刺激物Ⅰ
刺激物の時代はすでに終わった。人々の神経を直接に揺さぶることをやめ、
かわりに日常の隙間へと沈殿している。刺激はもはや、持続的な振動へと変わった。
朝のコーヒーは眠気を覚ますためではなく
「日常の開始」という儀式のために飲まれ、
動画は感動の代わりに“流れ”の一部として消費される。
そしてある日、世界から「刺激」が消えた。
それは目に見えるものではなく、手で触れることもできなかった。
食事は味を失い、音楽はただの波形となり、笑い声は形だけの呼吸音に変わった。
人々はなお日々を過ごしていたが、何をしても心が動かない。
感情の輪郭が削られ、喜びも痛みも区別のない静かな平原のような日常が続いた。
社会は崩壊しなかった。
だが、それは生きる理由のない社会だった。
子どもは遊ばず、恋人たちは互いに触れ合いながらも、何も感じない。
刺激を感じ取る感受性そのものの摩耗である。
強烈な刺激を欲しながらも、もはや何にも昂ぶれない。
それが失われた世界では、現実そのものが遠ざかり、
人々は「今ここ」にいながら、もはや世界に属していなかった。
その時、別種の刺激が芽吹く。問いを立てるときの微かな緊張。
それは身体を直接は揺さぶらないが、精神の奥に波紋を残す。
学問いや思考が持つ刺激は、転移の後の世界における「残響」として現れる。
物質的な興奮が消えた後、人はようやく思索という刺激に気づくのだ。




