其の一 夜の勝負
ところで。
示詩の故郷である赤社、そして嫁ぎ先であり、夫・座龍の祖国である歳火を含む「四竜連合国」は、竜神教を掲げる邪九馬国を宗主国とした歳火、濡羽、業碧、灰露、赤社の六カ国から成っている。
世界で最も広がりを見せる竜神教の租を自負する邪九馬国の皇帝は、世界を創世した神の子孫であり、宗教的権威を持つため、他五カ国は事実上の従属国であるとされる。
だが、その中でも、それぞれ国家の権力には明確な差があった。
四竜連合国の由来は、竜神教の正典によって預言される「終末思想」を元にした、四つの宝玉を管理する権利のある国の連なり、という意味から来ている。
そもそも、竜神教派の国々では『終末伝説』というのが常識に近いほど民間に浸透しており、老若男女知らぬ者なしの言い伝えとなっている。
―――世界が終末に近づく頃、陽読の巫女、月読の巫女が現れ、石読の御子の手を取りて、四つの石を携える。さすれば、世界に平和がもたらされん……
竜神教はどの国も巫女によって神事が執り行われ、力を持つ巫女は筆頭巫女としてあるいは王よりも手厚く待遇される場合がある。
それというのも、この『終末伝説』に登場する「陽読の巫女」「月読の巫女」が世界の救いの主として描かれる故であり、竜神教が世界に広がりを見せた所以といっても過言ではなかった。
そして、その『終末伝説』でもう一つ重要なのが「四つの石」というくだりだ。
この四つの石とは、竜神教が祀っている四匹の神竜がその手に収めていると言われるもので、雷竜が収める「黒晶」、炎竜が収める「緋晶」、嵐竜が収める「白晶」、氷竜が収める「藍晶」から成る。
四竜連合国に属する国々は、この四つの石を賜ることで邪九馬に次ぐ宗教的権威を得ることが出来、また宗主国である邪九馬の信頼をも同時に得られるのだ。
とどのつまり、四竜連合国における国家間の優劣差というのは、この「竜宝玉」と呼ばれる石を持っているか否か、ということに他ならない。
現在竜宝玉を所有しているのは邪九馬、業碧、歳火、灰露であり、表面上、他二国はこの四カ国より劣るということになる。
それを巡って、邪九馬を除いた四竜連合国間では、今日まで幾多の熾烈な争いが繰り広げられてきた。その結果四つの石は様々な国を行き来し、力を見せつける道具と化している。
畢竟、長く石を保有し続ける国は自然と国力が勝っているということになる。
歳火国は、歳火国史が編纂された時代から今日まで一度も「緋晶」を手放したことがない国として有名だった。
そして業碧も同じく国の興りから「藍晶」を手放したことがないとされる。
その二国が互いの優劣に決着をつけるためしのぎを削ったのは、まだほんの七年前のことであり、そしてその戦いを終わらせたのが、何を隠そう、示詩の夫となった第二十一代めの歳火国王、座龍だった。
だが、昨今、そんな風に竜宝玉の所有率によって権力を争っていた国々に、衝撃が走った。
なんと、歳火の隣国・濡羽が、「月読の巫女」を召喚したというのだ―――。
「納得、いきませんわ!!」
「そうくると思ったが、まったく予想に違わねぇ反応だな、お姫さん」
とっぷりと日の暮れた深更の夜。
緋竜城の最上階、広々とした国王の寝室では、新婚夫婦による不毛な争いが繰り広げられようとしていた。
「何故、何故私と臥所を共にすることを拒まれるのです!!昨夜も、一昨日も、その前も、その前の前の日もです!一体、私に何の不満があると仰せなのでしょうか!?」
喧々囂々と言い放つ示詩を前に、座龍は幾分うんざりとしながらも苦笑いを浮かべて、とりなす様に優しく語りかける。
「拒んでいるわけじゃねぇさ。ただちょっとした事情で、今子供を作っちまうとまずい事態になってだな…」
「さようでございましたか。では、どういった事情がおありで、どうまずい事態におなりなるのか、しかとお聞かせいただけますのね?」
「うっ、いや、それはだな……」
「陛下!?」
容赦のない示詩の勢いに、座龍は表面上たじろいでみせるものの、冷静な頭の中では様々な思考を巡らせていた。
さしあたって、鼻っ柱の強いお姫様を、どうやって静かにすべきか、を最優先に。
(だが、くいでがないわけじゃねぇ)
座龍は、むっとした顔つきで怒りを露わにする新妻の、そのつき出て尖った唇をしげしげと眺める。
赤く色づいて、ぷっくりと熟れていて、実にうまそうだ。
時々忘れそうになるが、この赤社から来た気の強いお姫様は、基本的には絶世の美女の要因を兼ね備えているのである。
しかし哀しいかな、本人の癇がとても強く、たおやかさに欠けるため、外見よりも内面が目立ってしまっていた。
その上、深窓のご令嬢だった為か、男女の機微にことさら疎く、男をものにする方法を完全にとり間違えているふしがある。
そのくせ妙に世慣れているため、姫らしくなく自立心が旺盛で、世辞や政局の動きに関しても驚くほど頭の回転が速く、理解力に富んでいた。
これでは、座龍にしてみれば、妻というよりも未熟な子供の参謀を手に入れた、という感覚に近い。
座龍の女の好みというのは、その真逆に位置する様な性技の熟達した大人の女なのだからして。
……平たく言うと、遊女小屋の遊び慣れた女で十分間に合っている、ということだ。
そして座龍には、遊び以外で女に入れ上げる予定など、今のところ微塵もない。
従って、正妃であることを理由に示詩を愛する道理も、座龍の中にはないといえる。
(…まぁ、それは抜きにしても)
女として愛することは難しいが、座龍はこの少々勢いの良過ぎる姫のことを思いのほか嫌ってはいないのだった。
何しろ、反応が普通の女と違って面白い。
一を言えば十を知るし、かと思えばちょっとした戯言にもすぐむきになる。
姫とは思えぬ言動をとったその次の瞬間には、いかにも姫らしい態度で凛とした言葉を放つ。
最初こそ田舎者の世間知らずと鼻白んでいたが、座龍の目にはなかなか骨のある好ましい人物に映った。
特に、座龍の騎竜である天轟を前に、泣き喚くどころか狭い天幕内でも一向に逃げ出すそぶりを見せなかったとの報告を聞いた時には、彼女が姫であることを惜しんだほどだ。
歳火が伝統とする騎竜乗りになるには、まず竜を怖がらないというのが大前提だ。
実は、この条件を乗り越えられずに騎竜兵入団試験に落ちる者は決して少なくはない。
いかに竜を身近に過ごす歳火国とはいえ、竜は平時であれば害獣に過ぎず、そして対峙できる者も限られている。
そのため、騎竜兵志願者には、竜と顔を合わせる前に具合が悪くなったり、逃げ出したり、動けなくなる者など決して珍しくはないのだ。
そこをいくと、もし示詩が騎竜兵志願者であれば、まず第一の関門は突破しているということになる。
並みの姫ではこうはいかないだろう。
いや、姫でなくとも、女であればよほどの度胸が備わっていない限り、すぐ泣き喚いて逃げ出すのが普通の反応といえる。
ともかく示詩という姫は、座龍の思惑から少しずつずれている人物なのだった。
最初はただの駒だとしか思っていなかったのにな、とひとりごちて、座龍はそろそろ待ちの姿勢が限界に達しそうな目の前の姫を見下ろす。
広い寝台で、美しい妻は薄絹をまとって香油の匂いを漂わせ、夫のごく間近に座している、というのに……
考えてみれば、こんな状況は座龍にとってもはじめてかもしれない。
ただ一人を除いて、彼にとって女とは、ただ性欲を満たすだけの存在でしかなかった。
寝台の据え膳のような女を目の前に手を出さない自分を不思議に思いながらも、座龍は思いついた提案を言い渡すべく口を開いた。
「まぁ、ここは一つ、整理をしてみようじゃねぇか」
「せ、整理?一体何のことをおっしゃっているのでしょう」
「俺たちの目的をはっきりさせようってのさ。まず、姫さんだ。あんた、一体この俺の妃となって、何を望むんだ?」
座龍の突然の言葉に、うまくはぐらかされたことにも気づかず、示詩はその小作りの整った顔をしかめさせる。
「私の、望み。それを聞いて、どうなさるというのです?」
「そりゃあ、俺たちの仲を良くしていくための方法を考えんのさ。お互い、譲歩できる所とできない所を、目的をはっきりさせた上で知っておけば、接しやすくなんだろ?夫婦ってぇのは、そういうちょっとした努力が円満に繋がるっていうからな」
「まあ…そうでしたの」
本当は今思いついたのだが、そんなことを馬鹿正直に教えるつもりはもちろんない。
「そうですわね、私は……」
「おう」
一体、その綺麗なお頭でどんな突飛なことを考えているのか、少し期待しながら、座龍は次の言葉を待った。
「私の望みは……この国の国母となり、歳火を立派な国へ導くことでございますわ」
「へぇ!こりゃ大きく出たもんだな」
「特に難しいこととは思っておりません。なにしろ、この私の望みには、陛下の協力が不可欠なものでございますゆえ」
「……ガキなら作らねぇぞ」
「いいえ、そうは参りませんわ!まず己の子を産み、この歳火で確固たる地位を築くことが私にとっての当面の課題となるのです!それには是非、陛下にご協力いただけませんことには……」
「わかった!とりあえず、姫さんの望みってぇのは、ようく分かった。次は俺の番だな」
放っておけば延々と続きそうな示詩の主張を遮って、座龍はその薄い両肩にポン、と手を置いた。
一瞬、びくっと震えた示詩だったが、負けず嫌いがそれを認めるのを良しとしなかったのか、彼女は逃げだすそぶりも見せずに顔を強張らせ、夫に相対する。
―――やはり、およそ蜜月の夫婦の寝台には程遠い。
「俺の望みも、大体あんたと同じだ。この国を良くする、これにつきらぁ。だが、ガキはもういらねぇ。何故か分かるか?」
「………いいえ」
示詩がゆっくりと首を横に振ったのを見てから、座龍はふっと遠い目つきをして言った。
「争いの『モト』なのさ、兄弟ってのはな。事実、俺の兄貴は全員俺を敵視してやがるし、
父親にいたっては命まで狙っていやがる。俺は、自分のガキにはそういう目に合わせたくはねぇのさ。……血が繋がってるってのに、それが殺しの理由にしかならねぇなんざ、悲しすぎる。そうは思わねぇかい?」
示詩はしばらく考え込んでいるようだった。視線をやや下に向けたまま、身じろぎもしない。
座龍には、竜脊以外の子供を作らない理由が他にもあったが、今言えるのはその程度のものだった。
そして、女子供に有効なのはこういったお涙頂戴の人道的な理由であることも、座龍は熟知していた。
だが、さすがといおうか、やはり示詩という姫は、座龍の思惑から少々ずれた人物だった。
予想の斜め上を行く答えが返ってきた。
「承知いたしました。では、生まれた子供は、私が赤社国の名にかけて、きっちりと教育いたしますわ。もちろん、竜脊様も、己の子と隔てなくお育てすることをお約束いたしましょう。これなら、陛下も安心して御子をおつくり頂けますでしょう?」
「…ふ~む、そうくるか」
座龍は完全に苦笑である。
普通は、正妃が子供を産むことを拒否されたら身投げしても良い様な状況であるはずが、やはりこの示詩という姫は、面白い。
座龍は、段々とこの姫の提案に乗りたくなってきた。
だが、そうそう悪乗りして楽しめるような内容ではないため、辛くも断念し、かわりに別の提案を用意することにした。
「なら、勝負でもしてみようかい?」
「し、勝負、ですの?」
示詩にとっては、座龍こそが己の予想の斜め上を行く答えの持ち主だったろう。
目をまん丸に見開いて驚愕しているのを隠しだてもせず、示詩は座龍の瞳をまじまじと見ていた。
その真っすぐで純粋な瞳に、ふと邪心が芽生えたものの、それを無視して座龍は言った。
「なに、簡単な勝負だ。あんたが俺をその気にさせりゃいいだけさ」
「は……はぁ」
「要領が分からねぇって顔だな。そんな顔を見せてるうちは、到底俺のガキを孕むなんざ無理だぜ。やめちまうこった」
「なっ……い、今は、あまりにも急な提案に、少々心の準備が間に合わなかっただけですわ!」
「そうかい、じゃあ、やるんだな?」
「も、もちろんですわ!」
威勢はいいが、座龍が見た所では、おそらく示詩は自分がどういうことを言ったのか分かっていないだろう。
いかにも処女らしい反応が何よりの証拠だといえる。
「そんならさっそくやってみな。そら、遠慮はいらねぇ。やってくんな」
「い、言われずとも、ま、参りますわ」
座龍は示詩の両肩を掴んでいた手を放して、少しだけ身を引いた。
すると、示詩はそれにも過剰な反応をして、体一つ分後ろにのけぞった。
笑い出したいのをこらえながらそれを見て、座龍は処女である妻のお手並みを拝見しようと、軽い気持ちで成り行きを見守っていた。
示詩は、すでにいっぱいいっぱいな体でありながらも、瞳に強い意志の炎を宿して、座龍に挑みかかってきた。
女で、深窓の姫で、その上未通女となれば、およそ性技で男をその気にさせるなど、容易ではない。
何も分からずに無理難題に挑戦しようとしている姫の必死さを余裕で見物していた座龍は、しかし、この後自分が窮地に立たされようなど夢にも思ってはいなかった。
示詩はどう攻めあぐねるか少し考えた末、突然、帯をほどいて薄絹を脱ぎ始めた。
(何!?)
座龍は度肝を抜かれた。
これほど驚いたことは幾久しい。
それほど衝撃の場面を目の当たりにしていた。
まさか、少々変わっているとはいえ、深窓の姫が、れっきとした由緒ある国の第一王女が、よもや自分から衣服を取り払うとは、少しも思いいたらなかった座龍である。
それも示詩は、見た所多分に自信たっぷりの、かなり高慢な性格であるはずだ。そういった女が、姫の自尊心をどぶに捨てるような真似をするとは、思いもよらなかった。
そして、同時に、よくわからない性欲がつきあげてきている自分にも、座龍は驚いていた。
薄絹を取り払って襦袢だけになった示詩の体は、細いながらも優美な線があらわになり、改めて彼女の美しさを再認識させられる。
処女だ、姫だと侮っていた己の判断を、座龍は早急に修正しなければならなかった。
この少女に対して、そんな要因は一つも影響を及ぼさない。
裸にさせてはいけない。
やはり、寝所を共にするわけにはいかない。
「いやー、だめだだめだ、やっぱそれっくらいじゃ、とてもじゃねぇがガキはやれねぇな」
「なっ、ま、まだ、私は何も……」
「悪いな、姫さん。今日は時間がねぇんだ。今ので今夜の勝負はついたことにしてくれ」
「へ、陛下!」
「また明日な。せいぜい頑張って色気づいてくれ」
座龍は薄絹をかき集めて纏う示詩を残して、さっさと寝所を出て行った。
重厚な黒塗りの扉を開いて、「卑怯ですわ!」と喚き立てる妃の言葉を背中に、階下への階段を下りはじめた。
(卑怯けっこう。…今の勝負は俺の負けだ、姫さん)
座龍は、そんな自分を嘲笑うように緩く首を振って、口角を上げた。
廊下の窓枠に切り取られた空の、高く上がった月を見て、思う。
やはりあの姫は、俺の思惑からずれていく。
はっ、と短く嗤うと、座龍はゆったりとした動作で歩きだし、暗い廊下の闇の中へと姿を消した。
そんな風に、歳火の若い国王夫妻の夜の勝負は、口火を切られた。
少し甘さを織り交ぜる努力をしてみましたが、まだまだ全然ですね。
精進します。