8
「この筑前クリア事務機、事務機器リース業を営んでいるのはあくまで表家業。裏では事務機器に化けた狸を顧客にリースして、そこで得た個人情報を売り飛ばす商売をしていた。ちょうど菊井さんが入社したあたりから、活動が派手になった。あらかた、霊力を吸い上げまくって気が大きくなったんだな。完全に犯罪だ」
「い……言いがかりだ!」
ぷりぷりと怒る社長は、すでに狸の尻尾を出している。
私は口をあんぐりと開けて硬直していた。
「言いがかりかどうかは俺じゃなく、これから来る福岡県警にでも言うんだな。あやかし課が動いてるからそこでしっかり話を聞いて貰うといい」
篠崎さんに促され、社長室を後にする。
まだ衝撃の余韻で呆然としていたが、はっと我に返って篠崎さんに尋ねた。
「わ、私も捕まりますか……? 会社の人たちは……?」
「人間は大丈夫だよ、多分な」
階段を降りながら、篠崎さんは肩をすくめる。
「少なくとも内勤だった菊井さんは事情聴取されるとしてもたいしたことにはならないよ」
外にピーポーピーポーと警察車両のサイレン音が響く。
警察が社屋に入って社長をしょっぴくまで、あっという間だった。
篠崎さんがあれこれと警察官の人に断りを入れ、私を見る。
「行くぞ、菊井さん」
「で、出ていいんですか……?!」
「人間の警察が来て面倒になる前に、出たほうがいいってさ」
私は警察官に頭をさげ、トートバックを胸に抱いておっかなびっくり篠崎さんと会社を出た。篠崎さんの車に乗り込む。
社用車の後ろには結構荷物が詰め込まれていて、私は自然と助手席へと座った。
車の中ではFMラジオが小さな音で流されている。
車が発車したところで、私は深く溜息をついた。
「こわかった……びっくりした……」
「家に送るよ。カーナビに住所入れてもらえるか?」
「はい」
国道三号線を一直線に香椎方面へ多々良川を越えて向かう社用車は、迷いなく私の実家のほうへと走っていた。車を走らせながら、篠崎さんは経緯について説明してくれた。
社長は四国出身の狸で、勢力争いで負けて仲間達と福岡で身を隠し、人間として暮らしていた。ちょうど高度経済成長期の波に乗り、仲間達は料亭を開いたり、社長はリース業を営んだりして福岡に人間として馴染んでいったそうだ。
慣れたところで悪知恵が働いた。元々あまり素行のよくない狸なのだ。
社長は人間に化けるのが苦手な狸たちを、リース機器に化けさせ、ちょっとしたリース機器代を浮かせていたのだ。本来ならその程度で終わるところだった。
「目の前にダダ漏れ霊力の新入社員が入ってきて、完全に箍が外れたんだろうな」
「……生肉ぶら下げてるようなもの、なんですもんね……」
私――菊井楓の霊力を浴びて、社長はあやかしとしての感覚を刺激された。
私に触れて霊力を吸い上げ、社長は欲望を取り戻した。今の時代ならもっと儲けられる、勢力を広げて、四国の狸を見返せるまでになれるのではないかと。
次々と狸をリース機器に化けさせてリースに出し、福岡県内各地で個人情報を盗み転売を始めた。欲を出し、警察が操作を始めていた。
「……すぐに助けられなくて済まなかった。警察が文字通り尻尾をだした狸に事情聴取して、社長の情報をてこでも吐かなくてな。だから俺があんたのICカードはや○けんづてに会社内部の霊力を調査して、警察に情報提供したわけだ。利用して悪いが、警察から後日感謝状はもらえると思うよ」
「お、お役に立てたなら何よりです……」
私は少し考えて、篠崎さんに尋ねた。
「やっぱり、会社……なくなりますよね」
「すくなくとも人間である菊井さんは、会社都合退職になるだろうな」
「そうですか……」
「浮かない顔だな?」
「うーん、他の子みたいに、夢や目標なんてないから、仕事をこれからどうしようかなって……」
学生時代、周りの友達は夢を追いかけていた。今の人生より良くなりたいと、色んな事を頑張っていた。眩しかったけれど、私はそれを見ている側でいたかった。
SNSで有名になりたい友達。部活で成績を伸ばしたい友達。
九州なんて出て行ってやる、東京のいい男を探すんだと、大学進学を目指す友達。
私はそのどれもが必要なかった。『普通』に、目の前の範囲で生きられて、楽しく笑えていたらそれでいいと思っていた。
「ただ穏やかに、身の丈にあった人生が送りたいんです。事務の仕事は楽しいし、両親と一緒に福岡で過ごすのも楽しいし。結婚も地元の人がよくて、……でも、それはおかしいって。変だって。そんなもの夢じゃない、って」
博多湾の上にゆったり弧を描く都市高速は車がまばらで、エンジン音と走行音が私たちの間を静かに響いていく。
私の膝の上で霊力を充電しながら夜さんは眠っている。
見下ろす港の夜景は夢のように静かで、綺麗だ。
コンテナが、船が、煌々とした明かりに照らされている。
「篠崎さんのところで働くの、最初断ったじゃないですか」
「ああ」
「怖かったんです。私が守ってきた『普通』から離れるような気がして。『私はあやかしが見えます、だだ漏れ霊力です』って、……普通じゃない生活に飛び込むのが、怖くて」
「自然なことだ」
篠崎さんは、ゆっくり言葉を続ける。
「きっとそれは『霊力』を持って生まれたからこそ、本能的に目立つのを恐れてきたんだ。平穏な環境で、穏便に一生を終えたいという生存欲求が表出しやすかった。それが菊井さんの人生設計に、なかば脅迫概念として在り続けた。言っただろう? 霊力があると、食べられやすいって」
「……そうですね」
「それにさ、俺は菊井さんの生き方、立派だと思うよ」
「え?」
思わず顔を見る。篠崎さんは微笑んでいた。
「『夢』を見なくていいくらい、自分の出自や環境、親御さんや身の回りの人に満たされている、愛情を受け止めてる……そういうことだろう?」
「そう……でしょうか」
「自分に与えられた幸福を知っている。『普通』の居心地の良さを知っている。上を見てもがくことばかりが人生じゃない。よい親御さんに育てられて、立派に育てられたんだな」
不意に、視界が歪んで目を擦る。
自分で気付いていなかった、自分の本心を見つけて貰った気がしたのだ。
「はい。……私、両親が大好きで、暮らしてきた世界が、本当に幸せで」
子どもの頃から幸せだった。
友達にも恵まれて、両親も仲良しで、ごく普通の家庭で、自分のためにオーダーメイドされた幸せの形だと思えるくらい、私は暮らしてきた半径50km圏内の生活が幸せだった。
その世界で生きていきたい。
けれどそんな夢を抱く友達はいなかった。
――どこか、自分のそういうところが負い目だったのかもしれない。
「今は情報で、どこまでも欲望を煽られる社会構造だから。俺は菊井さんが、……幸せに暮らしてきて、本当によかったと思ってる。それにあんたは、ちゃんと夢のために努力してきただろ? そう自己卑下しなくていいと思うぜ」
「ええ? でも、大きな目標なんてないですし」
「あの会社、あんたが入社してレビューサイトで評価が上がってきていたんだよ」
初耳だった。