問
珍しく、私を訪ねる人があった。
その人は、迎え入れて早々に、私はロイドになりたいのだと言った。そうか、と私は答えた。何故なりたいのかと問う。答えはない。ふむ、少しだけ悩む。何故そんなにロイドになりたいと思い、何故私を訪ねたのか。別に私は、彼に詳しいわけではない。
だが、そのまま帰すのも酷かと思い、私は一つ、質問してみることにした。
「あなたは、アイーザが好きかい?」
その問いを聞いたその人は、目を見開いて呼吸を失くした。おや?と、私は思った。私は特に何かを言うでもなく、相手の答えを待った。明るかったような気がしていたが、いつの間にか周囲は薄暗くなっていた。漸く答えが返ってきたのは、そんな頃だった。
「いいえ」
たった三文字だ。その三文字に、その人はそれ程までの時間を要したのだ。余程答え難いものだったのだろうか。不思議に思いながら、そうか…と返した。夏の夕暮れのような明るさと、匂いと、音がする。暗く、少しだけ眩しいその場所で、私は口を開いた。
「それなら君は、ロイドにはなれないよ」
「何故ですか?アイーザを好きにはなれませんが、他の誰かを愛することはできます」
それこそ、ロイドがアイーザを愛するように…。真っ直ぐな目だった。濁りがなく、澄んでいて、焦げ茶色だろうか。在り来りな色の目だった。
「だから無理なんだ。ロイドが誰かを、アイーザ以外を愛するなんて、有り得ない」
私は、それ以外の理由も、答えも持たない。だが、はっきりと否定できる言葉だ。君は、ロイドにはなれないと、目の前に突き付けられる、唯一の凶器だ。
「あのロイドが、アイーザ以外を求めると思っているのかい?ロイドがどれ程、アイーザを求めてきたのか、君は知らないのだろう」
その人は、愕然とした顔をして、項垂れた。
「君は一つ、勘違いをしている。ロイドはね、アイーザ『が』好きなんじゃない。アイーザ『しか』求めていない。アイーザの愛じゃないんだ。アイーザだけなんだ」
彼は別に、純真な青年ではない。私には真っ直ぐに見えるが、他人から見たら、時に曲がりくねっているかもしれない。直線のようで、大きく捻れて歪んで、それでもアイーザだけだから、私にはそう見えるのかもしれない。それがロイドだ。
「まぁ、私個人の意見だがね」
これ以上は踏み込んでほしくなかった。私は、踏み込まれても言葉を持たない。運の良いことに、その人はそれだけで諦め、この場を後にした。
何故私だったのか…。私は溜息をついた。
また、訪ね人があった。また来たのか…。普段来ないものがこうも続くと、驚きよりも嫌気が勝る。仕方なく出迎えた。
また君か…、諦めたと思ったのに。声には出さずとも、心の中で毒づいた。またロイドになりたいと世迷い言を話すのだろうか。目眩がした。しかし、意外にも今回の問いは別のものだった。
「私は、アイーザになりたいんです」
またか…。そして、ロイドが駄目ならアイーザか。そうかそうか。
「なんでまたアイーザなんだ?」
私は問うた。あんな生き難いものに、何故態々なりたがる。純粋な興味もあった。
「羨ましいじゃないですか。彼は、何でも持っているでしょう?」
さも当然だと、訪ね人は答えた。
成る程、確かに。その答えには一理ある。確かに持っているだろう。美しい顔も、恵まれた身体も、良く回る頭も、力も、何でも持っている…ように見えるだろう。だが、私はアレほど、己の渇きを知っている者も居ないと思うのだ。
「もし、君がアイーザになったとして、何が欲しいんだい」
「全部。あの顔と身体があれば、誰からも好かれるでしょう?」
アレを好きだという物好きは、この世に一人だと思うが…。
「そうか、君はアイーザが、誰からも好かれるような人物に見えるのか…」
広角が上がる。肩が上下し、声がスタッカートのように途切れて漏れる。そんな男に、見えるのか…。アレが。
「残念ながら、君はアイーザにもなれないね」
私の答えに、訪ね人は眉間に皺を寄せる。何故だ?と、言葉にせずとも問うている。ある意味、こいつも物好きなのだろう。
「アイーザが、何でも持っている?彼奴程、砂漠という言葉が似合う男もいないだろうに…」
泰然自若のようでいて、無欲恬淡のようでいて、いつも飢えている。アイーザは、宿り木のような男だ。常に誰かに依存して、誰かの熱を感じていなければ、あの男は生きてはいけない。その執着は狂気に似て、そんな物騒なものを懐に抱えて生きるのは、本当に心が折れるだろう。余程酔狂な人物なら別だが。
月も星もない砂漠に一人。在るのは乾いた砂と骸ばかりのその場所で、一滴の水を求めて彷徨う覚悟が、君にはあるかい?あの男が抱えるものは、そういうものだ。そして、君がアイーザになったとき、求める者がロイドとは限らない。存在するかも知れない者を探し、永い時を彷徨う覚悟が、君にはできるだろうか。そして、残念ながら、手に入ったとて、その渇きが癒えることはない。更に増すだろう。愛しい者に縋りながら、それでも指の腹の皮膚を擦り減らし、血を流し、歯を食いしばりながら、それでも広角を上げるのだ。その腕に大切に抱えながら、壊れぬよう、逃げないように閉じ込めて、飢えを隠して生きるのだ。
「君には、それができるかい?」
首を横に振った。だろうねと、私も頷いた。
重そうに足を引きずる背中を見送って、私は息を一つ吐いた。私に聞いて、どうしたいのだろう。「しらん」の一言で片付けられたら、どれ程楽か。だが、そうもできないのが、なんとも居心地が悪い。
もう二度と来るな。そう毒づいて、私は戸を閉めた。
二度あることは三度ある。また来たのだ。
今度はルネかと思ったら、本当にそうだった。少し肩透かしだ。ロイドだったら、少しは笑えたのに。
「なんでルネだ?」
私は問うた。
「アイーザと同じで、全てを持っていながら、彼のほうが自由そうだろう?」
そう言った。成る程な、確かに奴が背負う荷物など何も無いだろう。だが、それが自由なのかと問われれば、私は否と答える。
「あの男が、自由に生きているように見えるのか…」
灰色掛かった茶褐色が、視界の端で僅かに揺れた…ような気がした。気の所為だろう。
何を定義として自由とするのか、私は知らない。だが、ルネという男は決して自由ではないと、私は思っている。あの男に対する答えを言葉にしてみたところで、全て空虚にしかならないが、返答をするなら形にせねばならない。全く持って面倒だ。
「ルネはね、自由ではないのだよ。何も無いだけだ」
アイーザには砂漠がある。しかし、ルネには無い。
ルネに在るのは、天と地だけだ。ただ、足がついていることだけがわかる地と、空間があることがわかる天と、空気だけがルネの世界だ。
ルネの地は、柔らかいのか硬いのかもわからず、天がどれ程広いのかもわからぬ、色の無い世界だ。
つまり、真っ暗なのか、だと?残念ながらそうではない。真っ暗を黒と定義した場合、本当の色の無い世界を、君は知っているか?
ルネは知っている。彼が居るのは、そんな場所だ。
だが、あの男はそれを、言葉にはしないだろう。伝わらぬと知っていて、故にはぐらかす。だからこそ、アイーザがいる。アイーザも、その世界を知っているからだ。
だが、アイーザも言葉にはしないだろう。意味がないからだ。それを言葉にしたところで、何になる。だからこそ、アイーザは語らない。だからこそ、一つが分かたれ、二つになった。
「それでもまだ、君はルネが自由だと思うかい?」
返事は無い。そもそも、あるわけがない。どうやら訪ね人は帰ったようだ。ふぅ…と、大きく息を吐く。
長いようで、短かった。ここまでくどくど話したが、残念ながら、私は全てを知っているわけではない。単純な話だ。
私は彼等ではないのだから、最初から間違っている。
これは、私の目から見た彼等の一面にしか過ぎない。不思議かい?では問おう。あなたは、自分以外の誰かの全てを知っているか?きっと誰もが、首を横に振ると思う。何故なら、自分のことすらままならぬ者が、どうして他者を語れるだろう。




