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「今日は若い猫又の世話をしていたのだが、その時、猫又を水で襲う巫女を見つけたんだ」

「水…??」

「変化の姿を解く術が込められた水だった。引っ掛けて猫の姿に戻させて、仕事や生活の邪魔をさせたかったのだろう」

「ひどい嫌がらせね」


 私は膝で眠る子猫を見下ろしゾッとする。水とはいえ、子猫連れの母子を襲うなんて……。


「母猫は若い猫又で、中州で酌婦ホステスとして働いている女だ」

「そんな時に水を浴びたら、仕事どころではないよね」


 夜さんが頷く。


「彼女が猫又仲間が運営する夜間保育園に子どもを預けようとしている時、不意打ちで物陰から巫女が襲ってきた」

「ひどい」


 あやかしだけでなく、人間も夜間に働く人がいるから社会が回る。

 中洲近辺も少ないながら人間向けの認可保育園やベビーホテルがいくつもあるが、あやかしも人間社会の託児施設のような場所に子供を預けて働いているのだ。

 一生懸命働いている猫又さんたちの『普通』の日常を襲うなんて、ひどい。


「ママは無事なの?」

「ああ。水は俺がほとんど被ったから問題ない。足元にいた子猫が庇いきれずに水をかぶってしまったが」

「そうか」


 せめて、母親が無事ならよかった。


御母堂ごぼどうは仕事の後、猫又の緊急集会に出てくると言った。朝迎えにくるらしい」

「そっか。大変だね……」


 私は寝ている子猫を見下ろす。怖い思いをしただろうに、すっかりヘソ天で熟睡だ。胸の動きで、子猫のトットットットッという小さな心音を感じる。


「全然怖がってないね、この子」

「子供にとっては水がかかっただけだからな。親猫ほど深刻ではないのだろう」


 子猫を見下ろす夜さんの無表情が何処となく優しい。父性すら感じるその様子に、私は思わず尋ねた。


「もしかして夜さんの娘だったりする?」

「まさか。それに父猫は育児をしない」

「ああ、そこは野生の猫と同じなんだね……」


 きっぱりと否定され苦笑いしながら、私は思った事を夜さんに伝える。


「夜さん、ママ猫さんにも子猫ちゃんにも信頼されてるんだね。まるでパパだと思っちゃうくらいに」

「そんな……ものだろうか?」


 目をぱちぱち瞬かせる夜さんに微笑み、私は子猫の頭を撫でる。


「緊急事態に、雄猫に我が子を預けられるって余程の信頼じゃない。そして子猫も夜さんが怖くないから、安心してヘソ天で寝てるんだし」

「確かに、最近は中洲や近隣の託児施設に行くことも多かった。慣れられているのかもしれない」

「夜さん、お仕事頑張ってるんだね」

「……褒められると面映い……」


 耳を寝かせて口元を覆う夜さん。喉を撫でるとゴロゴロと音が鳴る。

 私は大濠公園で襲ってきた頃の夜さんを思い出す。あんなに生きるのに必死で辛そうだった夜さんが、社会に溶け込んで周りに信頼されているのを見ると、私まで誇らしくて嬉しくなる。

 私は立ち上がり、夜さんにパンツとパジャマを投げ渡す。そして通勤カバンから社用のタブレットを取り出し、篠崎さんから共有されていた通り魔巫女の出現マップを開いた。


「その通り魔、きっとカワウ……河童の川副かわぞえさんが言ってた通り魔巫女だと思うんだ。ちょっと場所、チェックしてみようか」


 パジャマに袖を通した夜さんが頷く。

 調査は天神地区あやかし自治会のあやかしたちが行うらしいけれど、私もできる限りは情報共有に協力したい。

 通り魔巫女の出る時間帯、そして被害をうけたあやかしの詳細を調べた。


「天神地区から中洲あたりまでの範囲ね……被害は3ヶ月前から。ちょうど私が有休消化して、転職したあたりからかあ」


 春は変質者が増えるというけれど、そういうノリで活動活発になったのだろうか。

 淡々と端的に書かれた被害報告を見ていると、不意に、私はぎゅっと辛い気持ちになった。

 夜の街で働くママ猫さん達も、子猫たちも、『此方』で懸命に『普通』に生きているあやかし達だ。罪のない彼らが「あやかし」だからって、『普通』の暮らしが脅かされるなんて悲しすぎる。

 同じ、『此方』で生きている人たちなのに。


「……ねえ夜さん」

「何だ、楓殿」


 黒々とした切長の瞳が、じっと私を見つめる。相変わらずとても美男子だ。


「失礼で不躾な話だったらごめん」

「構わない」

「『彼方あっち』に行きたいって思うことはないの? ……人間の世界、『此方こっち』もあやかしに対して酷い扱いしかしないじゃない。人間は、あやかしの存在を信じないし認めない。生きづらい事もたくさんある。それでも、やっぱり此方にいたいの……?」


 次の言葉を口にするのは、私は少し怖かった。


「『此方』や……人間のことを、嫌いにならないの?」


 夜さんはじっと黙り込む。そして言葉を選ぶように、静かに話を続けた。


「他のあやかしが、なぜ『此方』に留まろうとするのかは千差万別だ。あくまで俺の話だと思って聞いてほしい」


 頷く私を見て、夜さんは話を続けた。


「『此方』に留まるのは、大切な主人あるじたちの子孫が生きる世界で、大切な主人あるじたちを想いながら生きたい……それ以外の理由はない。喩え生き難くても、それが俺の望みだ」

「夜さん……」

 夜さんは強くまっすぐ、信念を口にする。そして夜さんは、漆黒の双眸で私を真剣に見つめた。

「同じ人間でも、通り魔と、主人あるじたちや楓殿は別の生き物だ。違うか?」

「そう思ってくれるの? 人間みんなが嫌になったりしないの?」

「楓殿は人が良い」

 困惑する私に、夜さんはふっと目を細める。

「俺はかつて楓殿に危害を加えた『悪い』あやかしだ」

「……!」

「俺が『悪い』からと言って、楓殿は篠崎社長や、他のあやかしを嫌いになるか?」

「ううん。そっか。……それと同じだよね」

「ん」

「でも夜さん。私は……夜さんのことも、嫌いになったりしないよ」

「感謝する」


 夜さんは珍しくにっこりと微笑み、寝相が悪くて転がる子猫をそっとタオルの上に戻してやる。舌をしまい忘れた子猫の寝顔を見下ろしながら、夜さんは独り言のようにぽつり、と呟く。


「それに……俺は『彼方』に行くのは、怖い」

「どういうこと?」

「慣れ親しんだ、生まれた『此方』の世界を捨てるのは、此方の世界で居場所がない、必要がないと思われている自分を認めるのと同じだから」


 子猫を撫でる夜さんの手は優しい。『此方』の世界に生まれた子猫に、『此方』のあやかしとして祝福を与えているかのような手つきだ。


「もし、万が一、『彼方』に行って『彼方』に馴染んでしまえば。俺は『此方』では生きられなかったのだと否が応でも突きつけられてしまう」

「夜さん……」

「俺は『此方』の世界で、居場所が欲しい」


 そこまで呟くと夜さんは猫になり、パジャマからゴソゴソ抜け出すと私の膝に登ってきた。

 私の指に頭を擦り付け、黒い毛玉になると……最後に一言、独り言のように呟いた。


「……『此方』で生まれ育ったあやかしだから、『此方』に居場所が欲しい。それだけだ」


 疲れていたのだろう。

 夜さんは気を失うように、そのまま眠りに落ちていった。

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