表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転逆  作者: わきの未知
3/4

III. 爆速! すっごいそんなに爆速

「急げ、ソイ、急げ、ソイ」

 奇妙な掛け声。マコは身の回りのものをテーブルに出す。パスポート。免許証。学生証。マイナンバーカード。裏面の臓器提供意思……は、白紙。

「今井マコ」

 自分の名前の最後の一文字を、マッキーで塗りつぶす。「イ」と書いて、マイにした。

「今井マイ」

 ふざけた名前だ。今井マイなんて名前の人間は、この世に居まい。今井だけに。俺はマコの右手を掴む。

「おい、何してんだ、マコ。落ち着けよ」

「今は、マイ! 今井マイ!」

 この調子だ。会話にならない。


「急げ、ソイ。急ゲソイ」

 マコは完全に狂ってしまった。俺は言葉の違和感にようやく気づく。さっき「まいばすけっと」前でバク転していた、例のゴッズドッグ氏みたいな話しぶりだ。パンツ二丁のマコは、……少し見てみたいが、状況を考えると今はごめんだ。

「急げ、ソイ。いそ急げ、ソイソイ」

「おい、やめろ。頭がおかしくなる。これ以上変な話し方をしたら、ほんとに怒るぞ!」

 俺はマコからマイナンバーカードを取り上げる。既に他の書類は、マコらしからぬ汚い殴り書きで偽名になっていた。

 マコのソイソイ節は止まり、ようやく静かになった。焦燥した顔つきで俺を見上げる。

「ちゃんと説明してからやってくれ。頼むよ」

 俺はそう懇願する。マコは少し考えて、空中で文字を数え、慎重に口にする。

「マイ、悟ったとさ、今」

 そう言われて、ようやく俺はピンとくる。俺より頭がよければ、みんな気づいてただろうに。だから単位を落とすのだ。天文学だが。

「わかった、()()か。でも今はやめてくれ。会話にならないだろ」

 

「ねえ、今、感染源はない? 本当にない?」

 マコは怯えきった表情で回文をやめた。俺はうなずく。実際ないはずだった。生活に必要ないものは解体ガンで消した。部屋は引っ越し前みたいな状態になっている。

「砂時計は、上下ひっくり返しても使えるんだよ、カナタくん」

「はあ? だから?」

「『転逆』……逆転が来る。地球は裏面になるんだ」

「裏面? 待って、待って」

「時間がない。マイナンバーカード、返して。名前を回文にする。ゴッズドッグ氏は、回文で話すのをやめて、本名を名乗ったら、感染した」

 俺は思い出す。確かに、あいつは回文で話していたのか。――そうよ、教祖きょうそ

「きっと『転逆』には、()()()()()()()()()()()()()()()()()んだ。……多分、きっと」

「待てよ。名前? ゴッズドッグは回文なの?」

God’s Dog(ゴッズ・ドッグ)

 マコは英文学科だ。きれいな発音で答えたが、俺は理解に数秒かかった。マコはひったくるようにマイナンバーカードを取り戻す。

「わかった。マイでいいよ」

「ありがとう。……うと、が、り、あ?」

 マコは回文がパッと出てこない。今思い返すと、ゴッズドッグ氏は回文づくりのレベルが高かった。

わお(Wow)かみか? 田中たなかカナタ! いネームね、い!」

 さすが教授、兼教祖だ。常人では、回文で意志疎通はできない。

 そして俺は、田中カナタ。逆から読んでも、田中カナタ。わお、神か。


 マコ……否。今井マイは、マッキーを手に取った。最後に残ったマイナンバーカードで改名を試みる。だが、署名欄に書かれた「今井マコ」の「コ」は、塗りつぶされるどころか、ペンが触れると白くかすれてしまった。

「あっ、文字が消えた」

 俺は今井マイの手元を見て、思わずそう呟く。

「えっ、何? ほんとだ。転逆か。ヤバい」

 今井マイも、つられてそう叫んでしまった。はっとして口を覆い、「ーキッマ」を投げ捨てる。

「……イバヤ、カ、逆転……、なんだっけ」

 マイナンバーカードには何も書けなかった。彼女はそのとき、ぎりぎり今井マコだったのだろう。


「カナタくん」

 今井マイ……いや、マコは目に涙を浮かべた。

 それから俺の顔を見る。はっとする。ゴキブリか何かでも見るように、口を覆いながら、じりじりと後ずさる。

「……マコ?」

 俺は脂汗をかく。転逆だろうか。

「いや、やめて。キモい。近寄らないで」

「マコ、自己紹介してくれ」

 マコはバッグから解体ガンを取り出す。自分のこめかみに銃口を当てて、言った。

「私は……駒井マイ。田中カナタくんが大嫌い」

 ビビビビ。紫の閃光。

 そしてマコは消えた。かたんと解体ガンが落ちた。がらんとした二人の部屋に、俺だけが取り残された。


 腹が減った。

 俺は飯の袋からコロッケを取り出す。レジ袋は真っ黒になっていたが、中身は無事だった。

 米を冷凍庫から出して、電子レンジで温める。ラップをかけ忘れた。乾燥するかと思って取り出したら、水でびしょびしょのおかゆになっていた。

 目から涙が出てきた。

 敗戦。人類の文明生活が、あまりにあっけなく崩れていく。

(マコ)

 俺はマコが大好きだった。俺をキモがったのは駒井マイらしい。それはまだ、救いだったかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ