄然としたともしびだけで、示詩はますます座龍から目を離すことができなくなる。

面白がるような、それとも思いっきり突き放す様な瞳の表情とは別に、国王の瞳には寂寞とした重苦しい赤がべっとりと張りついているだけなのだ。


(このような色を、私はどこかで見たことがある。なんだったかしら……?)


そうして、果たしてこれが本当にあの浮薄で不誠実な座龍といえるのだろうかと、少々不安にもなる。

まるで知らない人を目の当たりにしているかのようで。


「陛下……」


確かめようと声を掛けた時、顎先に触れていた太い指の感触を意識して、はっとした。

節くれだってざらざらでゴツゴツしていて、武人の手そのものなのに、示詩に触れるその仕種はあまりに柔い。

不思議に思って視線を座龍の顔へ戻すと、やはり、どこかで見覚えのある様な、鈍い光を灯す赤が見下ろしている。

そこで示詩は、まさかと思いながらも、思わず口にしていた。


「陛下、よもや何か、悲しいことでもございまして?」


すると、思いもかけないことを聞いたという表情になった座龍が、暗い灯を打ち消すほど親しげな笑みを浮かべたため、示詩の胸はふいに早鐘を打った。

この王は時々、示詩にとってとても心臓に悪い。


「……いいや。だがそう見えたなら、俺はこれでも、あんたをけっこう気に入ってんだってことを、知っておいてくれ」

「え?」

「とにかく囮になんかしちゃいなかったってことさ。陽炎はあんたを守るためだけに在る」


示詩の疑問をさらりとかわして、執拗なまでに座龍が繰り返した。

少々拍子抜けした示詩だが、そうされたことでどぎまぎしていた示詩の頭は急にすっきりと晴れ渡って、今しがたの事態を整理し始めた。


(囮……そういえば、私はなにか途轍もなく重大なことを聞き逃していやしないかしら?)


色々と衝撃的な事実を拭きこまれて混乱していたが、そういえば座龍は、示詩にとって到底聞き捨てならないようなことをいくつも吐き出していたのだ。


『実はここからが本題なんだが、その伝説でしか登場しなかった月読の巫女ってのを、お隣の濡羽ぬればが見つけちまったらしくてな』


いや、それはいいのだ。

世界的に見ればまったく良くはないが、今現在の示詩の立場に照らし合わせれば、そのように規模の違う話を自分の身に置き換えて考える様な真似が出来るはずもない。

それより、問題はその後で露見した話の方だった。


『俺の提案で、あんたの親父は他国に中立の意志を表明してる。俺は俺で、あんたを嫁にもらったことを他国に伏せている』


(そう、そうです、コレですわ!衝撃が尾を引いてなんとなく聞き流してしまったけれど、私にとって重要なのはこの聞き捨てならない事実の方です!)


これについては、どうあっても今聞きださねばならない、そう思って視線を戻せば、いつのまにか座龍は逞しい背中を向けて出入り口へと歩き出しているではないか。

もちろん示詩は、猛然とこれを追った。


「陛下!お待ちくださいませ!それでは……私を囮にしたのではないと仰るのであれば、どうして私と婚姻を結んだことを他国に伏せておいでなのですか!?」


勢いよく問い詰めてきた示詩に、座龍はいつものへらりとした態度でのらりくらりとかわす。


「だから言ったろう?情勢が悪化しているからだって。大事な妃をおいそれと危険に晒すわけにゃあいかねぇさ」

「私によく考えろと仰られたその口で、陛下は嘘をおつきになるのですね。表面だけの薄っぺらな答えなど、もううんざりですわ!宙に浮いた様な立場で、どうして他国でなど生きてゆけましょう!まして母になるなど、とても耐えられるものではありません!」

「はは、じゃあ諦めるのかい?『あの夜の勝負』を、姫さんは不戦敗とするわけだ」

「!お、覚えてらっしゃいましたの!?それなのに、およそ二月もお渡りにならず……不戦敗は果たしてどちらでしょうか!?」

「俺のガキを産むかどうかはともかく、竜脊の方はいい具合に手懐けていたようじゃねぇか。うまくすりゃ、国母くらいにゃなれると思うぜ?まあ、あんたが母になるにしろならないにしろ、その『宙に浮いた立場』ってヤツからは降りられない。俺の正妃を続けてもらうことになるだろうが」


それを聞いた示詩は、堪忍袋の緒をとうとう切った。


「な、なんという情容赦の無いお言葉……やはり、あの噂は本当でしたのね!?勝負など、よくもまあ言ったものです、本当は私など歯牙にもかけておられぬというのに!……外に寵姫でも囲っていらっしゃるのでしょう!?私を正妃として据えておきながら、その実、嫡子はご自分の愛する女子に産ませるおつもりなのでございましょう!だからお子を作りたくないのだわ!そうはっきり仰って下されば良いのに、陛下は卑怯です!!武王など名ばかりの、卑怯者の王ですわ!!」


示詩は、これほど激昂したのは幾久しいと冷静に考えながら声を荒げていた。

自分でも何故このように怒りが突き上げてくるのか、よく分からずにいた。

そして、そのよく分からぬ怒りを向けられた相手もまた、示詩にとってよく分からぬ笑みを浮かべ、余裕のある様子でゆっくりとこう返すだけだった。


「そう、その通り、俺ぁ卑怯なんだよ、姫さん。あんたが俺をどう思おうと構わんが、とにかくこれからは自分の命をもう少し慮って行動してくれ。俺から言えるのはそれだけだ」


無情の余韻を残して、緋の羽織を翻す背中が遠ざかっていくのを、示詩は茫然と見送った。


―――否定すらして下さらないのだわ。


そうして、糸の切れた操り人形のように、その場に昏倒した。








ここ数日何者かからつけ狙われていたことへの心労に加え、とどめの一撃とも言える出来事を受けて、示詩の体は限界に達していた。

昏倒した示詩はすぐさま自室へ運ばれ、桃衣による必死の手厚い看病によって意識を取り戻した。


「せ、正妃様!?お目ざめになられましたか!?」

「ん……、桃衣?」


桃衣の、大きな濃紅の瞳に映る自分を見つけ、示詩は目覚めた。

首を動かせば、今では見慣れた緋竜城の自室であることが分かり、自然と自分がどういう状況に陥ったかを悟った。

額に何か濡れた感触があるので腕を動かそうとしたら、あまりに億劫で驚く。よほどの体力を、さきほどのやり取りで奪われたようだった。


「桃衣、私はどうやら倒れてしまったようですわね」


額にあてられた白布を取って起き上がると、桃衣は目を潤ませて喜びをあらわにした。


「正妃様、ようございました、覚えていらっしゃるのですね!?い、いいえ、ちっとも良くはないのですが、けれど、ご無事な様子で安心いたしました。…本当に、肝心な時にお傍に侍ることかなわず、誠に申し訳ございませんでした。この桃衣、一生の不覚でございます」


まるで命を持って詫びるとでも言い出しそうな大仰さで桃衣が頭を下げるので、示詩はなんとか手を払う仕種を見せることで大したことではないと伝える。


「確かに命は危ぶまれましたけれど、これしきのことで倒れているようでは私もまだまだですわ。問題は命を狙われたことではありません。火乃と臙脂のことについては、確かに残念でしたけれど、私も愚かだったのです。改革など生半可なことでは成し遂げられぬなどとそなたに最もらしく告げておきながら、その実一番無防備だったのはこの私です。あのような手紙一つで惑わされるなど……」

「正妃様、そのようなこと……正妃様は何一つ悪くはありません!私が、もっと周りに気を配っていれば、このようなことには……っ。あの手紙を、本物だなどと、よく確かめもせずに安請け合いをし、正妃様を危機に陥れたのは私のせいなのです。火乃様と臙脂様のことにしても、黄詠様の覚えめでたきことや沃賀様の縁者であることを視野に入れるべきだったのです!全ては私の責でございます!」


桃衣の気まじめな性格や状況などもあいまって、彼女は必要以上に己を責め立てていた。

それでも主の手前涙は流すまいと必死に堪えている様子がなお一層憐れみを呼んで痛々しい。

かける言葉が見つからず、示詩はどうにかこの誠実な侍女を宥める言葉がないかと探し始めた。

ところが、ちょうどその時小さな侵入者がやってきて、いい具合に場を乱した。


「母上、おられるか」


見舞の名目で来た賑やかしの竜脊だ。


「竜脊様、今は少し取り込み中でしてよ。後になさって下さいまし」


窘めるように言っても、竜脊は返事も聞かずに扉を開けて入って来たようで、すぐに寝室の方へひょっこりと顔を出してきた。


「命を狙われ、倒れられたと聞いて見舞に参りました。緋竜城は、母上が火乃と臙脂に謀られ、その上他国の間者に襲われたとの噂で、上を下への大騒ぎですよ」

「竜脊様、なぜ、そのように少し嬉しそうなのです」


不謹慎なことに、竜脊は少し気分が浮足立っているようで、示詩に話しかけてくるその声はいつもより上ずっていた。


「退屈な緋竜城にいちいち波風を……いや、母上の活躍ぶりに、俺も血が湧きました」

「私は竜脊様の血を湧かせるために襲われたのではありません!なんと不謹慎な!そもそも、あなたの父君が一番の問題なのです!私が狙われる立場にあることを知っておきながら、陽炎に様子を探らせ、敵を泳がせておいたのですよ?そして、待っていましたとばかりに濡羽国の間者らしき者、そして黄詠殿の差し向けた火乃と臙脂の身柄を拘束した。そうして命を狙われた私にいたわりの言葉もなく放ったのが『目立つ行動を控えろ』。とても我慢なりませんわ!どうにかして一矢報いねば、この怒りは収まりようもありません!!」


竜脊に説明している内にいつのまにか座龍への文句になっていることに気付かぬ示詩は、収まりきらぬ怒りが戻らぬ体力を一気に回復させるのを感じていた。

そう、命を狙われたこと、己の立場が曖昧であると知った衝撃よりも、座龍の不誠実に過ぎる言動への怒りが強く体を占拠していて、悲しんでいる暇などなかったのだ。


「お元気な様子で安堵しました。この度ばかりは、さすがに俺も息子として父上の所業は腹に据えかねます。よって、母上に有利な情報をお渡ししようと思うのですが」

「私に有利な情報、ですって?」

「はい。母上は父上の弱みを探していたと聞いたが」


どこから漏れ出たのか知らないが、座龍の身辺を聞き回っていたことはすでに竜背の知る所だったらしい。

思えば、竜脊こそ一番の情報源だったのではないかと今更になって気付いた示詩は、固唾を飲んで7歳の少年の話の続きを促した。


「それは本当に、私にとって有利な話なのですか、竜脊様」

「母上ばかりが謀られる立場に、俺も憐れみを覚えました。優位に立てるとすれば、父上の泣き所を知ることだと思う……例えば、『中庭』を調べるとか」

「中庭?」


中庭、と言う言葉に反応したのは、示詩だけではなかった。

それまで黙って後ろに下がっていた桃衣が、はっとした様子で座龍の顔をまじまじと見つめていた。


「桃衣、そなた、何か知っていることがあるのですか?」

「りゅ、竜脊様、それは、まさか」


示詩の問いかけには答えずに、動揺した桃衣は、幼くも飄々とした父譲りの涼しげな容貌を見下ろすばかりだ。


「桃衣、お前も分かっているだろう?このままでは母上は、父上の思うがままだ。俺は母上にもう少しこの城で励んでほしいと思っている。その為には、少しは父上に灸をすえてやるべきだとも。母上も、やられたままでいるのは嫌ではないのですか」

「もちろんです。あの、陛下の飄々としたニヤケ顔を崩してやれるというのであれば、危険も辞さない覚悟ですわ」


もはや『夜の勝負』の趣旨すら変わってきていることには、示詩は目をつぶった。この際、座龍の鼻を明かしてやれるのであれば、どんなことでも構わないという思いだった。

それだけ、今回のことで座龍に抱いた怒りと不信は強かった。


「それでは、もし父上に責められるようなことがあれば、この竜脊も責を負う」


とても幼い子供のするような表情とは思えぬ、不敵な笑みを見せて、竜脊はそう請け負った。

何かを言いかけてやめた桃衣も、追従するように覚悟を決めた堅い表情で頷く。

こうして、病み上がりのまま示詩は中庭を目指すことになった。









「ここが、中庭への入口ですの?」


そこは、緋竜城の三階の奥。

やたらとでかい鉄扉が目立つ部屋は、確かついこの前桃衣によって止められた、王自らが入室を禁じている場所ではなかったか。

何かあった時の為に桃衣を部屋に残し、案内役を買って出た竜脊と二人連れだって示詩は問題の「中庭」に通ずる場所に立っていた。


「いつもは鍵がかかっているが、父上の部屋からぶんどってきた合い鍵がある。今は衛兵が替わる時だから、入るのも容易い」

「まるで賊のようですわね、竜脊様」


あまりの守備の良さに舌を巻いた示詩は、よもや普段から竜脊はこうして座龍の目を盗んで入りこんでいるのではと勘繰った。

しかしまごついている時間はない、そそくさと鍵を開け、ギイイと重苦しい音を立てる鉄扉の隙間を素早く通り抜けて『中庭』を目指す。

長い回廊を渡っていると、前方からさっそく草花の青い匂いが漂って来て、樹木が近くにあることを知らせた。

長い蔦を絡ませる木造の支柱で支えられた門をくぐった時には、鬱蒼とした、お世辞にも整っているとは言い難い庭園が目の前に広がっていた。


「こ、ここが中庭ですの?」


思っていたより天井が広く、ぽっかりと開いた口からは陽光が燦々と注がれている。

手入れをされている気配の微塵もない植物群は皆奔放に右へ左へ枝葉を伸ばし、遊歩道をこれでもかと遮っていた。


「道を外れて、真っすぐ歩いていくといい。そこに、父上の弱味が隠されている」


静かに告げられた竜脊の言葉に従い、示詩は道を辿らずに、生い茂る草花を踏みしめて中庭の奥へと進んでいった。

竜脊の追ってくる気配はなく、一人でただひたすら樹木の隙間を分け入っていくと、段々と空間が開けてきて、その中心にぽつんと何かの石碑のようなものがあることに気付いた。


(これは……)


近づいていくと、石碑というよりも、もっとそれにふさわしい言葉が浮かんできた。


(もしや、お墓?)


割と新しい、綺麗な石であった。

風賀、と名前が刻まれている。


(男の方、かしら)


賀、という文字は、歳火で男子に好まれてつけられるものだった。


―――もしかしてこれは、陛下のもう一人のお子の墓標ではないか。


そういうことであれば、怒りに目がくらんでいた示詩の中にも浅い同情が湧いてくる。子を亡くしたことで示詩との間に子を設けることを拒んでいるというのなら、たとえ一握りでもあの王の中に人情が存在することを信じられると思ったからだ。

しかし、その一握りの信頼もすぐさま蹴散らすほどの軽薄な声が響いた。


「部屋で寝てると思ったら、こんな所でお散歩とはな、姫さん」

「!!」


驚いて振り返ると、赤い衣を羽織った座龍が、表情の無い顔で立っている。

その表情の中に、あのべっとりと重苦しい赤を見つけて、示詩は茫然とした。

そして、その赤をどこで見たのか、唐突に思い出していた。


「見舞の必要はなかったってわけだ」


―――焼け跡だ。


昔、一度だけ見たことのある、焼け野原の跡の残り火に似ているのだと、示詩は思った。


もう燃やす物など何もない、消えるのを待つばかりの炎に。











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