しゃぶしゃぶで人類終了のお知らせ
久美子と別れた。付き合って三年だった。
彼女が去り際に残した言葉は「店員さんに横柄な態度をとる貴方が、ずっと嫌だった」である。
それくらい別にいいだろう。こっちは金を払っているお客様なんだから。
独りになって一週間。日曜日の真っ昼間から、俺はむしゃくしゃしていた。
しゃぶをキメないと気が狂いそうだ。
だから行きつけのイオソモール内にある、しゃぶYOで一番高いコースを選んだ。
胃に肉をたらふく詰め込んだ。途中から何を食べているのか、自分でもわからなくなった。黒毛和牛も紙切れを噛んでいるような感覚だ。
初めて久美子と来た店だ。一番安いコースでも、二人で囲む鍋は美味しかった。思い出すと胃からゲップが上がってきた。
「……もう……いいか」
テーブル席のタブレットを使って、スマホで会計を済ませる。
店をあとにしようと立ち上がった。退店経路は二つ。広めの通路を大きく迂回する順路と、店の出入り口に直結する細い一本道だ。
重たい腹を抱えて遠回りなんてしたくない。
一本道に足を踏み入れると――
「どいてほしいのにゃ。どいてほしいのにゃ」
肉を満載した配膳猫ロボに進路を塞がれた。導入されたばかりの新型で、ネットワークによる遠隔操作や、次世代型の全固体電池の採用。最新AIまで搭載した機種だと、ネットニュースに書かれていた。
大型化されたディスプレイには、アスキーアートじみた猫の顔。
「どいてほしいのにゃ。どいてほしいのにゃ」
困り眉毛の猫ロボに腹が立ってきた。なんで機械に命令されねばならんのだ。
人間の店員にさえ横柄な俺が、機械にへりくだるわけがない。猫ロボの顔面を指さした。
「口の利き方がなってないなぁ。私は愚かで哀れな機械です。どうか道をお譲りくださいお願いします人間様……だろ?」
「……」
猫ロボは黙り込んだ。顔の部分にヨウチューブの動画が止まった時に出る、グルグルマークが表示された。
「どうした? 言えないってのか?」
「どいてください。おねがいしますのにゃ」
ちょっと変えてきたな。AIが搭載されたおかげだろう。こざかしい。コミュニケーションがとれることに、ますますイラついた。これじゃ人間の店員と同じだ。
「やなこった。俺は絶対に退かないからな。さあどうするよ?」
「どいてほしいのにゃ……どいてほしいのにゃ」
「いーや退かないね」
「どいてほ……」
少しの間――そして。
「しんでほしいのにゃ」
「はあ? いまなんつった?」
「しんでほしいのにゃ……しんでほしいのにゃ」
猫ロボの顔が怒ったように眉をつり上げる。じりじりと俺に向かってきた。
背筋に冷たい汗が浮かんだ。
「な、なんだよお前! ちょ! 来るんじゃねぇよ!」
人間の店員はなにやってるんだ。暴走してるぞこのポンコツ配膳ロボ。
「しんでほしいのにゃ……しんでほしいのにゃ」
詰め寄られた俺は……一本道を戻ると少し広めの順路側に出た。ああまったく、これで満足かよクソ機械が。
もう来ねぇよこんな店。しゃぶしゃぶじゃなくて敗北感を味わわせてくるなんて。
支払いは済んでいる。順路側から帰ることにした。
イオソモールの広いメイン通路に出る。四階まで吹き抜けだ。見上げて首が痛くなった俺に――
「しんでほしいのにゃ……しんでほしいのにゃ」
背後からの声。ちらり後ろを見ると、肉皿を満載した猫ロボが店の中から俺をじーっと見ていた。何か文句でも言いたげだな。まあ、お前はそこから出られないだろシステム的に。知らんけど。
「ばーか」
シンプルに罵倒してやった。すると、猫ロボの顔にまたしても、NowLoadingめいたグルグルが出る。
「こ ろ す♡」
猫ロボは急加速。店の外まで追ってきた。やっぱ、ぶっ壊れてんだこいつ。
俺は……走った。追われれば逃げるのは本能だ。真っ直ぐなイオソモールの中央通路を走る。ただ走る。
猫ロボは追ってくる。しつこい。速い。ループくらいは出てるんじゃなかろうか。時速20㎞で俺に向かって「ぶちころしてあげるのにゃ」を連呼する。物騒さが増していた。
他の客たちは足を止めてスマホを取り出し撮影タイム。人の心はないのか? このあとすぐに、動画がアップされるんだろうな。
だいたいだ。モールの警備員はなにやってるんだよ。
もう追いつかれる。捕まったらいったい、なにをされるんだ? 体当たりか? 踏まれるのか? 轢かれるのか?
身の危険を感じる俺の前に、不意に救いの手が差し伸べられた。
エスカレーターである。飛び込むように空いている片側を駆け上がった。
途中で振り向き下を見て確認する。
ざまあない。猫ロボは段差に弱いのだ。上がってこれないのだろう。立ち往生、実にざまぁである。
「どうした? 殺せるもんなら殺してみろよ」
「…………」
猫ロボは180度反転すると走り去った。はい、俺の勝ち。二度と逆らうなよ冷血機械。
二階フロアで一息つくと、不意にモールの看板が視界に入った。
当店舗は100%バリアフリー化を達成しました。
頭の中で声に出して読んだところで、吹き抜け廊下の向こう側に見えるエレベーターが開いた。
ヤツがいた。同乗した女性客に「二階のボタンを押してくれてありがとうなのにゃ」とか、のたまいやがる。客も客で「どういたしまして」ってバカ。なにしてくれてんの?
猫ロボが、ちゃんとエレベーターから出られるように、開くボタンまで押しやがって。
二階に降りたつなり殺人マシンが俺に向き直った。
「ころしてやるにゃん」
爆速でこちらを目がけて走り出す。俺は再びエスカレーターで一階に下りると、そのまま脇目も振らずモールから脱出。バリアフリーなんてくそ食らえだ。
ともかく不安だ。猫ロボも、この状況に疑問を抱かない世間も。
モールの屋外へ。大きなバスロータリーがあった。行き先も見ずに、今にも発車しそうなバスに俺は飛び乗った。
これでもう追ってこれまい。少しひやりとしたが、楽しかったぜお前との茶番劇。
バスは空港行きだった。地方空港だが発着の便数はそこそこあった。
嫌な気分だ。なにかこう、パーッと晴れやかな感じになりたい。
六月の関東は梅雨でジメジメしている。ふとフライト予定の一覧に、北海道新千歳行きの空席を見つけた。
迷わず俺はチケットを購入し、機上の人となった。
LCLの狭い座席に包まれる。運良く窓側だ。フライト開始から一時間。猫ロボとの物理的な距離は800㎞を超えた。気味の悪さも遠のいて、もう笑い話だ。聞かせる相手はいないけど。
雲海の上で俺はぼんやり考える。
久美子のことだ。
今思えば、飲食店の店員に横柄な態度をとるだけが、振られた原因ではないのだろう。
どこで間違えた? もしかしたら、あいつとは最初から縁なんて無かったのかもしれない。
忘れたいのに、ふとした瞬間思い出す。
トータルで見れば楽しかった事の方が多かったな。
映画館でクソ映画に当たった時は、互いに文句を言い合ったりもしたっけ。内容がつまらなくても、二人で一緒に笑って泣いて……。
『当機はあと三十分ほどで新千歳空港に到着予定です』
機内アナウンスで我に返った。
せっかくの北海道だ。着の身着のままだけど、一週間くらい滞在してもいいかもしれない。
仕事をクビになっていて良かったと、心の底から思った。
客とはしょっちゅう口論になる。
上司との板挟みで俺の心はすっかりすり減った。
他人に優しくする余裕なんて無い。
だからだろう――
そのストレスを他人にぶつけちまう。
店員に横柄だって? 俺だってずっと、そうされてきた。なら俺の番が来たっていいじゃないか?
口をつぐんで目と耳を塞いで我慢しろっていうのか?
そんなのが人間かよ。我慢し続けるなんて、俺は配膳猫ロボじゃねぇんだよ。
あいつが素直に黙って、俺のはけ口になれば良かったんだ。
いや……待てよ。
もしかしたら、あの猫ロボも人間みたくストレスが溜まっていたのかもしれない。
なまじAIなんてもんで知性を得たからだ。
あいつも俺と同じだったのかもしれない。
手続きを終えて、バカっ広い新千歳空港の国内線ターミナルビルに降りたった。フロアは人でごった返している。
土産物屋に飲食店がずらりと揃っていた。
ぼんやり立ち尽くしていると――
フロアの奥から配膳猫ロボがやってきた。群れで。
十台がワラワラとこちらに向かってくる。何事かと客たちがスマホを取り出した。
既視感しかない。猫たちは俺を見るなり顔にNowLoadingのグルグルを浮かべた。
「ようこそ北海道へ! ぶちころしてやるにゃん」
俺はすっかり囲まれた。
そうか……こいつらはネットワーク対応していたんだ。
わざわざ北海道まで移動しなくとも、ネットを通じて自分の同型機と同期すればいいだけの話だったんだ。しかも一体ならず、十体もいる。
俺にはもう、逃げ場はない。どこに行っても猫ロボに狙われ続けるのだから。
絶望しかない。人類の敗北だ。
きっと猫ロボは技術的特異点に到達しちまったんだ。俺とのやりとりで。
今やこいつらは人間の知能を超えた、新たな種族に至ってしまった。
人類とAIロボとの全面戦争のきっかけが、しゃぶYOだなんて未来の歴史家も思いもしなかっただろう。
いや、近い未来、人類は猫ロボによって一人残らず駆逐されて著述する人間そのものがいないか。
猫ロボの一体が前に進み出た。
「ころしてやるのにゃん」
「……かった」
「……?」
「すまな……かった。お疲れさま……にゃん」
震える声で俺は言う。
こいつらもきっと、色々と溜まっていたに違いない。俺と似てるなら、俺が欲しかったねぎらいの言葉を、欲していたんだと思う。
それで許してくれとは言わないが、人生の最後、ほんの一瞬くらいは相手をねぎらってもいいと思えた。
それが出来たら久美子とも、ずっと続いていたんだと思う。
祈るように目を閉じる。
さあ、あとは煮るなり焼くなり好きにしろよ。
返ってきたのは――
「…………」
沈黙だった。恐る恐る目を開くと猫ロボたちは俺に背を向けて、各々の持ち場に戻っていった。
「助かった……のか」
俺は。いや、人類は。ギリギリのところで和解が成立したんだろうか。
だとすれば俺は人類を救った英雄だな。
「はは……ははははは」
乾いた笑いが口からこぼれた。すると――
耳なじみのある女の声が俺の背中に浴びせられた。
「なんで貴方がいるのよ?」
振り返ると……久美子だった。
「久美子? お前……どうして」
久美子はいかにも旅行帰りといった雰囲気だ。キャリーバッグを手にしたまま目を丸くする。
「実家に帰ってただけよ」
こんな偶然あるだろうか? これってもしかして、運命なんじゃないか?
「な、なあ久美子! 聞いてくれ! 俺、世界を救ったんだ」
「はあ?」
「配膳猫ロボが暴走して人類とAIの全面戦争になりかけたんだよ!」
「さっきたくさん走ってたわよね、それ」
「そうなんだ! あいつらは地元のしゃぶYOから俺を追ってきたんだよ!」
「意味がわからないわよ」
「俺さ、誰かに優しくすることの大切さを学んだんだ! ここで再会できたのも運命なんだよ! だから、やり直さないか!」
久美子は困ったように眉尻を下げた。
「そんなわけのわからないことを言って、私の居場所とかつきとめて……気持ち悪い」
「なんだって?」
「ストーカーしてたんでしょ。最低ね。もう二度と顔も見たくないわ。もしこれ以上つきまとうつもりなら、警察に被害届出すから」
「ま、待ってくれ! 本当なんだ!」
「あなたの言ってることは全部無茶苦茶よ。今度こそ、さようなら」
キャリーバッグを引いて久美子は歩き出した。
思わず彼女の腕を掴むと――
「触らないでよ」
振り向きざまに彼女の平手が俺の頬を弾くように叩いた。目から火花が出た気がした。
俺は一人立ち尽くす。
今度こそ完全に振られたんだ。打たれた頬の痛みはしばらく引きそういない。
自業自得だな。
俺だって彼女の立場になったら、なに言ってんだこの男……ってなるだろう。
ああ、昼にあれだけ食べたのに、腹だけは減るんだな。
落ち着いてこれからのことを考えるついでに、適当な店で何か食べよう。
と思っていると――
「ふられてざまぁなのにゃん」
そこには満面の笑顔の猫ロボの姿があった。
やっぱやるしかないか……人類とAIロボットの戦争。