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篠崎さんからトートバックを受け取っている間に、「お待ちどうさん!」の声が聞こえる。
はっとしてテーブルを見れば、そこにはすでに、おうどんがあった。
鉋でひっかき模様が刻まれた小石原焼きの素朴な器に、透き通ったつゆと細麺。
繊細に刻まれたネギとおあげが乗せられている。私たちは揃って手を合わせた。
「いただきます」
味も薄味で上品で、鰹の風味がふわりと鼻を通り抜けて、ただただ美味しい。
「ん~っ……おいし……」
時折麺に絡んでくる天かすのしゃくしゃくの噛み応えが良いコントラストになっていて、ますます美味しい。
お腹がすいていたのと、久しぶりの外食の味に、私は夢中になって箸を進める。
お礼を言い忘れていたと気づいたのは、麺がすっかり半分以上消えてしまってからだ。
「篠崎さん! 先ほどは助けていただきありがとうございました」
「あんたにお礼を言われる筋合いはない。あやかしの面倒に巻き込んじまったのはこっちの都合だからな、詫びとして存分に食っといてくれ。口止め料みたいなもんだ」
「口止め料、ですか」
「そ」
篠崎さんは話しながら、甘い汁をたっぷり吸ったお揚げを齧る。目を細めていかにも美味しそうだ。
「このご時世、SNSや口コミやら、何かと『怪異』の証拠が残り易い。証拠はあやかしにとって命取りだ」
「だから口止め料、なんですね。でも私だけ口止めしても、天神駅前で結構な騒ぎになってましたし……」
もしかしたらもうすでに、占い師騒動は、すでにSNSで話題になっているかもしれない。
そう思っていると、篠崎さんが顎で私のスマホを示す。
「今、調べてみろ」
「えー……?」
私は視線で促されるままにスマートフォンを取り出し、ささっとSNSをチェックする。
「あれ……?」
芸能人が通りかかるだけでも行儀の良くない写真がリアルタイムに動画でアップロードされるような末法なのに、天神駅前の目立った話題なんて、ない。
「っていうか、天神駅前の写真撮った人いるのに、占いの出店が映ってない…?」
「あの出店自体が、霊力が強い人間にしか見えない罠だったってことさ」
「そんなものが、天神駅前にあったなんて……」
「あやかしは、人間社会の『お上』から存在を黙認されている存在だからな」
篠崎さんが肩をすくめる。
「俺は例の黒猫又を探していた。最近ここいらで暴れ回っていたからな。悪さをする奴を、内輪だけで自浄できないとなりゃあ……めんどくさい『その筋のプロ』が出てきて、俺達全員が面倒なことになっちまうんだ」
「ああ、見つけたっておっしゃられていたの、占い師さんのことだったんですね」
私は合点した。
「……とにかく」
不自然な間を空けた後、篠崎さんはごほん、と咳払いした。
「俺が福岡であやかし就職・移住支援の仕事をしている。あの黒猫みたいな野良あやかしに適切な職や住まいを与え、福岡をあやかしが住みやすい街にするためだ」
「公務員みたいなことしてんですね」
「公務員はあやかし関係には手を出しにくいんだよ。宗教とか、色々あるし」
「あー。なるほどですね」
私は頷いたのをみて、篠崎さんが話を続ける。
「俺はあやかしが移住してくるのを歓迎する層と、福岡に移住希望のあやかしをマッチングさせ、共存させて、そして利益を上げている。そしてうどんを食っている」
「人間の移住者支援が活発なのは知ってましたが、まさかあやかしまでとは……」
私は食べ終わった汁に目を落とす。満月のように綺麗な色をしている。
狐色の美味しそうに輝く汁に、細くて柔らかい、独特の歯ごたえの弱いうどん。
美味しい。口止め料として十分だ。
「わかりました。今日の事は絶対誰にも言いません。約束します」
「ん。ならよかった」
篠崎さんがにやりと笑う。
私は汁を飲み干し、奥に引っ込んだ大将に向かって声をかけた。
「ごちそうさまでした! 次は友達を連れてきますね」
「ん~、人間の子は来られないよ」
奥から出てきた大将にひゃっと声を上げそうになる。
「カワウソ!?」
出てきたのは前掛けをつけた大きなカワウソだった。
ふかふかの毛並みのカワウソは、声は先ほどまでの大将の声をしていて、大きさは170cmくらいありそうだ。
カワウソのおじさんはふかふかとした手をぱたぱたと振る。
「嬢ちゃん違うよ、カワウソじゃないよ、おれは河童だよ」
「河童!? 河童って、あの緑で、てんちかの泉にいるようなアレじゃないんですか!?」
私は天神地下街の泉に設置してある河童のオブジェを思い出す。きらきらと輝くプロジェクションマッピングの中で遊ぶ河童は、あの頭にお皿がある、河童といえばすぐ思い浮かぶあの姿をしている。
「河童っつっても色々いんだよ」
驚く私に、隣から篠崎さん口を挟んできた。
「緑色のアレは全国区だが、河童って名称は大将みたいなあやかしの事も言う」
「へー……奥が深いですね……」
「おじさん可愛いでしょ」
「かわいいです」
綺麗なお兄さん狐に、黒猫もふもふ猫又占い師、そしてシメにはおっきなカワウソ――もとい、河童のおじさん。た、たしかに可愛いけど、ちょっと理解が追い付かないもふもふデーだ。
「川副って言うんだ、今後ともよろしく、嬢ちゃん」
「川副さんとおっしゃるんですね……私は菊井楓といいます。こちらこそよろしくおねがいします」
にぎにぎ。
川獺の手と握手をしていると、篠崎さんが話題を変えた。
「ところで大将。例の化け狸の件について、あれから情報は無いか」
「うーん、付き合いがあるあやかしは知らないようだね。ってことはやっぱり、人間側の世界に溶け込んじまってんじゃないかね? 表に出るのが人間で、裏に引っ込んで手引きしてるのがあやかしだってことはあるからねえ」
「狸だし、ありえるな」
私が黙っていると、篠崎さんが説明してくれる。
「とある個人情報流出事件に、あやかしが絡んでるという噂があるんだ。化け狸が絡んでいるという点までは突き止めたんだが、そこで福岡県警のあやかし課も捜査が難航してるらしくてな」
「篠崎の大将は、俺らが不用意に警察に疑われないように、独自に調べてくれてるってわけさ」
「大変ですね……」
今日の黒猫さんの一件も含め、篠崎さんはあやかしの移住を世話している立場上、自分に直接関係の無いトラブル対応も請け負っているということだ。それはとっても大変だ。
「菊井さんも何か気になる話があったら教えてくれ。そのだだ漏れ霊力に狸も喉を鳴らすだろうし、接触してくることもあるだろうからな」
「はい。わかりました。あやかしさんも『普通』に平和に暮らしたいですもんね」
「理解があって助かるよ」
私が『普通』を願うように。
福岡で平穏にくらすあやかしさんも、『普通』に暮らしたいと思うのは当然だ。
川副さんの屋台から出ると、私は篠崎さんと一緒に歩いた。
天神パルコの中を通って地下街に入り、地下鉄の改札を通る。