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「あやかしは人間社会に無理に生きずとも、『彼方』に行くことだってできる。それなのに死にかけても『此方』にとどまるって事は――理由があるんだろ? おおかた……自分を飼ってくれていた人間に未練があるってところか」

「……そうだ」


 そのときごほ、と猫さんが血を吐いて倒れる。


「猫さん!」


 思わず駆け寄れば、猫さんは人の姿を失い小さな黒猫になっていた。


「……限界だったか」


 大濠公園の街灯に照らされた猫さんの胸が、苦しげに上下している。

 篠崎さんは彼を黙って拾い上げ、私に抱えさせてくれた。

 猫さんは私の腕の中で丸くなる。少しだけ、辛い呼吸が穏やかになった気がする。


「あんたは霊力が駄々洩れだから、触れているとあやかしは心地よいんだ」

「そうなんですね。役に立てるならよかった」


 猫さんは、私の腕の中で丸くなったまま人の声で話し始めた。


「俺は……あの人の家を、守り続けたかった」


 それから猫さんは途切れながら語ってくれた。

 遠い昔から代々、ずっとひとつの家を猫又として見守ってきたことを。

 かつて猫を使役する事が当たり前に行われた時代から、あやかしに頼らない時代になり、そして一族もいつしか猫があやかしであることを忘れてしまった。

 けれど猫は主を忘れず、つかず離れずの距離で家を守り続けた。

 飢饉にも明治維新にも幾度の世界大戦にも途絶えなかった家はついに、過疎化によって潰えてしまった。

 消えた集落の消えた家。そこで、猫は最期の主を看取って霊力に飢え、福岡市という人里に降りてきた。


「生きていれば……この世界にいれば、あの人たちの家を見守り続けられる。家が朽ちても土地を、あの人たちが眠る山と一緒にいられる……俺は……」


 黒猫はぽろぽろと涙をこぼす。

 すっと体が軽くなってきたように感じる。私は声を張り上げた。


「猫さん! 猫さん! ……死なないで! 私の霊力?くらい、あげますから!」

「だめだ」


 その時、ぞっとするほど冷たい声で篠崎さんが遮る。


「契約なしに霊力を与えるのはダメだ。人間とあやかしはあくまで別の存在。腹がすいている獣が、己の理性だけで「指一本だけ食べてあげよう」なんて留められるか?」


 肝がぞっと冷える心地がする。

襲われた時よりずっと怖くなった。私は彼に尋ねた。


「……じゃあ、どうすれば……」

「助ける方法はある。いったん、臨時に使役契約を結んでやれ」

「そんなこと、私ができるんですか?」

「こいつが就職して、人間社会に居場所を作り、霊力が自力で満たされるようになるまででいい。もちろん、その後解放してやるもやらないも自由だ。菊井さんならできる。自分の持って生まれた能力を活かして、その猫を救うことができる」


 篠崎さんの大きな手が肩に乗る。その手は優しくて温かいと感じる。

 猫さんは力のない体を起こし、私を見上げた。


「やります」

「上出来だ。……俺の言葉を真似して、肚の中に力を籠めろ」


 耳元で篠崎さんが私に囁く。その言葉を私は復唱した。


『菊井楓の血と名に依って命ず。我の命続く限り、汝我の使役となれ』


 猫さんを抱いた私の腕の中で、温かな光が輝く。

 猫さんの毛並みが黄金色にざわり、と輝き、そして艶やかな黒猫へとよみがえっていく。

 にゃあ、と小さく鳴く。弱弱しかった体にみるみる精気が戻ってきて、少し重みさえ変わってきた気がする。

 命の復活に、ぞくぞくと背筋が震えた。


「猫に名前つけてやれ」


 篠崎さんが囁く。


「――名で、猫に新たな人生を与えろ」

「えっと……」


 私は猫さんを見た。


「夜さん! あなたの名前は、夜さんです!」


 猫さんはにゃあ、とひと鳴きして――そして、再び男性の姿に戻った。


◇◇◇


「ありがとうございます」


 膝をついて私に深々と頭を下げる猫さん――改め、夜さん。


「いや、そんな土下座みたいなことしなくても……」

「一生未来永劫貴方に仕えることを誓います」

「ええと……回復するまででいいんですからね? 無理しないでくださいね?」


 深夜の大濠公園。

 金髪でギラギラしたその筋っぽい男と、よれよれリクルートスーツの女。

 そしてその目前で深々と地面に額を擦り付ける若い男。

 ――だめだこれ、絶対ヤバい修羅場に見える。


「んじゃ、明日改めてうちの会社で仕事と今後の生活について聞かせてもらう」


 手際よく段取りを進めていく篠崎さんの隣で、私は夜さんに手を差し伸べる。彼は私の手を取り立ち上がった。


「心から感謝する」

「そんな何度も言わなくていいですよ」

「これから世話になるから当然だ」

「え、うちで暮らすつもりですか……?」

「違うのか?」


 思わず引いてしまった私を前に、彼はきょとんとした顔で首をかしげる。


「さすがに人間の男性の姿になれる猫を、実家に連れて帰るのはちょっと……」

「庭先でも構わない」

「それは、私の倫理観がとがめるというか……」

「しばらくは事務所に住んでいい。その後の事はまたおいおい考えよう」


 助け船を出してくれた篠崎さんの言葉に、夜さんは素直に頷いた。

 そして私の手を握り、薄く微笑みを浮かべる。街灯の明かりに照らされるつるりとした顔は、モデルさんのように整って綺麗だと思った。篠崎さんといい夜さんといい、あやかしの男性みんな綺麗なのだろうか。


「……あの、……手……離さないんですか?」


 その瞬間。彼は切れ長の目元に恍惚を浮かべ、ぺろり、と唇を舐めた。


「美味しい……」


 そのまま。するりと指が絡められて――


「へ!? あっ!?」

「だだもれ霊力盗み食いすんじゃねえ!!!」


 篠崎さんが強引に私たちを引きはがす。


「とにかく一旦解散だ! 車で家まで送ってやるから、さっさと来い!」


 私はそのまま篠崎さんのご厚意に甘えて、大濠公園から香椎の自宅まで送ってもらうことになった――


◇◇◇


 そのまま篠崎さんに夜さんを任せ、私は自宅まで送迎して貰った。

 篠崎さんは両親に顔を合わせて挨拶までしてくれた。


「お嬢さんとは仕事の取引先として存じ上げていたのですが、社長さんに終電を逃すまで付き合わされていらっしゃったので、私が送らせていただきました」


 知らない会社の知らない美形と終電後に帰ってきたので両親は驚いたが、私の仕事の状況を知っているので篠崎さんに素直に感謝してくれた。

 篠崎さんと公務員である父は(人間として)顔見知りだったらしく、「彼なら安心だ」と納得してくれた。

 と言うわけで特に大騒ぎになることもなく一日は終わり、翌日私は当たり前のように出勤した。

 夕日が眩しい時間になったので各階のブラインドを下げ終えて戻ったところで、ぴったり18時を指した時計と目が合った。

 最後に社長室に向かう。大変気が重い。


「失礼します……」


 入ると同時、そこには篠崎さんがいた。


「えっ!?」


 篠崎さんの目の前、いつも社長がいる椅子には、大きな何かがいる。


「た……たぬき……?」

「食えない男を狸親父と言ったりするだろう、これは狸精だ」


 篠崎さんが答えて、社長を見る。


「眞美毅。あんた、社員である菊井楓の霊力を吸い上げてたろ」

「えっ!?」

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