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「わーお……」
黒服さん達は篠崎さんの姿を見るだけで静かに奥のエレベーターに案内し、厳かにボタンを押して頭を下げて見送る。
慣れた様子の篠崎さんの隣で、私はガチガチに固まる。
「緊張してるので、しっぽ握ってていいですか」
「止めろバカ」
案内されてまず目に飛び込んだのは、黄金の雫を固めたような豪奢なシャンデリア。床から壁まで、今までみたことがない美しさで輝いている。まだ準備中なのだろう。業者らしき人々があちこちを掃除して、黒服たちがママと打ち合わせをしているのが見えた。
黒髪を見事に結い上げた和装のママの頭からは三毛猫の耳が飛び出し、鍵しっぽがゆらゆらと揺れている。
黒服に耳打ちされ、ママは篠崎さんを振り返ってパッと笑顔になった。
「あら、紫野さん。いつもうちの子達がお世話になっております」
――しのさん?
私は頭の中で疑問符を浮かべる。愛称だろうか。しかし愛称で呼び合うほどの仲にもあまり見えない。篠崎さんの下の名前は頼のはず。
「今は違う名前。篠崎だ」
「ああそうだったわね、ごめんなさいね」
不思議に思う私に、篠崎さんが簡単に説明する。
「俺も長生きだから色々名前があるんだよ。昔は紫野と名乗っていた」
「なるほどですねえ」
篠崎さんは女性に向き直った。
「阿騎野さん、女の子は今日は無事か?」
「ええ。あの武家上がりの雄猫さんがしっかり守ってくれています」
夜さんのことだ。私は彼女にピシリと頭を下げた。
「初めまして、菊井楓と申します。今日は自治会の皆さんより、私がホステスさんの姿をして皆さんをお守りすることとなりました。よろしくお願いします」
「あらあら……」
阿騎野さんは妖艶に口元に手を当て、じっと私をみて考え込む顔をする。
篠崎さんがさっと私たちの間に立って視界を遮った。
「話しただろ。彼女にはホステスはさせないから」
「ええー、でも磨いたら可愛いと思うんだけど」
「だめだ」
「ふふ、そう言われるのなら」
阿騎野さんはあっさりと諦めてくれた。
じっと、私を見つめて彼女は意味深長に微笑む。
「ふうん。……あなた、本当にお気に入りみたいね?」
◇◇◇
可愛いと言ってもらえたのは嬉しいけれど、やっぱり私にホステスはできない。
と言うわけで私はリクルートスーツのまま、出勤する雌猫又さんを出迎えたり、お店の周りを巡回したりした。
同伴出勤の雌猫又さんに連絡を受ければ、彼女とお客さんの後をつけてそっと見守ったり、送迎タクシーに一緒に乗ったり。
夜間保育園の方は夜さんが待機してくれているので、万全だ。
水炊き屋の同伴から出勤の連絡が入る。送迎タクシーの助手席に乗って水炊き屋まで向かうと、タクシーに乗り込んできたのは昨日、夜さんが助けた子猫のママ猫さんだった。
綺麗に巻いた髪に同伴用の瀟洒なスーツを着たママ猫さんは、私を見て軽くウインク一つを飛ばす。
その後、如何にも裕福そうな社長さんと楽しそうに会話して同伴出勤した彼女は、お客様を席に案内して一旦席を立ち、裏方でヘアメイクと化粧とドレスを手早く整える。
美容師さんにセットされながら、彼女は私に素の笑顔で笑った。
「楓ちゃん、昨日はうちの子がお世話になったわ。ありがとう」
早朝迎えに来てくれた時は普通のママのような装いだったが、こうして見ると完璧な夜の蝶だ。艶やかに整えた巻毛の上に、三毛猫の耳が美しく尖っている。
「娘さん、あれから大丈夫でした?」
「大丈夫だったわ! ちょっとびっくりしてたけど、今日も保育園に行く前に「夜しゃんがいるの!?」って大はしゃぎでね。夜さん、すっかりあの子のヒーローみたい」
「安心しました」
「さて、昨日嫌な思いさせられた分、きっちり今夜は働くわよ」
彼女は細い肩で気合を入れると、力強く笑ってホールへと戻っていく。
高いヒールを履いて煌びやかなドレスを纏って、颯爽とお客さんに向かっていく彼女はとても凛々しい。
鍵しっぽの先端で揺れる、スワロフスキーのアクセサリーが綺麗だ。そういえば鍵しっぽと言えば、長崎だ――もしかしてママ猫さんは、あちらから移住の猫さんなのかもしれない。
彼女を見送ってすぐに、篠崎さんが私に声をかけてきた。
「楓。外の様子はどうだったか?」
私は首を横に振る。
「今のところは。でも帰り際を襲った事例もありますし、引き続き警戒は続けます」
「頼んだ」
肩をポンと叩き、篠崎さんもまた、ホールへと出ていく。
篠崎さんの姿を見て、お客様のタコさんのあやかしが上機嫌に破顔した。
「おお、久しぶりですな『天神のはぐれ狐』殿。前にあったのはいつだったか」
にゅるにゅると動きながら、嬉しそうにするタコさん。
どうやら有名人らしく、篠崎さんはここで働いている訳では勿論はないけれど、色々と顔見知りの社長さんやあやかしがご来店しているので挨拶しない訳にはいかないらしい。
次々と篠崎さんは挨拶に行く。
蛸のお化けのようなあやかしの社長さんや、武士のような姿をしたあやかしさん。人間の団体の方々。
私はそっと影から、ホールを見回す。
――猫又屋敷に訪れる、お客様は様々だ。
お店に入った瞬間から人間の姿を解いて、あやかしの姿で接客を受ける人たちや、あやかしの存在を知る普通の会社の社長さん。少なくとも共通しているのは、彼らにとって「あやかし」が当然の存在であること。
裏に戻る前に最後に、チラリと篠崎さんを目で追う。
色んな人たちとにこやかに話す、篠崎さんはとても慣れた様子だ。
「大変そうだな……」
私は率直な感想を漏らしながら、同時に篠崎さんを格好いいと思う。
居場所のないあやかし達に居場所を作るために、彼は一生懸命、縁故を繋いでいる。
私も彼に助けられた一人だ。
その時、背後からそっと誰かが近づいてきた。
ママの阿騎野さんだ。
「かーえでちゃん!」
「わっ!」
後ろからぎゅっと抱きしめられて、私は声が裏返る。
豊満な胸がぎゅっぎゅと背中に押しつけられて、同性ながら顔が熱くなる。
いい匂いがして、頭が真っ白になる。
「あ、ああの!?」
「ふふ、可愛いわね。ずーっと紫野……ううん、篠崎さんを見ていたでしょ?」
ドキッとする。
阿騎野さんは色っぽいほくろのある口元をにっこりさせて、篠崎さんへ目を向けた。
「いい男よねえ。貴方、好きでしょ」
「はい。とても頼りになる上司です」
「女性としてはどうなの? あなた、凄く篠崎さんのこと見てるじゃない」
「あ、えっと……」
「まだ、間に合うかしら?」
気がつけば私は壁際に追い詰められていた。トン、と阿騎野さんが壁に手を添える。
いわゆる壁ドンの姿勢だ。




