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「……あの。彼女から、私の働きたい理由、聞きましたよね?」


 顔をあげれば、若い磯女は顔を真っ赤にしてもじもじとしている。


「その人間の男性にハマるなんて、磯女としても年齢としても恥ずかしくて……身内にも言えなかったんです……」

「現代ではよくある話だよ」


 俺はにっこりと営業スマイルで笑う。


「歌に耳が肥えた海のあやかしの磯女の雫紅さんが、異種族にんげんの、しかも若者の演技パフォーマンスに素直に感銘できるというのはいいことなんじゃないのか?

「そう、でしょうか……」

「人間界だって70歳の女性が若い青年の魅せる才能に生きる活力を得るのはよくある話だよ。音楽にしろ、スポーツにしろ」

「よくある話、ですか」

「ええ。『普通』だよ」

「普通……」


 彼女は『普通』の言葉を噛み締めるように復唱し、静かにコーヒーを飲み干す。


「私、変化が怖かったんです。ずっと静かだった芥屋の海が、人間の世界で『糸島市』になってから、色んな新しいことが始まって。音楽祭も始まったり、人の流れも変わったり。今ではすごく賑やかで……磯女のみんなも、人間の皆さんと一緒にイベントをするようになって。それまで……人間なんて、食べたことしかなかったのに」


 聞かなかったことにしておこう。

 俺は営業スマイルを貼り付けたまま、気持ちを吐露する彼女の言葉に耳を傾ける。


「私、まだ若いのに時代の変化についていけてなかったんです。でも推しができてからは」


 推し。その言葉を呟いた途端、彼女の目元がキラキラと輝く。


「世の中が変わってるんだから、私も、推し活の為に勇気出して変わっていこうって。前向きになれたんです。だから一度、慣れた海を飛び出したくて。福岡市内の職場なら博多湾から糸島に帰りやすいし、心細くなったら皆の元に帰ればいいですしね」

「素敵なことだと思います」


 彼女の瞳は輝いている。

 推しへの熱意と、新しい人生へ向けた期待で張り切った様子は眩しいくらいだ。

 俺は霊狐として『此方』に生を受けて、既に400年程度は経っている。あやかしの世話をするようになって350年ほどだ。

 何年、何百年生きても。

 こうして『此方』に期待して生きるあやかしの顔を見ると、己の仕事に充実した感情が湧いてくる。

 どんなに、あやかしに生きにくい時代になった現代でも、『此方』に生きる意味を見出し、生きたいと欲するあやかしは存在する。

 あやかしの力でいられる間は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「ところで、篠崎さん」


 目の前の雫紅しずくが話しかけてくる。

 顔を見れば、彼女の顔は真顔になっていた。瞳が赤い。わずかに本性の姿がはみ出している。

 俺は平静を装って首を傾げてみせる。


「何か?」

「彼女は、本当は一体何者なんですか?」

「弊社の従業員だよ」

「いえ。魂の話です」


 俺は返事をしない。彼女は双眸を赤く光らせたまま、俺から目を逸らそうとしない。

 おずおずとした雫紅としての顔ではなく、磯女あやかしの眼差しだった。


「彼女、不思議ですよね。行き当たりばったりで霊力を吸い取ろうとして成功したり、霊力を吸い尽くしても意識を失う程度だったり。それに、あの唇」


 礒女の本性の姿を現した雫紅は、音もなくテーブルに身を乗り出していた。

 ほっそりとした足元がゆらゆらと消えて、長く伸びた髪が黒々とした蛸足のごとく蠢いている。

 ――男を絡めとり海に引き摺り込む、礒のあやかしの本性。

 楓の味を思い出すように、ぺろり、と彼女は赤い唇を舐めた。


「彼女、霊狐あなたの味がしました」

「菊井はただの社員だ」

「そうなのですか?」

「ああ」


 俺は目を細めて笑顔で受け流す。


「俺と主従を結んでいるわけでも、なんでもねえよ」

「……そうですか。あなたが、そう仰るのならば」


 彼女は呟き、肩の力を抜いてソファーに腰をおろす。

 同時に広がっていた髪も足元も人間らしい姿に戻り、瞳も黒目がちな憂いを帯びた双眸になる。本性をまろび出してしまった恥じらいのようなものを目元に浮かべ、彼女は髪をいじりながら、ぽつりと呟く。


「私、昔、噂に聞いたことがあるんです。『天神のはぐれ霊狐』――篠崎さんが、稲荷神の神使にも昇格できるほどの霊力を持ちながら、ずっと天神にいらっしゃる理由は、」


 その時。


「うわー!!!!!! 寝てしまった――――!!!!!!!」


 全身の緊張がヘナヘナと抜けていくような叫び声が、奥のソファーから響く。

 振り返れば寝汗まみれの菊井楓が青ざめた顔で辺りをキョロキョロ見回していた。


「うわっ、私っ、天神で霊力吸って、その、あれからどうなッ……ええ、夕方? ここどこ? え、」

「落ち着け」


 俺は用意しておいた水のペットボトルの蓋を緩め、菊井楓によこし、顎で飲み干すように示す。


「ここは会社。仕事に関しては引き継いで終わらせた」

「あっ……も、申し訳ありません……。ご迷惑おかけいたしました」


 彼女はハッとして口を拭うと立ち上がり、雫紅に深々と頭を下げる。雫紅は立ち上がると楓に近づき、目の前で深々と頭を下げた。


「ご迷惑をおかけしたのは私の方です。私が興奮して失敗してしまい、申し訳ありませんでした。楓さんが霊力を吸って下さって、そして篠崎さんが後始末をしてくださったお陰です」


 俺はいつもの調子で微笑んで返す。これ以上、先程の話は続けないという意思を込めて。

 雫紅も理解したのだろう。楓に向き直って彼女の汗ばんだ額をハンカチで拭ってやっている。


「ご体調はいかがですか?」

「私は大丈夫です! なんだかスッキリしてます!」

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