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「あ、ありがとうございました! 最高でした!!」
「そりゃあ……よかったな……」
篠崎さんは尻尾をしゅるりと私の手から引き戻すと、慰めるように自分で撫で撫でと毛並みを整える。私はスッキリした気持ちになった。最高の手触りだ。
「気が済んだなら出るぞ」
篠崎さんが耳をへにゃっと伏せてよろよろと離れ、サッシを下ろし始めたので、私も片付けに取り掛かった。
◇◇◇
翌日。
私と篠崎さんは赤坂駅近くに停車して雫紅さんと合流した。
私が糸島に向かった時も地下鉄を使ったように、雫紅さんの住まう場所からは筑肥線と地下鉄を乗り継いて天神地区に出てくることになる。
「今日はよろしくお願いします」
ペコリ。頭を下げる彼女は今日は、メガネにマスクに、髪をすっぽりと覆うような帽子までかぶっている。
「すごい重装備ですね……」
雫紅さんと二人で後部座席に座っていると、ハンドルを握った篠崎さんが答える。
「磯女は強く意識して霊力を抑えておかないと、人間の男を無意識に惑わせるからな」
篠崎さんの言葉に雫紅さんはうなずく。
「他の磯女は人に慣れているので、調節が上手なんですが……私は…あまり、海から出たことがないので……でも、そんな私でも大丈夫ですか?」
「大丈夫です。昨日お仕事を探しておきました。女性が多い職場、社外に出なくてもいいお仕事、シフトの時間帯によって人混みから逃れられるお仕事など、いくつかあります」
見繕っておいたものを印刷しておいたものを彼女に、私もタブレットを出す。そこには求人内容と、その職場の雰囲気がわかる写真などがある。
じっくりとその情報を読みとろうとする彼女の視線は真剣だった。
「雫紅さんが気になったところ、ありますか?」
「そうですね……男の人があまりいないところが……安心かなって」
彼女が示したのはコールセンターだった。
服装も自由なので、雫紅さんが安心できる装いで始められるからハードルが低いだろう。最初の三ヶ月は試用期間だけど、その間も借上社宅に住むことができるらしい。一人暮らしをしたい彼女にとってはぴったりだと思った。
「それでは、そこからまず回ってみましょう! 他にも似た条件のところピックアップしますね」
他にいくつか彼女が興味を示したところを優先的に、私はタブレットでルートを作って篠崎さんに渡す。車が、ゆっくりと流れるように国体道路へと進んでいった。
それから私と篠崎さんは雫紅さんをいくつかの職場見学に連れ行ったが、どの職場もなんともいえない様子だった。上手く生活が想像できない、と言おうか。
ちなみに、彼女は即戦力として十分働けるだけのスキルがあった。
パソコンの扱いもスマートフォンの扱いも、一般的な事務は全部こなせるのだ。
現代社会に順応できている雫紅さんは、あやかし向け求人は正直いくらでも選べるスペックなのだ。
けれど、肝心の彼女の心に「決定打」と言うものがなかった。
「一人暮らししやすくて……街に出やすくて、お金が稼げたら、私にできる事ならなんでもいいです」
どこでもいいし、なんでもいい。――だからこそ、最も良い選択を一つおすすめするのが難しい。まあ今日は決めなくてもいいのだけど。でも。
――私にはなんとなく、彼女が本当になんでもいいと思っているふうには、とても見えなかったのだ。
私たちは「きらめき通り」沿いの会社を訪問したのち、そのまま天神見物がてら福岡天神駅まで向かった。
地下街のカレー屋さんに興味がある様子だったので、お昼は彼女の要望に合わせてカレーランチにした。カレー専門店のチェーン店なので、個性的でとても美味しい。お米も細長くて、スープカレーっぽくて美味しい。
「もしかしてこのカレー屋さんで働きたかったんですか?」
「そういうわけでは……」
周りをきょろきょろとせわしなくうかがいながら、彼女はカレーを食べる。
食後、雫紅さんがちょっと席を立つ。
彼女を待つ間、篠崎さんが私に話しかけてきた。
「楓」
「はい」
「何か気になってるみたいだな」
「ん……まあ……」
「話してみろ」
「本当の事、彼女何か隠してるなって。でもそれが分からなくて」
「ほう」
篠崎さんの目が軽く驚いたような目になる。
「へ、変なこといっちゃいました?」
「いい、続けろ」
「はい」
私は頷いて続ける。
「慣れない生活にわざわざ飛び込もうと勇気を出すって、理由があると思うんですよね……。でもその理由は芥屋で他の人の前では言えなかったみたいだし、こうやって一緒にいてもなかなか言わないし……働きたい場所があるってわけでもないし、天神にただ出たかったって訳でもなさそうだし……って、すみません。なんだか沢山語りすぎちゃいました」
気恥ずかしくなった私に、篠崎さんは横に首を振る。
「言えって言ったのは俺だ。400年の狐の俺より、楓の方が彼女に感覚は近いし、いろいろ考えることはいい事さ」
「近い、んですか?」
「70だろ? まだ人間でもおかしくないくらいの年齢だからなあ」
「そんなものなんですね……」
ふと、彼女が席を立って随分と時間が経ったのに気付いた。
「あれ、そういえば、雫紅さん遅いなあ」
「ああ。遅いな?」
篠崎さんと視線がかち合う。私ははっとした。
――今。働く場所はどこでもいいし、なんでもいいと言っていた雫紅さんが、初めて自分の意志を出したのだ。初めて、自分からカレー屋さんに行くことに興味を示した。それはここで就労したいというのとは違う、別の理由でs。
そして彼女は席を立った。また自分の意志で。
篠崎さんの眼差しが、私の想像が当たっていると示している。
「篠崎さん、私ちょっと様子見てきます」
「ああ、任せるよ」
篠崎さんに見送られ、私はお店を出てまずはトイレや化粧直しのパウダールームまであちこち覗いてみる。けれど、雫紅さんの姿は見当たらない。
「どうしよう……迷子にさせちゃったかな」




