其の三 竜学士
竜舎から少し離れたところに、竜の生態について研究している者達の塔がある。
竜舎同様に、城からだいぶ離れた位置にあるので、皆馬車を使って訪れるとのことだった。
竜舎にはやはり女性が足を踏み入れることはないらしく、とても危険だということで、座龍から直々に止められた示詩と桃衣だった。
「それでは、なぜ竜脊様に私と共に参るように、などとおっしゃられたのですか」
座龍と緋仔についていく形で研究塔に足を踏み入れた示詩は、湧きあがる怒りを押さえながら言った。
そもそも、竜脊に卵を見せると約したのは座龍であり、示詩にはなにも関係がないはずだった。
すると、座龍は暗い研究塔の一階奥にある部屋へ案内し、憤慨する示詩を招いた。
「まあ、そう怒らねぇで聞いてくれや、お姫さん。これはちょっとした手違いってやつでな」
「手違い??」
示詩がますます眉を吊り上げて聞き返すので、座龍は弱り果てた体を取りながら、部屋の中央にある長椅子に示詩を座らせる。
「とりあえず腰を落ち着けて、ゆっくり構えようじゃねえか。ここはこの塔唯一の応接間でな。俺が即位したとき、好きに作り変えた場所だ」
聞けば、座龍が即位するまでの竜研究塔は、不衛生で、内部の者達による独自の統制が罷り通るような、排他的な場所であったらしい。
だが、その奇行や横暴ぶりがあまりに酷くなり、見かねた反竜学士派の貴族達によって先王の夕栄に嘆願書が出された。
しかし、当時から竜学士の長にして竜学の権威であった沃賀によって、王の手に渡る前に握りつぶされ、反竜学士派の首謀者だった者達も沃賀の口車にのった先王の命で左遷となり、竜研究塔の改革はあっけなく崩れ去ってしまった。
だが、新王の座龍が王位を継承すると、事情は変わった。
これまでの歳火の法を覆すような政策を次々と発した座龍は、その中に竜研究塔の改善策をいくつか打ち出していた。
まず不正を行っている竜学士を排除し、実力のある者、学の立つ者だけを集め、新生竜学士団を作り上げた。
そして竜研究塔の古い統制を取っ払う為、反竜学士派の改革者だった者たちを左遷先から全員呼び集めて、全く新しい体制を整えるよう命じ、実現させたのだ。
その新体制の中に、座龍も少しだけ口を出していたらしいのが、この応接間の設置だということだった。
それが設置されたことは、歳火国にとっても大きな意味を果たしたといえることらしい。
「応接間を置いたってことは、ここに来る者が竜学士だけじゃなくなったってこった。それが歳火にとってどれほど衝撃だったかなんざ、他国から来たあんたにゃ分からねぇだろうが…。とにかく、当時は革新的なことだった、俺達からすると」
「…そうしますと、この塔は、陛下が御即位なされるまで治外法権的な場所であった、と取ってもよろしいのでしょうか」
「さすが姫さん、頭の巡りが早ぇな。ま、言っちまえば、それまでの王がいかに不甲斐ない脳なしだったかってことさ。この塔がまともに機能してたのは、三百年もさかのぼった時代の話になる。十一代王の竜賀王が作ったとすると、実質的には…百年ももっちゃいなかったってことだ」
十一代国王が統治するまで歳火が混迷を極めていたことは、赤社の生まれである示詩であっても知るところだった。
示詩が目を通した『歳火国史』にもあったように、戦に次ぐ戦で疲弊しきった国内を瞬く間に潤し、完全統一を成し遂げたのが、今から10代遡った時代の歳火国王、竜賀王である。
歳火国は彼の登場によって大国まで上り詰めたといっても過言ではない。
竜を乗りこなす方法を広め、そしてその専門機関を設けたのもこの王による功績だった。
だがその素晴らしい功績も、時の流れの中で風化していき、さらには腐敗した、と座龍はいうのだ。
「長く放っておかれた特権的な研究塔は、反乱の温床にもなりかねん。事実、さっきあんたも会ったあの沃賀ってじいさんなんかは、たとえ俺が国王だとしても言うことを聞きゃしねえ。強力な後ろ盾がわんさとありやがるからな。下手にクビになんかすると、危ねぇのはこっちの方になっちまうのさ」
「応接間の設置は、では、竜学士の特権に王族が介入する突破口ということですわね。随分荒い方法のようにも思われますけれど」
「これでも譲歩した方だがな、こっちは。家臣から竜学士団から何から、反論がひどいのなんの、俺が通そうとした案の半分以上は流される羽目になった。そういう意味じゃ、この塔にはまだまだ改良の余地が残されてる、ってことかもしれねぇやな」
「ですが、お言葉ではございますが、陛下はその改良を今より後に進行するおつもりなのでしたら、私には少し時期が遅過ぎるように思われるのですが…」
またも忌憚のない意見に、座龍は鋭い瞳をやや細めて隣に座る若い正妃を見た。
「そうかい?なぜそう思う」
すると示詩は、意思の強い大きな黒目がちの目を少し泳がせた。
彼女にしては珍しく口にするのをためらっている仕草だった。
その様子を察したのか、座龍は苦笑しながら示詩の形のいい頭を撫でた。
「いいぜ、なんでも言ってみな。この部屋にはいま、俺とあんたしかいねえんだ。それに、あんたは今、正式な俺の妻って立場になる。夫婦の間に遠慮はいらねぇだろう」
座龍の言葉通り、この応接間にいるのは二人だけだった。
あとの三人、竜脊、桃衣、緋仔は、研究塔の中を見たい、とごねた竜脊の言葉を聞き入れて別室にいる。
「…さきほどの、沃賀殿のことですわ」
「ああ、あのじいさんな。あんたが、一歩も引かねぇで食ってかかるのを見ていたよ」
見ていたのならなぜもっと早く姿を見せなかったのか、と示詩は思ったが、口には出さなかった。
今はただ、沃賀の心ない言葉に反論もせず頼み込んでいた竜脊の姿が目に焼き付いて、それをなんとかしなければという気持ちが先立っていた。
「あの者は、竜脊様が王太子であるにも関わらず、貶めるような言葉を吐き、そしてそれを撤回しようとはしませんでした。そして、背後に控えていた…竜学士たちもそれと似たような態度をとっていましたわ。そして、座龍様への仰りよう…とても捨て置けるようなことではないように見受けられました」
「まあな、あいつは竜学師長といって、この国の竜学に置ける最高権威なのさ。おまけに、俺の母親の兄…つまり、俺にとっては叔父にあたる立場でもある」
「お、叔父君!?で、では……」
示詩は今更になって沃賀に食ってかかったことを後悔した。
しかし、それは己の発言の内容ではなく、立場を悪くする行動をとってしまったことに対するものである。
竜脊への不敬を咎めたことに対して思うことはなかった。
示詩がはっきりと顔色を変えたのを見て、座龍はふっと微苦笑を見せ、少しすると声に出して笑いはじめた。
「ざ、座龍陛下?」
「いや、わりぃ。あんたはおもしれぇな。流石は赤社自慢の箱入り姫さんだ。大事にされてきたのが分かるよ」
まだ笑い足りなそうにしながら、座龍は戸惑っている示詩に顔を寄せて、安心させるような穏やかな笑みを向けた。
「叔父と言っても、沃賀は王族じゃない。そりゃ高位の貴族なのは確かだが、あんたはなんといっても俺の正妃だからな。比べモンにはならねぇさ。気にするこたぁねえ」
「そ、そうだったのですか…」
「沃賀を好きにさせてんのも、竜脊を放っておいてるのも、今はまだ機が熟してねえからだ。姫さんが言ったことはまったく骨身に染みる言葉だが、残念ながら今の俺にできることは限られてる。……王様って仕事にも、色々あんのよ」
長椅子の背もたれに両腕をあずけて沈み込んだ座龍は、苦笑いを浮かべて天井を仰いだ。
石造りの重厚な塔は、一室の天井が城の倍ほど高くて、全体的に薄暗い。
その暗がりに何を見ているのか、座龍の瞳は陰っていた。
「出過ぎたことを申しました。お許しくださいませ…」
それ以外にかける言葉が見つからない示詩は、座龍の憂い顔を見ながら、そこに竜脊の幼顔を重ねていた。
叶わない望みを必死になって沃賀に訴えていた竜脊と、虚ろな表情で上を見上げている座龍の様子はよく似ている。
やはり血を分けた親子だな、と思うと同時に、この親子は、もしかしたらお互い以外に心を預ける者がいないのでは、とすら思えてきた示詩だった。
まさか、西の武王として名を馳せている者がそれほどに孤独だとは思えないが、今の寄る辺ない子供のような風情の大男を見るにつけ、示詩はどうしてもその考えを拭えない。
情に流されそうになる自分を叱咤しながら、座龍の手に触れようとした時だった。
―――ドォン!
どこかから、何かが爆発したような音が聞こえてきて、示詩ははっとして長椅子から立ち上がった。
「何事ですの!?」
「…ちっ。緋仔のやつ、せっかくいい雰囲気に持ってこうとしたってのに、なんて間の悪い野郎だよ…」
「え!?」
「あ…」
座龍は「しまった」といった表情をして、口に手をあてた。
示詩は、座龍が思わず口に出した本音をもちろん聞き逃しはしなかった。
そこで、示詩はようやく思い出していた。
(そういえば、私がここにきた目的は、ことの経緯を陛下から聞き出すことだったはずでは……!)
おそらく、話を反らしてうまく丸めこもうとしていたのだ、ということに気づくと、先ほどの憂い顔にまんまとひっかかって同情した自分に羞恥と怒りが湧きだした。
多大なるその羞恥と怒りは、そのまま座龍へと真っすぐに向けられる。
「陛下……私を丸めこもうとなさったのかもしれませんが、そうはいきませんわよ」
「い、いや、俺は別に……」
先ほどと違って明らかに動揺しだした座龍は、いかにも「その通りです」と言っているような焦りようである。
示詩は、一歩も引かない様子で座龍に詰め寄った。
「ご説明いただけますでしょうか!?」
示詩のその迫力に押されるかたちで、座龍は弱弱しく「お、おう」と答えた。
一方、その頃の竜脊、桃衣、緋仔の三人はと言えば、竜の卵を持って第二研究室に入っていた。
一階にある第二研究室は比較的簡単な実験を行う部屋であり、招いた客人を見学させることも可能なため、竜脊と桃衣が許可を得る必要がないのだ。
部屋に入るなり卵を触らせろと言ってきた竜脊に対して、緋仔はのらりくらりと体を動かしながら言い逃れをしていた。
「俺は父上に許可を受けたのだぞ。もっと近くで見せろ!触らせろ!」
「し、しかしですね、王子さん、こ、こ、これは、誰でも気軽に勝手に触れるよーなもんじゃなくてですね、へへっ…ぼ、ボクですら扱うのが、難しい、と、と、とっても難しい、わけでございましてね…」
「ならばお前が俺に扱いを教えればいいではないか。さあ、教えろ!」
「いやいや…へへへ、へ…え、ほ、本気ですか?いや、ちょ、ちょっと、ちょっと、む、むむ、無理です!王子さん、冗談がお上手で…。へへっ、へへへへへ…」
「冗談ではない、本気だ。さっさと教えろ」
「い、いやー…教えろって!お、教えろって、へへっ……いやいやいや、む、無理でごぜーます。む、む、む、無理ですよ、へっへへへ」ボソッ(ば、馬鹿の塊かこの糞餓鬼、し、し、死ね!)
緋仔は妙な動きを交えながら、おまけに不気味な笑いも交えながら竜脊の執拗な手から逃れていた。
様々な薬品や実験物がそこらじゅうに置いてある部屋で、彼らの足取りは危険極まりないとしか言いようがない。
傍でそのやり取りをハラハラと見守っている桃衣は、一応何度もやめるように声をかけているのだが、二人とも耳を傾けている気配はない。
「あ、あの~、いい加減おやめ下さいまし、竜脊様、緋仔殿!」
叱る声にも自信のなさが現れてしまい、とてもではないが苛烈な二人を止められる類のものではなかった。
(それにしても、なんで緋仔がここに…三年前に村から姿を消したっきり、全然消息がつかめなかったのに)
桃衣は黒く野暮ったい服に身を包んだ男を見て、やはり己の知っている緋仔に間違いないことを確認した。
奇抜な言動に、周りを気にしない身なり、櫛を通したことがないかのようなもじゃもじゃの髪の毛、顔の半分を隠すほど大きくて分厚い眼鏡。
このような男が同じ時代に二人といないことは、若輩者の桃衣であっても分かることだ。
(それにこの竜研究塔に出入り出来るほどの竜学士になったとすれば、かなり高い成績を修めているはず…緋仔は、昔から竜にすごく詳しかったもの)
竜学を極めたといって通ってしまいそうなほど、膨大な竜の知識を持ち合わせていた当時の緋仔を思い出して、示詩は一人で納得していた。
(すごいわ、緋仔。あんなことがあったから、出奔してしまったのかと思ったけれど、きっと、志を高く持って一人で励んでいたのね。兄上もどれほど喜ぶだろう)
緋仔と交友関係にあった兄を思い出して、桃衣はくすりと笑って浮かれていた。
それはそれは緋仔を心配していたので、このことを報告すればどんなにか嬉しいだろうと想像したのだ。
(それに、お城には私よりうんと高位の貴族様方しかいないから、なんだか味方が出来たみたいで安心しちゃった。もちろん、正妃様にお仕えできるだけで幸せなことだけど、味方は少ないより多いほうがいいですものね)
桃衣はふふっと朗らかな笑みを浮かべて、必死な形相で竜脊から逃げ続ける男を見た。
幼少から顔見知りの同郷者がいると分かっただけで、こんなにも気が休まるとは思っても見なかった桃衣である。
己がどれほど気を詰めて城に出仕していたか、いやでも思い知らされた。
「あ、そこ、危ない、緋仔!」
笑って二人を見守っていた桃衣は、瞬時に血相を変えた。
いつのまにか二人は実験台の上に上がって追いかけっこを続けていたのだ。
竜脊が飛びかかって来るのをかわしたところに、大きな甕のようなものが置いてあって、緋仔はそれにぶつかりそうになっていた。
「う、う、うるせぇ!な、なん、なんなんださっきから!だ、誰だよてめぇは!!」
突然桃衣の声に反応しだした緋仔は、甕にぶつかる寸前で体制を立て直し、桃衣の方へ向かってきた。
「良かった、危なかったね、緋仔」
「い、いや、だから、だ、誰、お前、さっきから緋仔緋仔って、な、馴れ馴れしく、よ、よ、呼びやがる、お前は、だ、誰だ!」
「あれ、覚えてない?私、瑞淡村にいた、小学舎の脇の…」
三年も会っていなければ顔も忘れるか、と少し寂しい気持ちで桃衣が自己紹介をはじめた。
だが、体勢を唐突に変えたせいか、緋仔の丈の長い羽織の裾が翻って甕に当たってしまった。
「あ」
声に出したときには遅かった。
桃衣は、緋仔が後ろを振り返って動きを止め、その後ろで甕の中から光が膨れ上がっていくのをまじまじと見ていた。
近くに来ていた竜脊をとっさに庇って、膨れ上がる光が部屋を完全に覆い尽くした時、大きな衝撃が第二研究室を揺さぶった。
「あああ~~~!」
緋仔の情けない悲鳴と共に、唸るような地響きが起きた。
―――ドォン!
座龍と示詩が耳にした爆発音発生の顛末とは、ざっとこんなところである。