其の三 黄詠(こえい)
其の三
「まあ、お美しさにかけては、確かに秀でておられるわよね」
「そ~お?なんだか少し、若々しさに欠けていらっしゃらない?」
「それにあの癇の強さといったら……不慣れな土地で戸惑っていらっしゃるのかもしれないけれど、それにしたってやはり気位の高さには目を見張るわ」
「そうそう、この前だって、私が髪結いの飾りが足りないとお教えしたら、物凄く険しい目つきで『そのような指摘は必要ありませんわ』ですって!田舎の小国の姫が、何様よね~って話でしょう」
「ええ?本当にそんなこと仰っておられたの!?」
「信じられないわ~!」
「私も絶対ついていけなさそう」
緋竜城の侍女たちが集う休憩所では、ここのところ、新しく入城した他国の姫のことで持ちきりだった。
そして大半が悪い面についての話題である。
「それに、ほら、なんだか少し、特例過ぎやしないかしら」
「どういうこと?」
「実は私もそう思っていたのよ、だって、入城前に突然陛下から『正妃』様と呼ぶように、との勅命が下ったのよ?」
「そういえばそうよね…これまで正妃としてお迎えした方は皆『王妃様』とお呼びしてきたのに、形式ばったことがお嫌いなお方にしては、なんだか違和感があるわ…」
「それに、知ってる?ある高官から聞いた話なんだけど、実はこの度のご婚姻、国中に知らされていないって話」
「ええ!?そんなの初耳よ!」
「それなのに、城の中ではご婚姻についての緘口令のかの字も聞かないのよ?他国の間諜が紛れているかもしれないこの時期に、あまりにもお粗末に過ぎるじゃない?」
「なんだか、竜脊様がお生まれになった時と同じような…」
「それよりもひどいわよ。正妃様の侍女を御覧なさいな。あんなどこの馬の骨とも知れないような田舎娘、いくら学が立ってそつがないといっても、到底王妃付きの侍女としては考えられないわ」
「私がそのお役につかなくて良かったって、この時ほど思ったことはないわ…」
「なんにしろ、陛下のご命令がない限り、私たちはあの『正妃様』に近づかなくてもいいというのだから、不幸中の幸いよね」
「本当、なるべく関わり合いにならないようにしなくっちゃ」
緋竜城に入ってからの示詩の毎日は、いかにも退屈なものだった。
まず、或る程度の自由は許されているものの、示詩が行動できる範囲というのが余りにも少ない。
国の機密に触れるのかなんなのか知らないが、やれあそこには入るな、やれここから出るなと、桃衣が教えてくれる大半の情報が立ち入り禁止区域についてのことである。
「ここは?ここもダメなんですの?」
「は、はい、正妃様。大変申し訳ございませんが、ここは陛下自らが禁止令を出していらっしゃる場所になりまして…」
そこは、緋竜城の三階の奥、やたらとでかい扉の部屋だった。
座龍自ら、というのが引っかかって、しばしその扉を見つめた示詩は、しかし、入れないと言うのなら用はないとばかりに即座に踵を返した。
「桃衣」
「はい、なんでございましょう、正妃様」
「私がこの国の方達、ひいては、国王陛下にすら歓迎されていないということは、よおーっっく分かりましたわ」
「そんな、正妃様、そんなことは決してっ…」
「おためごかしはけっこうです。何も、そなたに愚痴を言いたくてこのようなことを申しているのではありません、単なる事実なのですから。それならそれで、こちらにも考えがあるということですわ」
「それは、どういうことでしょうか?」
示詩は、忙しく動かしていた足をピタリと止めて、後ろから追ってくる桃衣にくるっと振り返った。
「私に、陛下の弱点を教えなさい。なんでも良いのです。何か、あの陛下を籠絡する手立てはありませんこと?」
「せ、正妃さま……」
示詩とて、自分の立場がどういったものなのか、嫁いできてひと月近く経つ今となっては、分からざるを得ない。
司書で知った歳火国の歴史書と、自分の境遇とでは、あまりにも待遇が違い過ぎるということや、そもそもこの国の体質自体が、他国に知らされているものとは違っているということ。
(筋肉バカの学無しなんて、誰が言い出しましたの?)
濡羽や邪九馬の編纂した歳火国見聞録や拾遺異録には、最初から最後まで、歳火の野蛮な国民性や知性の見当たらない文化面への難癖くらいしか記されてはいなかった。
特に竜を使った戦術に関しての資料は多く、歳火国の本といえば大半がその話題で紐を閉じることになる。
それを真に受けて嫁いできた示詩は当然、この国の真実もそれと違わないものと思ってきたが、見るもの聞くもの、何もかもがどの資料とも全く異なっていた。
(さすが、四竜連合国一の強国と名高い軍事国家ですわ。秘匿性も群を抜いているようですわね)
七年前までは、その名を欲しいままにしていた強国の軍事国家というのは、歳火と双璧をなしていた業碧の印象の方が強かった。
長年の腐敗政治と専制政体によって弱体化していた歳火は、軍事国家とは名ばかりの弱小国になり下がろうとしていた。
そこへ待ったを入れたのが現王である座龍だったというわけだ。
考えれば考えるほど、示詩は己がどのような敵を相手にして国を乗っ取ろうと画策していたのか、改めて思い知らされ打ちのめされる気分だった。
(本来の私であれば、人に頼るなど、矜持が許しませんが……)
もはや手段を選んではいられない。
まずは、たった一人かもしれない味方から情報を仕入れないことには、示詩一人で出来ることなど、この国ではたかが知れているのだから。
「正妃様、陛下の弱みなど、恐れ多いことでごさいます。それに、……。浅薄な私などの出過ぎた言い分と笑ってくださっても構いません、ですが、正妃様はきっと、その身お一つで十分陛下を魅了されるはずです。だって、私、正妃様のようにお美しい方を、今まで一度だって見たことはなかったのですから」
少々色白の頬を薄く赤らめた桃衣は、心底から示詩を褒めあげているようだった。
そこまで素直な賛辞を手放しで受けたのが久しかった示詩は、途端に居心地が悪くなって早歩きを再開した。
「本当に、何の足しにもならない助言ですこと。私はそなたがどう思うかではなく、陛下に対して有効な手段が何なのかを聞いているのですよ?」
「ですから、正妃様であれば、企てなど必要なく陛下を…」
「ですから!そなたの綺麗事では何の役にも立たないというのです!希望ではなく、今必要なのは事実なのです。私はこの国に関しては赤子より知識がないのですから、そなただけが頼りなのですよ。私づきの侍女として、もっと有益な情報を渡してもらわなければ困るのです」
示詩はきっぱりと言い切った。
いつの間にか自室についており、それに気がついた示詩ははっとして桃衣に向き直った。
真綿で包むということを知らない、刃物のような示詩の直球の言葉を、桃衣がどう受け取ったのかようやく気にし出した。
(ま、まずいですわ、この者に裏切られでもしたら、本当に孤立無援に…)
本来であれば自分の言葉を翻さない性分の示詩も、さすがに何もかもが自国と勝手の違う場所ではやり方を変えざるを得ないと反省し、態度を軟化させようと試みる。
「で、ですから、私が言いたいことはですね、」
顔を俯けていた桃衣は、しかし、勢いよく顔を上げたかと思うと示詩の言葉を遮って興奮気味に語った。
「申し訳ありません、正妃様!私が間違っておりました!たった一人、遠い異国から嫁いでこられたお寂しい身の上を考えもせず、本当に役立たずの発言ばかり…。私、心を入れ替えます!一層、励みますね!」
「え、ええ。そなたがその意気なら、嬉しくてよ…」
「そんな、身に余るお言葉です、正妃様」
桃衣の力の入り具合にやや気圧されながら、イマイチ反応が普通と違う所には戸惑うがなるほど信頼には値するかもしれないと、示詩は側付きの侍女の頼もしさに胸を撫で下ろした。
とりわけ、示詩のきつい言葉にへこたれない性格にはかなり見所がある。
(単なる馬鹿というわけでもなさそうですし)
示詩はにこにこ笑う桃衣の笑顔に苦笑いを返すと、そっと部屋に滑り込んだ。
唯一の味方が桃衣であったことが、示詩にとっての不幸中の幸いかも知れなかった。
かくして、示詩は桃衣が仕入れてきた情報をもとに、座龍籠絡計画を進めることになった。
聞けば、中には耳を塞ぎたくなるような艶聞も混じっていたが、何しろ王宮には面白おかしく流れる醜聞が多すぎるので、すべてを額面通りに受け取っている暇はない。
そんなわけで、情報源の信頼性と、桃衣が知る限りの確かな情報を合わせたところだけを取り上げて繋ぎ合わせていくことにした。
だがその確かなところを聞く過程で、いくつか不穏な情報を仕入れる結果にもなった。
「陛下が、遊郭に通っていらっしゃる……ですって!?」
「まことしやかに囁かれている噂でございます……」
粛々と述べた桃衣の顔は、幾分青ざめていた。
そのような情報を、よりによって陛下の正妃である女主人に渡さなければならないことが辛いらしい。
(嫁いでからこちら、それも、あの屈辱的な約定を交わしてから、一向にお渡りにならなかったのは、そういった事情の為でしたの!?)
ざっと血の気が引いた示詩は、夫が卑怯な手段で攻勢に出たことを知って猛烈な怒りを覚え始めた。
―――なるほど、確かにあちこちで精を出していらっしゃれば、好いてもいない小国の姫になど目もくれないというわけですのね
こうなっては示詩には太刀打ちできない。
新婚間もない夫が艶聞を振りまくほどどうどうと浮気をしていては、立場の弱い異国の正妃などはどこにも立つ瀬が無くなってしまう。
―――私は、見誤っていたようですわ
言動も考えもだいぶ変わっているし、いかな偉丈夫とはいえあまりに王として型破りな座龍。
だが、その心意気や度量には目を見張るものがあり、示詩にとって彼は初めて己に完敗を自覚させた相手だった。
世の中には、このような王族の男もいるのだな、と目を見張っていた。
だが、やはり男は男なのだと、今の情報を知って失望せざるをえなかった。
(男など……。どれほど美貌を称えようと、結局は他の女に寵を捧げるのだわ。特に王族にとっては代えのきく見栄えのいい慰み者でしかない。……母・恋春のように)
齢三十半ばという若さで短い生涯を終えた示詩の母・恋春は、遊女上がりの貧しい生い立ちだった。
傾国と呼ばれるほどの美貌を持ってして赤社国王の側室になったはいいが、いざ入城してみると教養や学の無さを周りからねちねちと責められるうっ屈とした日々が待っていた。
それでも国王の寵愛を一身に受けていた時はまだ良かった。
国王が茶示を正室として迎え入れてからは、恋春のあまりの嫉妬に国王からも煙たがられ、とうとう離宮へと追いやられてしまう。
絶望に暮れる母を世話するためやがて示詩も離宮へ移ったが、母の様にはなりたくないとよく思ったものだ。
男にすがり、男のためだけに生き、身捨てられれば悲嘆に暮れるしかないという、川面の葉のように流され続ける人生。
それだけでなく、恋春は離宮に移り住んでから、見境なく男を閨に迎え入れていた。
まるで、頼りにしていた美貌で己を慰めるかのように……
―――私は、絶対にああはならない
母、恋春の二の足を踏まぬよう、学問にも励んだし、城の雑事だってこなした。
時には庶民と一緒になって畑仕事の真似ごともしたし、子供たちの遊び相手になったこともある。
傾きそうになった城の財政を立て直すことにも成功したし、やってやれないことはないと自分の力で体現して来た。
その結果城の者達にはやっかみや恨みを買うこともあったが、結局は示詩が一番有能だったので何も問題はなかった。
そのまま園恋宮で一生を過ごしても悪くはなかったが、赤社にいる限り、示詩の本当の望みは果たされないと思った。
―――私は、私の力でのみのし上がって生きてみせますわ、母上
赤社にいたのでは、駄目なのだ。
いつからか漠然とそう思うようになっていた。
いつまでも母・恋春の醜聞と根も葉もない示詩の噂がつきまとうので、ささいなことで諍いやすれ違いが生じて上手くいかなくなってしまうことが多かった。
そして、伴侶とするのは、愚かな男でも頭がキレ過ぎる男でも駄目だ。
示詩の望みとする、『一番に位の高い、見目好く優しく逞しい』男でなければ、そういう男を手玉に取れる己でなければ、きっといつか、母のように……
「失礼いたします、正妃様。少しお話したいことがございまして参りました。侍女頭の黄詠ともうします」
思考深くに意識を飛ばしていた示詩は、いつの間にか自室に誰かが訪れていることに気がついて、慌てていつも通りの態度を取りつくろった。
桃衣が心配そうに窺っているのを見て見ぬふりでやり過ごし、訪れた客人に「よろしい。入りなさい」と告げる。
すると、重厚な鋼の扉をギィと慣らして、一人の女性が中へ入って来た。
「黄詠、と申しましたかしら?私が入城してからこちら、一向に窺いにも来なかった侍女頭が、今頃何用だというのです」
示詩がこれほどケンカ腰になるのも無理はない。
何しろ、侍女頭を筆頭に、侍従頭、以下侍女、侍従共々、ことごとく示詩の部屋を無視し続けてきた。
何くれとなく働いてくれるのは桃衣か、桃衣と親しい数人の侍女くらいで、あとは示詩自らが世話を焼くことすらしばしばあったほどだ。
桃衣がいなければ、示詩は緋竜城に着て早々、誰かに足元を掬われていたかもしれない。
―――もしかしたら、今が掬われている最中なのかもしれないけれど……
杞憂を断ち切り、示詩は改めて見慣れぬ侍女頭の顔を眺めた。
長い黒髪をひっつめて飾り玉で後ろに結っている髪型は、歳火の貴族の女性達に共通するものである。
黄詠は、一見ぱっとしない面立ちでありながら、険のある目つきの奥に得体の知れない輝きがあり、油断できない人物という印象を示詩に与えた。
「それは、大変無礼なことを致しました、正妃様。何しろ正妃様のような輿入れの例は歳火の歴史でも類を見ず、こちらとしましても準備を整えることが難しかったもので……」
「婚姻の申し入れは歳火が先だったはず。そのように見え透いた言い訳を聞かされるとは思いもしませんでしたわ」
「滅相もございませぬ、正妃様。そこにいる桃衣ですら、過去に前例のない、異例の取り立てで王妃付きの侍女になったのです。優秀さや家柄ばかりで、どこぞの田舎の娘が得られるような肩書きではないことはこの城の者なら誰でも知っていることでございますゆえ」
「ええ、そうでしょうとも。けれど、私の不遇がそのこととどう関係があるのか、私はそれを不思議に思っているのですけれど」
「それは私どもにもとんと見当のつかないことでございます。何しろ、正妃様のなさり様に、私どもは戸惑いを大きくする一方でして……」
「私のなすこと?」
思い当たる節がないのか、示詩は黄詠の言い分に多大な疑問符を浮かべた顔を見せる。
示詩にとってそれは油断ではなく、意図して浮かべた表情でもあった。
私に非があるなど滅相もない、という意志の裏返しだ。
「正妃様が我が侍女達に強いた『特例』のことでございます」
「特例……ああ、そのことで今日は珍しく顔を見せに来たというのですね」
示詩はそこで、ようやく納得がいったと大仰に相槌を打ってみせた。
その仕種が癇に障ったのか、黄詠は鉄面皮のようだった堅い表情を、僅かに動かした。
「ええ、正妃様。顔をお出しして真意をお聞かせ願えれば、と思い至りまして」
横でやり取りを聞いている桃衣はハラハラと二人を見守るばかりで、とても割って入れるような雰囲気ではない。
「一体、何故侍女達に無駄な節制を強いたのか、正妃様にどのようなお考えがあってのことなのか、お伺いしても構いませぬでしょうか?」
黄詠は今までより更に強張った口調ではっきりと告げた。
示詩が逃げることを許さないとでも言うかの様に、ぎらりと目の光を強くさせる。
対する示詩は、それに負けぬ瞳の強さで持って、こう言い渡した。
「では話しますが、そなた達が節制を無駄だと思いこんでいる、その思いこみこそがもっとも『無駄』だからです。……これでよろしくて?」
「な、なにを根拠に、そのような……」
黄詠は、示詩がきっぱりと言い切った余りにも直截な言葉に唖然とし、それから段々とその呆けた顔を怒りへと変化させていった。
それを見届ける示詩は、毅然とした態度をぴくりとも動かさず、相手を見据えるだけだ。
そして、畳みかけるように一言こう言い放った。
「この歳火という国は、城の者達も含め、あまりに金遣いが荒過ぎます」
客の訪れることの少ない、静寂を常とする示詩の部屋は今、黄詠という嵐の種を迎え入れたことで息苦しいまでの緊張で包まれている。
これが、示詩と黄詠がその後長きにわたって繰り広げる熾烈な争いの幕開けになろうとは、今はまだ誰も予期してはいなかった。